Salicus Kammerchor演奏会 J. S. バッハの教会カンタータ|終演

去る13日の金曜日、カンタータ公演が終演いたしました。

ご来場くださいました皆様、またライブ配信でご参加くださいました皆様、誠にありがとうございました。

コロナ禍の合唱とオケの演奏会ということで、様々な事柄に神経をすり減らしました。

例えばリハーサル会場なども、いつもより広い会場を取らなければならないので、5倍位の予算がかかり、また交通の便の悪いところにならざるを得ませんでした。

地味なところでは、コロナ対策でスリッパの貸し出しをしていなくて、持参しなくてはならない、とか、毎回の検温、消毒ジェルの持ち込みなどちょっとしたことですが、手間がかかりました。


今回本番は10日のほうが武蔵野市民文化会館でした。この会場は9月の段階で合唱使用が認められておらず、間際になって規制が緩和されたということで、利用できることになりましたが、その日に演奏会が重なっていたこともあって集客に苦労しました。

楽屋割りなども、借りれるところは全て借りたのですが、それでも狭めだったので、何人かは廊下で過ごしたりしてました。

400席以上の会場ですが、半分を潰し、200名定員とさせていただきましたが、潰した200席分の「お隣にお座りください」の紙を貼るという作業も、私はやっていませんが、大変だったと思います。

今回合唱とソリストとの間に立てた飛沫防止シールドはAmazonで8000円くらいで買いました。いつもの演奏会の荷物(パンフ等)をスーツケースに入れ、シールドを台車?に乗せて両手で引きながら三鷹まで行きました。(写真はルーテル公演)

苦労して持っていったんですが、やはり音に影響が結構あって、不評でした笑

しかしこの人数でやるなら歌は2列にならざるを得ず、前の人を飛沫から守るためには必要だったと思います。


13日のルーテル公演は、更にライブ配信をやったので心配事は2倍でした。

リアルのお客さんの心配と、配信の心配と。

有料の配信はこれが初めてで、ツイキャスのアカウントを作るところからのスタートで、わからないことだらけでした。

教会のLANを使わせていただけたのがめちゃくちゃ大きくて、良質なライブ配信になったと思います。

いつもの師匠が配信のすべてをやってくれたのですが、カメラマン3人、ディレクター、スイッチャー、スコアリーダー少なくとも6人でやる仕事をたった一人でやってくれました。八面六臂とはこのことです。(その上本番中写真まで撮ってくれました)

ライブ配信に絶対はないので、本当に無事にできてほっとしました。ほんとに恐ろしかった。

こちらのライブ配信のアーカイブは20日までご視聴いただけます。

今からでもご購入いただけますのでよろしければぜひ!

https://twitcasting.tv/salicus_kc/shopcart/28574

ロビー挨拶とか、打ち上げとか、今回できなかったのですが、これは思ったより大きかったです。

なんというか、手応えという意味で笑

アンケートも今回オンラインでやったので、やはり回収率はいまひとつでした。

どんな演奏会だったのか、頼りになるのはTwitterばかりなり笑


今回わかったのは、マスクは体力を奪うということで、リハーサルがめちゃめちゃ疲れました。体感3倍位。

最初は久しぶりの対面リハーサルで体力落ちたのかなとか思いましたが、リハーサルを重ねていっても体感全然変わらなかったのでマスクのせいだと思います。

マスクしたままバッハ歌えるってマジでみんなすげえなと思いました。しかも結構みんな普通のマスクでやってたからなあ。最近買った剣道用具やさんが作ったマスクはかなり良かったけど、それでもコラールを振るのは相当きつかったです。振るだけでも。歌うのは一層きついと思います。

あとサリクスには対人距離の短い人が多いので、密接しないように心がけるのは結構ストレスだったと思います。

私も意外と(?)結構触っちゃったりするタイプなので、ちょっとしたボディタッチなんかも気をつけなきゃいけないのはそこそこストレスでした。

終演後、ハグとかせめて握手くらいしたいけど、それもできない。

こういう状況でなければ、舞台上でコンマスと握手くらいはしてたと思います。

こうした小さなストレスは積み重なってきます。気づかないうちに。

代わりになるものを探して、埋め合わさないと、危ないです。

皆さんもどうぞお気をつけて。なにしろ自分の心身の健康を最優先に考えてくださいね。ワガママに、まずは自分を。その上で時には助け合いましょう。

それで、助けることで、自分を助けましょう。

昨日も一昨日も結構がっつり仕事だったので、全然疲れがとれてなくて、いまいち思考がまとまりませんが、今回こういう状況でも、演奏会ができて本当によかったです。

こういう状況で、苦労は絶えないけど、それでもカンタータを演奏したいという想いのほうが強い。

それを確認することができました。

「こんな思いしてまでお前はカンタータをやりたいのか?」っていう問いに対しては、即答で「それはもう。ぶっちぎりで」でしたね。

カンタータって、ガーディナーもコープマンもBCJも全曲録音が終わって、もうやり尽くされたってムードが漂ってるような気がするんですけど、全然そんなことないぜって演奏をしたいんですよね。不遜ですけど。

サリクスはカンタータ全曲録音をやります。

いつから開始できるかわからないですけど、少なくともこの10年のうちには始めます。

あとこれも10年後くらいにモテットの再録音をします。今度は楽器付きで。

さしあたりこの6年はシュッツに取り組みますが、並行して、楽器とのプロジェクトを前進させます。

どうぞこれからも皆様応援よろしくお願いいたします。

カペラ定期公演|終演

カペラ定期公演|終演

昨日、ヴォーカル・アンサンブルカペラの定期公演が終演いたしました。

ご来場くださいました皆様、誠にありがとうございました。

お客さんのいる演奏会は、3月以来だったので、7ヶ月ぶりだったんですね。

あんまりそういうこと意識することもないくらい手一杯だったんですけど、そういえばそうだったんですよね。

感慨に浸る余裕すらなかった。

演奏は良かったと思うし、自分のパフォーマンスもまあ悪くはなかったと思うのですが、やりたいことは1%位しかできなかったです。

ゼロじゃなくてよかったねってことでもないんですけど、このパーセンテージはこの先変わることがあるんでしょうか。

今ふとBUMP OF CHICKENの天体観測の一節が思い浮かんだんですけど、

「背が伸びるにつれて伝えたいことも増えてった」

ってそういうことかあ。

やれることが多くなるってこととやりたいことが増えるってことの伸び率ってきっと後者のほうが大きいんでしょうね。

https://twitter.com/cappellajp/status/1321803671261249541

今回コロナ対策で、終演後に皆様とご挨拶することがかないませんでした。

よろしければSNS等で感想等いただけると嬉しいです。


サリクスのカンタータ公演が近づいています。

13日の公演の方は完売間近なのですが、10日の方はまだまだ余裕あります。

(そういえばこの日は他のイベントがかぶってたんだ・・・汗)

よく考えたら4週間分のカンタータを一晩でやってしまうというのはなかなかのことだなあと思い始めています。

一つのカンタータを、レクチャーを挟んで2回演奏するということをやっている団体があるそうですが、素晴らしいやり方だなと思います。

僕ら、ついもったいなくて、つまりカンタータの公演をやろうと思うと結構な数の人間が関わらなくてはならなくて、それで1曲だけやるというのはもったいない感じがしちゃうんですよねえ貧乏性だから。

湯水のようにお金があったら、毎日でもみんなとリハーサルして、毎週でもコンサートしたいよ。


カンタータについてサリクスのホームページでブログ記事を書いています。

カンタータってオペラとかと違って明確な筋があるわけじゃないから、どうもわかりにくいって思われることも多いと思うんです。

でもカンタータってかなり明確な目的をもって書かれてるんですよね。

でそのコンセプトを知ることができればJ. S. バッハがあれだけ量産したにもかかわらず、驚くべき繊細さと緻密さで曲を仕上げているかということが見えてくるんです。

カンタータが倍面白くなりますよ。

この記事はその導入というか、ひっかかりに過ぎないですが、ちょっと見てみてください。

第51回 教会カンタータに綴られた物語1https://t.co/P1IugJ2bFN?amp=1

第52回 教会カンタータに綴られた物語2 https://is.gd/cZiQFx


Salicus Kammerchor演奏会
J. S. バッハの教会カンタータ vol.1

11月10日(火)19:15開演(18:30開場)
武蔵野市民文化会館小ホール
https://tiget.net/events/104835

11月13日(金)19:15開演(18:30開場)
日本福音ルーテル東京教会
https://tiget.net/events/102915(完売間近!)
配信:https://twitcasting.tv/salicus_kc/shopcart/28574

光岡英稔韓氏意拳講座|3回目

光岡英稔韓氏意拳講座|3回目

先週金曜日に、また光岡先生の講座に出てきました。

今回もめちゃめちゃ面白かった。

いつものようにレポートしていきたいと思います。

過去の記事はこちら↓
BUGAKU1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
BUGAKU2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
BUGAKU3回目 https://is.gd/Gm9C17
韓氏意拳講座1回目 https://is.gd/D3RjiJ
BUGAKU4回目 https://is.gd/37Oxg1
BUGAKU5回目 https://ux.nu/AmsQM
韓氏意拳講座2回目https://is.gd/G7l53a
BUGAKU7回目https://is.gd/xiBfFB


養生功

今回参加したのは養生功というクラスで、ようは健康な身体をつくりましょう的なことだと思うのですが、あまりいい加減なことを言うのもアレなので、詳しくは日本韓氏意拳学会のサイトをご覧ください。

今回は站椿と健身功をやる予定だったみたいですが、あまりに内容が濃すぎて站椿までしかできませんでした。あいかわらず濃ゆい。

何しろ2時間半の講座のうち1時間半は「立つ・座る」ということに費やされました。

いかに人間は「立てていない」「座れていない」かということを、四足歩行から二足歩行への移行をヒントに学んでいきます。


中国文化の身体観

まずこの体系が中国文化・武術における身体性/身体観であることを確認します。無極(0)・太極(1)・両儀(2)・三才(3)・四象(4)etc.数について中華文化圏でどのように考えられているか。

陰陽は両儀の範疇だが、一般に浸透している陰陽太極図(点が入ってるやつ)は両儀ではなく四象になるのだそう。

ちなみに合唱団エレウシスのロゴマークはこの太極図をデザイン化したものだって、知ってました??(しらねー)

かっちょいいだろ。めっちゃ気に入ってます(笑)

生と死、豊穣の象徴の麦などいろいろ詰め込まれてます。


四足歩行→二足歩行

陰陽の基本的な考え方として、陽の当たっているところが陽、当たってないところは陰となります。当たり前か(笑)

四足歩行の場合陽が当たっているのは背中側、これは二足歩行になったときもその傾向を残していて、たとえば鍼灸の世界では背中側を陽経というそうです。

立ち上がった時に前側が陰、後ろ側が陽というのはちょっと一般的イメージと異なるというか、どうしても目で見えている前側を陽のように感じてしまいますよね。表裏でいうと前側が表、後ろ側が裏と感じますもんね。

このように二足歩行になった人間も四足歩行であったころの身体の傾向を残していて、前足と後足の連動なんかも四足歩行の名残があって、それが韓氏意拳でいうところの「同歩」ということになるのだそうです。(うろ覚え)

「進化の過程」みたいな図で四足歩行から二足歩行にだんだん変わっていく絵がありますよね。

あれってこう前に歩きながらだんだん立ち上がっていくようになっていますが、あれはあくまでイメージ。実際前に歩きながら立ち上がるというのは相当困難、というか無理、やってみればわかります。

実際は後足に体重を乗せていかなければならないので、まずは後足が止まって、重心を後にずらしながら、後方向に立ち上がっていきます。

これはゴリラなんかを見ているとわかります。


立つ/座る

というあたりを確認したところで、「立つ稽古」としての站椿に進むかと見せかけてさらにその前段階の「立つ」ことそのものについて。

「立つ」とはどういうことなのかを、今度は椅子から立ち上がるという動作の中で探っています。

詳しくは割愛しますが、この「座る」→「立つ」の間に、四足歩行の身体観を経由しています。そして安定して立つためには、四足歩行と二足歩行のちょうど間の身体観で立ちたい。

ということでちょっと猿人みたいな、膝をちょっと曲げてちょっと前かがみな感じの格好になるんですね。

膝のラインがつま先のラインと同じあたり、そして3メートル先あたりの地面に目線がいく感じです。結果的に目線が下に行くということで、棒立ちで目線だけ下にいってもしょうがないよというのもポイントです。

自然でリラックスしててどこにも力みがないけど安定してる。という姿形です。

それでその際前重心にしたいのですが、そのやり方もなかなか独特で、背中側を感覚するようにすると重心が前にいきます。

ちょっと意外な気がしますが、BUGAKUでやった感覚方向と運動方向のズレがそうさせます。

感覚方向を後ろにすると運動は前に行こうとする。

で、この後ろを感覚するというのはつまり、陽の側を観るということです。

ここで引用された老子の一節が秀逸でした。

万物は陰を負いて陽を抱き
沖気を以って和を為す

身体の前側、すなわち陰はそのままにしておいて、陽の側を観る(抱く)ことで、両極のちょうど真ん中をとることができ、バランスよく立てる。

みたいなことですね。

上の一節を知っていても、こういう身体経験を伴わなければ、それが自分のものとしては感じられないと思います。

感覚を後ろに出して重心が前に行って安定する。という意味には取れないですよね。普通。でもやってみると、ほう、なるほど、と腑に落ちる。

実感を伴わない言葉は伝わらない、とよく言いますが、身体観を伴って初めて自分の経験となるという感じでした。

ありがたい言葉を知っている、唱えることができる。ということと、身体観を伴って経験があるというのは全然別の事柄なのですね。


站椿

はい。ここまで1時間半でした。残りの1時間で站椿を教わりました。

韓氏意拳で最も重要とされ、最も韓氏意拳の考え方を色濃く表すのは站椿だと思います。

なにしろ「立つ」ことを主眼においた稽古なのです。

前も書いたかもしれませんが、光岡先生はハワイ時代、この站椿を1日平均6時間、長いときは8時間やっていたそうです。

しかもですね、これは講座の後ピザを食べながら聞いたことですが、站椿八式を何巡もするというやり方ではなく、1つを2時間!とかやっていたそうです。いや、もう笑いますよね。変態すぎ( ´∀` )

というかそのころは站椿が八式あって、それを流れるようにやるということも知らずに、独学で3つくらいをただただ静止状態でやっていたそうです。

もう同じ人間とは思えないです。

やってみればわかります。八式を15分やるのでも一般人にはかなり大変です。なんかわあ!ってなります。辛抱できないです。

でもそれをやりだしてから不思議と怪我をしなくなったと。

それで後に韓星僑老師に站椿をみてもらったときに、始めて二週間で「基本はできている」と言わしめたそうです。

当時は「なんだ、基本だけか」と思ったそうですが、站椿って奥深すぎて、基本ができるってもうそれはそれは果てしないものなのです。

それを二週間で習得したというのは、ハワイでの独学での稽古(というか研究?)の成果だったと。

そういうわけで站椿というのはそういうものなのですが、私も実は八式全てを教わるのは初めてでした。

前回は形体訓練(の最初の2つ)、前々回は站椿の最初の3つだけだったので。

時間の関係でそれほど微に入り細に入りという感じではなかったですが、大まかに何に注目しながらやっているか教えていただきました。

「普通にやればいいんだよ」

というその人の言う普通とは何か。その人が普通にできるようになっている、その要因(ファクターX)はなんなのか。それを見つけないと永遠に普通にはできない。

また普通にできなければ意味がない。形だけ真似て、やろうと思ってそれをやるんでは使い物にならないんですね。

今回目から鱗だったことがもう一つ。重心に関して。

站椿で手を挙げていくときに、手が前にいくとその重みで重心が後ろにいきます。

それって普通に考えて足の後ろに体重が乗るって思うじゃないですか。

違うんですって。足の前半分の後ろ側に重心が移動するのだそうです。

だから韓氏意拳でいうところの後ろ重心というのは結局前重心なんですね!

そんなんあるんかあと思ってこれはもう目玉飛び出ました笑

上にも少し書きましたが、この日は講座後にピザ(うまい)を食べに行きまして、そこでも超絶面白い話が聞けましたが、普通の人が理解できる話ではないのでオフレコで笑

気になる方はぜひBUGAKUの方の講座に出てみてください。

というか一緒にやりましょう。


おしらせ

今週からSalicus Kammerchorのカンタータのリハーサルが始まります。

光陰矢の如し、もうそんな季節なんですねえ。

5月の演奏会が延期になって、そして他の演奏家もことごとくとびまくった私たちのなんやらいろんなものが大爆発する演奏会になります(確信)。

こういうこと(音楽家の鬱憤がこれほどまでに高められる機会)って滅多にないのでぜひ生で聴きにこれる方はぜひお越し下さい。

Salicus Kammerchor演奏会
J. S. バッハの教会カンタータ vol.1

日時・会場:
11月10日(火)19:15開演(18:30開場)
武蔵野市民文化会館小ホール ※200席限定

チケット:前売り 一般5,500円/学生2,500円
https://tiget.net/events/104835

​11月13日(金)19:15開演(18:30開場)
日本福音ルーテル東京教会 ※70席限定

チケット:前売り 一般6,000円/学生3,000円
https://tiget.net/events/102915

ライブ配信:
11月13日の公演はライブ配信(有料)を予定しています。
詳細は近日中に公開いたします。

曲目:J. S. バッハ
カンタータ第78番「イエス、私の魂よ」 BWV 78
カンタータ第99番「神の御業は正しきこと」 BWV 99
カンタータ第103番「あなた方は泣き喚くだろう」 BWV 103
カンタータ第182番「天の王よ、あなたを歓迎します」 BWV 182


第1回 プライバックSalicus

この懐かしいチラシはSalicus Kammerchorの第1回定期演奏会のときのものです。

今回このデビューコンサートの音源を聞きながら、メンバーと当時の思い出話裏話を語るライブ配信を企画しました。

ラジオ感覚でお聴きいただければと思います。

You Tubeチャンネル登録もどうぞよろしくおねがいします!

10月22日(木)20時より
Salicus KammerchorのYouTubeチャンネルにてライブ配信
https://www.youtube.com/channel/UCeWlQtnOnETy6Q2uZUVq4jA

出演:櫻井元希 谷本喜基 中須美喜 前島眞奈美

光岡英稔BUGAKU講座|7回目

日曜日、光岡先生のBUGAKU講座に参加してきました。

BUGAKU・韓氏意拳関連の記事はこちら↓

BUGAKU1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
BUGAKU2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
BUGAKU3回目 https://is.gd/Gm9C17
韓氏意拳講座1回目 https://is.gd/D3RjiJ
BUGAKU4回目 https://is.gd/37Oxg1
BUGAKU5回目 https://ux.nu/AmsQM
韓氏意拳講座2回目https://is.gd/G7l53a

(6回目の講座のレポートを書きそびれていて今回7回目です)

いやー7回目にして今回が一番わからんかったですね。わからんというか、自分の出来が悪かった。

毎日の稽古を見直さねばならんですね。

客体慣れする稽古をしなければ。

今回参加したのは応用1.2というクラスで、観法もやらなかったくらいアドバンスなところから始まってたということもあるんだと思います。前日の基礎クラスに出れなかったことが悔やまれる。

いや、メモの意味さえわからない。。。


応用クラス1

傾向が現象を生み、現象が行為を生む。

傾向と現象の違いがいまいちはっきりとはわからなかったのですが、身体の傾向「気」が現象を生んで、それが動きとなって現れる。それが「自然」なのだが、人間は傾向に逆らって、現象が起きていないのに動きを起こす事もできる。

そういう不自然なこともできてしまうが、結果生まれた行為は、傾向に沿った行為とは似て非なるものである。ということだと思います。

それができてしまう仕組みが、物理的身体(実体)を概念化した、思惟的身体(多分恣意的ではなかったと思う)を脳が作り上げてしまうから。

この思惟的身体(意識体、想像体)を壊して経験的身体に入ることが必要。

経験的身体には感覚体、客体、気之体があり、客体は感覚体と気之体を仲介するような役割を持つ。

そしてここにとても大事そうなこととして、

×「現象の行為化」

というのが書いてあるのですが、これがどういうことなのか説明できない。。

その時は理解してたはずなのに。。。

現象が起こる前に行為を起こしてはならないというようなニュアンスのことだったとは思うのですが。。

それでやはり今回も、武術の大きなテーマである、「自然とはなにか」というところに入っていったのですが、「不自然を感じる」というのは一体どういうことなのか、一切は自然のはずなのに。人間が作り出したものもまた人間という自然が作り出したものなのだから自然である。にもかかわらず、これは自然、これは不自然と我々が感じるということはどういうことなのか。

不登校という話にもなって、現象に沿った行為という意味では、学校に行きたくない子どもをむりやり学校に行かせるようなものですかね、という受講生の問いかけに、光岡先生は

「んー学校自体が不自然だからねえ。うちのこなんかずっと不登校だし」

とのこと。

一応私も教育学部を卒業したものとして教育には思うところがあるのですが、学校というのは、不自然の中で生きるためのわざを学ぶところであって、それはつまり生徒を不自然にするということなのだと思います。

不自然の中で生きるには、自分が不自然になるしかない。

不自然の中では、不自然こそが自然だからだ。

これが最近光岡先生がよく仰ってるマトリックスなんだと思います。

はい。講座の内容からちょっと脱線しました。

このあたりで、「傾向→現象→行為」を確かめるための稽古として、立ちしゃがみの型をやりました。

今回教わった型は新バージョンで、「伸び」の動きが追加されていました。

伸びた状態での定位不定位を経験するというもので、具体的には合掌した状態で伸びをして、右の指が左の指より上に来るようにずらすと定位、左の指が上に来るようにすると不定位ということでしたが、伸びた状態にも定位があるということがちょっと不思議な感じがしました。

定位・不定位といっても相対的なもので、伸びた状態での定位・不定位、立った状態での定位・不定位、しゃがんだ状態での定位・不定位があると。

つまり一番定位しているのはしゃがんだ状態での定位だが、伸びた状態でも、比較的定位、あるいは不定位という現象が起こると、そういうことのようです。

引き続き五体投地、涅槃→亀、逆涅槃→亀、しゃがみ稽古を教わりました。

ここらへん詳しく書くと大変なので、省略します。

それで午後のコマの最後にやった「点、線、面、体の世界」というのがわけわからな過ぎたのでここに書き記しておこうと思います。

正座で座った状態で右肩、左膝を両側から押して定位・不定位を確かめる方法があるのですが、細い棒を2本、私の後ろ側にハの字に置くと、不定位、逆ハの字に置くと定位になりました。

試している間、私後ろ見てません。ので、視覚情報によって生じた変化ではありません。

ちょっとわからなすぎるのでとりあえず起こったことだけ書き留めておくだけにしておきます。


応用クラス2

夜のクラスは、午後のクラスで「線の世界」に触れた延長ということで、曲線についてでした。

曲線というか円運動でしょうか。

まずみんなで輪になってぐるぐる歩きます。時計回り、反時計回り、それぞれ歩いている時の傾向をみます。

時計回りには中心に向かって集まっていく傾向が、反時計回りには逆に広がっていく傾向が身体にうまれます。更に歩きながら、指を下に出してぐるぐる回します。

歩く方向が時計回り、指も時計回りだと加速します。指を反時計回りにすると減速します。

歩く方向が反時計回り、指も反時計回りだと広がる傾向が強まります。指を時計回りにすると傾向が弱まります。

これ、私凄い気持ち悪くてすぐ酔っちゃいました。特に歩く方向と指の方向が逆だと一発でした。

それでこの広がる傾向、閉じる傾向を利用して、小手投げで試し稽古をしました。同じように小手投げをやるんですが、時計回りに歩いていた経験を思い出すようにすると身体の近くで崩れ、反時計回りの経験を思い出すようにすると遠くに崩れるんです。

私の稽古が足りてないと思ったところは特にここのところで、経験を身体で思い出す=客体でやるってことだと理解していますが、その稽古が足りないですね。私。

しかし一人稽古でこれをやるのは難しい。

練習法を編み出さねばならんやもしれんです。

夜のコマには甲野善紀がいらっしゃって光岡先生と稽古をやるというなんだか凄いものをみてしまいました。

空気が凄かった。

「見てないで稽古して」って言われましたがそれどころではない感じがしてました笑


今回のレポートはこのくらいにしておこうと思います。

今回はほんとに自分の至らなさを痛感するばかりだったので、また自分の稽古を見直して、次回に臨みたいと思います。

昨日サリクスの若手養成機関サリクス・アカデミー(仮)でも観法を取り入れながらそれを演奏にどうつなげるかという話をしました。

何言ってんだこいつって感じになるかなあと予想していたのですが、意外とコンセプトは伝わっていたようでした。

私が武術を学びにいって、それを演奏に活かそうとしてるというのは、自分がその効果と可能性を感じているからなんですよね。

こういうことって、多分超一流が自然とやれていることなんじゃないかと思います。

けどそれを教える事ができなかった部分。今まで才能という言葉で片付けられていた部分なんじゃないかなと思います。

それを、目に見えて、教えられる体系にしようとしているところが光岡先生の凄いところなんだと思います。

しかしながらやはり、本当のことは、あまりにも難しくて理解できない。

わかるように伝えようと嘘になる。

結局本当のことは誰にも理解できないから、理解できるようなことはみんな嘘です。わかりやすくすればするほど嘘が増える。

容易ではないですね。

わかりやすく伝えたいけど嘘は言いたくない。これはやっぱり矛盾してるんだと思います。


Salicus Kammerchor主催
ワークショップ第9回
「ネウマ的に歌う」の実践
〜発音・発声・歌いまわしの関係〜

今回のワークショップはコロナ対策で、オンラインとオフラインのハイブリッドです。

多分武術的な内容には全然触れないと思いますが笑、なるべく嘘のないように、しかしわかりやすくお伝えできるように奮闘します!

言葉と旋律の関係、歌を歌う上で欠かすことの出来ないこの関係のキモのところがお伝えできればと思っています。

詳細こちら→https://www.salicuskammerchor.com/workshop

改めてリモート合唱を考える

改めてリモート合唱を考える

4月から始めたリモートアンサンブル、リモート合唱について、少し振り返る時期が来たような気がしています。

アマチュア合唱団の練習手段として、アマ・プロ合唱団の作品発表の機会として、様々な形で関わり、また他の方の話も聞き、作品にも触れてきました。

いずれにしても、最近思うのは、リモート合唱はリアル合唱の代替、廉価版、バッタモン、っていうのは違うんじゃないかなということ。

リモート合唱にはリモート合唱のロマンがあって、それはリアル合唱にはない。

違う種類の感動がある。

なんか、焦がれというか、そういう種類の。

リモート合唱で得るものが沢山あって、リアルの合唱にそれを活かそうっていうのも、もちろんあるけど、それって現代曲歌えるようになるためにルネサンスポリフォニーを利用するようなもんで、あるいはルネポリ歌うためにグレゴリオ聖歌を勉強するようなもんで。

それそのものの価値はまた別のところにある。

リモート合唱をリアル合唱のためのつなぎ、練習台、と考えるのはどうももったいないような気がする。

リモート合唱やった時のなんとも言えない何かを、気のせいだと思って、なかったことにする。ワクチンや治療薬が流通するようになったらみんなそうするのだろうか。

それとも、このなんとも言えない何かは、リアル合唱の中にもあったのだろうか。

5月末だか6月頭だかに、2ヶ月ぶりに電車に乗った時、電車って、こんなにワクワクする乗り物だったのか!って驚きました。

うわ、揺れる、動く、走る、はやーいって感動しました。

でもそれって、もともと電車に乗るっていうアクティビティの中に含まれていたものですよね。

そういう類のものなのだろうか、リモート合唱にある、なんとも言えない何かは、リアル合唱にもともとあったけれど、気がつけなくなっていたものなのだろうか。


また私たちが主にやっている音楽がいわゆる古楽と呼ばれる音楽ジャンルであるということもなかなか面白い。

“Remote” Ensemble Salicusでやってることが古楽なのか否か。

まずそれは古楽をどう定義しているかによります。

私としては「古楽」って1750年以前に作曲された音楽ってそのぐらいのことでいいのではないかと思ってます。

「古楽的」というとまた話が違ってきて、これは非常〜に曖昧かつキナ臭い言葉だから基本的には使わないし、使うときは「いわゆる古楽的」という使い方をしてます。

それはつまり作曲当時の演奏習慣を知ること(再現することではない)であったり、あたれる限り作曲者に近い資料にあたったりすることであったりするわけですが、それって別に1750年以前の音楽に限ったことではない。だからいわゆる古楽演奏家が古典派やロマン派の音楽を「古楽的アプローチ」と称して演奏するのが全然ありなの。

だけどそれって普通のことじゃない?

どんな音楽やるにしても、作曲者の意図を知ろうとすることは、単に音楽対して誠実であるかどうかという問題で。

まして古楽器で演奏することを「古楽的」だと勘違いしてる人もいるくらいだけど、それはそれで別の言い方がある。

「古楽器使用」

だから”Rmote” Ensemble Salicusにしてもなんにしても、与えられた条件で音楽に対して誠実に演奏しましょう。というのは誠実な音楽家であれば一緒ですよね。どんなジャンルの、どんな時代の、どんな地域の音楽であっても。

怪我の功名ってこともあって、先日関ジャムで宮本浩次さんが言ってたみたいに、不自由な、ネガティブなシチュエーションからすっげえ作品ができたりするんですよね。

それを面白がることができるか、今までと違うことを受け入れられるかどうか。

私は何か小さなもの、小さなことを、見過ごさないようにしたいと思ってます。目に見えないくらい小さくて、一瞬で過ぎ去って忘れてしまうようなこと。

人生を刷新するような出来事というのは、いつだってとても小さなことなのです。


11月には本当に久しぶりにSalicus Kammerchorとしてリアルの演奏会を開催します。

2011年3月、僕はもう二度と関東には戻ってこれないと思ってました。もう二度と、仲間たちと、バッハを演奏することはないだろうと、思ってました。

けどそうはならなかった。5月に再開して、カンタータを演奏したときのことを僕は一生忘れられないと思う。

その時から、今日が最後の日だと思いながら生きるという思いがより強くなったと思います。

毎日、もう二度と会えないかもしれないと思って「いってらっしゃい、いってきます」と言ってます。今も。

今回また別の形で私たちの日常が奪われて、311の時から今まで生きてきた自分が試されてるなと思いました。

あの時、自分はまだ海のようには生きられないと思いました。海容エチカってやつですね。

今の自分はどうだろう。あの時よりはましだろうか。

試される日々はまだ続いていますが、11月のカンタータ公演は一つの試金石になると思っています。

神様からの中間テスト。

あなたはいままでどんなに生きてきましたか?

こんなに生きてきましたよと、言えるような演奏をしようと思います。

https://www.salicuskammerchor.com/concert