光岡英稔 韓氏意拳講座|11回目:BUGAKU講座|15-17回目

今月はたくさん講座に参加できました。

それだけに身体も頭もパンパンになりました。

整理して、自主練の指針を立てていきたいと思います。


【これまでの講座レポート】
BUGAKU講座|1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
BUGAKU講座|2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
BUGAKU講座|3回目 https://is.gd/Gm9C17
韓氏意拳講座|1回目 https://is.gd/D3RjiJ
BUGAKU講座|4回目 https://is.gd/37Oxg1
BUGAKU講座|5回目 https://ux.nu/AmsQM
韓氏意拳講座|2回目https://is.gd/G7l53a
BUGAKU講座|7回目 https://is.gd/xiBfFB
韓氏意拳講座|3回目 https://is.gd/rDRgMX
韓氏意拳講座|4回目 https://is.gd/8BX3eO
BUGAKU講座|8回目 https://is.gd/tbIYiI
韓氏意拳講座|5回目 https://is.gd/YmZ2Yc
BUGAKU講座|9回目https://is.gd/BnOQit
韓氏意拳講座|6回目https://is.gd/dlMQTX
BUGAKU講座|10回目https://is.gd/RczZH5
韓氏意拳講座|7回目https://is.gd/a1Yor1
韓氏意拳講座|8回目https://is.gd/ayTQMA
BUGAKU講座|11回目https://is.gd/ayTQMA
韓氏意拳講座|9回目https://is.gd/NCZKxY
BUGAKU講座|12回目https://is.gd/zHtNYL
韓氏意拳講座|10回目:BUGAKU講座|13.14回目https://is.gd/YXuCSM


剣術

今回の剣術は流派による構え方の違い、身体観の違いというところを正座で、木刀を持った状態での観法で比べていきました。

なにか持った状態での観法というの自体初めてで、それだけで既にめちゃくちゃ面白かったのですが、構え方の違いで観え方が全然変わってくるのがかなりわかりやすく、身体にとって自然な構えとはなにかということの気づきが大きかったです。

このあと更に立った状態で構えて観法もやりましたが、膝が爆発するかと思いました笑

足にキテるのはうまく観れてる証拠とのことで少し安心しましたが、まだまだ足腰を鍛錬せねばならんです。

木刀と手を対応させながら観ていくと「揃う」という状態になり「定位」するのですが、それをどこか一箇所ずらすことで「不定位」を作って動くということもやりました。

動きが出てくると更に「観る」難易度が上がって、私の場合足首から下がいい加減になってるのがよーくわかりました。

ほんともう毎日稽古してるんですけどねえ。

毎朝稽古する習慣をつけてもう2年半くらい経ってますが、自分でもこんなに続くと思ってませんでした。

しかしやらないとほんとに気持ち悪いんですよね。そうなったらこっちのもんという感じですが、ただのルーティンとか、健康法に陥らないようにずっと注意しながらやってます。

毎日少しずつでも自分の身体が練れていくように。

あとこれだけやっててもほんとに講座に出るたびにマジで自分何もできねえということを思い知らされます。

今年歳男で36歳になりますが、この歳になってこれだけ伸び代を感じることができるのはなかなか他ではないんですよね。


東南アジア武術

シラットは前回から引き続き礼法を丁寧にやっていって、その精度を上げていきました。

更に様々な言語で数字を口に出すということで、シラットの身体観との相性をみていくということをやっていきました。

前回は音楽との相性、今回は数字を発声するということで、これはまさに私が武学を通じて学ぼうとしていることに直結すはず!

「音楽・声と身体」というテーマを探求する上できっと大きなヒントになっているはずなのですが、今のところまだ具体的にはひらめいてません。

は!時系列がおかしくなってしまって申し訳ないですが、剣術のところでは、中世、古代の日本語との相性をみたのでした。

これです。これを紹介いただいてからこのチャンネルの動画見まくってるのですが、解説動画の内容が頭良すぎて吐きそうになります。

しかも解説動画がデフォルトで1.5倍速とかになっててさらに情報量がえげつないので、0.75倍速にして見てます笑

現代日本語と現代日本人の身体観、古代日本語と古代日本人の身体観に親和性があるということで、やはり現代日本語を喋ってる限りは現代日本人の身体観から逃れられないのかな、などと思いました。

やはりこれも、音楽や言語、発音、発声との結びつきということで、非常に古楽的アプローチに直結しますし、他国の民族音楽を演奏する時(すなわち西洋クラシックを演奏するときも含む)、避けては通れないテーマなのだと思います。

現代日本人の身体性と他国の伝統音楽とでは親和性がまるでないので、上手くいかんのです。

だからそこにアプローチしていかなきゃあかん。

と、いうことと、もう一つ直接的に興味が湧いたのは、10世紀頃の、例えばザンクトガレン式ネウマが書かれたスイスにおいて、ラテン語ってどう発音していたのか、ということ。

これまでも無視していたわけではないのですが(いやほぼ無視していたと言って過言ではないのですが)、我々がグレゴリオ聖歌を歌うときって、演奏会の中で歌うので、ほぼグレゴリオ聖歌だけの演奏会というのはなくて、何かしらポリフォニーを歌う。でそのポリフォニーがフランスやフランドルのものであれば、それにあわせてグレゴリオ聖歌も15世紀フランス風の発音で歌う、ということにしていました。

それはそれでそこそこ理にかなっているとも言えるのですが、実際ネウマが書かれたのは10世紀なので、インチキといえばインチキです。10世紀スイスで書かれたネウマを見ながら、15世紀フランス風の発音で歌うということなので。

そしてそういうことをやっていると、実はネウマとの齟齬というのも出てきていて、二重母音やtのリクエッシェンスなんかは目を瞑ってなかったことにしているのです(!)

しかし実際10世紀頃のラテン語の発音ってどのくらいわかってるんでしょうか。14−16世紀あたりの発音についてはみんな持ってるあの本を見ればだいたいのことはわかるけれど、10世紀の歌われたラテン語の発音について、何かご存じの方がいらっしゃれば教えて下さい。


韓氏意拳

この日の韓氏意拳も、韓氏意拳というよりはシュワイジャオの稽古を行いました。

なぜかというと、韓氏意拳の創始者たちが幼い頃シュワイジャオに親しみ、身体観の下地としていた(という言い方でいいのかわかりませんが)からです。

バッハを歌うためにポリフォニーを、ポリフォニーを歌うためにグレゴリオ聖歌を歌うようなものですね。

大棒子という太めの棒を使った練習をするのですが、これうちにはまだないのです。

木刀で代用しているのですが、やはり太さと重さがほしい。

ホームセンターで買ってこよう。

駒井先生が作り方紹介されてますね。

このような道具です。

この日最も衝撃的だったのは、光岡先生の膝裏です。

左右を振り向きながらビシッと足を回転させるという動きがあるのですが、その時

「後ろ足って膝伸びてますか?」

と私質問しまして、ほなちょっとここ触ってみいということで、先生の膝裏を触らせてもらったんですね。

そしたらもうあたくしの手がシュパーンって弾かれるわけです。危うく突き指をするとこでした。

全身凶器ってこういう事を言うんですねえ。しみじみ。

まさか膝裏までこんな殺傷力あるとは。。。

で、光岡先生はこの動きで相手のタックルを切るというデモンストレーションも見せてもらったのですがこれがまた、見たことない動きでした。想定外の動き。そんなんあり・・・?って感じ。

なんでMMAの人はやらないのかしら。

競技と武術は違いますけど、これを朝倉海が知ってしまったらどうなるんだろうなあとか妄想はします。


ハワイアン八卦掌

この日はハワイアン八卦掌の成り立ちから。

クリス・リー・マツオ師範がいかにして今の体系を作り上げたのかというところを教わりました。

忍術、柔術、光岡道場、龍形八卦掌、蛇形八卦掌、チベット密教や道教に至るまで、様々な要素が取り入れられているそうです。

基本的にこういった流派は「混ぜるな危険」なのだそうですが、複数の体系を比べることによってそれぞれのアイデンティティが純化されて抽出されるという、まさにBUGAKUの理念そのもののようでした。

広大時代お世話になった古東哲明先生は比較哲学が専門で、同じようなことをされていて、光岡先生やハワイアン八卦掌は比較武学と言えるのではないかと思います。

で、私がやりたいことは比較音楽なんです。いろんな音楽の流派にはそれぞれアイデンティティがあって、基本的に混ぜるな危険だと思います。混ぜて上手くいった例は殆ど見たことない。

The HUとか結構好きですけど、もの凄く良いかと言われると・・・。

いや、好きなんですけどね、結構、こういうのも。

こういうのとか。最高ですけど笑。

けどほんとのほんとに音楽の真を喰ってるかというと違うと思う。(あくまで私は)

エンターテイメントとして面白いというところと、音楽の真を喰うというのは違うと思ってまして、私がやりたいのは後者なんですよね。

すぐ音楽の喩えになっちゃってすみません。音楽家なもんで笑

それでこの日はその中から、ハワイアン八卦掌にも影響を与えたと考えられる旧光岡道場でやっていた関節技を教わりました。

光岡先生の講座では、基礎の基礎をとにかく煮詰めて煮詰めてココ!っていう基礎を教わるのですが、それはおそらく他の武術の心得がある人であっても決して持っていない基礎なんですよね。

なので他の武術の心得がある人の持っている基礎についてはあまり重視されないのですが、私の場合そこすらもないので、より一層できないんだろうなあと思います。

普通の関節技の基礎のある人だったらもっとすんなり入ってくるところが、私の場合はまずはそこを知るところから入らなきゃいけない。

もどかしい。

しかしこれも伸び代ですね。

(本田圭佑の伸び代の動画探したけど見つからなかった)

というわけで今回もたくさんのことを学び、またもっともっと学びたいという思いを強めました。

八卦掌の3つの中心性、自己中心性、他者中心性、自他中心性。

これはアンサンブルやるときには欠かせない考え方だと思いますが、3つ目についてまだ理解が深まってないので、また学び、実践し、活かしていこうと思います。


Salicus Kammerchor第7回定期演奏会

出演メンバーのプロフィールを公開しました。

今回も凄いメンバーです。演奏会前に是非チェックを!

https://www.salicuskammerchor.com/blank

5月20日(金)19時開演
日本福音ルーテル東京教会
https://tiget.net/events/160766

5月22日(日)14時開演
台東区生涯学習センター ミレニアムホール
https://tiget.net/events/160767


サリクスのリハはまだですが、8月のエマルシオンのリハは早くも始まっております。

この音の形は当然こうなるよねっていう音が、実際当然のようにそういう形になる、そういうメンバーと歌うのはほんと楽!

6人中5人サリクスだからそりゃそうなのかもしれないけど、それを考えるとまっつんがマジで凄い。


先日思い立って多重録音をしました。

ロシア正教の歌で、一番下は吸いのなんちゃってオクタヴィストです。

面白いのでぜひ見てみてください。

古楽的見地から分析するトゥヴァ民謡

昨日お風呂でぼーっと考えていたことを書きます。

タイトルほど大げさなことではありません。

今コエダイr合唱団でХөөкүй ноянという多分トゥヴァ民謡を練習しています。

音源は以下から聞くことができます。

https://mp3mn.com/?song=02+%D1%85%D0%BE%D0%BE%D0%BA%D1%83%D0%B9+%D0%BD%D0%BE%D1%8F%D0%BD

この曲自体は去年からやってるのですが、この音源聴いたのは先週の練習会ででした。

それでこの曲のありさまを初めて知ったのですが、ちょっと思ってたのと違ったんですね。

そもそもこの曲アカペラでユニゾンで歌ってるものなんですね。勝手にイギルとかドシュプルール楽器付きだと思ってました。

それでこの曲3番までと4番からの様子が全然違う。それはテキストが3番まではなんだか牧歌的なのほほんとしたテキストなのに、4番から急に政治的な内容になって、二重支配辛い的な内容になってます。

何か事情があって4番5番の歌詞が付け加えられたんでしょうか。初めから子の構成だったとは私には思えません。

それでこの内容に合わせて、最初はどちらかというと息もれ系の柔らかヴォイスから、3番の終わりのところのオーハヤン、エーハヤンという掛け声みたいとこから喉詰め発声になるんですね。

でも実は声の音色は徐々に変わっていっていて、3番の頭ちょっと過ぎたあたりから、(多分)3人のうちの真ん中の1人が喉詰めで歌っています。

それでオーハヤン、エーハヤンのところで左の人が喉詰めになって、4番の頭からみんな喉詰めになっています。

多分打合せでは3番の頭から一人喉詰めになる予定だったんでしょう。途中で目配せがあったのか、あわてて喉詰めに変えてるっぽいです。

最後、5番ですが、真ん中の人ひょっとして歌ってないかしら?最後のところ、左の人はどういうわけか慌てて音をブチって切って歌いやめてしまうんですが(最後のnの子音も言ってない)、そのとき残っている声は右の人だけの気がする。

ちょっと後でモニター用ヘッドフォンで確かめてみようかな。

この3人が時々違う歌詞歌ったりしてるのは単に間違えたんでしょうか。多分そうだと思います。

それでもこのテイクをCDにしちゃうっていうのがまたトゥヴァっぽいというかなんというか。

しかしながら旋律に関しては大体見解が一致しているようです。

しかし大きく違うところがあります。

ラーラードレミドレーレミレミド
ラードレミドミーミソミレド
ミーミソミーレドレーレミレミド
ラードレミドレーレミレミド

左の人はほぼ一貫してこんな感じで歌っています。

しかし右の人はほぼこんな感じです。

ラーラードレミドレーレミレード
ラードレミドミーミソミレド
ミーミソミーレドレーレミレード
ラードレミドレーレミレード

1・3・4行目の終わり方が右の人の方がシンプルです。

他の箇所も左の人の方が若干装飾的だったりしているので、この終わり方も装飾の一つなのかもしれないし、まあちょっとした旋律のバリエーションなのでしょう。

それでいままでコエダイでは右の人のシンプルなやり方で歌っていたのですが、左の人の終わり方もいいなあと思いました。

レからドに直接行くのではなく、ミに寄り道してからドに行く感じ。

あれ。これなんかあれに似てるな。あれあれ。

ランディーニ終止

はい。やっと古楽ターム出てきました。

ランディーニ終止とは導音のティから直接ドに行くのではなく、ラに寄り道してからドに行く終止の方法です。ドシーラドーみたいな感じです。

普通
ランディーニ終止

Хөөкүй ноянの場合は上から終止して、ランディーニ終止の場合は下から終止しますが、1個隣の音に寄り道するという点では同じです。

右の人
左の人

もう一つ。

これ、リクエッシェンスじゃね?っていう気づきもありまして。

くだんの終止の箇所、最初の歌詞はカンドゥルでありまして、左の人はミに寄り道する際そのnの子音だけミに寄り道してるんです。

これはグレゴリオ聖歌のネウマの一つ、エピフォヌスに他ならないではあーりませんか。

これは上昇2音のネウマ「ペス」の縮小系リクエッシェンスとも言われ、ここの箇所の場合、カ(レ)ア(ミ)ン(ミ)ドゥル(ド)となっていればペスなのですが、ミの音はンだけです。リクエッシェンスではこのように子音だけに一つの音が与えられることがあります。

日本人にとっては「ん」に音があてられることもあるので余計この例外的処置が説明しづらいのですけど、西洋の歌の場合、音があてられるのは母音なんです。

子音だけに音が与えられるってことがほぼなくて、グレゴリオ聖歌にはそれが普通にあるのが面白いところなのです。

しかもそれをわざわざ他のネウマと書き分けて記す神経の細かさよってところが現代人からするとため息ものなのです。

てことで、この左の人は反転(?)ランディーニ終止をエピフォヌスでやっているのだなあと、風呂に入りながら考えていました。

おしまい。

Salicus Kammerchorワークショップ第7回|終了

昨日、Salicus Kammerchor主催のワークショップが終わりました。

毎回受講してくださる方は違うし、今回は特に初めての方がとても多かったにもかかわらず、少しずつ最終到達地点のレベルが上がっている感じがして、不思議ですがとても嬉しいです。

ここのところ、ルネサンスポリフォニーとバッハを午後の部に持ってきていて、当然バッハの方がよりテクニック的にシビアですし音楽が複雑なので、バッハの時はいつも未完成のまま終わるということが多いのですが、今回はかなり満足感が得られるレベルまで来たのではないでしょうか。

こちら最後の通しの動画です。

今回発声のセクションでは、トミーが仮声帯の開大と喉頭蓋のコントロールに関して特化してやってくれて、ほんとこれ効果的でした。

同時にこれで悩んでる声楽科の学生1億人くらいいるから、そういう人向けのプログラムを組むのもやっていきたいなと思いました。

ほんと今回の内容は1日通して、アマチュアだけでなく、プロやプロを目指す人にとっても物凄く役立つ内容だったと思います。

音大でグレゴリオ聖歌を必修科目にする目標の一歩として、企画考えていこうと思います。

その前に、もう少しサリクスに余裕が出てきたら、今回やったような内容をサリクスのメンバーに受けてもらえるようにしたいです。(もちろんメンバーにも講師にもギャラを払います)

それくらい内容がブラッシュアップされてきていて、その効果も実感してきているので、来年には実現できるようにしたいです。

こちら集合写真はラブではなくペスです。(Lだとしてもレヴァーテです)

こちらはヴィルガです。アチラに何かがあるわけではありません。


今回のワークショップは、グレゴリオ聖歌の歌唱法を記した古ネウマをヒントにバッハの声楽曲の演奏法を探る、そしてそのために必要となる発声のテクニックを知る、身につけるということがテーマでしたが、これはそのまま今度作る合唱団エレウシスのテーマでもあります。

興味のある方は是非一緒にやってみましょう。これだけのことができるアマチュア合唱団ってほんと夢ですよね。

しかし今回のワークショップは、このメンバーでこのまま合唱団やれちゃうんじゃない?ってくらい充実感ありました。

上の動画、当日集まって、バッハを歌い始めて約2時間の演奏とは思えません。

エレウシスについてはこちらをご覧ください。


さて、また明日からモテット全曲演奏会のリハです。

大曲に次ぐ大曲、真摯に地道におおらかに、向かい合っていきたいと思います。

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Salicus Kammerchor

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公演情報

次回は第5回定期演奏会

J. S. バッハのモテット全曲演奏会です!

http://www.salicuskammerchor.com/concert

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クラウドファンディングやってます!

J. S. バッハのモテット全曲演奏会に向けて皆様よりご支援を募ることとなりました。応援どうぞよろしくお願いいたします!

https://camp-fire.jp/projects/view/106446

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CD・DVD発売中!

Ensemble SalicusのレクチャーコンサートライブCD

昨年10月に開催されたLa Musica CollanaとのジョイントコンサートのライブCD

第2回定期演奏会のライブDVD

をウェブ販売しております!

http://www.salicuskammerchor.com/goods

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サリクス通信

サリクスの最新情報や、ここでしか読めない特集記事を配信しています。

http://www.salicuskammerchor.com/mail-magazine-1

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合唱団作ります!

Chor Eleusis

合唱団エレウシス

【団員募集!】

この度新しく合唱団を立ち上げることになりました。

バッハやヘンデルなど、主にバロック期の作品をレパートリーとする合唱団です。

ゆくゆくはメサイアやミサ曲ロ短調など大曲にも挑戦できるような合唱団を目指します。

2019年6月活動開始を目標に各パート団員を募集中です!

練習日時:毎週水曜日18:30-21:00

練習会場:江戸川区の公共施設

指導:櫻井元希

初回練習曲:

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ「イエス、我が喜び」 BWV 227

Johann Sebastian Bach “Jesu, meine Freude” BWV 227

団費:

4,000円/月(学生:3,000円、夫婦割:お二人で7,000円)

お申込み:

以下のフォームから、①お名前 ②パート ③電話番号 ④メールアドレス ⑤ご住所

をご記入の上お申し込みください。

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櫻井元希へのお仕事・レッスンのご依頼ご相談、チケットのお求め等は以下のフォームよりお気軽にお問い合わせください。

桜井真樹子 「声明入門」に参加してきました

先日、コエダイr合唱団コブシ研究会プレゼンツ、桜井真樹子の「声明入門」に参加してきました。

これまで、光岡英稔先生のBUGAKU講習会に2回、寺原太郎さんのインド古典声楽、と参加してきまして、これが怒涛のインプット月間の最後です。

インド古典声楽の時もそうでしたが、やはり2時間は短かった。

真樹子さんて私の叔母なんですが、ほんともうビックリするぐらい頭が良いんですね。記憶力もずば抜けてるし、回転も速い。

もう全然こちらの思考が追いつかないんです笑

それでも得てきたことをまたここに書きまとめようと思います。

自分のためのメモという性質が強いので、必ずしも読みやすくはないかもしれません。

あらかじめご了承くださいませ。


天台宗大原声明

密教である天台宗は、インドの土着の神々を仏教の中に取り入れ、仏教讃歌の中で、その神々を呼ぶ。

円仁が天台声明の始祖で、これを大原流と称する。

声明には中曲、呂曲、律曲という3つの旋法があって、それぞれインド、中国、日本の5音をとったが、明治以降にまとめられた現在の声明では、呂旋法、律旋法、そしてそれらを行き来する中旋法が使われる。


鐘の音は君なり

声明は鐘の音を模すると言われる。鐘の音のうなりは神様の笑い声であると言われ、大変尊重される。仏教楽器が大抵金属なのは、そういう由来がある。

また色(白・赤・黄・青・黒)のなかで中心は黄色であり、ここから、全ての中心となる音が、黄鐘(おうしょう・こうしょう)と名付けられた。

これは9寸の律管の音の高さであり、現代で言うところのD音に近似する。

中国では9尺のDが黄鐘であったが、なぜか日本では6尺のA(近似値)が黄鐘と定められた。

これが前回のインド音楽入門とつながる大変興味深い話でした。

真樹子さんによると、男系の強い中国では男性の音域に合わせてDに中心音が定められていたが、女系の強かった日本では女性の音域に合わせて5度上のAに中心音が定められたのではないか、とのことでした。

まさしくインド古典声楽でも、男性はD周辺、女性はA周辺にサレガマパダニサのサの音が定められます。

ポップスのメソッドでも男性と女性の音域はおよそ5度ほど違うと言われますので、これも一致します。

教会旋法では、第一旋法の終止音をレと定め、支配音をラとしているということもこうした生理的な部分からくるものも大きいのかもしれません。

現代では中心音は長調の場合はド、短調の場合はラですよね。

合唱では、なぜかハ長調はハモりにくいなどと言ったりするのですが、原因の一端がここにあるのかも、と思いました。

男声合唱はD-Durがハモりやすくて、女声合唱はA-Durがハモりやすいとかあるのかな。

心当たりのある方、教えてくださーい。


声明の記譜法「博士」

声明の記譜法は博士と呼ばれるが、時代によって変遷している。

9世紀ごろの博士→「古博士」

平安末期より→「五音博士」

現代→「目安博士」

ここのところあまり詳しくは説明がなかったのですが、古博士というのが古ネウマみたいなもんかと思いながら聞いてました。

ただ古博士は「ふるはかせ」と読むので「こねうま」とは読み方が違いますね。

そもそも古ネウマと日本語で言うようになったのには古博士が念頭にあったのかもしれません。

時代もほぼ一緒、9世紀ですし、共通点を感じました。

この古博士はそもそもは中国語のアクセントを表したものだったようですが、遣唐使の廃止などで中国文化が日本に入ってこなくなって、中国語のアクセントがわかんなくなっちゃった。それで徐々に「旋律」を書き表す記譜法に変わっていったようです。

つまり音の高さを示すようになっていった。

これも譜線無しネウマから譜線ありネウマへの移行と共通します。


呂曲の旋律型

ユリ

微妙に下に音を揺らす。揺らすといってもビブラートのように高速ではなく、3秒下がって3秒上がるくらいの超スローペース。

そのスピードで、体感16セントくらいの変化なので、知らずに聴くとただのロングトーンに聞こえます。

西洋音楽に慣れていると、本当に微妙な音というのは脳が勝手に補正して、同じ音としてカテゴライズしてしまう。

感覚が鈍化してるんだと思います。

インド古典声楽にも、ミーンドという装飾がまさにこのユリでした。

ユリ上げ

こいつあまさにクィリスマ!

2回ユリをやって3回目で上の音に上がる。

しかしやはりタイム感がグレゴリオ聖歌のそれとは50倍くらい違う。

つまりユリ上げは、50倍に拡大したクィリスマ、と言えるでしょうか。

アサ下り

上がった音の切れ側で「っ」みたいな感じで音を取って、すぐ下の音でまた歌い出す。なんとも文字では説明のしづらい旋律型。

これは類似の歌い方を思いつきませんでした。

ソリ

ユリを拡大したような音型。上がって下がって上がる。グレゴリオ聖歌でいうとトルクルスフレクススに近いけれど、音はずっと滑らかで、折り返しなく繋ぐような感じでした。

マクリ

上に回転するような感じで上がって、上がるときに抜いて、また降りてくる。やってることはトルクルスに近いが、それよりはインドのガマックという装飾法に近い感じ。

ここまでの音型は皆上がるときに下の音を押すようにして、上がったときに抜く。

この感覚は現代の邦楽には残っていないため、できない方が多いそうです。どうしても上の方が強くなってしまう。

これはまさにペスの感覚。下の方に緊張感があって、上の音でスっと抜ける。そしてこの抜けた音の方が大事という、現代の感覚からの逆転現象まで一緒。現代では音が高ければ強いということが多いため、なかなかこのスっと抜ける感覚を身につけるのが難しい。

イロ回し

ここで初めて上の方が強いという旋律型がくる。

イロというのがそれで、これはまさにまごうかたきトリストロファ!

少し勢いをつけて上から素早く引っかけるような感じです。

イロ回しは、イロの前後にマクリとマワシがあるもの。

マワシは下がって(押す)上がる(抜く)って感じ。

というところで真樹子さんによるデモンストレーションを博士を見ながら聞いたのですが、マジでどこやってるかわからねえ。「今、どこやってんすか、あ、まだ「う」のとこですか」って感じでした。


律曲の旋律型

呂曲と律曲って、音階だけじゃなくて、性格が全然違うようで、そのあたりはインド音楽におけるラーガに少し近いかと思いました。

呂曲は鐘の音、律曲はもう少し歌寄りなのだそうです。

ヲル

アサ下りにちょっと似てる感じですが、アサ下りのように上がってって下がるんではなくて、同じ音を伸ばしてから下に降りる。で降りるときにアサ下りのときみたいに「っ」みたいな感じで1回切れる感じ。

律ユリ

これユリなん?って感じでした。ヲルのあとに、アサ下りを2回やってるようにしか聞こえない。

同じユリでも呂と律ではこんなに変わってしまうんですね。

律ソリ

ソリの途中でアサ下りのような音の切れを伴う感じ。上がっていく途中に装飾的な歌い方があるという意味ではサリクスに近いような気もする、という感じです。ただ、アサ下りの「っ」のような音の切り方をグレゴリオ聖歌で試したことがないので、ひょっとすると新たな可能性かもしれません。


というところで呂と律が交互に現れる、中曲の声明を聞きました。呂が鐘で律が歌ってのが、なんっとなくわかりました。

今回はこのあたりで時間切れだったのですが、果てしなさすぎて、わかんないことがいっぱいあるよーって感じでした。

いや、ちゃんとやろうと思ったらやっぱ稽古に通わねばならんのですよね。入門編でなんやわかった気になってはあかん。

しかし西洋音楽、インド古典声楽、そして声明と、興味深い共通点がいくつも見出せて、大変実り多い機会となりました。

それぞれかなり個性的で、インドは言葉を尊重しないどちらかというと純音楽に近い感じ、声明は鐘の音を模するというもう途方も無い価値観の違いを思い知ると同時に、同じ、人間の声を使った芸術ということで、確実につながっている部分があるなということを感じました。

今月と先月でインプットしたことを消化し、自分のものにしていきたいと思います。

また気づきがあったらここに書いていくので、すっごい暇だったらまたお付き合いくださいませ。

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Salicus Kammerchor

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公演情報

次回は第5回定期演奏会

J. S. バッハのモテット全曲演奏会です!

http://www.salicuskammerchor.com/concert

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CD・DVD発売中!

Ensemble SalicusのレクチャーコンサートライブCD

昨年10月に開催されたLa Musica CollanaとのジョイントコンサートのライブCD

第2回定期演奏会のライブDVD

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サリクス通信

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櫻井元希へのお仕事のご依頼、チケットのお求め等は以下のフォームよりお気軽にお問い合わせください。

Ensemble Salicus演奏会|今週末

Ensemble Salicus演奏会|今週末

先週末はヴォーカル・アンサンブル カペラの目黒区美術館でのミュージアムコンサートがありました。

ご来場くださいました皆様、まことにありがとうございました。

村上友晴さんのモノトーンの絵画の中で、グレゴリオ聖歌主体のミサを演奏しました。

通常唱はいつもはポリフォニーで演奏することが多いのですが、今回はそれも含めすべてグレゴリオ聖歌でした。ポリフォニーはデュファイの3声のモテット3曲で、それぞれ、オッフェルトリウムの代用、コムニオのあと、そして閉祭の歌として歌いました。

そして今回研一郎が出演できなかったので、私初めて司祭役をやりました。

私実はカペラの演奏会の中では研一郎のPater nosterが一番好きなんですが、それを今回自分がやりました。

やはりいつも見ている光景でも、自分でやるのは違いますね。次に何がくるのか、常に頭がフル回転で、大変素晴らしい経験になりました。


さて、今週末はいよいよEnsemble Salicusの演奏会です。

この演奏会でも私司祭役をやります。

演奏するのはアレクサンダー・アグリコラ、誰やねんって感じですよね。私もそうでした。

16世紀にはこの時代の作曲家としては5本の指に入ると言われていたのですが、現代ではあまり演奏されることがありません。

こういうことって結構あって、いつかアラミレで演奏したアダム・レナーとかヨハンネス・レジスとか、フランドルにはまだ知られざる巨匠が沢山います。

そしてなかなかわかりにくいですが、それぞれが本当に個性的です。それぞれの作曲家の癖、こだわるポイント、頻出させる好きな技法なんかがわかってくると、実に味わい深いです。

例えばルターは、ジョスカンを評して「音の主人」と言いました。音を意のままに操って天才的な音楽を繰り広げる様子をよく表現していると思います。

それに対してアグリコラは、言うなれば「音の料理人」笑、彼の作るスープの隠し味を誰も知りません。何が入ってるか全然わかないけどめっちゃうまい!って感じです。

あるいは違う言い方をすると、ジョスカンが宇宙の摂理を表現しようとしたのに対し、アグリコラはその宇宙に投げ出された人間の孤独を表現しようとしたって感じでしょうか。

「わかりやすい音楽」と言うと嘘になると思います。

この頃の音楽は、作曲家の自己表現ではないので、わかりやすい「感情」や「感覚」を表していないからです。

嬉しさ、苦しさ、怒り、喜び、悲しみ、痛い、気持ちいい、そういう音楽ではありません。

とも言えるし、それらすべてを表しているとも言えます。

もっと根本的な、生きることの尊さとか、世界がこうして在ることのありえなさを歌っているんだと思います。

そういうスタンスで、まっさらな気持ちで、体ごとその音楽に身を浸すと、本当に胸がいっぱいになります。

この音型は何を表しているんだろう、どういう感情なんだろう、そういうの全部取っ払うことができれば、こんなアッパー系なミサ曲はありません。圧倒的高揚感です笑。


それから今回はグレゴリオ聖歌の歌い方についてもアップデートを加えました。

といってもアポストロファのずり下げを、今まではその音からやっていたのを、その音に向かってやるというそれだけのことなのですが。

特殊ネウマについてはコチラをチェーーック!

いやほんとね、我ながら細かいと思いますよ。ほんのちょっとの違いなんです。多分何気なく聴いていたら全く気づかないと思います。

しかしですね、このほんのちょっとした違いが我々にとっては天地がひっくり返るほど本質的なことなんですよね。

わからなくていいんです。なんか違う、なんかいいなって思っていただけたなら、その影にこういう細かい絶対誰にも気づかれないような細部に対するこだわりがあるんです。

問題はこの細かな差、そのものではないんです。そういう細かな差が積み重なったもの全体を聴いた時に何を感じるか、何を感じさせたいかということなんです。

だから、私よく、ここをこうやってます、こんなにこだわってますって押しつけがましく言ってますが、その、そこを聴いてほしいわけではない。そんなクソどうでも良さそうなところにまでこだわり抜いて音楽に向き合ってますよってその情熱ね、それを感じてほしいなって思ってるわけです。

ってね。言わなくてもいいことまで言ってますが、結構誤解されてるようなので勢い余ってたまには言うことにします。笑

演奏会詳細はこちら↓

https://www.salicuskammerchor.com/concert

あ、アポストファってこれです。この赤丸のところ。

これは半袖Tシャツですが、今回ロンTも作りましたので、よかったら受付によってみてください。

さらに今回、去年のEnsemble Salicusのレクチャーコンサートを収録したライブCDも作りましたので、こちらも良ければ御覧ください。

物販について詳細はコチラ↓

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Salicus Kammerchor

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公演情報

次回はEnsemble Salicusの演奏会です!

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CD・DVD発売中!

Ensemble SalicusのレクチャーコンサートライブCD

昨年10月に開催されたLa Musica CollanaとのジョイントコンサートのライブCD

第2回定期演奏会のライブDVD

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