プロとしてのパフォーマンスが保証できないので、今後マスクありでの本番のお仕事はお断りします。
プロとしてのパフォーマンスが求められない場合はこの限りでないこととします。
毎回お仕事の依頼があった時に確認すればいいので、ここにわざわざ書くことでもないのですが、そういうお仕事は依頼しないでくださいという表明にもなるので、ちょっと迷いましたが公にすることにしました。
歌を歌わない方には(中には歌を歌う人でも)そんな大したこと?って思われていると思うんですが、大したことです。歌い手としての尊厳に関わる話だと思います。
音響
フェイスマスクをすることで、声の「通り」を生むシンガーズフォルマントと呼ばれる3000Hz帯の倍音がカットされることが明らかになっています。
私たちはこのシンガーズフォルマントを増減させることで音色の調節を行い、抑揚や表情をつけています。この帯域がカットされてしまうと、迫力のある表現も、繊細な抑揚もできません。
呼吸
呼気の方でそんな一瞬で大量に吐くということは殆どありませんが、吸気の方はそうはいきません。瞬間的に息を吸わなければならないところではマスクによってかなり吸気量が制限されます。
アンサンブル
私たちはアンサンブルするとき、表情や口の動きを見ながら、それらによってお互いに影響を与え合いながら演奏しています。表情は特に重要で、リハーサルにない表現が降りてきてしまった時など、音響が伝わる前に表情によってそれを察するということもよくあります。
また口の動きについてですが、特に昨今ソーシャルディスタンスを保って演奏しなければならないため、口の動きによってタイミングを合わせざるを得ないことも以前に増して頻繁にあります。
表情
表情はアンサンブルとしてお互いに影響を与えるということもありますが、聴いている方にとっても重要なファクターとなります。目は口ほどに物を言うのです。
胸の経験が消える
これは実際に経験してみないとにわかには信じられないかもしれません。私の受講している武術の講座で、マスクをした時としてない時で正座で向かい合った状態で胸を押してみる。という試し稽古をやりました。するとマスクをしている時では明らかに踏ん張りが効かず、形状を維持できなくなりました。ぜひみなさん身近な方と実験してみてください。これを武学では「胸の経験が消える」と表現しています。これによって、他人に共感することが難しくなるということもあるようです。
気になる
なにしろこれが一番大きいのですが、以上のようなことが気になって、演奏に集中するのがものすごく難しいんです。どのくらい音響が変化しているか、誰がどのタイミングで発音しているか、自分の発音のタイミングは伝わっているか、誰がどういう表情で歌おうとしているのか、自分の表情は伝わっているか、それらにお互いにどのくらい共感できているか。これらのことをマスクを計算に入れながら演奏を組み立て直さなければなりません。そんなこと考えながら、いい演奏ができるわけありません。
もしかしたら以上のようなことをすべて計算し尽くした上でプロフェッショナルとしての演奏を保証できるほどの実力の人というのもいるのかもしれません。
が、それでも間違いなく言えるのは、ベストな演奏はできません。
私もそれなりの演奏ならできるかもしれません。でも私は音楽家として、ベストな演奏ができないとわかっていて本番を迎えるのは耐えられません。
例えばプロスポーツの世界で、マスクありで競技を行っていることってあるんでしょうか。
近所をジョギングするならともかく、マスクをした状態でフルマラソンを走って、自己ベストが出るでしょうか。
マラソンと音楽は違う?だとしたら私とあなたでは「音楽」の定義が違うんだと思います。
私たちはいつだって自己ベストな演奏をしようと思ってステージに立っています。
そうでない演奏家はいないと思います。
今日から飲食店での酒類提供、営業時間短縮の制限が解除されるそうですね。
どうか音楽家に対しても、もう少し理解のある対応をしていただけないでしょうか。
櫻井元希