光岡英稔 韓氏意拳講座|11回目:BUGAKU講座|15-17回目

今月はたくさん講座に参加できました。

それだけに身体も頭もパンパンになりました。

整理して、自主練の指針を立てていきたいと思います。


【これまでの講座レポート】
BUGAKU講座|1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
BUGAKU講座|2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
BUGAKU講座|3回目 https://is.gd/Gm9C17
韓氏意拳講座|1回目 https://is.gd/D3RjiJ
BUGAKU講座|4回目 https://is.gd/37Oxg1
BUGAKU講座|5回目 https://ux.nu/AmsQM
韓氏意拳講座|2回目https://is.gd/G7l53a
BUGAKU講座|7回目 https://is.gd/xiBfFB
韓氏意拳講座|3回目 https://is.gd/rDRgMX
韓氏意拳講座|4回目 https://is.gd/8BX3eO
BUGAKU講座|8回目 https://is.gd/tbIYiI
韓氏意拳講座|5回目 https://is.gd/YmZ2Yc
BUGAKU講座|9回目https://is.gd/BnOQit
韓氏意拳講座|6回目https://is.gd/dlMQTX
BUGAKU講座|10回目https://is.gd/RczZH5
韓氏意拳講座|7回目https://is.gd/a1Yor1
韓氏意拳講座|8回目https://is.gd/ayTQMA
BUGAKU講座|11回目https://is.gd/ayTQMA
韓氏意拳講座|9回目https://is.gd/NCZKxY
BUGAKU講座|12回目https://is.gd/zHtNYL
韓氏意拳講座|10回目:BUGAKU講座|13.14回目https://is.gd/YXuCSM


剣術

今回の剣術は流派による構え方の違い、身体観の違いというところを正座で、木刀を持った状態での観法で比べていきました。

なにか持った状態での観法というの自体初めてで、それだけで既にめちゃくちゃ面白かったのですが、構え方の違いで観え方が全然変わってくるのがかなりわかりやすく、身体にとって自然な構えとはなにかということの気づきが大きかったです。

このあと更に立った状態で構えて観法もやりましたが、膝が爆発するかと思いました笑

足にキテるのはうまく観れてる証拠とのことで少し安心しましたが、まだまだ足腰を鍛錬せねばならんです。

木刀と手を対応させながら観ていくと「揃う」という状態になり「定位」するのですが、それをどこか一箇所ずらすことで「不定位」を作って動くということもやりました。

動きが出てくると更に「観る」難易度が上がって、私の場合足首から下がいい加減になってるのがよーくわかりました。

ほんともう毎日稽古してるんですけどねえ。

毎朝稽古する習慣をつけてもう2年半くらい経ってますが、自分でもこんなに続くと思ってませんでした。

しかしやらないとほんとに気持ち悪いんですよね。そうなったらこっちのもんという感じですが、ただのルーティンとか、健康法に陥らないようにずっと注意しながらやってます。

毎日少しずつでも自分の身体が練れていくように。

あとこれだけやっててもほんとに講座に出るたびにマジで自分何もできねえということを思い知らされます。

今年歳男で36歳になりますが、この歳になってこれだけ伸び代を感じることができるのはなかなか他ではないんですよね。


東南アジア武術

シラットは前回から引き続き礼法を丁寧にやっていって、その精度を上げていきました。

更に様々な言語で数字を口に出すということで、シラットの身体観との相性をみていくということをやっていきました。

前回は音楽との相性、今回は数字を発声するということで、これはまさに私が武学を通じて学ぼうとしていることに直結すはず!

「音楽・声と身体」というテーマを探求する上できっと大きなヒントになっているはずなのですが、今のところまだ具体的にはひらめいてません。

は!時系列がおかしくなってしまって申し訳ないですが、剣術のところでは、中世、古代の日本語との相性をみたのでした。

これです。これを紹介いただいてからこのチャンネルの動画見まくってるのですが、解説動画の内容が頭良すぎて吐きそうになります。

しかも解説動画がデフォルトで1.5倍速とかになっててさらに情報量がえげつないので、0.75倍速にして見てます笑

現代日本語と現代日本人の身体観、古代日本語と古代日本人の身体観に親和性があるということで、やはり現代日本語を喋ってる限りは現代日本人の身体観から逃れられないのかな、などと思いました。

やはりこれも、音楽や言語、発音、発声との結びつきということで、非常に古楽的アプローチに直結しますし、他国の民族音楽を演奏する時(すなわち西洋クラシックを演奏するときも含む)、避けては通れないテーマなのだと思います。

現代日本人の身体性と他国の伝統音楽とでは親和性がまるでないので、上手くいかんのです。

だからそこにアプローチしていかなきゃあかん。

と、いうことと、もう一つ直接的に興味が湧いたのは、10世紀頃の、例えばザンクトガレン式ネウマが書かれたスイスにおいて、ラテン語ってどう発音していたのか、ということ。

これまでも無視していたわけではないのですが(いやほぼ無視していたと言って過言ではないのですが)、我々がグレゴリオ聖歌を歌うときって、演奏会の中で歌うので、ほぼグレゴリオ聖歌だけの演奏会というのはなくて、何かしらポリフォニーを歌う。でそのポリフォニーがフランスやフランドルのものであれば、それにあわせてグレゴリオ聖歌も15世紀フランス風の発音で歌う、ということにしていました。

それはそれでそこそこ理にかなっているとも言えるのですが、実際ネウマが書かれたのは10世紀なので、インチキといえばインチキです。10世紀スイスで書かれたネウマを見ながら、15世紀フランス風の発音で歌うということなので。

そしてそういうことをやっていると、実はネウマとの齟齬というのも出てきていて、二重母音やtのリクエッシェンスなんかは目を瞑ってなかったことにしているのです(!)

しかし実際10世紀頃のラテン語の発音ってどのくらいわかってるんでしょうか。14−16世紀あたりの発音についてはみんな持ってるあの本を見ればだいたいのことはわかるけれど、10世紀の歌われたラテン語の発音について、何かご存じの方がいらっしゃれば教えて下さい。


韓氏意拳

この日の韓氏意拳も、韓氏意拳というよりはシュワイジャオの稽古を行いました。

なぜかというと、韓氏意拳の創始者たちが幼い頃シュワイジャオに親しみ、身体観の下地としていた(という言い方でいいのかわかりませんが)からです。

バッハを歌うためにポリフォニーを、ポリフォニーを歌うためにグレゴリオ聖歌を歌うようなものですね。

大棒子という太めの棒を使った練習をするのですが、これうちにはまだないのです。

木刀で代用しているのですが、やはり太さと重さがほしい。

ホームセンターで買ってこよう。

駒井先生が作り方紹介されてますね。

このような道具です。

この日最も衝撃的だったのは、光岡先生の膝裏です。

左右を振り向きながらビシッと足を回転させるという動きがあるのですが、その時

「後ろ足って膝伸びてますか?」

と私質問しまして、ほなちょっとここ触ってみいということで、先生の膝裏を触らせてもらったんですね。

そしたらもうあたくしの手がシュパーンって弾かれるわけです。危うく突き指をするとこでした。

全身凶器ってこういう事を言うんですねえ。しみじみ。

まさか膝裏までこんな殺傷力あるとは。。。

で、光岡先生はこの動きで相手のタックルを切るというデモンストレーションも見せてもらったのですがこれがまた、見たことない動きでした。想定外の動き。そんなんあり・・・?って感じ。

なんでMMAの人はやらないのかしら。

競技と武術は違いますけど、これを朝倉海が知ってしまったらどうなるんだろうなあとか妄想はします。


ハワイアン八卦掌

この日はハワイアン八卦掌の成り立ちから。

クリス・リー・マツオ師範がいかにして今の体系を作り上げたのかというところを教わりました。

忍術、柔術、光岡道場、龍形八卦掌、蛇形八卦掌、チベット密教や道教に至るまで、様々な要素が取り入れられているそうです。

基本的にこういった流派は「混ぜるな危険」なのだそうですが、複数の体系を比べることによってそれぞれのアイデンティティが純化されて抽出されるという、まさにBUGAKUの理念そのもののようでした。

広大時代お世話になった古東哲明先生は比較哲学が専門で、同じようなことをされていて、光岡先生やハワイアン八卦掌は比較武学と言えるのではないかと思います。

で、私がやりたいことは比較音楽なんです。いろんな音楽の流派にはそれぞれアイデンティティがあって、基本的に混ぜるな危険だと思います。混ぜて上手くいった例は殆ど見たことない。

The HUとか結構好きですけど、もの凄く良いかと言われると・・・。

いや、好きなんですけどね、結構、こういうのも。

こういうのとか。最高ですけど笑。

けどほんとのほんとに音楽の真を喰ってるかというと違うと思う。(あくまで私は)

エンターテイメントとして面白いというところと、音楽の真を喰うというのは違うと思ってまして、私がやりたいのは後者なんですよね。

すぐ音楽の喩えになっちゃってすみません。音楽家なもんで笑

それでこの日はその中から、ハワイアン八卦掌にも影響を与えたと考えられる旧光岡道場でやっていた関節技を教わりました。

光岡先生の講座では、基礎の基礎をとにかく煮詰めて煮詰めてココ!っていう基礎を教わるのですが、それはおそらく他の武術の心得がある人であっても決して持っていない基礎なんですよね。

なので他の武術の心得がある人の持っている基礎についてはあまり重視されないのですが、私の場合そこすらもないので、より一層できないんだろうなあと思います。

普通の関節技の基礎のある人だったらもっとすんなり入ってくるところが、私の場合はまずはそこを知るところから入らなきゃいけない。

もどかしい。

しかしこれも伸び代ですね。

(本田圭佑の伸び代の動画探したけど見つからなかった)

というわけで今回もたくさんのことを学び、またもっともっと学びたいという思いを強めました。

八卦掌の3つの中心性、自己中心性、他者中心性、自他中心性。

これはアンサンブルやるときには欠かせない考え方だと思いますが、3つ目についてまだ理解が深まってないので、また学び、実践し、活かしていこうと思います。


Salicus Kammerchor第7回定期演奏会

出演メンバーのプロフィールを公開しました。

今回も凄いメンバーです。演奏会前に是非チェックを!

https://www.salicuskammerchor.com/blank

5月20日(金)19時開演
日本福音ルーテル東京教会
https://tiget.net/events/160766

5月22日(日)14時開演
台東区生涯学習センター ミレニアムホール
https://tiget.net/events/160767


サリクスのリハはまだですが、8月のエマルシオンのリハは早くも始まっております。

この音の形は当然こうなるよねっていう音が、実際当然のようにそういう形になる、そういうメンバーと歌うのはほんと楽!

6人中5人サリクスだからそりゃそうなのかもしれないけど、それを考えるとまっつんがマジで凄い。

https://twitter.com/emulsionvocal/status/1497562144048828421

先日思い立って多重録音をしました。

ロシア正教の歌で、一番下は吸いのなんちゃってオクタヴィストです。

面白いのでぜひ見てみてください。

光岡英稔 韓氏意拳講座|10回目:BUGAKU講座|13.14回目

光岡英稔 韓氏意拳講座|10回目:BUGAKU講座|13.14回目

先月は全然参加できなかったのですが、今月は2日で3コマ受講してきました。

土日の方にこのところ全然出来ずにいまして、連続受講もものすごく久しぶりだったもので、内容の多彩さに目が回っておりました。

今月の東京での講座は、
水)GPC空手
木)GPC剣術
金)GPCシラット GPC韓氏意拳
土)韓氏意拳(2コマ)
日)BUGAKU(3コマ)
月)GPC八卦掌
(GPCはグループプライベートクラスの略)

となっておりまして、まず光岡先生が鉄人過ぎるのは言うまでもなく、某I毛さんとかS水さんとかは全部参加したのかしらとか、受講する方のタフさもエグいです。

私なんか2日、3コマで全身疲労で翌日起きるのも億劫でした。。。


【これまでの講座レポート】
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BUGAKU講座|2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
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韓氏意拳講座|2回目https://is.gd/G7l53a
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韓氏意拳講座|5回目 https://is.gd/YmZ2Yc
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韓氏意拳講座|6回目https://is.gd/dlMQTX
BUGAKU講座|10回目https://is.gd/RczZH5
韓氏意拳講座|7回目https://is.gd/a1Yor1
韓氏意拳講座|8回目https://is.gd/ayTQMA
BUGAKU講座|11回目https://is.gd/ayTQMA
韓氏意拳講座|9回目https://is.gd/NCZKxY
BUGAKU講座|12回目https://is.gd/zHtNYL


剣術

木曜は剣術のクラスでした。このクラスに参加するのは初めてで、一応私元剣道部ということもあって楽しみにしていました。

講座はまず「線」のことから。マスキングテープで直線を途切れ途切れに作ると、目に見える線と線の間に、目に見えない線が現れる。目に見える実線を設けることによって、目に見えない線の世界へ導入するという内容でした。

私、後から考えると非常にアホな質問をしました。

「ああ、正中線とかって言うときはその目に見えない線のことを言ってるんですね?」

そりゃそうだ笑

正中線が実際に書かれてたら相当面白い笑。

そんなやつおらへんやろ、ちっちきちー。

ただ、この見の目(顔についてる目)から観の目(心の目のようなもの)へという流れ、私にとっては新鮮でした。

というのも観の目の稽古として観法をやるとき、見の目は大体閉じてるんですよね。見の目と観の目を混同しないようにということだと思うのですが。

なので、見の目でこう実線を見ていって、実線と実線との間にある「空間の線」を「みる」というのが、自分としては見の目で見ているつもりが、いつの間にか観の目で観ている。

これがなんだか面白くて不思議でした。あれ?今目で見てるよね?あ、でもここに実際に線はないから目では見えないのか。そうかそうか。などという自問自答をしておりました。

それで試し稽古で見の目で見ている時と観の目で観ている時の違いというのを経験していきます。

実際に試してみると火を見るより明らかなのですが、自分の身体で経験したことのない人にとってはただのオカルトです。これはBUGAKUの全ての講座に共通することですが。

だからいつも、こうして言葉にすることに虚しさを感じながら書いているのですが、講座に参加された方が読んでくださっていたり、極稀に私きっかけで武術に興味を持ってくださる方もいるので、無駄ではないかなあと思い、続けております。

しかし本当に自分の身体で体験しないとわからないので、是非みなさんに体験していただきたいです。ここで学べることは少なくとも都市部で文化的な生活をしている方全てに有益な内容です。特にここ最近よりその価値は高まっていると思います。

いやー例えるなら、宮本武蔵が毎月東京で講座をやってると思ってみてください。みんな血眼で馳せ参じますよね。あと多分宮本武蔵よりはるかに教えるの上手いです笑

講座の内容に戻りますと、線の応用として「卍」を壁にテープで書いて、それを見る(と同時に多分「観る」)ことによる身体観の違いもみていきました。

これも不思議だったのですが、今この卍を確かに目で見てる、が線と線によってできた空間を観の目でも観ている、だから身体観が変わる。ということなのか、どうかちょっと自信ないです笑。質問しとけばよかった。。

そして剣術の型を教わって、それをまた卍を見ながら行う、ということもやりました。

型のことで新たに発見だったのは、型をちゃんとやろうとすると、「え、無理じゃない?変じゃない?こんなきついの?」ってことがあるのですが、それを疑問に思って、今の自分が普通だと思うやり方に変えてしまうと、型が意味を為さなくなる。

型はその型ができる身体を導くものでもあるということで、これは声を出すときも、ついつい私たちは、楽にできる方法を探そうとしてしまうのですが、今の自分の身体で無理なくできることをやってるだけではなーんも変わらんのですよね。え、これ無理じゃない?きつくない?あかんくない?っていう所を通らないといつまでもできるようにならない。(ただその結果ほんまにあかんこともあるのでその見極めが重要)

最近mahoneさんのところでガナリを教わってるんですが、これはもうこれまでの自分の身体が、あかん、そっちいったらあかん、そっから崖や!って悲鳴を上げるその道を全速力でダッシュするみたいな練習方法で、今まで本当にいろんな声を出しまくってきたんですが、まだここにこんな道があったのかと愕然としたんですよね。

ちょっと脱線しましたが、身体の持つ可能性、ポテンシャルを自分の意識、無意識がいかに閉ざしてしまっているかということなんだと思います。


シラット

2日目の午後はインドネシアの武術、シラットのクラスでした。

講座はまず観法から。

毎朝の稽古の中で私も色々なやり方で観法をやっているのですが、光岡先生の導観法はいつも本当に芸術そのものでありまして、魔法のように身体が変化していきます。

また、こういう観方もあるのかと、いつもその観方のバリエーションにも驚きます。今回はシラットの講座ということで、その身体観へと導くような観法でした。

例えば、右手の甲から背中を回って左足の甲を観るというときには、身体の中に竜巻が起こったかのように、ダイナミックに回転が起こりまして(実際の動きではなく)、ぶっとびました。

うん。トべるんですよねえ。観法って。クスリに溺れるより、酒に溺れるより、観法した方がいいよ。お金かからないし。

ねえ?怪しいでしょう?怪しいんですよ我々の生きている世界は。

世界は人知が及ばないほど複雑怪奇で、生きることはそれを受け入れることから始まるのじゃ。

はい。

観法に続いて、シラットの礼式と型を教わりました。

一通り教わった後、おもむろに先生がガムランの音源を流し始めたのですが、うんうん雰囲気出るよねとか思ってたら突然モーツァルトに変わったんですね。

なんか操作ミスかなとか思ったのですが、えらいもんでモーツァルトが流れている間みんな型の動きがピタッと止まって動けない笑

私はこのとき型を初めて教わったので、思い出しつつやってるとそうなのかと思いきや、みんなそうなんですよね。スルスルと流れるように型をやっていた人がモーツァルトによってピタッと動きを止められる。

文化と身体観と武術、これらは分かちがたく結びついているんですね。だからこそ混ぜるな危険。

しかしやってるのが日本人である私たちだからということなのか、能の囃子だと意外としっくりきちゃってる。

これは西洋音楽を日本人である私たちがやるときにも言えることなのではないかと思います。西洋音楽をやるのだから、西洋の身体観でそれをやるのは一つの方法だしとてもオーセンティックだと思うけど、やってるのは私たち日本人なのだから、どうやったってそのバックグラウンドが投影されてしまう。それを否定しないやり方で私は西洋音楽と向き合いたいと思ってます。


韓氏意拳

この日の夜のコマは韓氏意拳でした。韓氏意拳自体かなり武術界ではユニーク?な方な武術だと思いますが、その中でも光岡教室の内容は尖ってます。

今回は最初に観法、そして三元分立のお話、そしてシュワイジャオの型、でした。

(韓氏意拳やってねえ・・・)

そう。站樁も形体訓練もやらなかったんですが、私が参加した韓氏意拳講座で最後に站樁をやったのは多分2年前くらい・・・?

調べてみたら2020年の10月が最後でした笑

今回特に私にとって衝撃的だったのは、三元分立について。

気と、感覚と、動きとがそれぞれ別々にあって、混同しないように、くらいの理解だったのですが、その奥にとんでもない世界が広がっていました。

「外」としての行動・行為、「内の外」としての感覚、「内の内」としての気の世界がそれぞれ分かれてあるというのが三元分立で、更にこの「外」「内の外」「内の内」の真逆に「内」「外の内」「外の外」があって全体では6つの世界があると。

これを詳説するのはちょっとはばかられますし、容易にはわからないことなので省きますが、テンセグリティの梶川泰司さんと光岡先生が、一見真逆のことをしているように見えながら、なぜ響き合っているのかということがバチイっと理解できました。

まさに真逆だからこそ交わっている。

「内の内」を極める光岡英稔と「外の外」を極める梶川泰司。

声や音楽の世界で、前者の立場を担いたいなと思いました。後者はきっと岩崎ひろきさんが担うのだと思います。


お知らせ

Salicus Kammerchor第7回定期演奏会
ハインリヒ・シュッツの音楽vol.2
二人の天才
​〜モンテヴェルディ→シュッツ〜

【日時・会場】

5月20日(金)19時開演
日本福音ルーテル東京教会
チケット予約:https://tiget.net/events/160766

5月22日(日)14時開演
台東区生涯学習センター ミレニアムホール
チケット予約:https://tiget.net/events/160767

光岡英稔先生による『BUGAKU』講習会に参加してまいりました

昨日、光岡英稔先生の講習会に行ってきました。

光岡先生は徳久さんを通じて知って、Twitterずっとフォローしてたのですが、先日徳久さんに「一回あっといたほうがいいよ」と言われ、遂に講習会に参加してきました。

韓氏意拳を知って5年位?光岡先生を知って4年位?やっとこの一歩を踏み出せました。長かった。

最近光岡先生の著作「退歩のススメ」を読んでいたこともあって、かなり自分の中では盛り上がっていました。

この本についても近々書けたらと思っています。人生変える可能性のある本です。


私が参加したのはビギナークラスと基礎クラスだったはずなのですが、八卦掌のレイモンド先生やヒモトレの小関勲先生が参加されていたりして、どんな基礎クラスやねんと思いました笑。

上の写真は午前中にとったメモなのですが、我ながら汚い字。

あとで纏められるようにとなるべくわかりやすいように書いたつもりだったのですが、自分でもすでに理解、解読不能のところがありそうです。

インプットしたことは48時間以内にアウトプットすると記憶に定着しやすいそうなので、吐き出します。

私の記憶違いも多分に含まれている可能性があるということを初めにお断りしておきます。

すべての文の最後に、「※個人の感想です」を付け足してお読みください。


今回のテーマは、「表と裏」、「内と外」ということでした。

中でも「表と裏」の方がメインで、「内と外」を含めるとかなり複雑になる雰囲気だったので午前中は触れられませんでした。


表と裏

人間は自分のからだに、3つの方向から表裏を感じているそうです。

①上下表裏

②右左表裏

③前後表裏

①上下表裏は人間がまだ四足歩行をしていた古代からの感じ方で、太陽のあたっている背中側が表、あたっていないお腹側を裏、という感じ方。

③前後表裏は二足歩行をしている近代、現代の感じ方で、大体生物としては、前に進むのが自然な動きということで、前の方を表、後ろの方を裏、と感じる身体観になるのだそうです。そうするとこの時点で体の部位としては裏と表がひっくり返ってるんですね。四足歩行のときは背中が表、二足歩行になると背中は裏になる。

それで、陰陽道的には、陰と陽が半々になっているのが良いとされるそうなのですが、二足歩行だと陽の部分、つまり太陽にあたっている部分が多すぎて、すでに不調をきたす要素を持っているのだそう。

そこで古典期に生まれたのが②右左表裏で、右と左にも裏と表があるという考えです。

この考えでは、右側が表とされるのですが、合掌した時に、右側にある右手の甲が表、左手の「甲」が裏とされます。というわけでちょっとややこしいですが、右手のひらは裏、左手のひらは表です。

というところで、この裏と表がどのように武術に応用されるのかということを実践しました。

正座で二人が向き合って手を出し、片方が押すのに耐える、という単純な実験なのですが、これが目から鱗でした。

左手を出して、グッと耐える。これは結構耐えられます。

しかし同じ力で右手を押されると、全く耐えられません。もう、へニャーッです。へニャーッ

ところがですね。右手をくるっとひっくり返して、手の甲を押してもらうとですね、あーらびっくり耐えられるんですね。

マジで、いや、マジで。

ほんと冗談かと思いますけど全員そうなるんです。

やってみてください。そうなるので。

それで今度は左手の方をひっくり返して、手の甲で耐えてみる、そうすると、へニャーッ

お前やる気あるんかってくらい簡単に曲がります。

力が入らないだけじゃなくて、もう腰から砕けるという感じです。

仕組みとしてはこうです。

右手の甲は表、左手ひらも表、手の「表」と前後の表が一致していると、耐えられる。「定位する」と仰っていました。

逆に前後表裏と右左表裏が一致していない状態、つまり右手のひら、左手の甲が前を向いているときは、「不定位」になるため力が入らない。

普通の物理原則に慣れている私たちからすると意味不明ですが、やってみればわかります。


「型」の意味

それで、武術家は考えたわけです。不定位の時でも力が入るようにするにはどうしたらいいのか。

そこで考え出されたのが「型」なのだそうです。

実際に今回はインドネシアの武術、シラットの型を教わり、その通りの方向、手順、数、形を守って動いてみると、あーら不思議!さっきまで不定位だった右手のひら、左手の甲でも定位するではあーりませんか。

もうあれですね。書いてて嫌になるくらい胡散臭いですが、もう、ほんと、やってみればわかる!笑

それにしても文章というのは難しい。書いていてこんなに胡散臭くなるとは夢にも思わなかった。ほんと、実践あるのみですよ。

私こう見えて中学生の頃剣道やってたんですね。それで中3になるとみんな段位取るための試験を受けるんです。その時実践とは別に、型の試験もあるんです。

それでその試験のために初めて型を習うんですけど、これが当時の私には全く意味不明。木刀持って、なんかこう、微妙に鈍い動きで、やあっ、とうっ、とかやるわけです。全く(競技の)実践とはかけ離れてるんです。

私、先生に、「これ、何の役にたつんですか?」って聞きましたが、その時は、段を取るために必要、という以上の、納得のいく説明はありませんでした。

これ、空手の型なんか見ててもわかると思います。競技としての実践と、型と、空手の場合は全く別物になってしまって、遂には別の競技になってしまいましたよね。

型の時の美しいすり足の動きはどこにいった?って感じで他の格闘技同様上下動ゆっさゆっさ。

今回の講習会で、やっと「型」の意味がわかりました。

凄く陳腐な言い方すると、体のポテンシャルを引き出すための儀式、という感じでしょうか。

この道を通ると体になんとも神秘的なことが起こって、それまでの体とは違う体になる(ああ胡散臭い涙)。

そう、それでシラットの型の話に戻りますが、その型によって作った、定位した不定位の形を一回やめて、もう一回(今度は型を通さずに)同じ形に手を作ると、もうダメなんです。

型を通したときと、全く同じ形にしたつもりでも、全然違うものになってしまっているんです。

こ、これが韓氏意拳の言う、「形同実異」か!目から鱗ボタボタボタボタ!

つまり形が同じでも中身が違うってことです。


それで、この手の形なんですが、押されるまでは、イケるかどうか全くわかんないんです。どちらかというと右手のひらが前向いてるほうが、なんとなくイケそうな感じするのですが、押されて初めて「あ、これアカン」と気づくわけです。

武術の実践の場合、これってもう手遅れなんです。つまり、グサッと刺されて死んだ後に、あかんことに気づいたのでは遅いのです。

競技のように、一本取られてももう一本!は無いんですね。

負けたら終わりの一発勝負の世界では、事後に気づく、つまりこの場合、押されて初めてアカンと気づく、ではまずい。

お前はもう死んでいる。のです。

そこで、なんとか押される前に、アカンと気づかなければならないのですが、そこで考えられたのが、「気と血」という考え方です。


気と血

「気」というともう、いよいよオカルトっぽいですが、実は私たち、「気が向く」、「気が滅入る」、「気がつく」、「気にする」など「気」という概念を日常的に感じています。

「血」はそれに対して「感覚」の象徴だそうで、押されてから「アカンッ」と感じるこの感覚のことです。

血、つまり感覚になってからでは遅いので、武術家はそれ以前に生じている「気」に注目したそうです。

気が血を導く、というのは「状態が行為を生む」という韓氏意拳の考え方と同じようなことを言っているのだと思います。(個人の感想です)

そしてこの気が血を導くということを、頸といい、頸道を通す、ということが型の目的なのだそうです。


動法と観法

しかし、頸道を通す方法は、「型」だけではありません。

本当に不思議でしょうがないのですが、受講生の一人は「南無阿弥陀仏」というだけでも頸道が通りました。

南無妙法蓮華経でも通ったし、人によって、親しんだお経なんかで通るそうです。

私だったらPater nosterかなあとか考えてみたり笑

もっと驚きだったのは、右手で虚空に「木」という字を書く、というものでした。これも、書き順正しく書くと頸道通るのですが、書き順をめちゃくちゃにすると、全然アカンのです。

もうアレ、脳ミソパラダーイス!全く理解が追いつきません。というかもう理解しようとしてることがすでに失敗なのかもしれない笑

理由はわからんけど、そういうことがある。ということがわかればいいのでしょう。

それで、確かに念仏で頸道は通るのですが先生はお経をブツブツ唱えながら闘うということを推奨はしていませんでした。たしかにそれはなんとなく直感的に違うなって思いました。

それで、型によって頸道を通すというやり方の他に内観によって頸道を通す方法があるということを教わりました。

型は動きによって頸道を通すということで「動法」、内観によるやり方は「観法」というそうです。

ここまできてやっとこの講習会の目的地が見えた気がしました。

自分の体を「どのように」観るか、ということで頸道を通すんですね。

講習会の一番最後にこれをやったのですが、正直あまりにも難しくて全然できなかったので、次回また教わりたいと思います。


さて、この学びを私の場合、指揮や歌に活かさねばなりません。もちろん体のポテンシャルを引き出す稽古なので、自然と活きてくるものでもあるとは思うのですが、もっと積極的に応用できそうな気がするんですよね。

きっといずれつながってくると思うので、また気づいたら書くことにします。

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Salicus Kammerchor

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公演情報

次回はEnsemble Salicusの演奏会です!

http://www.salicuskammerchor.com/concert

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CD・DVD発売中!

Ensemble SalicusのレクチャーコンサートライブCD

昨年10月に開催されたLa Musica CollanaとのジョイントコンサートのライブCD

第2回定期演奏会のライブDVD

をウェブ販売しております!

http://www.salicuskammerchor.com/goods

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サリクス通信

サリクスの最新情報や、ここでしか読めない特集記事を配信しています。

http://www.salicuskammerchor.com/mail-magazine-1

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櫻井元希へのお仕事のご依頼、チケットのお求め等は以下のフォームよりお気軽にお問い合わせください。