古東哲明「現代思想としてのギリシャ哲学」

気まぐれに本の話をすることにしました(笑)

この本は、私が古東先生の本で初めて読んだ本です。
古東哲明「現代思想としてのギリシャ哲学」
文庫で読みやすそーと思ったのかな?もう覚えていません。
本当は、哲学の授業で参考書として買わされた、「在る」ことの不思議
を最初に読んでるはずなんですが、これはぱらっと読んで挫折しました。当時の私には難しくて(笑)
それでなんでこのギリシャ哲学の方を読もうと思ったのか。
まるで覚えていませんが、おそらく古東先生の授業があまりに素晴らしくて、この人の本読んでみたいな、これなら読めるかな、みたいな感じだったのでしょう。
本当に素晴らしい授業なんです。
古東先生の授業。
まだ私は30年しか生きていませんが、間違いなく私の今までの人生で、最も強い影響を受けたのは古東先生です。
それはそれはもうぶっちぎりの1位です。
先生の授業は、古東先生の「哲学」、ということで、通称コテツと呼び慣わされ、広島大学の先輩から後輩へと代々引き継がれる「単位の取りやすい一般教養」リスト上位の授業でした。
出席も取らないし、テストでカレーの作り方書いても受かる、みたいな授業でした。
なので初回の授業は満員御礼、総合科学部の1番大きな講堂、階段教室に人が入りきらないくらいになります。
立ち見もいたような、、、
で、まぁお察しの通り翌週にはどんなに多く見積もっても半分以下になります。
そう、その最初の授業で古東先生の話された最初のお話を、私は一生忘れないでしょう。
これだけ忘れっぽい私が忘れないんですから、よっぽどです。
「生きる意味、誰でも一度は考えたことがあると思いますが、みなさんご存知のように、そんなもんはネー」
今までの人生を全肯定された思いがしました。
あーやっぱりそうなんだ、ぼくが間違ってたんじゃなかったんだ。
そう思いました。かわいいでしょ?
でもそれまで誰もそんなこと言ってくれなかったんです。
嬉しすぎて涙も出ませんでした。
ーー・ーー・ーー・ーー
先生の授業は、一年かけて、
生きる意味はない。
むしろだからこそスゲー。
を体得するというシンプルなものでした。
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(板書の例、クルッとした矢印が、「むしろだからこそ」の意)

そしてそのスタンスは、先生の全ての著作に当てはまります。
先生の専門は比較哲学なのだそうで(それがなんなのか私にはさっぱりわかりませんが)とにかくいろんな人の言葉、例が出てきます。
ほんとに驚くべき読書量です。
本だけじゃなくて、例えば手塚治虫の漫画とか、タモリとか、アルヴォ・ペルトもでてきます。あ、それから絵画も出てきたな。
そういう膨大な例を示しながら、そのどれかに誰かが引っかかれ!と思って書いてるのかなと思います。
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この「現代思想としてのギリシャ哲学」は、もうとにかく、これが哲学書なのか?というくらい情熱的で、感動的な本です。
生きる意味はない。
むしろだからこそスゲー。
というシンプルなことを、どうしても伝えたい、という熱量に圧倒されます。
各章ごとに、ギリシャの哲人を1人ずつあげ、彼らの思想を紹介してると見せかけながら上のメッセージを論証(といっていいかわかりませんが)していきます。
時には深読みなんじゃねぇかとか、こじつけじゃないの?とか思うこともありますが、そんなことは大した問題ではありません(笑)
とにかく感動的です。理屈を置いておくにしても。
みなさんにお勧めしたい一冊です。
目次を紹介します。
序章  月から落ちてきた眼
第1章 哲学誕生の瞬間――タレス
第2章 逆説の宇宙――ヘラクレイトス
第3章 存在の永遠――パルメニデス
第4章 非知の技法――ソクラテス
第5章 ギリシアの霊性――プラトン
第6章 あたかも最後の日のように――M・アウレリウス
エピローグ  空白の航海術
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