BUGAKUスピンオフ第6弾

BUGAKUスピンオフ第6弾

今月末、6月28日に、光岡英稔先生のBUGAKUスピンオフ第6弾が開催されます。

この会は当初声の専門家向けに、声と身体についての講座として企画されました。

のちに愛好家の方や、興味のある一般の方にも開放され、声と身体について学んでいます。

光岡武学の基礎をベースに、身体の多層位性と声との関係についてがテーマとなっていますが、直近の第5回では、「知覚」と「感覚」の違いから、左右観(左右の傾向の違い)を見直していくということをしました。

左右観は母音の発音と密接に結びついており、左右をどう観るか、捉えるかが母音に直接的に影響を及ぼします。

昨日光岡先生とお話させていただいて、「櫻井が知りたいところ」「皆さんに知ってほしいところ」の2つをリクエストしましたが、第6回はどういった内容になるでしょうか。

非常ーーーに楽しみです。

この講座は声の講座ですが、声を全く使わないという人はほとんどいないと思います。

声が変わると人生が変わります。

先生はゴリゴリの武術家ですが、講座自体に手荒なことは一切ないので、興味のある方は、武術未経験の方もお気軽にご参加ください。


講師からのメッセージと簡単な内容紹介

この度は年に数回のみ開催される声楽家、指揮者の櫻井元希氏に招かれての「BUGAKUスピンオフ-課外授業 〜異なる身体観による発声の変化を体感する会:声、声楽、音楽の身体観を習得、体得して行く会」を夏に開催することになりました。

今回は「異なる層位の身体と声の関係性」に武学で習う基本的な『五つの身体の層位』と、その層位の違いを知って行くための『四つの基礎』を中心とする稽古学習を行います。

私たち人間が声を発することや、音楽を作ること、更には他の脊椎動物や哺乳類には見ない複雑な言葉、声、音、道具を用いる人間特有の感性などがあります。これを知るには人間と言う種の内側へと入って行きながら、「意識と感覚の違い」や「知覚と感覚の違い」「気と感覚の違い」など幾つもある内面的経験からなる人間の複雑さの要因を“内面的経験の事分け”をして行くことで知ってゆく稽古を行っていきます。

これらの人間特有の複雑さの意味と訳に稽古を通じて踏み込んで行きながら

「人間が声を発し、言葉を使い、言語を用い、歌うことの意味の根幹」

「人が音を聴き、聞き分け、それを内蔵界から外蔵界へ発し、そこから内蔵界へ再び入れて行くことの意味の根本」

を知って行きます。

このような行程を光岡武学・オリジナルのアプローチと稽古方法を通じて理解して行き、その理屈や原理、法則に関する講話なども交えながら、一人一人の感覚体で感得すべく講座を進めて参ります。

この度もこのような流れから「人間の発声」が、どのようにして人間の身体と動きに影響していて、また人間の「身体、身体観、感性、感覚、形、動き」が、いかにして人間の声、発声、発音、音に影響を与えるかへと踏み込んで行き、さらに「異なる層位の身体(からだ)と私たちの声の関係性」を知って行くことに挑んで行くことになります。

この様な稽古とワークをしながら、人類史における声と言う身体観(からだ)、自己存在、人間の本質と真性を知って行く会になること間違いないかと思います。

皆様の参加、お待ちしてます!!

講師 
光岡 英稔


参加者の感想

以下は過去にBUGAKUスピンオフに参加された方の感想です。

受講を検討する材料となさってください。


秋元由梨さん(パーソナルコーチ)

BUGAKUスピンオフは今回2回目の参加でした。感想を言葉にするのは難しいですが、ひとまず今回も自分の体についてわからないことが沢山ある、ということがわかる時間でした。でも教えてくださる内容は、全然わからないというものではなく、体はすでにわかっていることなので、どこか腑に落ちるような、ようやく自分がそこに戻ってきたような、遅くなってすみません…という感じがあります。

一度の稽古でなるほど!とは到底なりませんが、自分の現在地に気づき、体のもつ知性の不思議さや奥深さの一端に触れることで、人の本能としての好奇心や探究心が湧いてくるのでしょうね。純粋に楽しいです。わかりやすい手応えがある世界ではないですが、一つあるとすれば体の微細な変化に応じるフィードバックとしての「声」なのだと思います。体を観ているだけなのに声色が変化する面白さ。頭や技術でコントロールしない世界。声を発することの原初に近づいていけるような、そんなわくわく感があります。

体のことに興味があって、でもどこかの道場の門を叩くのは勇気がいるわ…という私のようなもじもじした人には、このスピンオフはおすすめです。歌う方には全員おすすめですし、歌わない方にも全然おすすめしたいです。最初はあぐらや正座が多少きついかもしれませんが、帰り道は駅までめちゃくちゃ元気に歩けます。

逆に、何かを頭で理解し分かった上でどうにかしたい、という方にはあまり馴染まないかもしれませんが、興味があれば参加されるとよいと思います。頭で理解できない面白さを感じられるかもしれません。

(追伸)BUGAKUにも合唱にも興味がある方は、合唱団エレウシスを大変おすすめします。いつでも見学可能ですよ。


原田敬大(指揮者・アンサンブル歌手・ボイストレーナー)

■講座で得られたもの
見ることに慎重になりました。つい使うワードや動きの中に強いステレオタイプみたいなものがあると気付き、それによって自分自身が深いところにある自分の身体を見ようとしていないことを知りました。座る、立つ、歩く、声を出す、のような当たり前と思っている行動が、かなりショートカットしたものになっていることが分かりました。舞台をやっているのに、そこの移ろいを見ていなかったことにグサリと来ました。
まだ「得られた」と言えるほどの水準ではないかなと思いますが、日々の行動や物の見方に変化があります。

■オススメしたい対象
演劇をする人→その作品や世界観に至るプロセスが必要になるので、とても面白く受講できると思います。中世の貴族の身体、ライオンの身体、など、さまざまな身体を経ることが自分を省みることになると思います。

器楽をやる人→楽器が自分と繋がらない感じる人が体験すると面白がれると思います。

歌をやる人→集団の中にいて違和感のある人。歌う自分と歌ってない自分に関心がある人。

介護士さん→身体にメッセージがあると知りたい人には大切な講座になるんじゃないかなと思います。


光岡英稔BUGAKUスピンオフ- 課外授業
「異なる身体観による言葉、声の変化を体感する会」第6弾

2024年6月28日(金)
時間:12:00-18:30(19時より懇親会)
会場:江戸川区内の施設(お申込み時お知らせいたします)

11:45 受付開始
12:00 講座開始
18:00 講座終了
18:30 質疑応答終了
19:00 懇親会(希望者のみ)

お申し込み:https://forms.gle/CeCWHL3Bdx3Qfbmr9
お問い合わせ:g.sakurai.office@gmail.com(櫻井)

蟹笛のこと

今年のお正月に家族で、義理の兄の実家から頂いた松葉ガニを食べていまして、唐突にこれ吹けそうだなと思って吹いたら吹けました。

昨年か一昨年か、ウード奏者の常味さんとご一緒した時にネイを吹かせてもらって、それ以来筒なら何でも笛になるんだという知見を得ていたからというのもありますが、結構あっさり音が出ました。

その時の動画がこちら

あ、そうそう、その前にフジツボ吹く知り合いがいまして、その影響もありました。

フジツボは小さいし閉管だし、それでピッチコントロールするのゲキムズだと思うのですが、私にとっては蟹笛のほうがはるかに簡単です。(が、バーンスリー奏者の寺原太郎さんいわく閉管のほうが一般には簡単なのだそうです)

ラッキーくんにも聞かせました。

明らかに反応しててかわいい。

ネイと同じように吹いているつもりなのですが、ネイだとこれほどピッチの自由度はなくて、ピッチは鳴っている管の長さに依存します。

蟹笛は短いからか、かなりピッチが自由で、口笛のようにコントロールできますが、口笛ほどの音域は出ません。

穴を開けても口でピッチをコントロールするので関係ないと思っていたのですが、鳴っている管が短いと高い方の音域が出るということがわかりました。

ピッチは口でコントロールしますが、穴で音域をコントロールします。

そんな笛あります・・・?

謎笛・・・。

そんな訳で私は蟹笛YouTuberになりました。

最初に投稿したのがこれ、渋い顔してますねえ。

実際ちゃんと曲吹こうと思うと結構大変なんですよ。

湿ると音でなくなるし笑

スラムダンク世代なので。。

ここまでは松葉ガニの4つ穴タイプで吹いてます。

B’z世代でもあるので。。

稲葉さんの声が高いので最後のsoul!のところを出すためにより細い1つ穴ので吹いてます。

ずーっと穴は塞いでいてsoulのところだけ離しています。

自分で歌えない曲を蟹笛で吹くというのはなかなか楽しくてadoをやってみましたが、それにしたところで難しすぎでした。

一番短い穴なしのタイプです。

ちなみにタイトルも【蟹笛吹いてみた】に変えてます。

ここまで日本の曲ばかりやってきましたが、ここでエド・シーランをやってみました。

なのでタイトルも(Crab Whistle cover)です。

やっててなんとなく思ったことなのですが、洋楽って邦楽に比べて旋律自体が単純な気がします。そのぶん歌いまわしが豊富で歌の上手さが求められるというか、下手に歌うと凄いつまんなく聞こえるなあと思いました。

ここで登場した笛はふるさと納税の返礼品で紋別から届いた紅ズワイガニです。

紅ズワイはズワイに比べて殻が薄く、食べやすいけど割れやすいので注意が必要です。

音色も違いますよね。歌口が蟹の関節のとこの膜みたいなとこを使っているので、音は出しやすいです。

あとここらへんでようやく気づいたんですが、蟹笛はタンギングができません。

舌でピッチをとってるので舌を発音に使えないんです。

なので喉でアーティキュレーションしてます。

それも口笛と同じですね。

要するに声帯の開閉で息を区切ってるわけですが、これってグロッタルという発音の手法とニアリーイコールで、つまり蟹笛を吹くとグロッタルの練習になります。

こちら現状の最新ですが、最初に使ったズワイの4つ穴タイプを使っています。

音域も音色も個体差が大きくて、かつ吹き方によっても音色がすごく変る変な楽器ですが、そこが魅力でもあります。

ノイズ成分が多くて渋い音なので、こういう曲がよく合います。

次はブリキノダンスとOfficial髭男dismのSubtitleをやろうと思っています。

蟹笛の仕事承ります!世界に私だけ!蟹笛のパイオニア!!

あ、あと蟹笛余ってるので欲しい方いらっしゃったら差し上げます。

送るのは無理(割れる)なのでお会いする機会のある方限定になりますが。欲しい方はご連絡ください。

マショーのノートル・ダム・ミサ

いよいよ明日となりました。

カペラ史上初、一人一声でノートルダムミサをやります。

通常唱を男声で、固有唱を女声でやるというのも非常に面白い試みで、聴き応えのあるプログラムとなっております。

先日出来心でグロリアを多重録音しました。

明日はタンプーラもタブラもなければピッチもこれの5度上とかですが、これはこれで結構気に入ってます。

いずれこのバージョンも実演で全曲やりたいなあと思っております。

今回はグレゴリオ聖歌が女声、ポリフォニーが男声という構成ですが、最後のモテットはみんなで歌います。

リハの動画が上がってますのでこちらもぜひご覧ください↓

私の手の動きすんごいことになってますね。

明日はもっとすんごいことになってるかも。

お楽しみに!

https://www.cappellajp.com/concert

ヴォーカル・アンサンブル カペラ 2024定期公演1
マショーのノートル・ダム・ミサ
~グレゴリオ聖歌とポリフォニーによる典礼形式の演奏会

日時:2024年6月7日(金)19時15分 開演(18時30分 開場)
*開演20分前より音楽監督の花井哲郎による説明があります

会場:カトリック関口教会 東京カテドラル聖マリア大聖堂


チケット料金【全席自由】
● 前売・一般席 4,600円(税込)
● 前売ペア席 8,500円(税込)
● 学生席 2,500円(税込)
● 当日 5,100円(税込)

配信チケット料金
【公演当日から6月21日(金)まで、2週間】
● 配信チケット 2,500 円(税込)
● 応援チケット 5,000 円 (税込) 
*いずれもシステム手数料 220 円(税込) が別途かかります
WOOMO(ウーモ)
https://www.woomo.jp/products/detail/2879

曲目
グレゴリオ聖歌 聖母のミサ固有唱
Gregorian chant, Proprium missae de Beata Maria Virgine

ギヨーム・ド・マショー Guillaume de Machaut (ca.1300-1377)
ノートル・ダム・ミサ La messe de nostre dame
モテット
「幸いなおとめ」“Felix virgo”
「けがれない御母」”Inviolata genitrix”
「あなたに嘆息します」”Ad te suspiramus”


演奏 ヴォーカル・アンサンブル カペラ
マショー : 富本泰成 渡辺研一郎 櫻井元希 谷本喜基
グレゴリオ聖歌隊 : 相澤紀恵 鏑木綾 小林恵
Maestro di Cappella (音楽監督):花井哲郎

「西洋伝統音楽」と「西洋クラシック音楽」と「古楽」

昨日寝ながら考えていたのですが、わたし達がぼんやり「西洋音楽」とか、「クラシック音楽」と言う時に指しているものを、「西洋伝統音楽」と「西洋クラシック音楽」に分けておくのはどうですかという提案です。

「西洋伝統音楽」というのは歴史的に、「価値観は変化するものだ」ということを伝統的価値観としているようにみえます。

つまり今まで自分たちがやってきたことを否定しながら新しいものを生み出していくという、ある種の進歩思想に基づいた音楽観を持っています。

伝統音楽と言いながら伝統を否定することを伝統としているというのが面白いですね。

念々起滅そのことは念々起滅しないという自然原則に沿っていて、それ自体は非常に理に適っている考え方だとわたしは感じます。

「西洋クラシック音楽」はそれに対するカウンターカルチャーとして「ちょっと待ったストップ、今(と今からちょっと前に)やってたやつ凄く良いからこれ保存しようよ」という立場で、革新的な保守思想ということができると思います。

つまり「価値観は変化するものだ」という古い伝統に対し、新しい考えとして「伝統を保存しようconserver」というムーブメントであったのだと考えられます。

そういう意味でクラシックという文化は伝統的というよりは革新的です。

「伝統を守ろう」というのは、言い換えると価値観の固定化とも言えるかと思いますが、それが大作曲家、大演奏家への盲信に繋がり、あたかも「これが正しい」というものがあるというような錯覚を生んでいるのだと思います。

それは価値観を自分ではなく自分の外である大作曲家や大演奏家という権威に置き、それに服従するという他律的権威主義的音楽観へと繋がり、権威主義はクラシックの最大の特徴と言えるとわたしは考えています。

今からだいたい60年くらい前に、クラシックという普遍的な一つの価値観で古今の音楽を演奏しようとする態度に待ったをかけたのが「古楽」で、その意味で「古楽」は「西洋伝統音楽」へのカウンターとしての「西洋クラシック音楽」への更なるカウンターカルチャーと言えます。

カウンターのカウンター、つまり「古楽」は「西洋伝統音楽」の価値観とかなり近い価値観を持っています。つまり「価値観は変化するものだ」という価値観を。

価値観は変化するのだから、その地その時の音楽を演奏するなら、その地その時の価値観にリスペクトをもって演奏しよう、というのが「古楽」の立場です。

普遍的な価値観を目指すクラシックとは対象的に、ある意味ローカルな価値観を目指すのが「古楽」と言えます。

ただし、「西洋伝統音楽」が持っている(ようにみえる)進歩思想については「古楽」は否定的です。「価値観は変化するが、新しい価値観のほうが優れているとは限らない」、「音楽は発展しているのではなく変遷している」というのは「古楽」の民の共通認識だと思います。

それで以前から感じているのは「古楽」のムーブメントも60年くらい経って、「古楽」のクラシック化が起こっているということです。

つまり「バロック」ってこんなもんでしょっていう画一的な価値観が醸成されてきて、紋切り型の演奏が量産されていること。また古楽の中での大演奏家への盲信が生まれ、権威主義化に向かいそうになっているなあというようなことを感じます。

すなわち「普遍的価値ではなくローカルな価値を、権威主義ではなく音楽ファーストで」という「古楽」の基本的な姿勢が揺らいでるように感じています。

中にいると結構わからないので、自分のやってることを相対化しておくというのは迷子にならないコツかと思います。その意味で、「西洋伝統音楽」と「西洋クラシック音楽」をこと分けておくというのは便利なんではないかと思いましてご紹介させていただきました。