先週日曜日、光岡先生の講座にまた参加してきました。
前回初参加で、午前と午後のコマに参加しましたが、今回は午前午後夜間の3コマプラス忘年会と、ほんとに一日中武術に漬かってきました。
実は前回記事にした内容は、ほぼ午前中の内容で、午後の内容はあまりにちんぷんかんぷんで、文章にできませんでした。
今回2回目で、前回わからなかった部分が少しはわかるようになるかなと思って参加しましたが、逆でした。謎は深まるばかり。
ただ、わからないことをわからないままになんとなく受け入れる、という心構えが生まれた気がします笑
いや正直言いましてね、今までどんな専門的な内容でも教われば大抵のことはわかると思ってましてね、こんな頭のてっぺんからつま先までまるで言ってることがわからねえって体験は初めてだったんです。
ですが多分それが普通で、光岡先生もわからないもんはわからない的なことを仰っていたので、むしろ理解しようという姿勢そのものが間違ってるんだと思います。
Don’t think! Just feel!
ですな。
というわけでここから書く内容は私もぜんっぜん理解してません笑。
なので前回の記事のようにストーリーにもなってないのでご了承ください。
なんかこう、調味料を一個一個並べて味見してる感じだと思ってください。多分これが料理になって全体を味わうことができるようになるのはまだ相当先です。
前回のおさらい
- 2足歩行よりも4足歩行の方が脊椎の自由度が高い→脊椎の自由度は末梢の自由度にかかわる
- 2足歩行のまま、4足歩行の機能を得るために、前後表裏、右左表裏、上下表裏を理解し、それが一致している時に起こる作用、不一致の時に起こる作用を知る
- 右手は甲が前、左は手のひらが前の時に、前後表裏と右左表裏が一致(定位)し、逆の時は不一致(不定位)する。
- これらは陰陽学の思想だが、この思想がどういう経験から生まれたものなのかにアクセスし、どういう身体観を持っていたかにアプローチする
- 気と血(感覚)の違い、感覚が生まれる前にある、気の状態がどうなっているか
- 武術では、感覚が起こった時には既に勝負が決している(やられてからやられたことに気づいては遅い)
- なので血が起こる前の「気」の方を注目するようになった
- 気が血を導くことを勁道という
- 勁道を通すための「型」や「式」
- 二足歩行でありながら四足歩行の働きをもたらすのが「型」や「式」
- ただし、型のような「動法」ではなく、「観法」でもそれができる(勁道を通すことができる)
基礎クラス
ここからが今回の内容
- 気=見えない、感じられない、触れられない、実体がない。けど、ある。
- 血=見える、感じられる、触れられる、実体がある。
- 血が無いところに「気」があるのではないか
- 「気」を見るということは、見えないところを見るということ
- 気と血の狭間を見る
- 「観法」とは観ること、観えるからわかる、わかるからできる
- 空想とは違う。バーチャルな自分を頭で見るのではなく、リアルなからだをからだで観る
- 「イメージ」とか「イメトレ」とか言う場合、この空想のことを指しているのか、観法のことを指しているのか、注意が必要
- 前進には定位が適しているが、後退には不定位が適している。後退は生物にとっては超常現象
- つまり前進しにくい方が、後退しやすい
- からだには、軆躰體骵の四つがある。軆は右前に、躰は左後に、體は左前に、骵は右後にある☜非常ーーーーに難解
- 躰から軆が生じ、骵から體が生じる
- 前進の観法は、軆から躰を観る。生じる方向は躰から軆だが、観るときはそれが観えるように反対から観る
- 後退の観法は、體から骵を観る、ただ軆や躰よりも観えにくく、消えていくように観える。軆→躰→體→骵の順番で「無さ」が増えていく
- 軆を観るときは外側からからだを「省み」るように
- 躰を観るときはからだから外側に「観る」
- そしてここからさらに難解なのは、體を観るときはからだの右後側の内側から左前を観る
- 骵を観るときはからだの左前の内側から右後を観る☜めちゃめちゃ難解
- さらに、これら四方のからだを上下にも観ることができるそうで、右前上、とか、左後下というように観るそうです。これを四方八方のからだと言う
- 後退の経験から人間は時間の概念を構築した
- 「経験」には覚えている経験と覚えていない経験がある
- また①個人レベル、②種として、③生命としてという3種類の経験がある
- 個人レベルだけでみても、覚えている経験は1%以下、種として、生命として覚えていない経験は、なお覚えている経験よりも遥かに豊か
- いかにこの「覚えていない経験」にアクセスするか
- 科学は「覚えている経験」の集積
- 科学でわからないことがあるのは無理のないこと
応用クラス
この辺りまでで午後が終わったように思います。
夜間の応用クラスでは、実践にほとんど時間が費やされ、メモは1つだけでした。
- 型・式の勁道三種 ①同時そろい型 ②交互入れかわり型 ③連続一形一同型
つまりこれは、不定位を定位にする時に、左右が同時に転換するタイプと、左右が交互に転換するタイプ、そして3つ目は記憶が怪しいのですが、同じ型を左右で入れ替えて連続でやるタイプだったように思います。
応用ではそれまでの基礎を踏まえ、動法からより観法の方にシフトしていったように思います。
動法によって不定位を定位にするのと同様に、観法でも不定位を定位にできます。
そして、からだの見方についても、先ほどの見方に加え、身を観る、骨を観る、という見方もあるそうで、もうちょっとこの辺は僕も混乱しているんですが、體とかの骨と、軆とかの身と通じているのだそうです。
でも軆とか體とかがからだの外側にあるのに対し、身を観る、骨を観る、というときは実際の身(肉)とか骨のことを言っているようでした。
骨を観る、というのは結構わたしにもわかりやすく、確かに骨を観るようにするとからだが機能した感じがする、というか実際に機能しました。
実践を伴いながらやるので、観えてるときは技がかかるし、観えてないとかからない。
相手がガチでやってくれている限り、自分がほんとに観えてるかどうかは、相手を通してはっきりとわかります。
骨が観えて、技がかかる時って、全く身的な力っていらないんです。はっ?てくらい楽にからだが動く。そして受けている方も、力がかかっているという感覚がないんです。大して力を感じないのに、全く耐えることができない。
観法って普段からやるし、できてるつもりでいたけれど、相手を通してシビアに判断されると、自分観たつもりになってただけやなってことが痛いほどわかりました。
あと相手がいて初めてわかるのは、「照らし観」(聞いただけなので漢字があってないかもしれません。てらしみです)ということ。
小手投げっていって、相手の手だけ持って全身を崩すというのをやったんですが、自分のからだが肘まで観えてるときは相手も肘まで技がかかる。腰まで観えてるときは腰までかかる。膝やくるぶしまで観えて初めて相手のからだ全体を崩すことができるのだそうです。
つまり、相手に技をかけているときに、観ているのは相手ではなく自分なんです。
「観るとこ自分しかないからね」って仰っていましたが、これはもう、なーるっほど。でした。
アンサンブルなんかやってるときもそうですよね。音楽の場合、相手をどうこうするわけではないですが、何かこう仕掛けようとしたときに、自分でなく相手の方をみていたら、暖簾に腕押しって感じで空回りするばかり。
何か作用を起こそうとするときは自分を観てなきゃだめなんですよね。
また聴衆と演奏者の関係もそう。
演奏者が聴衆の心を動かそうとして自分がみえなくなると、ほんとお寒いものにしかならない。
「相手を通して自分を観る」
この発想はダイレクトに音楽にも応用できそうです。
あと今回印象的だったのは、「心気体」の話。
私ずっと「心技体」だと思ってたのですが、これは誤った伝承なのだそうです。
今までずっと「心技体」だと思って話してた自分が恥ずかしい、、、。
言われてみれば確かに心技体よりも心気体の方がしっくりくる気がします。
「技」は結局「体」に含まれてる気がするし、「技」ってほんと「体」の邪魔ばっかりするよなあという実感があったので、「技」が心や体と並列にされて敬われていることに違和感がありました。
しかし「心気体」なら、どれも欠くことのできないものとして納得できます。
心気体を心技体だと思っていた私は、技に溺れて気を失っていたんですね笑。
忘年会
そして夜は忘年会、2回目の参加でいきなり忘年会にも参加ってなかなかやなって思ってましたが、初参加で3コマプラス忘年会という猛者すぎる国語の先生もいらっしゃったので、臆せずにすみました。
しかしですね、皆さん、光岡先生とお酒飲むってだけで緊張するのに、なんとこの会にですね、甲野善紀先生までいらっしゃったのですよ。
ウワーッ、、、テレビで見たことある人だーー、、、的な、、、。
しかもなぜか私光岡先生、甲野先生の並びに座ってしまってもう心はふーわふーわ。
その前に武術の稽古してなかったら確実に幽体離脱してたことでしょう。笑
しかし酔っ払ってしまえばこっちのもの、空手の先生と、マイノリティつらいっすよねえ話で盛り上がりました笑
やっぱなんかしら疑問持ちながら追求して、闘ってる人がこういうところには集まるんだなと思いました。
この週末は金曜に灰野敬二さんにお目にかかり(見ただけですけど)、日曜に光男先生と甲野先生にお目にかかって酒まで飲むという凄い週末でした。
そのおかげか昨日から声の調子が明らかにいいです。今までになくスムーズに、いい音色でミックスにいけるかんじ。
あと今朝しゃがんだ状態から立ち上がるときに不思議な感覚がありました。
なんというか、噓みたいですけど、立とうと思ったら、もう立ってたんです。何このスピード感。スゴ。ってそれ一回きりでしたけど。
なんだかからだの部品の一部が交換されちゃったような感覚です。
今週末は叔母の桜井真樹子の声明の講座に行ってきます。
きっとまた人生を刷新するような経験ができることでしょう。楽しみです。
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Salicus Kammerchor
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公演情報
次回は第5回定期演奏会
J. S. バッハのモテット全曲演奏会です!
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昨年10月に開催されたLa Musica CollanaとのジョイントコンサートのライブCD
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