自己紹介します

自己紹介します

最近このブログの記事のラインナップを見ても、お前は一体何者だ、結局何がしたいのだと自分でも思いましたので、改めて自己紹介しようと思います。

これが私、櫻井元希です。

この写真いいですよね。昨年のemulsionのコンサートの時に平舘平さんに撮っていただきました。

これだけだとなんだかやばい人だと誤解されそうなので、自意識過剰に自分が写ってる写真を集めてまとめてみました。↓


本業

私の本業は歌手、指揮者です。専門はバロック以前のキリスト教声楽作品です。

その中でも特にフォーカスしているのは、グレゴリオ聖歌、フランドル・ポリフォニー、J. S. バッハです。


歌う方

Ensemble SalicusemulsionEnsemble XENOSThe Cygnus Vocal Octetヴォーカル・アンサンブル カペラ古楽アンサンブル コントラポントなどで歌っています。

大体古楽と呼ばれる1750年以前のクラシック音楽が多いですが、emulsionやThe Cygnus Vocal Octetではもっと新しいものや、バーバーショップなどポップスに近いものなんかも歌っています。

声種はなんなんですかと聞かれることも多いのですが、最近あんまり気にしてません。歌わせてもらえるんであればどこでも歌いますよというスタンスです。

アルトからバスまでならどこでも、という感じですが、シグナスではちょろっとソプラノを歌うことになったこともありました。ホイッスル練習してソプラノも歌えるようになりたいなという希望もあります。

そういうことも滅多に無いのですが、どうしても書類に声種を書かなきゃいけないとかいうときは、間を取ってテノールと書いてます。

最近「声楽家」ではなく「歌手」を名乗っているのは、私の中の声楽家のイメージと、私のやっていることがあまりにも乖離してきたので、「歌手」としています。


指揮の方

指揮は主催しているプロの室内合唱団Salicus Kammerchor、アマチュア合唱団Chor Eleusisと、バッハ・カンタータ・アンサンブルで振っています。

指揮をするようになったのは芸大のバッハ・カンタータ・クラブがきっかけで、モテットやカンタータやミサなんかをやりまして、そこを引退する時に、振るとこなくなっちゃうなあと思って、2015年にSalicus Kammerchorを作りました。

サリクスではまずJ. S. バッハのモテット全曲演奏、全曲録音に取り組み、2019年にモテット全曲録音CDをリリースしました。

現在はJ. S. バッハから時代をさかのぼり、ハインリヒ・シュッツの作品をメインで取り上げるシリーズを進行中です。5月に第7回定期演奏会を行います。

秋にはJ. S. バッハのカンタータを演奏します。直近ではこのシュッツのシリーズとカンタータのシリーズの二本立てとなっております。

Chor Eleusisは2019年に立ち上げたアマチュア合唱団で、サリクス同様グレゴリオ聖歌からJ. S. バッハまでのキリスト教声楽作品をレパートリーとしています。

立ち上げ早々コロナ禍に突入してしまいまして、まだ演奏会が出来ていないのですが、毎週地道に地力向上を目指して練習しています。

バッハ・カンタータ・アンサンブルは師匠花井哲郎がやっている団体で、器楽も合唱もアマチュアでJ. S. バッハのカンタータ全曲演奏を目指している骨の太い団体です。

数年前から花井先生と交互で本番の指揮を振っています。


本業以外(に一見見える方)

ここまでのところはまあ音楽家としてそこそこ普通かなと思う部分なのですが、ここから一見本業とは関係なさそうな活動のお話です。


武術

このブログでもしょっちゅう更新しておりますが、光岡英稔先生のもと武術を稽古しております。

光岡先生は韓氏意拳という中国武術の日本の代表であると同時に、世界の様々な武術を修めて、講座で教えてくださっています。

ほぼ毎回このブログでレポートしているので、詳しくはそちらをご覧いただくとして、なぜ私が武術をやっているのかというところをお話したいと思います。

きっかけは、学部卒業くらいのときに、徳久ウィリアムさんのボイトレを受けに行ったということです。

おそらく7−8年前くらいの話ですが、この時すでに徳久さんは武術からインスピレーションを受けたボイトレをやっていました。

我々が普通にボイトレと言って想像するのは、現状の声を聞いて、それに対してそれをどういう風に変えたいかというところからアプローチするというのが基本かなと思います。

徳久さんのボイトレは、「状態が行為を生む」という発想の元、出ている声をどうこうするのではなく、望んだ声を出すための「状態」の方に着目します、そして声そのものではなく、「状態」にアプローチします。

(あくまで私が徳久さんのボイトレを受けた上での印象なので、気になる方はぜひ徳久さんのボイトレを受けてみてください。)

それでまあ声という現象ばかりを追っていた私にとっては目から鱗でございまして、そのおかげで今の私がいると言っても過言ではありません。

そしてその徳久さんの武術のお師匠が光岡先生ということで、光岡先生の講座に通うようになったというわけです。

ここで学んだことは、歌や指揮のみならず、生きて在るということに関して私の指針となっています。人間とはなにものか、身体とはなにか、自然とはなにか、生きるか死ぬかというあまりに身も蓋もない状況下で生まれた「武術」は、こういった最も根源的な問いに対する示唆をシンプルに、ストレートに与えてくれます。


特殊発声・ノイズボイス

ここでお話するのは、上記の徳久さんにまつわる活動です。

特殊発声というのは、何に対して特殊かというのがめちゃくちゃ曖昧な定義ですが、コエダイr合唱団の活動を想像していただくと大体こういうもんかとわかっていただけるかと思います。

これはイタリアサルデーニャ島のテノーレスという芸能ですが、こんな感じの曲をレパートリーとしています。

他にブルガリアン・ヴォイス、ジョージアの男声合唱、オルティンドー、ホーメイ、ヨーデルなどをやっています。

これをまあなんでやってるかということなのですが、まず第一にこういうのが好きだからです。

特にホーメイやテノーレスは昔から憧れがめちゃくちゃあって、日本でまさかテノーレスを歌える機会があるなんて10年前は想像だにしませんでした。ドリームズ・カム・トゥルーですね。

それでやってみて感じたり、わかってきたのは、こういった特殊と呼ばれる発声方法は、ボイトレ的に普通の声を出すにあたっても良い効果がめっちゃある、ということです。

普通の発想だと、こんな変な声出したら喉を傷めそうとか、声出なくなりそう、とか思いそうですが、真逆です。

ますます健康になりますし、ますます声は出るようになります。

いろんな声出すのが良いことだというのは最近ボイトレ業界でも言われるようになっています。私の経験だけを根拠にしているわけではないです。

ヨーデル、カルグラ、喉詰め、オルティンドー≒ベルティングは私のボイトレのレッスンでは普通にツールとして使います。

そしてノイズボイス。これは徳久さんのオハコです。

去年の灰野敬二さんとのDUOを聴きに行ったのですが、衝撃的に良かったです。

こういう声(?)を使った企画でノイズボイスカラオケというのに参加しているのですが、ほんとデトックスです。私たちには叫びが足りなかったんだなあと思います。

そしてもちろん喉には良いです。翌日めっちゃ調子いい。出来なかったことが急にできるようになったりします。

呼気にしても吸気にしても、やっぱりノイズボイスが一番気圧がアガります。


ビートボックス

ビートボックスもまず単純に超ハマってます。ただただ好きです。

クラシックの演奏家の中で多分一番ハマってると思います。

ビートボックスについて書いた記事はコチラ

お読みいただければいかに私がビートボックスを愛しているかをわかっていただけると思います。

それでビートボックスの文化って面白くて、オリジナルの技とか自分で作ったらすぐチュートリアル動画出すんですよね。新しいものがすぐオープンソースになる。素敵ですよね。

そういうのを観て私もやってみよーとか思うんですけど、これがね、おっどろくほど何もできない。私かなりいろんな声出してるし、そこそこ発声に関わる筋肉も鍛えてる方だと思うのですが、マジで手も足も出ない。それどころか何を言っているのかさえわからない。

https://youtu.be/9yEKHmCgovY

こういうのです。マジで意味がわからん。

ただこういうの観ていくと思うのは、見えるところでも舌の筋肉の盛り上がり方とか異常だというところとか、見えないところではきっと想像もできないことが彼らの体内で起こっているということ。

人間のポテンシャルに関する見方が変わりましたね。

マジで無限大過ぎる。

自分の想像力なんてハナクソみたいなもんですね。

でまあ出来ないなりにビートボックスを練習していくと、まあ出来ないなりに上達はしていって、それに伴って声を支える筋肉もついていってる感じがするんです。

この後紹介する岩崎ひろきさんもビートボックスをボイトレに取り入れているのですが、発声に必要な筋肉を鍛えるのに結構ビートボックスは最適かもしれません。

普通に声を出しているだけでは決してかからない負荷をかけることができる。


将棋

将棋もただただ好きなだけです。趣味です。

けど将棋と音楽の共通点は多いと加藤一二三先生も仰っておりますし、もの凄くコアのコアのところではそのとおりだなと思います。

まっさらではない盤面に二人でせめぎ合いながらいっきょくの世界をアンサンブルして、同じ戦型を何千回指しても全く同じ将棋は一回もない。

特にフランドル・ポリフォニーの世界観に似てると思います。宇宙の真理を探求してる感じですよね。

また、AIについての加藤一二三先生の言葉を引用しましょう。

車は人間が追いつけない速さで走る。しかし、車が登場したからといって陸上競技の百メートル走が廃れることはなかった。百メートル走は、今なお観客を魅了し続けている。

音楽もそうですよね、初音ミクのように正確に歌える人間はいないけど、それはそれ。初音ミクは初音ミクだし、人間は人間。


ボイトレ

私は現在3人のボイストレーナーに習っています。小久保よしあきさん、岩崎ひろきさん、mahoneさんの3人です。

それぞれの先生にそれぞれ違うことを学んでいます。

ポップス系

小久保先生はマイケル・ジャクソンも受けていたメソッドとして有名なSLSバックグラウンドのボイストレーナーで、ポップス系の発声をメインで教えています。

いわゆるミックスボイスというやつを教えてもらっていますが、最近はコーチング的なアプローチが多く、自分が一体どういう声を求めていて、それには何が必要なのかということのディティールを詰めていくのにとても役立っています。

芸大を出てから最初についたボイストレーナーで、私の声を脱芸大化するのにとても力になってくださいました。

一度どっぷりと浸かってしまった価値観の枠の中から出ていくというのはかなり難しいことです。

私もいまだに昔の悪癖に苦しめられることがあります。

なぜひとつの価値観の中から飛び出していくことが私に必要だったのかについては、最後に書こうと思います。


ベルティング

ビートボックスの項にも登場した岩崎ひろきさんには、主にベルティングを教わっています。

ベルティングはゴスペルやなんかでソウルフルに高音を出すために使うテクニックで、結構ミックスとは真逆のテクニックと言えると思います。

岩崎さんにはSalicus Kammerchorのメルマガ、サリクス通信でも記事を書いていただきましたが、舌骨をキーとして全身へと繋がる筋肉の張力に注目したテンセグリティ的な発想によるボイストレーニングをやってらっしゃいます。

クラシックではベルティングは使わないと今は言われておりますが、私はそんなことはないんじゃないかと思っています。

広義でのベルティングは普通に使われていると思いますし、狭義でのベルティングもかつて使われていた可能性は非常に高いと思います。

ミックス的な高音の出し方と、ベルティング的な高音の出し方と、どちらが「自然」かと考えると、ベルティング的な出し方の方がより原始的で、時代が下れば下るほど普通であった可能性が高いと思うんですよね。

あと、使わなかったとしても、当然ボイトレのツールとしてベルティングはめちゃくちゃ有用です。

合唱団の練習でほぼ毎回やってます笑


スクリーム

デスボイスといった方がイメージはしやすいかもしれませんが、より広義にスクリームとしました。

もともとデスメタル、ブラックメタル、グラインドコアあたりをよく聴いていて(といってもCarcassとGorgorothとCephalic Carnageくらいですが)、これも私の人生と分かちがたく好き♡なんですよね。

メタル関連の記事はコチラ

それでずっと自己流でデスボはやってたんですけど、去年からちゃんとレッスン受けるようになりました。

mahoneさんは教えるのも上手いし、物理の理解も桁違いだしその上デタラメにバカテクです。

この動画一発でバカテク具合がわかります。

日本最高難度と言いながら、その難易度をむしろ上げにいってますよね。異常者(褒め言葉)。

スクリームとホイッスルとガナリを習ってて、最近ガナリをメインで教わっているのですが、ガナリというとこういう感じです。

あートム・ウェイツ好き、あーー好き、好き。

一応音程がある歌唱をクリーントーンと呼ぶのなら、その中で一番好きかも、二番目はウラジーミル・オイドゥパーかなあ、次はSentencedのヴィレ・レイヒアラ。

あ、全員仮声帯発声だ。でも音程があるというだけを定義とするならイゴール・コシュケンディとかも入ってくるか。

レッスンを続けて受けていて思うのは、ビートボックスともホーメイともめちゃくちゃつながってくるというところで、それはつまるところ普通のボイトレにも役になっているということです。

また、スクリームのレッスンが一番ギリギリのところを攻めてる感じがします。

これまでの自分の経験から、身体が完全に拒否反応を起こして、「立入禁止」って看板立ててるところをおらーって突っ込んでくんですよね。でそこ行ってみると意外となんともなくて、翌日筋肉痛になっているという、つまり未だ鍛えたことのない筋肉を鍛えることができたということなんですよねえ。

これも、それまでの自分の常識みたいなもんをぶち壊して、その先に可能性が見出だせた例でありまして、得難い経験でございました。


インド音楽

昨年からバーンスリー奏者の寺原太郎さんに個人レッスンしていただいて、インド古典音楽を学んでいます。

これにははっきりした目的がありまして、グレゴリオ聖歌の歌いまわしを探るためです。

グレゴリオ聖歌の歌唱法って、一応10世紀頃に記された古ネウマによって伝えられてはいるのですが、ネウマによる歌唱の伝統が途絶えてしまって、ネウマが意味するところが一部はっきりしないところがあるのです。

特に特殊ネウマと呼ばれる一群のネウマは何らかの特殊な唱法が用いられたということぐらいしかわかってなくて、私たちはその歌い方を想像して再現するしかないんですね。

でなんで古ネウマによる歌唱の伝統が途絶えてしまったのかというと、古ネウマでの記譜の習慣がなくなって、音程と一部古ネウマの名残を残した記譜法に変化してしまったからで、それはやはりポリフォニーの発達も大きく影響していると思います。

西洋音楽は横方向ではなく縦方向に進化した、そう言えると思います。つまり声部が増えていったことで、一つ一つの声部の旋律に対する繊細な感覚は失われていったと。

その点インド音楽は横方向のまま進化したと言えると思います。とにかく一つの旋律に対する感覚というのが、我々からすると異常に繊細で、聞き取ることもできないほんの僅かな変化によってもの凄く多様なラーガの世界を形作っているんです。

だからきっとそこには同じ単旋律の歌であるグレゴリオ聖歌を歌うためのヒントがあると思ったんですね。

まだまだ研究の途上ですが、少なくとも私の中で、グレゴリオ聖歌を歌う時の旋律に対する感度といいますか、繊細さは飛躍的に増しました。

インド音楽の気の遠くなるような世界観についてはこちらの動画をちょっと観ただけでもおわかりいただけるのではないかと思います。


結局何がしたいんだい

というわけで「本業以外(に一見見える方)」という項目がやたら長くなってしまいましたが、私の活動、一見とっちらかってますよね。

しかしまあほとんど本業に直結しているというか、極論言うと人生に無駄はないので、全部つながっているといえばいるのですが、これがほんとに思ったよりつながってるんですね。

というのも私の本業、いわゆる「古楽」の中の特に声楽というジャンルはなかなか曲者でありまして、もちろん録音が残っているわけでもなく、楽器が残っているわけでもないので、実際にどういう声で歌っていたかわからないんです。

インド音楽のところでも書きましたが、グレゴリオ聖歌の場合、古ネウマという歌いまわしを示した記号は残っておりまして、どういう歌いまわしをしていたかは(一部除いて)だいたいわかります。

また歌の教則本のようなものも残っておりまして、例えばヤギが鳴くような声で歌っちゃだめだよーとかこういうときはこういう装飾をつけるんだよーとかそういうことは残っているのですが、やはりテキストで音色を表現するのは難しいということと、書くまでもないことは書かないというところから、実際にどういう音色で歌っていたかわからないんですよね。

ヤギの鳴くような声で歌っちゃだめってそれわざわざ書かなきゃならなきゃいけないようなことかと思うんですけど、そういう声で歌う人がいたからそういうことを書くわけですよね。

そんなわけで、多分今巷でやられてるような、いわゆるオペラ発声のマイナーチェンジでしかない「古楽発声」みたいな声ではなかったと思うんです。

時代を遡れば遡るほど。

また、そもそもわりと新しい作品であっても、今やられてるような発声が本当にふさわしいかどうかというのは甚だ疑問がありまして、特に、わりとみんな「歌詞に即した表現をしましょう」というようなことを言うのですが、その割にみんなずーっとおんなじような音色で歌うんですよね。

「え〜〜〜そんな生々しいエゲツない歌詞歌ってるのにそんなよそよそしい声で歌うの〜〜?」ってよく思うのですよねえ。

音色のバリエーションが極端に少ないというのは、今のクラシックの歌の最も大きな特徴ではないでしょうか。

私は歌を歌う時に、その歌にほんとうにぴったりな声で歌いたいと思うわけです。

気剣体の一致とか剣術では言いますけれど、気声体が一致した歌が歌いたいんです。

特殊発声も、ノイズボイスも、ビートボックスも、ベルティングも、スクリームも、人間の声の可能性のひとつなんです。

これは武術で学んだことですが、「型」というのは身体観の変容を経験することだと。

そして型によって経験した身体観の変容を、型によらずして起こすことが観法だと。

いろんな声を出すということは、型の稽古をしているようなもので、「身体観の変容の経験」を目的としていて、「意」が起きたその瞬間に「意識」のラグを挟まないでその声が「出ている」ということを目指しています。

韓氏意拳では一形一意(意と形の一致)という言葉がありますが、歌の場合「一声一意」です。

そのための型稽古としてのボイストレーニングという感じですね。

特殊発声、ノイズボイス、ビートボックス、スクリームといったあたりは、ただただ好きでやってたらいつの間にかつながってたんですよね、偶然。笑

自分から足を突っ込んでいったのはポップス系の発声、ベルティング、インド音楽あたりです。

これは必要だなと思ったから突撃しました。

武術はこれらで身につけたテクニックをテクニックで終わらせないための土台といいますか、それらと体、心、気を一致させていくために私にとって絶対必要なことです。

あー、将棋だけただの趣味のようですが、うん、いや別にただの趣味でもいいんですけど、ただの趣味と言うには憚られる奥深さ、コアのコアでのつながりを感じます。宇宙とはなんぞや、人間とはなんぞや、ということを追求してますよね。プロ中のプロの将棋の話ですけどね。


いやはや長くなってしましました。

興味ある方はレッスンやってますので私のところに来ていただいてもいいし、私はそれぞれの専門家では全然ないので、それぞれの専門家のところへ行ってください。

武術:光岡英稔先生の講座 BUGAKU 韓氏意拳

特殊発声・ノイズボイス:徳久ウィリアムさんhttps://note.com/voiz

ポップス系発声:小久保よしあき先生http://kokubovoicetraining.com/

ベルティング:岩崎ひろきさんhttp://gospelvoicelab.com/

スクリーム:Mahoneさんhttps://mahone.jp/

インド音楽:寺原太郎さんhttps://srgmtaro.jimdofree.com/class/


所属団体のリンクもここに貼っておきます。

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『事 ある 事』 声 と 声 ~ 灰野敬二、徳久ウィリアム

『事 ある 事』 声 と 声 ~ 灰野敬二、徳久ウィリアム

昨日、超久しぶりに生演奏を聴いてきました。

覚えてないだけかもしれないけど、下手したら去年の3月以来かもしれない。

その時もノイズのライブだった。

何屋なんだろうか私は。

もっとライブ行きたいな。


ライブを聴いた感想としてまず最初に来るのは「混ざりてえ」ってことなんですが、これは他の演奏会でも思うことと言えば思うこと、でもたいがいは、私だったらこうするのになっていうモチベーションの上がり方であって、このままこの中で一緒に声出したいって思うことは今まで一度もなかったかもしれない。

このままでいい。これはもうこのままにしておいて、そのままこの中に飛び込みたい。

そういう気持ちになったのは初めてかもしれない。


ほとんど全て完全な即興だったようで、後で聞いたところによると、段取りある程度決めようと思っていたけど、始めてみたら必要ないということがわかったので何も決めなかったのだそうです。

それだけ灰野さんに信頼される徳久さんマジですごい。

始まり方、終わり方くらいは決めてたんですか?って聞いたら灰野さんなんて言ったと思います?

「あ!って始まって、うん!で終わる」

やられちゃいますよねえ。いや確かにそんな感じでしたよ。観てても。

休憩挟んで2本のパフォーマンスだったのですが、使用したのはマイクそれぞれ1本、マイクスタンド、ゴザ、灰野さんはピアノ椅子、徳久さんは水、以上でした。

かなりミニマルな編成で、逆にそれが生々しく、没入感がありました。

思考をはさむ余地がないというのはいい演奏の条件かもしれません。

いやほんと、超いい演奏だったんですよ。滅多にないです。こんないい演奏。

本当によかった。

芸術が生まれなおしの営みであるということを再確認しました。こんばんは!世界!


※以下昨日のパフォーマンスについて書いていますが、何しろ個人の感想です。多分演奏者の意図(そんなものがあったのかどうかはともかく)とは全然関係ないです。

1本目は何というか、静か。いや、クソうるさいんですけど。特に徳久さんの出す音っていうのはほとんど全部経験してるので、んーなんというか全然うるさくない。むしろ落ち着く。

灰野さんの声はもう今まで聞いたことない音。もう、はあ?って感じ。なにそれ。その鋭さどうやってんの?

特に、あの、リップハーシュですか?っていうようなきめの細かい超高音でキレ、つまり無音から有音へのスピードが異常なほど速い「声」を多分インヘイルでもエクスヘイルでも出してて、これはマジで今まで一回も聞いたことない音でした。

そう、で1本目は割と静かに、お互いの引き出しを順番に開けていってるという感じで心地よい感じでした。

2本目、これ凄かった。ああああ。今思いましたけどこれアーラープとガットに似てる。インド音楽でですね、タブラを伴わないで非拍節的にラーガを紹介していくようなセクションをアーラープと言いまして、タブラが入って拍節的に演奏される部分をガットというんですが、いや最近バンスリー奏者の寺原太郎さんにインド音楽習ってまして、ほんと自分の演奏にもめちゃめちゃ影響受けてましてですね、リハーサルとかでもキャバテキャバテゆうとりますけど、で太郎さん曰く、ニキル・ベナルジーが言うには、アーラープは奏者がラーガの深海に潜る、ガットはそこへ聴衆を導く、ということなのだそうです。

この二つの要素って自分が何やってるのか、把握するうえですごく大事な指標になりますよね。

で2本目なんですが、もう作ったような完璧な構成でした。後から思えば。

最初徳久さん全く声出さずに、身体の動きだけでシャウトしてて、多分10分くらいそうしてて、そのあと、即興喋りに入ろうとして、言葉にならない、「あっ」とか「えっ」とか「だっ」とかっていうのをやってて、これめちゃくちゃよかった。

即興喋りって徳久さんの一つの必殺技だと私は思っているのですけど、あ、即興喋りってこういう感じです。↓

https://youtu.be/Qz6dYvD1fNs?t=1015

ノイズボイスって本来意味を持たない超ド級の抽象表現だと思うのですが、この即興喋りはまとまった意味はないものの、ノイズボイスの中で使うと、それでもやっぱり意味の世界に引きずり込むえげつない力があります。

でこの意味の世界に入りそうで入らない、「え」とか「だ」とか何か言葉になりそうでならないというぎりぎりのせめぎあいの中で、あの世とこの世を行ったり来たりするような体験をしました。

あの世とこの世との間はしょっちゅう行ったり来たりしてるわけですけども、こんなスピードで、しかもあの世からこの世へ片足だけ踏み入れてまた戻るような、こんな表現は今まで見たことないかもしれないです。

それでまあ諸々割愛して後半の後半の序盤あたりで、徳久さんが「たとえば」って発した刹那だったかと思いますが、突如として灰野さんが喋りだしたんですよね。

これが凄かった。うわーそれやっちゃうか!やっちゃうのか!って感じ。もうそっからはバチバチの果し合いでした。

これか、真樹子さん(伯母)が言ってたのはこれなのか!っていう灰野さんのヤバいやつが見れました。

でもうこれは取り返しがつかない、収拾がつかんぞこれっていうところで、徳久さんの必殺技その二が飛び出して、その流れを一気に断ち切ったんです。

これが個人的ハイライトでした。すっっっっげえええ。最高でしたね。もう。マジで。ヤバい。


構成についてはそんな感じで、あとは灰野さんのパフォーマンスについて気づいたところをメモしておきたいと思います。(徳久さんはいつも見てるのであえてここでは書きません)

灰野さんのボイスってかなりリズムがあるんですね。後半は特にリズムがない瞬間がほとんどなかったのではないかと思うほど。拍節、周期性といっていいかもれないですが。舞曲的、ガット的。対して徳久さんはほぼ非拍節的、グレゴリオ聖歌的、アーラープ的。

でそのグルーブはまさしく正しく身体に現れていて、特に脊椎の自由度、これっきゃないっていう運動が美しかったです。マイクスタンド使っているときにそれは顕著で、もうマイクスタンドお化けみたいになってました。

あとはゴザをひいてる意味なんですが、そこへあぐらをかいたり、膝をついて声を出したりということもしていて、これは灰野さんのアイデアなのだそうです。

四つん這いみたいになって声を出していた時まさしく四足の身体観だと思わせる声が出てました。

周期性という点でいうと、徳久さんの喋りが意味のない言葉を次々に紡いでいくのに対して、灰野さんの喋りは短いフレーズのリフレインで、喋り方、声のクオリティを変えていくというものでした。

その変え方もえぐくて、一音節ずつノイズになるくらいただただ強く発音する、というのがシンプルですが、ぜってえ出来ねえ。無理。って思いました。凄い技術です。子音と母音の組み合わせで、ノイズにしやすいものとしにくいものとあって、全部のシラブルを同じ強度でノイズ化させるというのはほんと驚異的。

「ず つ う なん て と く い か も く さ」

これだけバリエーションに富んだ子音と母音の組み合わせ、全て綺麗にノイズ化されてました。

あとは衣装ですかね。。

自分もそうなんですが、なかなか音楽に合った衣装って難しい。

どう見えるかということではなくて、その音楽を演奏するのにふさわしい衣装。

つまり衣装によって出る声が違うってことです。

なかなかそこまで気が回らないというか、その前にやることが多すぎてそこまで出来ないんですよね。予算も時間も必要ですし。

そういう点でも灰野さんの出で立ちは身に纏っているものにすら必然性があったように思いました。サングラスとか、髪型とかもそうなんでしょうかね。

どう見えるかというのもまあそこそこ売っていくには重要な要素だと思いますけど、それ以前に純粋に音楽のためにも重要な要素なんですよね。

そういう意味で、徳久さんは裸足かそれに近い履物の方がよかったんじゃないかなと思いました。

私も本番靴新しいの買いたいなあ。


何か他にも忘れてることがありそうですが、思い出したらまた加筆しようかな。

とても重要なことが沢山起こっていたので、これをまた糧にしていきたいと思います。

それにしてもいい演奏だった。

徳久さんとは別れ際いつも握手するんですが、あんなに力ない握手は初めてでした(笑)

そりゃああれだけ出しちゃったらもう何も残ってないよなあと。

ノイズのライブって、なんかうるさそう、怖そう、とか多分思われてると思いますけど、私にとっては新宿線の神保町小川町間の方がよほどうるさいし恐ろしいです。

いざという時は耳ふさいじゃってもいいし、心配なら耳栓持ってってもいいと思います。

私も、人の声なら大丈夫なんですが、電子音のノイズはちょっと苦手で、1回ライブで終始耳を塞いでたということがありました。

何を感じるかは人それぞれだと思いますが、このレベルの演奏ならだれが聴いても何かを感じざるを得ないと思います。是非。

徳久さんってボイストレーナーとしても素晴らしい方で、実際私のように彼に(歌手)生命を救われた人もたくさんいると思いますが、やはり本性はパフォーマーなのだと思いました。

あの灰野さんと、(しかも声で)わたりあえる音楽家、そんなに沢山はいないですよ。

刺激的な日々|ノイズボイス・カラオケに参加してきました

刺激的な日々|ノイズボイス・カラオケに参加してきました

8月3日に柳生田さんのリサイタル助演、5日にデュファイ祭出演と本番が続いたあと、一昨日7日には徳久ウィリアムさん主催のノイズボイス・カラオケに参加してきました。


ノイズボイス・カラオケ

実に刺激的でした。徳久さんの主催されるイベントはいつも刺激的です。

これまで、アガリアム合唱団(現コエダイr合唱団)主催のワークショップに講師として参加した他、同合唱団のワークショップ、「インド古典声楽」と「ブルガリアン・ヴォイス」に参加させていただきました。

インド古典声楽では「笛は吹くのではなく磨く」や「音程の移動は円運動」「歌用の声などない」など、私の音楽実践の中でも常に引用させていただいていますし、ブルガリアン・ヴォイスで印象的だったのは、「言葉、フシ、コブシ、ときてその次が声」ということで、やはり民族音楽においても大事なことは一緒なのだなあと再確認しました。

そしてアガリアム合唱団には一度歌い手として参加させていただいたこともありまして、その時に書いた記事がこのブログのアクセス数一位です笑

魅惑のカルグラ地獄

うーむ今聞いてもこの時の録音凄い。

今回のイベント(ワークショップ)は、このアガリアム合唱団でも見事なカルグラを披露しているあいさんと徳久さんがフェイスブックのライブ動画で配信してて、あまりに楽しそうだったので参加することにしました。

これを見て楽しそうだと思うところからがスタートですよ!皆さん!笑


声楽の最先端としてのノイズボイス

そもそもノイズボイスってなんぞやって方も多いと思うので、少しだけ説明します。

現代音楽の分野でノイズミュージック(wiki)ってありますよね。それを声でやります。

都市の民族音楽を標榜する徳久さんの考えでは、民族音楽というのは環境から生まれる。それが歌われる必然性がある。私達にとっての環境、都市の環境から生まれ、歌われる必然性のある音楽とは何か。そういう流れから生まれて来たのがノイズボイスだと私は理解しています。

私は普段古楽という今から400−1000年位前に作られ、歌われた音楽を実践していますが、同時に現代に生きる自分が現代を生きる皆さんとともに現代においてそれを実践するとはどういうことかということを模索しています。

簡単に言うと、1000年前に作られた音楽も、1000年前には現代音楽だったのです。それをリアルに実践するためには、それを古いものとして扱うわけにはいかないのです。

「歌の生まれる必然」を実感するためには、歌の生まれる現場に立ち会うのが一番カンタンです。

そういうわけで私も現代音楽を演奏することがありますが、このノイズボイスというジャンルは、声楽の最も最先端とも言えるのではないでしょうか。

ノイズボイスのソロで徳久さんの素晴らしいパフォーマンスはこちら↓

https://www.youtube.com/watch?v=Qz6dYvD1fNs&t=1154s


即興について

さらにこのノイズボイス、見ての通り即興です。今回のワークショップでも伺いましたが、何かやろうとしているというよりは「降りてくる感じ」なのだそうです。

グレゴリオ聖歌の伝説として、教皇グレゴリウス一世が聖霊(鳩)の声を聞いてできたものであるというのがありますが、近いものがある、というかそれそのものなんではないかなと思います。

自分で作ったんじゃなくて、自分ではないナニかからもたらされるものだということですね。

私達クラシックの業界の人は99%誰かが書いた曲を演奏します。今より前に、誰かが作った曲を演奏するんですね。でもね、私この「誰かが作った」ってのも嘘だと思うんですよ。その誰かも、自分ではないナニかからもたらされた音楽を書き留めているに過ぎない。

それで私の考えでは、そのナニか、というのは曲を作る人ごとに違うのではなくて、全人類、全世代共通なんです。

誰の肩にもグレゴリウス一世の肩にとまった鳩と同じ鳩がいて、その声を聞くのか聞かないのか、またどう聞くのか、というのはその人次第。

つまり受け取り方ひとつ。作曲家、あるいは即興演奏家というフィルターを通すことで一見全く別のものに見えるけれど、その根源は同じ、音楽はひとつなんだと思うんです。

で、それ以外のものは音楽とは呼ばない。私はそういうように音楽を定義しています。

この言い方でいうと、世の中には、音楽のようでいて、音楽でないものが溢れているということになってしまいますが。

というわけでですね、よりダイレクトに作曲家の見た景色に近づくためにはですね、自分も曲を作るかあるいは即興するかだと思うんです。

それもこのノイズボイスの企画に興味を持った動機のひとつです。


アンサンブルについて

さらにもう一つ、このところ考えていたのはアンサンブルについてで、前回のブログで最後に書いた、「シャーマンは孤独だ」というのは実はアンサンブルは本当に音楽的にあれるのか、という話題の中で叔母から出た言葉なのです。

叔母(桜井真樹子)も作曲するし、即興もする人なのですが、二人以上で即興するときの難しさ、限界を感じていて、もはやアンサンブルやんなくていいのではという境地に達しているそうです。

私は普段ほぼいつも、常にアンサンブルをやっています。全く一人で何かするということは記憶の限り100%ありません。

アンサンブルで音楽ができないとなると、私の活動はゼロになってしまいます笑

ノイズボイスに関しても、一人でもできますが、複数人でも出来ます。

以下に徳久さんと、素晴らしいパフォーマーの風人さんの動画を貼っておきます。2’20あたりから二人のノイズボイスデュオとなります。

https://www.youtube.com/watch?v=IFjcLLZ-6PA

ノイズボイス・カラオケのいいところは、ずーっときっかけが鳴り続けているところです。

ある意味カラオケの音源とのアンサンブルなんですね。音を感じながらそれに影響されつつ表現出来るというところで、初心者にも即興がやりやすい。そしてアンサンブルについても考えるきっかけがもらえる。

そう思ったんです。


いざ実践!

ワークショップでは初めに、徳久さんから惜しげもなくノイズボイスのテクニックについて教えていただきました。

徳久さんの音のパレットを覗いているようで楽しかったです。

それまで全くどうやってるのかわからなかった音も、レクチャーを聞いたあとだと大体7割位はわかります(それでも全くわからない音もあります)。

あと今回凄く面白かったのは、ノイズボイスってマイク1本でやるんですけど、つまりほとんどエフェクトかけないということなんですが、このマイクの使い方一つでできることの幅がめちゃめちゃ拡がるんですね。

それはもう感動しました。マイク一本でこれだけのことができるのか!と思いました。

普段マイク使わない上に、使うとしても、ノイズが乗らないようとか、ハウらないように使うじゃないですか。それがむしろノイズボイスではノイズを乗せるように、ハウったらハウったでそれを利用するんですって。んーー今までに全く無かった発想だ・・・。

ひとまずどんな音が出るのか試してみました。

これは、、、面白い、、、。

特にインヘイル(吸い)の可能性が凄い。普段吸って音を出すことがないので、吸ったほうが非日常の音が出ますね。

吐くと逆に普通の声になっちゃいそうで難しい。

で、これは音ですね。

今度はカラオケ音源の助けを借りながら即興やってみました。

曲は一青窈の「もらい泣き」

恥ずかしいので最後のサビのところだけ切り取りました。

どうでしょうか。これ見て皆さん何を感じられるでしょうか。

(ほとんどの方は嫌悪感を持たれるだけなんだろうなあ、変な人、のレッテル張りで終わりなんだろうなあ、辛いなあ)

凄く怖いような気もしますが、というのは結構私の本性が現れているようで、ざわざわします。

他の参加者の方の声も聞いていて、凄く思ったのは、これ、もんの凄く個性がでます。その人がどんな人なのかわかります。

あー、この人こういうこと考えながら生きてるんだなってのが、ビシビシ感じられます。これもワークショップの効果ですね。一人でやっていたら気づけなかったことだと思います。

でも動画だとそうでもないかな・・これやっぱりアイフォンの限界で、音の自動調整が凄いですよね。声のないところでは音源が際立って、声の大きいところは音源が全然聞こえなくなってますが、生で聞くとそんなことは起こりません。

だから判断難しいかもな。

私がやるとどうしても人間味が出ちゃって、そういう意味ではノイズボイスの理想とはかけ離れているかもしれません。

あとこれもやってみないとわかりませんが、曲を無視しているようで、めちゃくちゃ影響されます。

「もらい泣き」だからこういう感じになったんだと思います。

そしてせっかくなので、徳久さんとデュオもやらせてもらいました。アンサンブルに対する疑問は結構解決したように思います。まだ文章にするところまで消化出来ていませんが、そのうちかければと思います。

一つ言えるのは、アンサンブルはソロより難しい。ということです。アタリマエーーーー!笑

「気」が分散して、音楽に近づくのがより難しくなる。けどできないわけじゃない。ただしそれを可能にするには多様で物凄く精度の高いテクニックが必要。という感じでしょうか。

他の参加者の方のデュオも聞かせていただいて、やっぱりアンサンブル面白いなあと思いました。

影響を与えあって、一人ではできない表現が勝手に出てくる、そう見えました。

そんなわけで、合唱もやりたかったのですが、普通のカラオケでマイクを3本以上つなぐのは難しそうなので諦めました。

マイク無しで最後We are the worldをみんなで歌いましたが、やはりマイクがないと出来ることが3分の1くらいになりますね。

大勢でやるにはスタジオ行くしかないか。


最後に、皆さん心配されてるかと思いますが、適切な指導者がいれば、喉の健康は保たれます。

逆に言うと、指導者がいないところでこれをやるのはかなり危険です。

指導者がいても、ノーダメージというわけにはいきません。やっぱりちょっとは炎症起きます。

ただし喉の炎症よりも肉体疲労の方がえげつないです。

翌日睡眠時間を確保できるかどうか確かめてからやるべきだと思います。

特に、私の場合肋間筋が結構ヤラれました。鼻をすすったときに痛いので、息を吸う時の筋肉(外肋間筋)の方だと思います。

負荷かけながら全力で息吸うってことやらないですからね。普段。

逆にこういった普段使わない筋肉を使うことで、普段の歌がどう変わっていくのか、いかないのか、興味津々です。

今回このワークショップに参加して、普段の生活では得ることの出来ない非日常、心、頭、体に多大なる刺激を受けることが出来ました。

講師の徳久さんに改めて感謝したいと思います。

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Salicus Kammerchor

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公演情報

次回はEnsemble Salicusの演奏会です!

http://www.salicuskammerchor.com/concert

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CD・DVD発売中!

昨年10月に開催されたLa Musica CollanaとのジョイントコンサートのライブCD

第2回定期演奏会のライブDVD

をウェブ販売しております!

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サリクス通信に加藤拓未、渡辺研一郎が登場!

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