オンライン・ショート・ボイトレ

 コロナ禍、対面での合唱練習ができなくなり、オンラインでメンバー一人ひとり個人レッスンをしていくという指導をせざるを得ない時期がありました。そこでわかってしまったのは身も蓋もない事実。合唱練習をするより、短い時間でも個人レッスンをした方がグループとして成長するということでした。不可抗力でしかたなく行っていた個人レッスンによって、飛躍的に上手くなってしまったのです。
 今はもう対面での合唱練習も当たり前に行われるようになりましたが、そのことでかえって伸び悩んでいる方が多いように思います。そこでこの度、短時間でのオンライン個人レッスンを開講することといたしました。
 オンライン(Zoomを使用)で歌唱や声に関するお悩みをお聞きし、実際に声を聞かせていただいて、お悩みを解決するための稽古方法をお伝えいたします。短い時間でも、継続的に個人レッスンを受けることで、自らの課題を明確にし、確信を持って稽古に取り組めるようになると考えています。

●毎月4回、平日の夜に開催(18-21時)
●1人15分のオンラインレッスン
3時間で下記の9コマです。
18:00- / 18:20- / 18:40- / 19:00- / 19:20- / 19:40- / 20:00- / 20:20- / 20:40-
※皆様の希望を調査した上で決まったコマを講師より連絡いたします。

6月15日までサブスク会員(限定5名様)の先行募集をいたします。
単発会員は6月16日から7月分の募集を始めますのでお待ちください。
(以降毎月16日にサブスク会員は3ヶ月先まで、単発会員は翌月の予約を開始します)

料金:
 サブスク月額6,000円
(ただし、学生、櫻井の指導団体のメンバーは5,000円)
 単発2,000円
(ただし、学生、櫻井の指導団体のメンバーは1,500円)
※櫻井の指導団体:合唱団エレウシス、ヴォーカルアンサンブル アラミレ、日本斉唱団

支払い方法:銀行振込かPaypal

お申込み:https://forms.gle/UwPCfRJT2QkWAwdA9

開催日:

7/9(木)
7/16(木)
7/23(木)
7/30(木)
8/6(木)
8/14(金)
8/20(木)
8/27(木)
9/3(木)
9/10(木)
9/17(木)
9/24(木)
10/1(木)
10/5(月)
10/8(木)
10/26(月)
11/5(木)
11/12(木)
11/19(木)
11/26(木)
12/3(木)
12/10(木)
12/17(木)
12/21(月)


東南アジア武術とハワイアン八卦掌

今年度から武学の東南アジア武術とハワイアン八卦掌の講座の世話人を拝命いたしまして、4月5月と2回講習会を終えました。

果たしてこの2つの講座は、「空手」「柔術」「剣術」などに比べて中身が一見してわかりにくいということで、私の実力の範囲で、この2つが一体どんな講座なのか、言葉にしてみたいと思います。


東南アジア武術

東南アジアというとインドネシアやフィリピンやマレーシアやラオスやベトナムやタイやカンボジアやミャンマーなど国だけ並べてもいっぱいあって、広さにしても中国大陸全体よりもデカい、というような話が先日の講座でもありました。

そこでは様々な言語が話されていて、とても一括りできないような多様な文化がある。にもかかわらず東南アジア武術と括っているのは、それでもその中に共通するナニカがあるからで、そのナニカを教えることができるのは多分世界広しといっても光岡英稔だけなのではないでしょうか。

そもそも光岡先生って上にも書いた「空手」「柔術」「剣術」「中国武術」と「東南アジア武術」「ハワイアン八卦掌」を全部教えてて、かつ単発講座では「呪術」とか「武運」とか「天狗」とか、さらに別枠で「武学の基礎」を教えていて、もうほんとに異常。これだけ横断的に様々な武術を教えられる人っていないですよね。普通。

そしてそれこそが光岡英稔の光岡英稔たる所以だと思います。

これだけ多岐にわたる世界の武術を一人の人間が教えているという、その縮小版が「東南アジア武術」の一講座の中で味わえる、とも言えるのではないでしょうか。

様々な武術を通して、それらがまるで別々でありながら、それでもその中にあるより普遍的な人間とは何か、を知っていくのが武学の全体像だとすれば、東南アジア武術はインドネシアやフィリピンやタイやマレーシアやラオスのそれぞれの文化が、多様でありながらそれでもその中にある「東南アジア武術」の核みたいなところを伝えようとされているのではないかと思います。

そして、その中でも中心に扱っているいるのがラオスの名もない武術、ハワイに渡ってただ「flower」とだけ呼ばれていた謎の武術には、武術の原風景があると言われます。

原風景ってなんぞや。

無文字文化圏であるラオスの、無文字文化圏ならではの武術、型のひとつひとつに名前がついて、文字化されて伝承される日本や中国の武術にはない原初性、カオスがカオスのまま残され伝わった武術の真実に対する親密さ、が特徴なのではないかと思います。

何か例えば音楽を聴いたとして、その時に感じた得体のしれないナニカを、言葉にした途端に「そうなんだけどそれじゃない」って思うことありますよね。言葉にするとそれじゃなくなってしまう。

それを言葉にしないで「それ」そのまま伝えようとしてるんだと思います。

かといって言葉にするのがアカンというわけではなく、それ(文字と真実は違うということ)を知ってないとあかんのだと思います。いや、みんな多分知ってはいるんだけど、でも忘れてますよね。

「楽譜と音楽は違う」と口では言いながら楽譜通りに音を出すことしかできないクラシック音楽家みたいなもので。

「文字」と「楽譜」ってほんとよく似てますよね。

それによって表そうとしたナニカを、いとも簡単に形骸化させてしまう。

そうならないためにはよほどの四性(知性・感性・観性・悟性)が求められるのだと思います。

こういうことを考えていると、こうして言葉にして文字にすること自体に躊躇いが生じてしまうような気がしますが、光岡先生は「言葉になることを言葉にしてもしょうもないが、言葉にならないことをそれでも言葉にすることには意味がある」とおっしゃいます。人一倍ツイッターを愛し、日々インターネットの海に言葉を垂れ流さずにはいられない人間にとしては、非常に励まされるお言葉でございます。

そんなところが、「武術の原風景」の意味するところで、奥の方にはそういうテーマがあるわけですが、実際の稽古はなんというか、ゆるゆると楽しげな踊りのような見た目をしています。

No effortで正確に、というのが東南アジアらしさで、どうも日本人的には武術というと構えてしまうのですが、真面目な顔とかするのはむしろ東南アジア武術的には習得の妨げとなるようです。

先日の講習会でも、「みんな顔が真面目すぎるよ」と言われまして、それで思ったのですが、わたしは一体何に対して真面目な顔をしているのでしょうか。

一人で稽古している時もこの顔で稽古しているのでしょうか。

多分そうじゃないよなと思いました。つまり、誰かに対して、自分が真面目にやってますよというアッピールをしてたんですよね。

もうこういうのって幼い頃に身に着けた生活習慣で、まあ生きる知恵と言えないこともないのですが、子どもじみたその場しのぎの処世術ですね。

わたしって周囲の人にわたしが真面目な人間であるということを信じ込ませることが得意なようで、それで世渡りしてきたんですよね。

でまあ今になって、ほんとにしょうもないことを何十年もやってきたものだと笑えてきました。

そういう自分のしょうもなさみたいなもんにも気づくことができます笑

武術的にも音楽的にも無駄をなくすというのはとても大きなテーマですので、こういう無駄なことやめようと思います。こういうのって、ごっつい力でこびりついて、剥がすの難しいんですけどね。おかしくもないのに笑うとか、痛くもないのに「いたっ」って言うとか。幼いときに身に着けた今となっては無駄な条件反射。

「東南アジア武術」では、やってることがかなり武術らしくないので、武術やったことのない人も気後れせずに入っていける気がします。また逆にこれまで武術をがっちりやってきた人も、武術ってなんだということに取り組むきっかけになるのではないかと思います。

先日の講習会で、初参加の方に、「なぜ数ある講座から東南アジアを選ばれたのですか?」とお聞きしたのですが、「説明を読んで一番意味がわからなかったから」とお答えいただきまして、「それそれ〜〜」となりました。

わからなさを面白がれるかどうかは、光岡武学に取り組む上で非常に大きな素養と言えると思います。

わたしも最初武学受講したときに、わからなすぎて笑えました。わたしって頭の出来に少々自信があって(これは遺伝なのでわたしの手柄ではない)、大概のことはちゃんと説明されればわかると思ってたんですが、マジで全く何一つ理解できなかったんですよね。最初の数回。

それが、わたしが武学を続けようと思った最初の動機かもしれません。

わかんないままにしておくの無理なんですよね。これもただそういう負けず嫌いで諦めの悪い性分というだけなのですが。

数ある武学の講座の中でも、わからなさランキングで多分3位以内には入りそうなのが「東南アジア武術」です。

わからなさを面白がれそうな人には特にオススメです。

詳細・お申込みはこちら→https://bugakutokyo.blogspot.com/p/426-gpcgpc.html?m=1


ハワイアン八卦掌

今年、東南アジア武術と同じ日に開催することなったのがハワイアン八卦掌で、こちらもわたくし世話人をやらせていただいております。

こちらの武術もなかなか一筋縄ではいかない成り立ちをしていて、一言で説明するのが難しい部類に入ります。

八卦掌というのは中国武術で、それはググればわかることなのですが、何が「ハワイアン」??

ハワイアン八卦掌でググるとただただ武学関連の記事ばっかり出てきます。

ハワイアン八卦掌は、クリス・リー・マツオ師範が忍術、柔術、ハワイでの光岡道場での教え、龍形八卦掌、蛇形八卦掌、チベット密教や道教に至るまで、様々な要素が取り入れて形成した武術です。

基本的にこういった諸流派は「混ぜるな危険」なのですが、複数の体系を比べることによってそれぞれのアイデンティティが純化されて抽出されるという、ハワイアン八卦掌はまさに武学の理念を体現しているかのような武術です。

東南アジア武術のところでも書きましたが、様々な文化から生まれた様々な武術体系がそれぞれ際立って別々のものとして存在しながら、それでもその中にある、同じ人間としての「共有部分」に迫るという感じです。

これってまさにわたしが音楽を通してやろうとしてることなんですよね。(小声)

民族音楽学って昔は比較音楽学って呼ばれていたそうなんですが、わたしがやってることってまさにそれなんですよね。(比較音楽学のままでよかったのにねえ。)

わたしが広大時代にお世話になって今も多大なる影響を受けている古東哲明先生の専門が比較哲学で、やっぱり哲学において光岡英稔が武術によってやろうとしてることをやってるんですよね。

なのでそういう意味では武学というのは比較武術学と言えるんではないかと思います。

様々な音楽を比較することで音楽って何だ、人間って何だ、を問うことと

様々な哲学を比較することで哲学って何だ、人間って何だ、を問うことと

様々な武術を比較することで武術って何だ、人間って何だ、を問うことは

同じことをやってるんだと思います。

それでハワイアン八卦掌はそのコンセプトがひとつの武術体系として結実したものであると、そう言うとほんとめちゃくちゃ魅力的に感じられてきますね。魅力的なのですよこれが。

そんなわけであまりにも体系が膨大なので、数回講座に参加するだけだとそのほんのちょっとの片鱗に触れる感じになってしまうのですが、2-3年やってると、ああ、あれがあれで、それがこれとつながってるのかと、なんというかこう急にビキーンってエウレカ体験がやってきて病みつきになっちゃいますね。

そしてハワイアン八卦掌のテーマとなっているのが、「円周(キワ)と中心」です。これをキーワードとして傍らにおいておくと、理解の助けになると思います。自己中心性、他者中心性、自他中心性の3つの中心性を知っていくという、これだけ聞くと抽象的な概念のお話なのかなとみえてしまいますが、これらは実際に身体で経験されていきます。

武学の講座全部に共通してることですが、概念や観念や想像や妄想に一見見えるようなことを、実際に経験します。昔の人の言ってることってどこか謎めいていて何いってんだかわかるようなわからんようなことが多いのですが、身体で経験して、ああ、そういうことかってなる面白さ。

頭ではわかりにくい、というかわからないんですが、身体が経験してるんで大丈夫。安心してください。経験してますよ。

「比較武学」「円周と中心」

ピンときたかたはこちらの講座がオススメです。

https://bugakutokyo.blogspot.com/p/426gpc-gpc.html?m=1


そしてこちらは来週の金曜日の開催となりましたBUGAKUスピンオフです。

こちらは武学本体からは離れ、課外授業的に不定期で開催していましたが、今年は2か月に1回の開催が決まっております。

光岡先生のこれまでの武術の研究から、「声」というテーマで講習会をやっていただいています。

本当にそもそものそもそものそもそものことをやっているので、実際すぐにパッと自分の活動に使えるようなそんなハウツー的な何かは全然ないんですけれど、これもじっくり声の出るほんとに最初の最初のところから見つめていく、そんな講座でございます。

もともとは声のプロ限定の講座でしたが、最近はどなたでも参加していただけるようになっております。ただもともとの性質上平日昼間の開催になっておりますのでその点ご容赦ください。

わたしがなぜこう熱心に光岡先生の講座を皆様におすすめしているのかというと、これが古楽をやる上でぜひとも必要だと考えているからです。

わたしだけが上手く演奏できるようになればよいということであれば、自分が武学に通い、ひたすら稽古をしてればいいだけの話なんですが、わたしがやりたいのは「文化の再創造」なのです。

自分ひとりだけ上手くなっても意味ないのです。

なのでわたしと志をともにしてくださる皆様には是非ともどれかに参加してほしいと思っています。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSeLoctyYQPe0PRlE4R-xBndgrALk2eXz4m6p1vMZqgbp5GMzw/viewform

クラウドファンディング締め切り間近!

Salicus Kammerchorのクラウドファンディングの締切が間近に迫っております。

今回は前回よりも目標額がかなり上がっているため、苦戦しております。

締め切り3日前の金額としては前回とほぼ同じなのですが、目標が高い分前回よりも苦戦感があります。

昨日コンビニで久しぶりにおにぎりを買って驚愕したのですが、普通の鮭おにぎりが232円もするんですね。。。

しかも明らかに小さくもなってますよね。

もうほんとに何もかも価格が高騰していて、その分もあってクラファン目標額も上がっているわけですが、賃金は上がってないので、苦しいですよね。私たちも苦しいですが、みんな苦しいので、お願いするのも心苦しいところです。

はい。政治をどうにかせんといかんです。皆様が潤わなければ我々は詰みます。皆様が芸術に注げる余力があってこその我々でございます。

それにしても私たちの活動をより多くの方に知っていただくというのは、現状でもできることで、補助金や助成金の類いに(コロナ禍を除いて)縁のない私たちにとっては、サポーターの母数を拡大していくということが生命線になります。

皆様ぜひとも口コミで広げてください。草の根活動が必要です。我々の活動なんぞほんとに吹けば飛びます。いつも綱渡りの自転車操業です。

いつまでも あると思うな 親とサリクス

ということでどうぞよろしくお願いいたします。


緊急ライブ配信!

クラファン締め切り目前のライブ配信を行うこととしました。

配信ページを作りましたので、「通知を受け取る」をポチしていただいて、ぜひリアルタイムでご参加ください。

アーカイブは2-3日は残すかもしれませんが、基本的に期間限定で、その後は非公開にする予定です。

わたし一人で喋りますので、みなさまのお便りが頼りです。何もないと早々に喋ることが無くなりそう笑

なくなったら蟹笛か骨笛か口琴でもやります。

上のページのチャット欄に既にコメントを入れれるようなので、そちらにいただいてもいいですし、Xのダイレクトメッセージなどでも大丈夫ですので、もうじゃんじゃんお寄せください。

前回のカンタータの録音を聴いたり、先日終演いたしました第11回定期演奏会の映像をちょこっとお見せしたりもしようかなと思っております。


東南アジア武術&ハワイアン八卦掌

そしてクラウドファンディング締め切り日の5月31日には、わたしが世話人をしている武学の講座もございます。

なぜこの日程が重なってしまったのかという感じですが、こちらも受講生を大募集しております。

東南アジア武術→https://bugakutokyo.blogspot.com/p/426-gpcgpc.html

ハワイアン八卦掌→https://bugakutokyo.blogspot.com/p/426gpc-gpc.html

空手とか剣術とかに比べると、この2つって具体的に何をやるのかイメージがつきにくいところがあると思います。

東南アジアって広いし八卦掌なら中国武術なんだなと思えるけどハワイアンって何?って思いますよね。

そしてまさにその疑問が、この2つの講座の最も興味深くキモになる部分なのだと感じています。

東南アジア武術の方は、ラオスの「名もない」武術が中心ですが、ローアート(座った低い姿勢での技術)なんかは特定の体系のものではなく、東南アジア各所に伝わる様々な武術にみられるローアートを総合したものなのだそうです。そんなの教えられるの光岡先生しかいませんよね。そしてラオスの武術の特徴は、それが無文字文化圏の武術だというところで、私たち文字文化圏の人間が忘れてしまった身体性がそこにはあります。文字以前の人間の原風景を知るという意味でもめちゃくちゃ面白い体系です。

東南アジア武術→https://bugakutokyo.blogspot.com/p/426-gpcgpc.html

ハワイアン八卦掌は、様々な地域からの移民が入り乱れ、文化の坩堝となったハワイで、八卦掌をベースにしながら、日本、中国、東南アジアなどの様々な武術の要素を取り入れ独自に変化した体系です。それだけでも面白いのですが、更におもしろいのは、文字文化圏(中国)の武術である八卦掌が無文字文化圏であるハワイで解体され、形骸化を免れ本質に迫っているというところで、そういう意味で東南アジア武術と共通するテーマとなるのではないかと思っています。

ハワイアン八卦掌→https://bugakutokyo.blogspot.com/p/426gpc-gpc.html

文字による形骸化というのは、西洋音楽の分野では楽譜による形骸化ということで身近なテーマかと思います。

楽譜があることによって音楽のほんとうのところが失伝してしまったということと、文字によって伝承されることで武術のほんとうのところが失伝してしまったというのは本当によく似た構造です。

失伝してしまった武術のほんとうのところを目指す光岡先生の営みと、失伝してしまった西洋音楽のほんとうのところを目指すわたしの営みは、僭越ながらめっちゃ似てると思っております。

だからわたしにとっては武術をやるということは全くわたしのやっている活動に直結してます。

武術と音楽は「同じ」と言っていいとすら感じています。

武術なので、稽古が辛く苦しいこともありますが、生きることの辛さや苦しさは相当和らぐと思いますよ。

正体がわかれば少なくともまず、漠然とした不安はなくなります。

それだけでもこの講座に参加する意義は充分にあると思います。

皆様のご参加をお待ちしております。

BUGAKUスピンオフ第10弾

BUGAKUスピンオフ第10弾がいよいよ来週4/10に迫っております。

光岡先生による「声と身体」をテーマにした講座です。

音楽家が参加しやすいようにといつも金曜開催になっておりまして、お勤めの方には申し訳ありません。

もともとは声を使ったお仕事の方が対象でしたが、今はどなたでも参加できるようになっております。

わたしが講座や合唱指導などで口走っていることの意味がクリアーになるところもかなりあろうかと思いますので、ヘクサコルド講座に参加されている方にも特にオススメです。

が、光岡先生の提示される身体観は、現代社会を生きる現代人としての私たち皆に共通する課題に対するひとつの答えです。なので全人類にオススメの講座と言えます。(生憎人間以外の動植物にはオススメできません)

「声と身体」をテーマに過去9回開催されてきましたこの講座ですが、毎回新たな切り口で、光岡先生の進化と深化は留まることを知りません。

過去に参加された方も、今回参加されるとその内容の深化に驚かれると思います。

ぜひ皆様参加をご検討ください。

詳細とお申込み→https://forms.gle/7e5wC8TiSefkpuB76


そして、今年度よりBUGAKU本体の方の2つの講座、東南アジア武術とハワイアン八卦掌の講座の世話人を仰せつかることになりました。

私は光岡先生の講座は予定が空いてさえすれば全部参加するというスタンスで臨んでいたのですが、めぐり合わせの妙でこの2つの講座に参加することが多くなってました。

この2つの講座は一見無関係のようで、実はつながっています。

東南アジア武術は「無文字文化圏」の武術

ハワイアン八卦掌は「文字文化圏である中国から無文字文化圏であるハワイにわたって独自に発展した武術」

です。

それがなにがいなというのはぜひ参加してみて感じていただければと思いますが、あえて言葉にするなら、楽譜にすることで形骸化する可能性が爆上がりした西洋音楽と、楽譜にしないことで形骸化を免れたインド音楽の比較し、それら両方を学ぶことで楽譜と音楽の関係性を知っていく、みたいなことです。

そうでなくても東南アジア武術は武術っぽくないユルさが心地良いし、ハワイアン八卦掌はクルクル回って楽しいのでぜひお気軽にご参加ください。

よほどのことがなければ毎回わたしも参加しています。知ってる人がいるということで講座に参加するハードルが少しでも下がればいいなあと思っております。

詳細はこちら↓

東南アジア武術
https://bugakutokyo.blogspot.com/p/426-gpcgpc.html

ハワイアン八卦掌
https://bugakutokyo.blogspot.com/p/426gpc-gpc.html

インド古典声楽とグレゴリオ聖歌

先日開催いたしましたイベント、「インド古典声楽とグレゴリオ聖歌〜研究発表的レクチャーコンサート」ですが、ご要望がありまして、録画を販売することとなりました。

料金はお手頃価格のの1500円です。

レクチャーと演奏合わせて1時間40分ほどの内容となっております。

お申込みはこちら→https://forms.gle/KAB1yED3WSEx6HgcA

ツイッターでお声がけさせていただいたところ、思わぬ反響をいただきまして、2−3個売れたらいいなあと思っていたところ、すでに20名ほどの方にお申込みいただいております。

おそらくですが、演奏会であれば生演奏派の方も、レクチャー部分に興味を感じていただけているのではないかと思っています。レクチャー部分に関しては生でも録画でも得られる情報には違いが少ないと思いますので。

私が6年間ほどインド音楽のレッスンに通いまして、それをグレゴリオ聖歌の演奏にどのように活かしているかということについて赤裸々にお話しております。

後半の演奏部分では太郎さんのバーンスリーが本当にすごいことになっています。

大森の教会の響きがこれほどバーンスリーにぴったりだとは思いませんでした。

神がかった演奏です。

太郎さんのチャンネルからショート動画が上がっています。

パンフレットもついてます。

パンフ冒頭に書きましたまえがきを貼っておきます。ご興味持たれた方はぜひ録画をお求めください。

お申込み→https://forms.gle/KAB1yED3WSEx6HgcA


 グレゴリオ聖歌が楽譜として残され始めるのは9世紀から10世紀のことです。この単旋律のレパートリーが、西洋音楽の源泉と呼ばれるのは、まとまったレパートリーとして楽譜が残っているものとして最古であるからですが、その後もこのレパートリーは、現代に至るまで歌い継がれています。その間グレゴリオ聖歌は不変のものではなく、時代や地域の価値観の変遷に合わせて変化し続けています。ルネサンス期にはルネサンス風の、バロック期にはバロック風の、ロマン期にはロマン風の編曲がなされ、同じ曲であっても同じとは思えないほどの改変がなされることもありました。
 その都度その時代の歌いまわしも変化し、記録としての楽譜は残っているものの、録音技術が発明されるまでは、実際にどのような歌であったか、はっきりとはわかりません。特に最古の記譜法である「古ネウマ」に書かれている歌いまわしについては、わかっていることはほんの一部で(少なくとも私の目から観ると)、その全体像は完全に失伝してしまっていると言えます。西洋音楽の源泉という大仰な看板を背負いながら、実際それがどういうものだったのかはよくわかってないのです。
 私はこの「古ネウマ」を初めて見たときに「私は一体今まで歌の何を学んできたのだ。ここには歌のすべてがあるじゃないか」と感じました。それくらい「古ネウマ」は五線譜に親しんだ人間にとって、衝撃的に情報量の多い記譜法です。
 この「古ネウマ」で書かれた時代のグレゴリオ聖歌の「歌」、つまり「失伝した西洋の歌」の再創造が私の活動の大きなテーマであるのですが、その途上で出会ったのがインド古典音楽です。バーンスリー奏者の寺原太郎さんに習い始めて私は、「古ネウマ」と出会ったときと同様に、「私が今まで学んできた歌は一体何だったんだ」と白目を剥きました。それはもうカンブリア紀並に、歌の世界が広がり、旋律に対する解像度が爆発しました。その結果今では「古ネウマ」に書かれているのは歌の1%くらいなんじゃないかと感じています。そして裏を返せばそれくらい五線譜に書かれた情報(音高と音価)というのは断片的で、歌の0.001%位なのではないかと思っています。
 インド音楽を学びつつ、師匠にグレゴリオ聖歌を聴いてもらい、歌いまわしを相談しながら、「古ネウマ」の、特に「装飾ネウマ」と呼ばれるタイプのネウマについて検討を重ねました。その結果、それぞれの装飾ネウマについて、ある程度確信を持って、こうだったんじゃないかという歌い分けを決めることができています。それが決まったとて(それは歌の1%にも満たないので)、グレゴリオ聖歌がとても美しく歌えるというわけではないのですが、ここでその経緯と結果を一度発表させていただきたいと思います。
 そしてこの営みの中でわかってきた点として、グレゴリオ聖歌とインド古典音楽にどのような共通点があり、どのような相違点があって、いかにインド音楽の発想がグレゴリオ聖歌に活かされるのかということも整理してお伝えしようと思います。
 再創造した「歌」に説得力があって、それをもってこの営みに共感していただくのがもちろん一番なのですが、それを補足するものとして、またなぜそういう歌いまわしに至ったのかという疑問にお答えするという意図もあって、この度のレクチャーコンサートを企画しました。この企画を通して、「失伝した西洋の歌の再創造」の営みの輪に加わってくれる方が、一人でも増えると嬉しいです。