『事 ある 事』 声 と 声 ~ 灰野敬二、徳久ウィリアム

『事 ある 事』 声 と 声 ~ 灰野敬二、徳久ウィリアム

昨日、超久しぶりに生演奏を聴いてきました。

覚えてないだけかもしれないけど、下手したら去年の3月以来かもしれない。

その時もノイズのライブだった。

何屋なんだろうか私は。

もっとライブ行きたいな。


ライブを聴いた感想としてまず最初に来るのは「混ざりてえ」ってことなんですが、これは他の演奏会でも思うことと言えば思うこと、でもたいがいは、私だったらこうするのになっていうモチベーションの上がり方であって、このままこの中で一緒に声出したいって思うことは今まで一度もなかったかもしれない。

このままでいい。これはもうこのままにしておいて、そのままこの中に飛び込みたい。

そういう気持ちになったのは初めてかもしれない。


ほとんど全て完全な即興だったようで、後で聞いたところによると、段取りある程度決めようと思っていたけど、始めてみたら必要ないということがわかったので何も決めなかったのだそうです。

それだけ灰野さんに信頼される徳久さんマジですごい。

始まり方、終わり方くらいは決めてたんですか?って聞いたら灰野さんなんて言ったと思います?

「あ!って始まって、うん!で終わる」

やられちゃいますよねえ。いや確かにそんな感じでしたよ。観てても。

休憩挟んで2本のパフォーマンスだったのですが、使用したのはマイクそれぞれ1本、マイクスタンド、ゴザ、灰野さんはピアノ椅子、徳久さんは水、以上でした。

かなりミニマルな編成で、逆にそれが生々しく、没入感がありました。

思考をはさむ余地がないというのはいい演奏の条件かもしれません。

いやほんと、超いい演奏だったんですよ。滅多にないです。こんないい演奏。

本当によかった。

芸術が生まれなおしの営みであるということを再確認しました。こんばんは!世界!


※以下昨日のパフォーマンスについて書いていますが、何しろ個人の感想です。多分演奏者の意図(そんなものがあったのかどうかはともかく)とは全然関係ないです。

1本目は何というか、静か。いや、クソうるさいんですけど。特に徳久さんの出す音っていうのはほとんど全部経験してるので、んーなんというか全然うるさくない。むしろ落ち着く。

灰野さんの声はもう今まで聞いたことない音。もう、はあ?って感じ。なにそれ。その鋭さどうやってんの?

特に、あの、リップハーシュですか?っていうようなきめの細かい超高音でキレ、つまり無音から有音へのスピードが異常なほど速い「声」を多分インヘイルでもエクスヘイルでも出してて、これはマジで今まで一回も聞いたことない音でした。

そう、で1本目は割と静かに、お互いの引き出しを順番に開けていってるという感じで心地よい感じでした。

2本目、これ凄かった。ああああ。今思いましたけどこれアーラープとガットに似てる。インド音楽でですね、タブラを伴わないで非拍節的にラーガを紹介していくようなセクションをアーラープと言いまして、タブラが入って拍節的に演奏される部分をガットというんですが、いや最近バンスリー奏者の寺原太郎さんにインド音楽習ってまして、ほんと自分の演奏にもめちゃめちゃ影響受けてましてですね、リハーサルとかでもキャバテキャバテゆうとりますけど、で太郎さん曰く、ニキル・ベナルジーが言うには、アーラープは奏者がラーガの深海に潜る、ガットはそこへ聴衆を導く、ということなのだそうです。

この二つの要素って自分が何やってるのか、把握するうえですごく大事な指標になりますよね。

で2本目なんですが、もう作ったような完璧な構成でした。後から思えば。

最初徳久さん全く声出さずに、身体の動きだけでシャウトしてて、多分10分くらいそうしてて、そのあと、即興喋りに入ろうとして、言葉にならない、「あっ」とか「えっ」とか「だっ」とかっていうのをやってて、これめちゃくちゃよかった。

即興喋りって徳久さんの一つの必殺技だと私は思っているのですけど、あ、即興喋りってこういう感じです。↓

https://youtu.be/Qz6dYvD1fNs?t=1015

ノイズボイスって本来意味を持たない超ド級の抽象表現だと思うのですが、この即興喋りはまとまった意味はないものの、ノイズボイスの中で使うと、それでもやっぱり意味の世界に引きずり込むえげつない力があります。

でこの意味の世界に入りそうで入らない、「え」とか「だ」とか何か言葉になりそうでならないというぎりぎりのせめぎあいの中で、あの世とこの世を行ったり来たりするような体験をしました。

あの世とこの世との間はしょっちゅう行ったり来たりしてるわけですけども、こんなスピードで、しかもあの世からこの世へ片足だけ踏み入れてまた戻るような、こんな表現は今まで見たことないかもしれないです。

それでまあ諸々割愛して後半の後半の序盤あたりで、徳久さんが「たとえば」って発した刹那だったかと思いますが、突如として灰野さんが喋りだしたんですよね。

これが凄かった。うわーそれやっちゃうか!やっちゃうのか!って感じ。もうそっからはバチバチの果し合いでした。

これか、真樹子さん(伯母)が言ってたのはこれなのか!っていう灰野さんのヤバいやつが見れました。

でもうこれは取り返しがつかない、収拾がつかんぞこれっていうところで、徳久さんの必殺技その二が飛び出して、その流れを一気に断ち切ったんです。

これが個人的ハイライトでした。すっっっっげえええ。最高でしたね。もう。マジで。ヤバい。


構成についてはそんな感じで、あとは灰野さんのパフォーマンスについて気づいたところをメモしておきたいと思います。(徳久さんはいつも見てるのであえてここでは書きません)

灰野さんのボイスってかなりリズムがあるんですね。後半は特にリズムがない瞬間がほとんどなかったのではないかと思うほど。拍節、周期性といっていいかもれないですが。舞曲的、ガット的。対して徳久さんはほぼ非拍節的、グレゴリオ聖歌的、アーラープ的。

でそのグルーブはまさしく正しく身体に現れていて、特に脊椎の自由度、これっきゃないっていう運動が美しかったです。マイクスタンド使っているときにそれは顕著で、もうマイクスタンドお化けみたいになってました。

あとはゴザをひいてる意味なんですが、そこへあぐらをかいたり、膝をついて声を出したりということもしていて、これは灰野さんのアイデアなのだそうです。

四つん這いみたいになって声を出していた時まさしく四足の身体観だと思わせる声が出てました。

周期性という点でいうと、徳久さんの喋りが意味のない言葉を次々に紡いでいくのに対して、灰野さんの喋りは短いフレーズのリフレインで、喋り方、声のクオリティを変えていくというものでした。

その変え方もえぐくて、一音節ずつノイズになるくらいただただ強く発音する、というのがシンプルですが、ぜってえ出来ねえ。無理。って思いました。凄い技術です。子音と母音の組み合わせで、ノイズにしやすいものとしにくいものとあって、全部のシラブルを同じ強度でノイズ化させるというのはほんと驚異的。

「ず つ う なん て と く い か も く さ」

これだけバリエーションに富んだ子音と母音の組み合わせ、全て綺麗にノイズ化されてました。

あとは衣装ですかね。。

自分もそうなんですが、なかなか音楽に合った衣装って難しい。

どう見えるかということではなくて、その音楽を演奏するのにふさわしい衣装。

つまり衣装によって出る声が違うってことです。

なかなかそこまで気が回らないというか、その前にやることが多すぎてそこまで出来ないんですよね。予算も時間も必要ですし。

そういう点でも灰野さんの出で立ちは身に纏っているものにすら必然性があったように思いました。サングラスとか、髪型とかもそうなんでしょうかね。

どう見えるかというのもまあそこそこ売っていくには重要な要素だと思いますけど、それ以前に純粋に音楽のためにも重要な要素なんですよね。

そういう意味で、徳久さんは裸足かそれに近い履物の方がよかったんじゃないかなと思いました。

私も本番靴新しいの買いたいなあ。


何か他にも忘れてることがありそうですが、思い出したらまた加筆しようかな。

とても重要なことが沢山起こっていたので、これをまた糧にしていきたいと思います。

それにしてもいい演奏だった。

徳久さんとは別れ際いつも握手するんですが、あんなに力ない握手は初めてでした(笑)

そりゃああれだけ出しちゃったらもう何も残ってないよなあと。

ノイズのライブって、なんかうるさそう、怖そう、とか多分思われてると思いますけど、私にとっては新宿線の神保町小川町間の方がよほどうるさいし恐ろしいです。

いざという時は耳ふさいじゃってもいいし、心配なら耳栓持ってってもいいと思います。

私も、人の声なら大丈夫なんですが、電子音のノイズはちょっと苦手で、1回ライブで終始耳を塞いでたということがありました。

何を感じるかは人それぞれだと思いますが、このレベルの演奏ならだれが聴いても何かを感じざるを得ないと思います。是非。

徳久さんってボイストレーナーとしても素晴らしい方で、実際私のように彼に(歌手)生命を救われた人もたくさんいると思いますが、やはり本性はパフォーマーなのだと思いました。

あの灰野さんと、(しかも声で)わたりあえる音楽家、そんなに沢山はいないですよ。