ペスクワッススと反転カデンツァ

今日のヒットワード、「反転カデンツァ」まずは時系列を追って、、

今日は朝から八咫烏のリハーサルでした。
2月末に演奏会があってから初めてのリハーサルで、来年の第2回演奏会の為の選曲を兼ねて、ドイツロマン派ものを沢山初見大会しました。
八咫烏メンバーの初見能力の高さに恐れをなしながら、ひーひー言いながら練習しました。
数えたらちょうど20曲音出ししたようです。スゴ。疲れるわけだ。
後ほど今日の初見大会の動画がアップされる予定です(笑)
八咫烏のyoutubeプレイリストはコチラ
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午後は指揮のレッスンで、性も根も尽き果てて、えびらホールの練習室で爆睡しました。
睡眠大事。
もちろん(多少)練習もしました。
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そして夜はサリクスのリハーサル、今日は長めにグレゴリオ聖歌の練習をしました。
いいねえ、3時間くらいずっとグレゴリオ聖歌やってたいねーなどと言いつつ他の曲もあるのでそうもいかないのですが、1時間くらいは練習しましたかね。
演奏時間は多分2分もない曲ですが、もの凄く良くできた素晴らしい曲です。
そこでグレゴリオ聖歌研究家(彼はこの呼び方を嫌がりますが)の渡辺研一郎から出た述語が、反転カデンツァです。
今回歌うグレゴリオ聖歌は第2旋法で、レがフィナリス、ファがドミナントの旋法なんですね。
なので終止はレであるのが普通なのですが、このグレゴリオ聖歌の場合ほとんど終止にレはでてきません。
このグレゴリオ聖歌については、サリクスのブログでも少し触れています。
そこで私は不覚にもこのグレゴリオ聖歌が、ほとんどの終止に置いてミの旋法で終止していると書きましたが、事情はそれほど単純な話ではなかったのです。
反転カデンツァとは、本来ミ→レと解決すべき終止を、レ→ミと反転させてカデンツすることを言うのだそうです。
そしてそういった箇所にはよくペスクワッススが用いられると。
またこの聖歌のほとんどの終止で用いられている通り、サリクスもまた、反転カデンツァと関連しているようです。(カルディーヌのグレゴリオ聖歌セミオロジーでは同度サリクスの例ですが)
カルディーヌはこのサリクスの項で、反転カデンツァについて、
「長いクリヴィスを通ってカデンツァ音へと達するふつうのそれではなく、より高い音程へ到達することによって旋律が一時的に憩うようなカデンツァである。このようなカデンツァの一時的休息的性格は、つづく旋律とのあいだに緊密な関係があるといることを示しているものである」
と述べています。
そしてこの聖歌は、救い主を見るまで死なないとお告げを受けていたシメオンが、救い主をその手に抱き、神に感謝して歌う、いわゆるシメオンのカンティクムをその題材としています。
つまり、死ねない、ということが反転カデンツァによって表現されているのです。
正規の終止が来ないことが、人生の終わりが来ないシメオンを表しているのです。
そして、初めてレで終止するのは、「救い主をその腕に抱いた」という部分です。
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なんという感動的な歌でしょう。
救い主をその腕に抱いたことによって見えた彼の死、すなわち人生の終止が、第2旋法であるはずのこの聖歌の、初めてのレのカデンツァによって表現されているのです。
これ作った人、天才やで、、
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少々マニアックな話になってしまいました。
このテキストをドイツ語訳したものがシュッツの「音楽による葬儀」の第三部で用いられています。
下の写真はその練習中の様子、何故か弾きながらカメラ目線の田宮氏です。
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そしてもう一枚。
マニア垂涎の森田氏の調弦中のショットでお別れしましょう。
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