光岡英稔 BUGAKU講座|26-27回目

光岡英稔 BUGAKU講座|26-27回目

今月は韓氏意拳3コマ、BUGAKU2コマ参加したのでレポートも大変です。

しかし自分のためにもまとめておきたいと思います。

今回も八卦掌と剣術に参加してきました。


これまでのレポート
1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
3回目 https://is.gd/Gm9C17
4回目 https://is.gd/37Oxg1
5回目 https://bit.ly/3D63JVq
7回目 https://is.gd/xiBfFB
8回目 https://is.gd/tbIYiI
9回目 https://is.gd/BnOQit
10回目 https://is.gd/RczZH5
11回目 https://is.gd/ayTQMA
12回目 https://is.gd/zHtNYL
13-14回目 https://is.gd/YXuCSM
15-17回目 https://bit.ly/3PEGYgt
18-19回目 https://bit.ly/3NRSUKy
20-23回目 https://bit.ly/3p63TWg
24-25回目https://bit.ly/3Qs4RqV


10/3ハワイアン八卦掌

この日も観法ののち、座学がありました。

韓氏意拳もそうなのですが、ハワイアン八卦掌の時の座学もなかなか難解です。

やはり「中心とは何か」というのがメインテーマなのですが、抽象的、思想的でなく、形として、運動の中での中心を身体通して経験するということをいかに学んでいくか。

話を聞きながら、思想的中心の中には、権威的中心とでも言うべきか、「俺がこれを中心ということにする!」というパターンもあるなと思いました。まったくの無根拠、恣意的中心とも言えると思います。

感覚経験は完全に自分のものでしかないので、それでもって中心性を捉えることさえできればいいのですが、これはもう自分で感性を磨いていくしかないんだと思います。

身体経験は教わることができない。自分が自分で経験するしかない。

座学の後、open palm change / close palm changeでくるくる回りました。

最近の朝稽古では、韓氏意拳は毎日やっていて、剣術、ハワイアン八卦掌、シラットをそれぞれローテーションでやってます。全部やると2時間くらいかかっちゃうので。

なのでこのくるくる回る稽古も3日に1回はやってるのですが、一人稽古と対人稽古の違いを凄く感じました。

やっぱり相手がいるとどうしても反応の世界に入ってしまって、自分の形や動きから気が逸れてしまうんですよね。

やりながら「どうしてうまくいかないんだろう」とか考えだしたらもうダメです。笑

この日新たに教わったのは、止まった時、またchangeした後の足の形で、これがないとうまく止まれない、またうまく歩き出せない。

歩型、歩法、むちゃ大事ですね。。


10/6剣術

この日はなんかこういつもと違って(週末レクリエーション感があるというか)軽いスパーみたいなことを沢山やってめっちゃ楽しかったです。

テーマは、なぜ日本の刀剣は両手持ちの武器で、なぜ盾を使わないのか。

これを学ぶために、実際に「袋竹刀と盾」の人と「両手持ちの袋竹刀」で戦ってみました。

まずすっごいおっきいフィリピンのカリンガ族の盾。これはもう相手の姿がほとんどすっかり隠れるくらいでかい。

光岡先生のこちらのツイートに画像が出ております。

これはもうすっごい邪魔、すっごい邪魔。

続いてキャプテン・アメリカが持ってるような丸い盾。

これは肘を固定しているのでタックルしていく感じになりやすいです。

カリンガ族の盾に比べればかなり相手の身体が見えます。

お互い素人なので、盾の使い方もよくわかってなくて、それも含め探り探りのスパーだったのですが、それぞれのバックグラウンドから、個性が出て面白かったです。

最後はバックラーという鍋蓋大の盾。

これはもう持ってる方からするとかなり心もとない。盾という感じもしない。けどまあ軽いから動かしやすいです。

大中小の盾で攻防してみてわかったのは、それぞれ邪魔だなあという感じがあるのだけど、それはお互い様で、盾持ってる方からしても、盾があるから相手に攻撃しづらい。

それならむしろ両手持ちで剣を持ってるほうがまだ有利なんじゃないかということ。

だんだんわかってきました。なぜ日本の剣術が盾を使わないのか。

もう一つは、日本の剣術は刀剣を「刀」のようにも使うし「槍」のようにも使うし「盾」のようにも使うことが出来るということ。

もちろん素人にはそのどれも不可能ですが、熟練するとそういう可能性があるということ。

そして斜の構えは「盾」として刀剣を使う「後の先」の構えであることを教わりました。

そう思うと、盾を持って攻防してみた経験が役に立つ感じがしました。

あーあの感じかー。

っていうのを得るためには一回経験しないと無理なんですよね。

この構えは盾の構えです。と言われても、盾で攻防したことがないとさっぱりわからん笑。

すんごいよくできた稽古手順だなあと思いました。いつもそうなんですけど。

こういう手順で身体がこれとこれとこれを経験していくと、それで初めてああそうかと、身体でもって分かることがある。

この「感じ」は「頭でわかる」とは全然違います。

私たち、頭でわかったような気になって何も身についてないってそういうこと、よくありますよね。

なんか講座とか受けるとそれで満足して自分上達した気になってるんですけど、何にもなってない。

武術も音楽も。


Salicus Kammerchor カンタータ公演 vo.2
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11/25ルーテル公演
11/29豊洲公演

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演奏会詳細はこちら↓
https://salicuskammerchor.com/concert


声明とグレゴリオ聖歌がポリフォニーする PARTⅡ
「菩薩のラメント・キュロスの哀愍」

2022年12月17日(土)
14:00 開場
14:30 開演

会場:えびらホール

料金:4,000円
チケット予約・お問い合わせ:g.sakurai.office@gmail.com


Salicus Kammerchor
演奏動画続々公開中!

第7回定期演奏会から4本動画を公開しております!


謎のお役立ち動画

突然思い立って撮ってみました。

誰の役に立つのかわかりませんが笑

光岡英稔 BUGAKU講座|12回目

1週間以上経ってしまいましたが、またBUGAKUに出てきましたので、レポートしようと思います。

今回はハワイアン八卦掌でした。巡り合わせで私今回八卦掌初めてで、とても楽しみにしていました。


これまでのレポートはこちら

BUGAKU講座|1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
BUGAKU講座|2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
BUGAKU講座|3回目 https://is.gd/Gm9C17
韓氏意拳講座|1回目 https://is.gd/D3RjiJ
BUGAKU講座|4回目 https://is.gd/37Oxg1
BUGAKU講座|5回目 https://ux.nu/AmsQM
韓氏意拳講座|2回目https://is.gd/G7l53a
BUGAKU講座|7回目 https://is.gd/xiBfFB
韓氏意拳講座|3回目 https://is.gd/rDRgMX
韓氏意拳講座|4回目 https://is.gd/8BX3eO
BUGAKU講座|8回目 https://is.gd/tbIYiI
韓氏意拳講座|5回目 https://is.gd/YmZ2Yc
BUGAKU講座|9回目https://is.gd/BnOQit
韓氏意拳講座|6回目https://is.gd/dlMQTX
BUGAKU講座|10回目https://is.gd/RczZH5
韓氏意拳講座|7回目https://is.gd/a1Yor1
韓氏意拳講座|8回目https://is.gd/ayTQMA
BUGAKU講座|11回目https://is.gd/ayTQMA
韓氏意拳講座|9回目https://is.gd/NCZKxY


ハワイで独自の進化を遂げた八卦掌がハワイアン八卦掌なのだそうですが、今回そのあたりの説明は詳しくやらずに、いきなり「歩」の稽古が始まりました。

45度内股を基本にして、左右に体重移動していき、その際体重が乗っていない方の足を乗っている方の足に揃え平行にします。

この内股という身体観が私には新鮮で、これまでのどの経験とも違う不思議な感じがしました。またこれ結果的に後ろ重心になって、前足は重心ゼロになります。これもこれまでにない経験でした。

特に前回韓氏意拳講座で教わったシュアイジャオの左右転換の稽古は、45度という角度は一緒ですが重心は前だったので、なかなか混乱しました。

いろんな系統の武術をやっていると、これはこれ、それはそれと身体がことわけておくというそういうスキルも必要だなと思いました。頭ではなく身体で。

しかしどういう系統の武術でも共通してるのは、自分の身体がどうなってるかということを認識できなきゃだめということで、今回も、私45度の足の角度は最近シュワイジャオで練習してたから大丈夫かと思いきや全然でした笑

いや、これ45・・・アレエ?×100

でしたねえほんとにもういい加減。


それでもう足だけでもそんな有様なのですが、それに手が付きます。同じ左右の足の切り替えに対して、手の方は2種類、足と同じ方向に手を出すパターン(Open palm change)と足と反対方向に手を出すパターン(Close palm change)。

うちで振り返って稽古してみるとそれほど複雑でもないのですが、初見ではマジで大混乱でした。


歩く

で、それをこう円周を歩きながらスイッチしていくという稽古をやったのですがもう全然出来なかった笑。

手を円の内側に向けたまま歩くということはつまり、内側に対して足がクロスしたりしなかったりするというわけで、それはつまり上のOpenとCloseが交互に起こっているということに気づくまでに5分笑

スイッチするときはまず止まったときにOpenかCloseかによって転換する方向が変わるということなんですねえ。初心者なんで考えてやらんとできんです。。。。ブスブスブス。。。。ボン!

いやいつもそうなんですけどね。講座に参加すると、わからん!できん!ことばっかりなのですが、今回はもうBUGAKUに最初に参加した時のことを思い出しましたね。うん。BUGAKUってこうだよねえ。。


引力と張力|テンセグリティ

もうすでに私の脳はパンクしているのですが(脳でやるからそうなる)、つづいて二人組で前手同士を合わせ、後ろ手は棒の端と端を持って、前手は軽く押しながら、後ろ手は軽く引っ張り合いながら回転するということをやりました。

これですね。簡単に見えますがこれめちゃくちゃ難しいです。まず目が回ります笑。

ほんとまず単純に目が回って気持ち悪くなっちゃうんですよね。

ちょっと思ったんですが、嫌がる馬に無理に乗ろうとすると馬が超グルグル回るんですよね。そういうときにこの稽古は役に立つな笑。来年のお正月にはこの稽古の成果を確かめられるでしょう笑

それで三半規管鍛えながら回るこの稽古なのですが、中心を維持するというのがものすごく難しい。押してる前手(張力)と引いている後ろ手(引力)のバランスが絶妙に取れていないと、二人が同じ円周上を歩けない。

上手くピタッとバランスが取れると・・

もしかして私たち・・・テンセグってる?!

ってなるわけですね。自力だけでも、他力だけでもないパリントローポスハルモニエ。

張力と引力があってはじめて中心が生じて、中心が生じてはじめて円周が生まれる、それではじめて回転するという運動が生まれると。

もうこれは音楽の話をしているとしか思えないですね。

アンサンブルグループの練習に取り入れたらいいと思う。


Vortex 渦

渦は上下逆に回転している。

これがどうも肝らしく、言われてみれば確かに、上下同じように時計回りで回転していたら渦にはならない、上が時計回りなら下は反時計回りになってはじめて渦ができる。

今回の内容の中では、close palm changeの時にそのような動きが起こるのですが、足が手の方についていっちゃうと形が崩れてしまうんです。手と足が反対の動きをして足を残さないといけないんですね。

この「渦」の考え方も、音楽の話だなあと思いました。

私は今まで音楽の中で、「動き」をもたらすのは緊張と弛緩であると言ってきましたが、多分それだけじゃないですね。

まだ全然考えまとまってないですが、引力と張力があって生まれる円運動、またその複合としての渦、そういう種類の「動き」もありますよね。音楽の中で。例えばペルトとかシサスクとかの音楽ってそういう風にして動いてる。気がします。(多分1年後くらいに閃きますのでもうしばらくお待ち下さい)


今回はもうなんというか、今はわからないけど、これからわかることに対する示唆にめちゃくちゃ満ちていた内容でした。

今回学んだことはきっと今後つながってきて、音楽の新たな側面を観る鍵になる気がします。

それで、私は音楽家なので、光岡先生の言ってることが音楽の話として聞こえてくるわけなのですが、美術家なら美術の話として、思想家なら思想の話として、政治家なら政治の話として聞こえてくるんだと思います。

どんな小さなひとつの武術のテクニックの話をしていても、それが武術だけのことを言っているようには思えない。それが光岡先生の凄みだと思います。含蓄といえばそれまでですが、少なくとも私にとっては、それが光岡先生から武術を学びたいと思える大きな要素だと思います。

なぜ武術をやるのか、ぼんやりいつも考えていることですが、今の所の私の答えは「生きているから」だと思ってます。


さて、本業の方ですが、今月19日に立教大学である本番に向けて準備を進めています。

こちらは一般公開はしないことになって、後日配信という形になりました。

また情報が出ましたらお知らせいたします。おそらく前回のようにyoutubeで限定公開になるのかなと思っております。前回のは3月末まで見れますので、まだの方はぜひ→http://rikkyo-kiriken.com/events/index.php?QBlog-20210802-1

シャイトのコンツェルト、歌8声楽器8声の非常に豪華な編成です。コルネットとサクバットと一緒にやるの初めてなのでとても楽しみです。

あとはまだ先ですが5月のSalicus Kammerchorの演奏会、こちらも定期では初めての試みで楽器を入れます。

実はまだ内緒ですがカンタータプロジェクトへの布石としてこれから楽器と一緒にやる演奏会を増やそうと思ってます。こちらも楽しみであります。

Salicus Kammerchor第7回定期演奏会
ハインリヒ・シュッツの音楽vol.2
二人の天才
​〜モンテヴェルディ→シュッツ〜


【日時・会場】

5月20日(金)19時開演

日本福音ルーテル東京教会

チケット予約:https://tiget.net/events/160766

5月22日(日)14時開演

台東区生涯学習センター ミレニアムホール

​チケット予約:https://tiget.net/events/160767

光岡英稔先生による『BUGAKU』講習会に参加してまいりました

昨日、光岡英稔先生の講習会に行ってきました。

光岡先生は徳久さんを通じて知って、Twitterずっとフォローしてたのですが、先日徳久さんに「一回あっといたほうがいいよ」と言われ、遂に講習会に参加してきました。

韓氏意拳を知って5年位?光岡先生を知って4年位?やっとこの一歩を踏み出せました。長かった。

最近光岡先生の著作「退歩のススメ」を読んでいたこともあって、かなり自分の中では盛り上がっていました。

この本についても近々書けたらと思っています。人生変える可能性のある本です。


私が参加したのはビギナークラスと基礎クラスだったはずなのですが、八卦掌のレイモンド先生やヒモトレの小関勲先生が参加されていたりして、どんな基礎クラスやねんと思いました笑。

上の写真は午前中にとったメモなのですが、我ながら汚い字。

あとで纏められるようにとなるべくわかりやすいように書いたつもりだったのですが、自分でもすでに理解、解読不能のところがありそうです。

インプットしたことは48時間以内にアウトプットすると記憶に定着しやすいそうなので、吐き出します。

私の記憶違いも多分に含まれている可能性があるということを初めにお断りしておきます。

すべての文の最後に、「※個人の感想です」を付け足してお読みください。


今回のテーマは、「表と裏」、「内と外」ということでした。

中でも「表と裏」の方がメインで、「内と外」を含めるとかなり複雑になる雰囲気だったので午前中は触れられませんでした。


表と裏

人間は自分のからだに、3つの方向から表裏を感じているそうです。

①上下表裏

②右左表裏

③前後表裏

①上下表裏は人間がまだ四足歩行をしていた古代からの感じ方で、太陽のあたっている背中側が表、あたっていないお腹側を裏、という感じ方。

③前後表裏は二足歩行をしている近代、現代の感じ方で、大体生物としては、前に進むのが自然な動きということで、前の方を表、後ろの方を裏、と感じる身体観になるのだそうです。そうするとこの時点で体の部位としては裏と表がひっくり返ってるんですね。四足歩行のときは背中が表、二足歩行になると背中は裏になる。

それで、陰陽道的には、陰と陽が半々になっているのが良いとされるそうなのですが、二足歩行だと陽の部分、つまり太陽にあたっている部分が多すぎて、すでに不調をきたす要素を持っているのだそう。

そこで古典期に生まれたのが②右左表裏で、右と左にも裏と表があるという考えです。

この考えでは、右側が表とされるのですが、合掌した時に、右側にある右手の甲が表、左手の「甲」が裏とされます。というわけでちょっとややこしいですが、右手のひらは裏、左手のひらは表です。

というところで、この裏と表がどのように武術に応用されるのかということを実践しました。

正座で二人が向き合って手を出し、片方が押すのに耐える、という単純な実験なのですが、これが目から鱗でした。

左手を出して、グッと耐える。これは結構耐えられます。

しかし同じ力で右手を押されると、全く耐えられません。もう、へニャーッです。へニャーッ

ところがですね。右手をくるっとひっくり返して、手の甲を押してもらうとですね、あーらびっくり耐えられるんですね。

マジで、いや、マジで。

ほんと冗談かと思いますけど全員そうなるんです。

やってみてください。そうなるので。

それで今度は左手の方をひっくり返して、手の甲で耐えてみる、そうすると、へニャーッ

お前やる気あるんかってくらい簡単に曲がります。

力が入らないだけじゃなくて、もう腰から砕けるという感じです。

仕組みとしてはこうです。

右手の甲は表、左手ひらも表、手の「表」と前後の表が一致していると、耐えられる。「定位する」と仰っていました。

逆に前後表裏と右左表裏が一致していない状態、つまり右手のひら、左手の甲が前を向いているときは、「不定位」になるため力が入らない。

普通の物理原則に慣れている私たちからすると意味不明ですが、やってみればわかります。


「型」の意味

それで、武術家は考えたわけです。不定位の時でも力が入るようにするにはどうしたらいいのか。

そこで考え出されたのが「型」なのだそうです。

実際に今回はインドネシアの武術、シラットの型を教わり、その通りの方向、手順、数、形を守って動いてみると、あーら不思議!さっきまで不定位だった右手のひら、左手の甲でも定位するではあーりませんか。

もうあれですね。書いてて嫌になるくらい胡散臭いですが、もう、ほんと、やってみればわかる!笑

それにしても文章というのは難しい。書いていてこんなに胡散臭くなるとは夢にも思わなかった。ほんと、実践あるのみですよ。

私こう見えて中学生の頃剣道やってたんですね。それで中3になるとみんな段位取るための試験を受けるんです。その時実践とは別に、型の試験もあるんです。

それでその試験のために初めて型を習うんですけど、これが当時の私には全く意味不明。木刀持って、なんかこう、微妙に鈍い動きで、やあっ、とうっ、とかやるわけです。全く(競技の)実践とはかけ離れてるんです。

私、先生に、「これ、何の役にたつんですか?」って聞きましたが、その時は、段を取るために必要、という以上の、納得のいく説明はありませんでした。

これ、空手の型なんか見ててもわかると思います。競技としての実践と、型と、空手の場合は全く別物になってしまって、遂には別の競技になってしまいましたよね。

型の時の美しいすり足の動きはどこにいった?って感じで他の格闘技同様上下動ゆっさゆっさ。

今回の講習会で、やっと「型」の意味がわかりました。

凄く陳腐な言い方すると、体のポテンシャルを引き出すための儀式、という感じでしょうか。

この道を通ると体になんとも神秘的なことが起こって、それまでの体とは違う体になる(ああ胡散臭い涙)。

そう、それでシラットの型の話に戻りますが、その型によって作った、定位した不定位の形を一回やめて、もう一回(今度は型を通さずに)同じ形に手を作ると、もうダメなんです。

型を通したときと、全く同じ形にしたつもりでも、全然違うものになってしまっているんです。

こ、これが韓氏意拳の言う、「形同実異」か!目から鱗ボタボタボタボタ!

つまり形が同じでも中身が違うってことです。


それで、この手の形なんですが、押されるまでは、イケるかどうか全くわかんないんです。どちらかというと右手のひらが前向いてるほうが、なんとなくイケそうな感じするのですが、押されて初めて「あ、これアカン」と気づくわけです。

武術の実践の場合、これってもう手遅れなんです。つまり、グサッと刺されて死んだ後に、あかんことに気づいたのでは遅いのです。

競技のように、一本取られてももう一本!は無いんですね。

負けたら終わりの一発勝負の世界では、事後に気づく、つまりこの場合、押されて初めてアカンと気づく、ではまずい。

お前はもう死んでいる。のです。

そこで、なんとか押される前に、アカンと気づかなければならないのですが、そこで考えられたのが、「気と血」という考え方です。


気と血

「気」というともう、いよいよオカルトっぽいですが、実は私たち、「気が向く」、「気が滅入る」、「気がつく」、「気にする」など「気」という概念を日常的に感じています。

「血」はそれに対して「感覚」の象徴だそうで、押されてから「アカンッ」と感じるこの感覚のことです。

血、つまり感覚になってからでは遅いので、武術家はそれ以前に生じている「気」に注目したそうです。

気が血を導く、というのは「状態が行為を生む」という韓氏意拳の考え方と同じようなことを言っているのだと思います。(個人の感想です)

そしてこの気が血を導くということを、頸といい、頸道を通す、ということが型の目的なのだそうです。


動法と観法

しかし、頸道を通す方法は、「型」だけではありません。

本当に不思議でしょうがないのですが、受講生の一人は「南無阿弥陀仏」というだけでも頸道が通りました。

南無妙法蓮華経でも通ったし、人によって、親しんだお経なんかで通るそうです。

私だったらPater nosterかなあとか考えてみたり笑

もっと驚きだったのは、右手で虚空に「木」という字を書く、というものでした。これも、書き順正しく書くと頸道通るのですが、書き順をめちゃくちゃにすると、全然アカンのです。

もうアレ、脳ミソパラダーイス!全く理解が追いつきません。というかもう理解しようとしてることがすでに失敗なのかもしれない笑

理由はわからんけど、そういうことがある。ということがわかればいいのでしょう。

それで、確かに念仏で頸道は通るのですが先生はお経をブツブツ唱えながら闘うということを推奨はしていませんでした。たしかにそれはなんとなく直感的に違うなって思いました。

それで、型によって頸道を通すというやり方の他に内観によって頸道を通す方法があるということを教わりました。

型は動きによって頸道を通すということで「動法」、内観によるやり方は「観法」というそうです。

ここまできてやっとこの講習会の目的地が見えた気がしました。

自分の体を「どのように」観るか、ということで頸道を通すんですね。

講習会の一番最後にこれをやったのですが、正直あまりにも難しくて全然できなかったので、次回また教わりたいと思います。


さて、この学びを私の場合、指揮や歌に活かさねばなりません。もちろん体のポテンシャルを引き出す稽古なので、自然と活きてくるものでもあるとは思うのですが、もっと積極的に応用できそうな気がするんですよね。

きっといずれつながってくると思うので、また気づいたら書くことにします。

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Salicus Kammerchor

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公演情報

次回はEnsemble Salicusの演奏会です!

http://www.salicuskammerchor.com/concert

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CD・DVD発売中!

Ensemble SalicusのレクチャーコンサートライブCD

昨年10月に開催されたLa Musica CollanaとのジョイントコンサートのライブCD

第2回定期演奏会のライブDVD

をウェブ販売しております!

http://www.salicuskammerchor.com/goods

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サリクス通信

サリクスの最新情報や、ここでしか読めない特集記事を配信しています。

http://www.salicuskammerchor.com/mail-magazine-1

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