Chor Eleusis 合唱団エレウシス|始動

昨日、合唱団エレウシスの初回練習でした。

申し込んでくれた方ほとんどと、見学にも数名みえてくださいました。ご参加くださいました皆様ありがとうございました。

初回ということでオリエンテーション的なことが多かったですが、来週からはガンガン歌っていきたいと思います。

とにかく毎週練習できる団体って実は私の身の回りにはそんなに多くないので、今回こういう団体を立ち上げることができて本当に嬉しいです。

練習大好きなんですよねー笑
毎日でもやりたい。

昨日の初回練習では、団の方向性を示すために、4つのブロックに分けて説明&練習しました。

  1. 発声
  2. グレゴリオ聖歌(古ネウマ)
  3. ポリフォニー
  4. J. S. バッハ

2~4はサリクスでやってることそのままなのですが、これらを支えるテクニックとしての発声については、実はプロの声楽家にはあまり深入りできないという部分があります。

そこ変えな根本なにも変わらんやろって言われればそれまでで、サリクスでももちろん人間関係を破砕しない程度には突っ込んでますが、なかなか現状徹底はできてません。

毎週練習できるアマチュアだからこそ、こういった本当に基礎的なところからじっくりと積み上げていけるのではないかと思っておりますので、本当にこれから楽しみです。


練習後決起集会兼ねた懇親会を行いました。17人中13人参加の素晴らしい出席率!

演奏団体って練習の次に飲み会が大事ですよね〜

13人だったので最後の晩餐だね、最初だけどね、などと言っておりました。

そこで「合唱団エレウシス」という名前の由来を聞かれたのですが、私うっかり練習中に言いそびれていました。

というか説明するとほんとに長くなっちゃって、今更ながらややこしい名前にしちゃったの若干後悔してるんですが笑、先程団員の皆さんには長文メールで説明しました。

せっかくなのでこちらにも貼っておきたいと思います。

長いので興味ある方だけどうぞ笑


エレウシスはギリシャの都市の名前です。

そこで紀元前15世紀ごろから行われていたとされる宗教的儀式がありまして「エレウシスの秘儀」とか「エレウシスの密儀」などと文献には残っているのですが、何しろ秘儀なので詳しいことはよくわかっていません。

暗闇をさまよい、あらゆる恐怖を感じたのち突然光に満たされ清らかな土地を発見するとかなんかそんな感じなのですが、この儀式についての、古東哲明という人の解釈が非常に面白いです。

この儀式については、一応擬死体験を経て死後の世界を知り、死に対する恐怖を拭うというような側面も見えなくはないのですが、それだけのものではないと古東氏は言います。

プラトンもこの秘儀で奥義を授かったらしいのです。一般に彼の哲学って、地上の空しさを説いて、永遠の彼岸を願うようなどうしようもない二世界論として描かれるんですが、どうもこの秘儀の中身を通しながら彼の哲学を見てみると、そうとも言えないようです。

しかし考えてもみられたい。地上世界のくだらなさを説明するために、あんなに膨大で情熱的な思想を語ることができるだろうか。ー中略ー肉体が墓場だというなら、とっとと死ねばよいからだ。だがそんなことを、プラトンは毛頭考えなかった。ー中略ーそれは、必要なまでの地上王国へのこだわり以外のなにものでもない。

《現代思想としてのギリシャ哲学》古東哲明

エレウシスの秘儀によって擬死体験をした者たちは、実際そこで死ぬことなく、また生の世界へ帰ってくる。つまりそこで行われていて、プラトンが語ろうとしていたのは、こちら側(此岸)からあちら側(彼岸)を夢見ることではなく、あちら側(死)からこちら側(生)を見つめなおすという営みだったということです。


齋藤史が、

“死の側より照明(て)らせばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも”

と歌ったそのままのことを実体験させるところに、エレウシスの秘儀の目的はあるのです。

死病の床で明石海人が

薔薇が咲き 日が差し それが見えてゐる こんなことさへ ただごとなのか

と歌ったこの世この生のどうしようもない輝きのことを言っているのです。

プラトンの

〈死の道〉が同時に〈愛の道〉にほかならぬからである

という言葉も、以上のことからふまえて捉えると、なんの皮肉もケレン味もない簡素な実体験として腑に落ちるところがあると思います。

で、これってそのまま私芸術のことを言ってると感じるんですね。

生きてるうちは生きてることを忘れてる。生きながらにして生きてることを思い出させてくれるのが芸術なのだと私は思っているのですが、つまりこれはエレウシスの秘儀と同じことですよね。

というわけで、そういう演奏を目指す団体ということで、合唱団エレウシスと名付けたというわけでした。

長文読了ありがとうございました笑


団員は引き続き募集しております。

現在、
S 5名
A 4名
T 3名
B 5名

ですが、目標は各パート10人の合計40名!

40人いればマタイができる・・・。

マタイ、歌いたいでしょう?(何年先になるかわかりませんが)

練習時間ですが、やはりお仕事されている方が18:30に瑞江に来るのは厳しいということで、15分繰り下げて、18:45-21:15とすることにしました。

見学だけでも、お気軽にどうぞ!

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Salicus Kammerchor

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演奏会情報

次回演奏会は

12月19日のEnsemble Salicus第2回演奏会です!

https://www.salicuskammerchor.com/concert

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第3回定期演奏会のライブDVD

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サリクス通信

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amarcord クリニック in Tokyo | 八咫烏特別賛助

amarcord クリニック in Tokyo | 八咫烏特別賛助

昨日、

軽井沢国際合唱フェスティバル 2017 サテライト講習会
amarcord クリニック in Tokyo
〜ドイツロマン派音楽の実践〜 特別賛助:男声アンサンブル八咫烏

に参加してきました。

ドイツの5人組男声アンサンブルamarcordの中心レパートリーである、ドイツロマン派のアカペラ作品を題材に1時間ほどのレッスンでしたが、私たちにとってとても収穫の多いレッスンでした。

私たち八咫烏(というかトミー)のやっていることは間違っていない。この方向でいける、ということを確信させてくれるようなレッスンだったと個人的には思いました。


こういう経験は私過去に2回ありました。

1つは広島大学に入った時、古東哲明先生の哲学の授業、初回の冒頭で先生はこう言いました。

「皆さんご存知のように、私たちが生きている意味は、ネー」

ああ、やっぱりそうだったんだ。僕は間違ってなかったんだ。そう思いました。

もう一つはカンタータクラブで演奏委員長1年目の時、小林道夫先生が練習を見に来てくださった時。

下谷教会から上野の駅に向かう道すがら、

「いいリハーサルをしているね、信じて、続けなさい」

どれだけ自分に確信があっても、これでいいんだって思っていても、他人から「それでいいんだよ」と言われることで救われます。

というかそもそも自分にそんな承認欲求があったんだということにそこで初めて気づきました。

誰にも認めてもらえなくても自分の信じたことをやる、というのが基本のスタンスなので。

誰にも認めてもらえなくてもいいけど、誰かに認めてもらいたいんですよね。


今回八咫烏はスケジュールの都合で4人での参加になりました。

事前に2回練習をして、さかんに「普通に喋るくらいのエネルギーで、軽く、自然に」ということをやりました。

そしてレッスンの最初の通しでも、ほんと、びっくりするくらい小さな声で歌いました。

それほど大きな会場ではありませんでしたが、それでも、ほんとにこれ聞こえてる?っていうような音量です。

しかし彼らからは「出だしはもっとソフトに、軽く、小さくしたほうがいい」

とか、全然そんな強くしていた自覚はなかったのに

「クライマックスのところで強くしていたのは良かったね」

などでした。

マジでビビるくらい蚊の鳴くような声で歌い始めていたのに、更にですか!

彼らの「軽く」のレベル、我々とぜんぜん違う!

結構ショックでした。でも彼らが実際に歌っている声もすんごく軽くて小さいので、やっぱりこれでいいのだと納得しました。

フォルテの箇所も、amarcordは実際に5人全員がフォルテで歌うことは基本的にはなくて、内声の3人はバランスをとってリアルなフォルテでは歌っていない、5人のブレンドした音がフォルテで聞こえればいいのだ。

ピアノも同様で、一人ひとりがピアノであるということよりも、5人の音が一つになった時に、それでもピアノに聞こえる音量、バランスで歌うことが重要だということでした。

わかっているつもりでも、声楽科で培ってきた強固な先入観がまだとけていないんだと思いました。ホールで聞こえるピアノってこのくらいっていう自分の線引があって、でもそれはソロで歌うときの線引なのであって、アンサンブルで歌う時はそれを変えなければならないのだと思います。

1人で歌うピアノと5人で歌うピアノは違う。単純に5分の1ではないにしても。

もちろん彼らのレッスンは音楽的なことがメインで他にも沢山有意義なアドヴァイスをいただきましたが、八咫烏のコンセプトに関わる部分で、それを肯定し、更にドラスティックにおしすすめていくことに励ましをいただいたようで、とても嬉しかったです。


私たちのレッスンを1時間ほどやったあと、公募の受講生たちによる混声と男声のレッスンがありました。

そこでも印象的だったのは、声を軽くしていくということで、

「軽いテノールを支えるためにはバスは声を重くしてはいけない、チェストヴォイスではなくヘッドボイスを使おう」

ということで、これも八咫烏がやろうとしていることの1つです。

やはり声楽科で学んでいると、アルトやバスは声を重く、暗くしていく傾向にあるので、ソプラノやテノールの声と分離してしまうんです。特に音域の近いアルトとテノールの分離はよく問題になって、内声のブレンドが合唱の鍵をにぎるとよく言われます。

私は2年前までバリトンだったのでよくわかるのですが、誰かがそう言ったわけじゃないのに、そういう重くて暗い声が求められている気がして、そういう声を目指さなければいけない気がして、自分の首を絞めてきました

それで、自分の声は「軽い」と思い込んでいたのですが、テノールに転向して初めて、「自分声おも!」ということに気づきました。それだけ先入観が強かったということだと思います。

それから声を明るく、軽くしていく方向で努力してきましたが、彼らの求めている「軽さ」のレベルに驚愕しました。

バスやバリトンでさえ今の私の声よりはるかに軽く、明るい。

というか、暗さ、重さの要素を全く感じない

フワーーーって高級羽毛掛け布団か!!ってくらい軽いです。

それでも、毎日、10年練習すれば絶対に出来るようになると言っていただけたので、これを励みに精進したいと思います。

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Salicus Kammerchor

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公演情報

次回公演は10月18日、Ensemble Salicusのデビューコンサートです!

http://www.salicuskammerchor.com/concert

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DVD発売中!

第2回定期演奏会のDVDをウェブ販売しております!

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