またしても飛行機でブログ書いてます。
最近スマホが飛行機内でも使えるようになって非常に助かってます。
昨日合唱団そらのロ短調終演いたしました。
ご来場下さいました皆様、誠にありがとうございます。
本当に素晴らしい演奏会でした。
昨日の打ち上げで喋ったことをほぼそのまま書きます笑
そらは私が中二の時からお世話になっているので、そらに入ってかれこれ17年経ちました。
本当にいつもお世話になっていて、一体何リットルのお酒をご馳走になったことやら。下手したら何ガロンかもしれません。
なのでいつも何か恩返しがしたいと、思っています。理想的には自分の歌でそれができればいいのですが、なかなかそう思えるところまでは至っておりません。
ただ胸を張って、これだけは私の手柄だと言えるのは、野間ちゃんをそらに紹介したことです。
2年前でしょうか、確かその頃カンタータクラブでもロ短調をやっていた頃ではないかと思いますが、野間ちゃんをそらに紹介しました。
予想を超えて急速にそらに馴染んでくれて、毎回そらのみんなは野間ちゃんが来るのをとても楽しみにしています。
僕が野間ちゃんをそらに紹介したのは、もちろんいい歌を歌うから、なんですけど、特に、ハートと、気合いがあるからなんです。
音楽を判断する基準って(ここでも度々書いてる気がしますが)とても難しくって、特に価値観の多様化した現代音楽なんかではそれが顕著だと思いますが、何が良くて、何が良くないのか、はっきりいうことがとても難しくなっています。
だから割と多くの場合、物理現象によってそれを判断してしまう。音程があってるか、高い声が出るか、滑らかに音が繋がっているか、抑揚があるか、テンポはどうか、アーティキュレーションはどうか。
そういうことでしか音楽の良し悪しを判断できない人は本当に多い。
でも音程の無い音楽では音程で音楽を判断できないし、端から端までずっとノイズ、とか、極端な場合無音が音楽ですって言われたら、どうやってその良し悪しを判断しますか?
たとえば僕が「3分44秒」という曲を作ったら、良い曲ですか?
それで何が言いたいかというと、音楽の一つの判断基準が「気合いがあるかどうか」だと思うんです。
これとってもわかりやすいと思うんですけど、実はとあるノイズ系パフォーマーの受け売りです。
物凄く自分にとって腑に落ちてます。
僕の作った「3分44秒」は、ジョンケージの「4分33秒」と何が違うのかというと、物凄くわかりやすく言えば、気合いが違うんです。これは物凄く大きな違いです。だから僕の「3分44秒」は、ジョンケージの「4分33秒」と比べるとびっくりするくらい劣ってるんです。それはそれはお話にならないくらい。
それで、意外と世の中、声が良かったりテクニックがえげつなかったりする音楽家は多いんですけど、この「気合いがある」音楽家って少ないんですよね。まあそれがあるかどうか判断するのも自分なので、「僕にとっては」ということになるんですけど。
野間ちゃんの歌にはそれがあるんです。確かにある。
僕の身の回りにはそういう歌手は二人しかいない。二人いるというのも凄いことだと思うしありがたくって出会いに感謝って感じですけど。
ほんとどこに出しても恥ずかしくない。
音楽をやる上で一番大事なことを持ってる。
それで、一番言いたいのは、僕のこういう価値観は、そらで培われたんだなということ。
今回の演奏会でそれを再確認しました。
もうほんと。
「コレダヨネ」
って感じ。私がやりたいことってまさにこういうこと。
まさにそれ。
これこそがそれ。
ことわっておきますが、そんなべらぼうに上手ってわけじゃないんです。細かい失敗は沢山あるし、音程も発声も発音もそこそこです。
でも上手な演奏ならそこら中にある。録音もいっぱいあるからそれを聞いてりゃいい。YouTubeでもApple Musicでもナクソスでもなんでも聞けばいい。
でも僕が聴きたいのはそういうことじゃない。
僕がやりたいのはそういうことじゃない。
僕はここで育ってきたんだなと、そう思いました。
本当に素晴らしい演奏でした。
最高でした。
「それでいいんだよ」って言われた気がしました。
僕は本当に出会いに恵まれています。
わかってて、信じて続けていても、認められないとやっぱりしんどい。
認められるためにやってるわけじゃなくても、それでも認められないときつい。
僕の人生の節目節目で「その道を、そのまま進め」という励ましの声があるような気がします。
多分最初は古東哲明先生の哲学の最初の授業、
「みなさんご存知のように、生きてることに意味なんかありません」
次は小林道夫先生、
「いいリハーサルをしてるね。信じて、続けなさい」
その次が多分昨日の演奏でした。昨日のは、言葉ではなかったけど。
「それでいいんだよ」
僕にはそう聞こえました。