当たり前のこと

何でもそうだろうけど、自分が何の為にそれをやってるのかが見えなくなったらおしまいだと思う。

根幹を根幹として見て、枝葉を枝葉として見ること。
意味も理由も必然性も何もありません。ただやりたいからやってるんです。
と胸を張って言えるように。
何をするにしてもそうだと思う。
なぜ、なぜ、なぜを問う子どもに大人が何も答えられないように。
なぜに対する答えは何もないのだから。
古東先生が最初の授業で開口一番言ったことは
「ご存知のように皆さんが生きていることに意味はありません」
だった。
当たり前のことを当たり前に言うことは難しい。
でもそうだそうだと思っていることでも、誰かの口から聞けると感動する。
共感するということは感動するということだと思う。
古東先生の口癖、今の言葉に繋がる言葉はこうだ。
「むしろだからこそスゲー」
だから、意味のないことを、恥じることなく胸を張ってやり続けるしかない。
生き続けるしかない。

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想う

昨日長谷部が言ってたけど、僕も悩む事が好きなんだと思う。

悩むというのは選択肢があるということなのでそれ自体幸せなことではなかろうか。
そして高木義之曰く、悩むことはどうでもいいことだから。どうでもいいことを考える事ほど楽しいことはない。
例えば、あざみ野駅前の飲み屋のにいちゃんがJOYに激似で実は本人じゃないだろうかとか、そういう妄想は楽しい。
うん。ほんとにどうでもいいけど。
mixiの日記を振り返ると同時に、これまたなぜだかわからないけど広大の時の論文を読み返してみた。
これは読破するには至らなかったけど。あの頃の僕は今よりよっぽどものを知ってる。
反省。
広大での経験というのは僕にとって本当にかけがえがない。
今となってはそのあり得ない奇跡的な一瞬一瞬があまりにも眩しく輝いていて直視できない。
日食グラス買おうかな。
思い出すだけであまりに胸を締めつけるので血の気が引いて息もできない。
今の自分もきっとそうなんだと思う。
明日の自分にとっては。
胸を締めつけるような瞬間を、僕らは日常としてる。
思えば本当によく似ていた。JOYに。そして素晴らしい接客だった。
胸を締めつけるほど愛おしい。JOY似のお兄さん。
蕎麦も美味かった。焼き鳥も美味かった。胸を締めつけるほどに。
今日伺った合唱団のメンバーが、先日亡くなったそうだ。
今日は告別式で、団の代表の方が参列された。先日のモツレクの録音を流し、次回演奏予定の、歌いたかったエリアの楽譜を胸に。
なんと幸せなことか。きっとその方に演奏録音は聴こえていたし、今も歌っているに違いない。
癌だったそうだ。そして入団された時には既に末期だった。
この7月、祖母を癌で亡くし、ほぼ同時に叔母も癌に冒された。
今年はなんかそんな年らしい。次々に身の回りで人が倒れていく。
今ちょうど8番のカンタータを演奏しているが、自らも日々傾いていくこの生命について想う。
5年前の自分と同じように、光り輝くかけがえのない生を今も生きている。
亡くなった祖母はこのところ週一くらいのペースで夢に現れてくれるが、ほんとに日に日に元気になってる。
自分でトイレから帰ってこれるようになったし、食道癌で1ヶ月以上何も喉をとおらなかったのが嘘のように、なんでんかんでんうまそうに食いよる。
なんと胸を締めつけることだろう。
キリスト教の死生観なんか、知ったことか。死者は僕らのすぐそばに確実にいる。
愛の塊のような人だった。
ありがとう。
ありがとう。

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