光岡英稔 BUGAKU講座|24-25回目

先月はほんといろんなことがありまして、BUGAKUの講座に参加できませんでした。

やっぱり2か月空くとちょっと体調に影響します笑

今月は2コマ、剣術とハワイアン八卦掌に参加できました。

シラットと韓氏意拳の方にしばらく行けてないのが気がかりなのですが、金曜日は予定入りやすいんですよねえ。。

今回も私が理解している範囲で書きまとめていきたいと思います。


これまでのレポート
1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
3回目 https://is.gd/Gm9C17
4回目 https://is.gd/37Oxg1
5回目 https://ux.nu/AmsQM
7回目 https://is.gd/xiBfFB
8回目 https://is.gd/tbIYiI
9回目https://is.gd/BnOQit
10回目https://is.gd/RczZH5
11回目https://is.gd/ayTQMA
12回目https://is.gd/zHtNYL
13-14回目https://is.gd/YXuCSM
15-17回目https://bit.ly/3PEGYgt
18-19回目https://bit.ly/3NRSUKy
20-23回目https://bit.ly/3p63TWg


剣術

これを書くにあたって質問しようと思っていたことを質問し忘れてしまいました笑

また曖昧な記述が多くなることをお許しください。

この日は観法から。別のタイミングで光岡先生が「基本にして奥義」ということを仰っていたのですが、観法ってまさにそうだよなあと思ったのは私の見解です。

導観法もいろんなやり方があって、その日のテーマに沿った観方を教わるのですが、これなかなか一人稽古でできないんですよね。「身体を観る」というただそれだけのことなのですが、場の力なのか、光岡先生に導かれると、一人稽古の時では行けない深ーい世界に入っていけます。

陳腐な言い方ですが、身体の解像度が全然違います。眼鏡かけてる時とかけてない時くらい違います。


この日は板書的なことはほとんどなく、ひたすら動く稽古でした。これもなかなか不思議で、ひとまず頭で理解してからやりましょうか、という時と、まあとにかく身体を動かそうぜっていう時と、あるんですよね。これも私の勝手な理解ですが、両方の要素が必要なんだろうなと思います。

わからないことをやろうとしても難しいし、ともかく身体を動かしてわかることもある。


後で気づいたのですが、この日は刀を振るという動きが全くありませんでした。

思い起こせば前回もそうだったような。。。。

剣術の講座としては多分普通の事ではないですよね笑

今回教わったのは「ある構えから別の構えに丁寧に移る」という文字にしたら、マジでそんだけのことですか・・・!っていう内容なんですけど、それはそれはディティールが凄い。

物理的な形のディティールと、観法のディティールとこれ両方丁寧にひとつひとつ行っていくのはなかなか至難の業です。

刀身と自分の身を揃えるというのが剣術の観法の基本なのですが、これだけとってもまあそんなぱっぱっぱっとはいきません。時間がかかります。焦れてここが雑になると稽古が形骸化します。

加えて、私が中学時代に剣道として習っていた剣術は「一刀流」がベース、光岡先生の剣術は「新陰流」がベース(不正確でしたらご指摘ください)ということらしく、複雑さが段違いです。

中学レベルの剣道で私が習ったのは中段の構えだけで、一応上段と下段、八双とかこういうのあるよ、というのは知識としては教わりましたが、実戦で使うことはありませんでした。

中段の構えは、左足が常に後ろで刀を正中で構える。これ1個だけ。

だからそもそも構えから構えへ移るということ自体がなかったわけです。

それに対してこの日光岡剣術で習ったのはセイガン、ジョカクセイ、左右の上段の四つ(構えの名前についてはいろいろあるそうです)で、それぞれ右足前の時と左足前の時があるので×2で8種類。

歩を進めつつ(とはいってもこの日はたったの一歩)8つの構えを丁寧に移っていく。

それぞれの構えの際に刀身と身を揃え、揃ったら移行し、次の構えでまた揃え、一歩進んで8回構えるだけで結構ヘトヘトです。

形自体、あと動くときに踵から動くのかつま先から動くかなど、物理の段取り自体も実に精妙でディティールが超厳しい。しかしそれに全て理由がある。

やっぱり広めようとすると単純な方がいいに決まってるけど、人間も自然もそんな単純にはできてないんですよね。

そんなことを感じた回でした。

ちょうど、頭のいい人は難しいことを易しく伝えられるみたいなテンプレートをまた言ってた人がボコボコにされてまいたが、そういう言い訳ほんとに見苦しいですよね。

頭が良かろうが悪かろうがカオスはカオスなのよ。


ハワイアン八卦掌

この頃顕著だなあと思うのは、グループプライベートクラスの各クラスのメンバーの違いです。

多分今回の剣術と八卦掌でかぶってたのは私だけじゃないかな・・・?

光岡先生も2-3個に絞った方がいいと仰るのですが、私の場合仕事の都合で出れないことも多いので、とにかく出れる時に出るというスタンスなのです。

私は比較哲学や比較音楽学が好きで、光岡先生がやってることも私の目には「比較武学」に見えてるので、そういうところも合ってるのかなあと思います。

なので私はしばらくこのスタンスで続けようと思ってます。

八卦掌はこの日も観法から入ったのですが、この日の観法は一段と凄かった。

あまりに芸術すぎて集注できないくらい感動してました笑

私がこんなこと言うのもなんですが、コンサート行くより稽古に来た方がいいですよ。その方が芸術に出会えます。


八卦掌では「際と端から中心を知る」ということを教わっていて、最初はちんぷんかんぷんだったのですが、何回か通ってるうちに、少しずつわかってきました。

「物理としての中心」も、「観念としての中心」も、私にとってはかなりわかりにくいなあと思っていたのですが、「経験としての中心」というワードが今回出てきまして、あーそれならわかるかも、と思いました。

多分普通に生きてると、観念としての中心と、経験としての中心の何が違うのかわからないかもしれません。この区別は結構難しいと思いますが、「中心」という経験が私の身体にあるなあ、と、私は思いました。

稽古としてはこの日はopen palmとclose palmの形で外力をかけてもらうということをやりました。後足に外力を受けられると形を保てるのですが、他のところで受けてしまうとそこに力みが出ます。

そのまた違った形の稽古として、肘を水平に出して、両手で押してもらうという稽古も教わったのですが、これがまた非常ーーによくできた稽古で笑、もうこれどう考えても受け止められんだろっていう形してるんですよね。

やっぱりまだ頭で「どうやったらこれを受け止められる形にできるだろうか」とか考えちゃうんですけど、全然そんなのは屁のツッパリにもならんのですね。ただ後ろ足で受けるってそれだけのことだという発想の転換というかもう発想ですらないと思うんですけど、ともかくそのくらいのエウレカがないと絶対無理笑。

それで思ったのは、これってうまくいっても別に楽ではないんです。足にはくる。普通。足が足らければ足がきつい。

脱線しますがこれってボイトレにも同じことが言えて、楽だから正解というわけではないんですよね。

きっついしめっちゃ声枯れるっていう場合でも、それはそこが足らないだけってことかもしれない。

ただ八卦掌の稽古では肩じゃなくて足にきてればオッケーなんですけど、歌の場合そんなにはっきりわかんないんですよね。

だからこのきつさが正解なのかどうか判断が難しい。

特に最近はリスクを避けすぎてるというか、きついのも汚いのも危険なのもやりたくないってそりゃあわかるけど、そうしないと身につかないものってあるよなあと。


この日、終わった後ネパール料理屋で夕飯をご一緒したのですが、この時光岡先生が、

「思ったことそのまま直接言ってくる人は信頼できる」

的なことを仰ってまして、私目から鱗が落ちました。

完全に自分の発想の外でした。

私言いたいことが言えないのが自分にとって一番ストレスだという自覚があるのですが、振り返ってみると誰にも言いたいことなんか言ってないですね笑。

私が言いたいことを言ってしまうと社会生活を営めないので。

しかしまあそれって誰も信頼してないってことなのかもしれない。その上私に言いたいことを言ってくる人もいないので、誰からも信頼されてないということなんだなあと。

何かあったら黙って去るのが常だもんなあ。

どうしようかなあ。困ったなあ。

まあゆっくり考えようと思います。


9月は来週からコンサートが毎週あります。

まずこちら。

私emulsionとしては最後の舞台です。

合同ステージではソロもやります。

https://tiget.net/events/170962


つぎはこちら。しかしこちらはもう完売してしまっております。。。

一応キャンセル待ちは受け付けております。

http://www.ne.jp/asahi/vocal.ensemble/alamirejp/concert.html


そしてこちら。

https://www.facebook.com/events/598619378487030

おばさんの企画に乗せてもらいます。

私はレクイエムを歌います。Gradualeまでですが。