夏の広島とバッハ

なんだか凄い経験をしました。

本番の2日前あたりからだんだん手がしびれてきて、本番でその痺れはピークに。
初めの4小節で手の感覚が全く無くなって、手首から先がどうなってるのか分からなくなりました。
ページをめくる時だけ感覚が一瞬戻って、というかページに触っている部分だけが生きているような感覚で、紙から手が離れるとまた手の実体が無くなりました。
視野もだんだん狭くなってきて、みんなの顔も、3人ずつくらいしか見れなくなってきました。
不思議とそれに反比例するようにして、聴覚が鋭さを増していき、今まで感じたこともないくらいクリアーに音が耳に入ってきました。
日光真光教会という場所がそうさせたのか、あるいは8月という季節がそうさせたのか。
僕たちが合宿に入ったのは広島県人にとって素通り出来ない、1年で最も大事な日でした。
母親から用も無いのにメールが来るのは、誕生日とこの日くらいです。最近は誕生日も怪しくなってますが(笑)
実体験を語れる方が減って、被爆の実情が次世代に伝わりづらくなっていると言いますが、少なくとも僕は、ありありとした恐怖の実感を、原爆に対して持っています。
思い出すだけで、全身総毛立つような、唇が震えるような思いがします。
それほど広島の原爆教育、平和教育は凄まじいのです。ほんと気合いが入ってます。
バッハがあの4小節に込めた祈りは、大いなる力に為すすべもなく頽れる全人類の叫びです。
一瞬にして黒い影になった、炭になった、全身火傷で川に飛び込んで死んだ、後遺症に今も苦しむ、ヒロシマの犠牲者の叫びです。
ほんとに凄い曲です。
そんなことを考えていたら、4小節で私の意識はどっかへいってしまいました。
ほとんど無意識で振っていたので、その後の事はほとんど覚えていません。
Christeの後ソリストが動くのが遅いなと思った事や、Qui tollisの時ソリストに被ってN田君が全然指揮見れなくなったり、そういう事は覚えてるんですけどね。
なんか暗くなってきたな。怖いな。

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