インド音楽の深海から素潜りで特殊ネウマの鍵を拾ってくる話

ついに開いてしまいました。この扉を(喩えを統一しろ)

いろいろ前提からお話しなければなりませんが、寺原太郎さんにインド音楽を教わることになりました。

なぜ西洋クラシック(古楽)の音楽家である私がインド音楽を学ぶことになったのか。

お話したいと思います。


これだから特殊ネウマってやつあ

グレゴリオ聖歌の歌いまわしを書き留めたものを古ネウマ(譜線なしネウマ)といいますが、この古ネウマ、10世紀頃から書かれていたのですが、13世紀頃にはすっかり使われなくなってしまいます。

ネウマについてはサリクスのブログにも書いてます。コチラからどうぞ。

あるいはサリクスのメルマガのアーカイブから更に詳しい渡辺研一郎による記事をご覧いただくこともできます。

音の高低や長短をはっきりとは示せないけど、歌いまわしについてはかなり微細に書き留めることのできるネウマ、これはめちゃめちゃ歌の参考になります。

一刻も早く音大の必修科目にすべきだと思います。

しかしですね、一回廃れてしまった記譜法なので、一部何を表してるのかよくわかっていないものもあります。

それが特殊ネウマです。

特殊ネウマについても詳しく知りたい方はコチラをどうぞ。

何らかの特殊な歌いまわしを示すということだけは確かなようですが、具体的にどういう歌い方を指しているのかよくわからない。

私たちは一応、こうしましょうという取り決めをしてやっているのですが、ほんとに1000年前の人がそういう歌い方をしていたのかはわかりません。


単旋律に全振りのインド音楽

ヨーロッパの音楽は、グレゴリオ聖歌を源泉として発達した的なことを言われると思いますが、まあまあそのとおりで、おそらく多声音楽がこれだけ隆盛を極めたのはグレゴリオ聖歌のせいだと考えられます。

グレゴリオ聖歌というのは(一応建前上)神様が聖霊を遣わして教皇グレゴリウス一世に伝えたそれはそれは神聖な音楽なので、指一本触れてはならぬ。勝手に装飾を加えたり、旋律を変えたりしてはいかんということになっているんです。(一応、建前上)

なので人々の創作意欲のはけ口として「グレゴリオ聖歌に新たな旋律を加える」という方法が生まれ、多声音楽へと発展していった。と一節には言われております。

いずれにせよ西洋音楽は縦方向に複雑化するという選択をとったことになります。

その結果どうなったか、横方向、つまり旋律は単純化していった。

徐々に単純化していったとかそんな簡単な話ではないんですが、少なくとも、特殊ネウマの歌いまわし、またリクエッシェンス(子音をどう発音するかという指示したもの)が、少なくとも楽譜に書かれることはなくなりました。(実践はともかく※ここ重要)

つまりすごく単純な言い方をすると、西洋音楽は「縦方向に進化して、横方向に退化した」

では横方向にフォーカスした音楽ってないのかっていうと、それがインド音楽だと思うんです。

インド音楽の凄さはですね。これもやはりサリクスのメルマガのアーカイブを是非見ていただきたいです。

寺原太郎さんに執筆をお願いした回の、限定公開の動画がめちゃめちゃすごいです。目が回って星が飛びます。

それかとりあえずこれを見るだけでもわかります。

これまで2回寺原さんのワークショップを受講しましたが、もうそれはそれは顎が地中深く埋まるくらい衝撃を受けました。

ということできっとこの深い深いラーガの海には特殊ネウマの歌いまわしを探る上での鍵があるに違いないと思っていました。

ただ、あまりにもラーガの世界が広大すぎて、どういう勉強の仕方をしたらそこに近づけるのかわからないでいました。


ひょっとしたら落ちているかもしれないものを拾うための方法

最近ようやくひらめいたんですね。星の数ほどあるラーガの中には、グレゴリオ聖歌の旋法に似たようなラーガがあるんじゃないか。

つまりめくらめっぽうにラーガを一個ずつ勉強するんじゃなくて、寺原さんにグレゴリオ聖歌を聴いてもらって「これに近いラーガ教えて下さい!」って言えばいいんじゃなかろうかと。

いやもちろん突拍子もない話といえばそうだし、考えようによってはめっちゃ失礼なんじゃないかとも思いますが、これならもしかしたら効率よく鍵に近づけるかもしれないと。

そう考えたわけです。

寺原さんとは路上でパスタを一緒に食べたこともあったのできっとわかってくれるだろう、わかってくれるかな??ドキドキしながら連絡を取りました。

寺原さんからの返事は意外なものでした。

「レッスンというか、共同研究にしませんか?」

いやーありがたいけどまだそういう段階に達してもいない話な気もするしーとむにゃむにゃと考えながら、今日zoomでミーティングさせていただきました。

グレゴリオ聖歌、ネウマ、そして旋法のことを私が説明し、音域や、音階(タート)や、主要音や、旋律定型などラーガとの共通項をあぶり出していきました。

インド音楽にもこう少しは楽譜っぽいというか、そういう記号的なものがあったらいいなあという淡い期待があったのですが、そういうものはないそうです笑

サレガマでかかれたメモや、それについての説明書きみたいなものは言葉では残っているけれど、記号のようなものはない。

そもそも伝承の方法として、ちょっと前までメモや録音も禁止するような感じだったそうです。

ただただ音楽をシャワーのように浴びて、繰り返し繰り返し練習する。

うーむ想定はしていたがなかなかの徹底ぶりだ。

というわけでそういう方向はすっぱり諦めて、当初の方法に立ち返ることに。

私がグレゴリオ聖歌を歌ってみて、似たようなラーガがないか聴いていただく。

いくつかの旋律定型や、曲を聴いて頂いたところ、今エレウシスでもやっている入祭唱Judica me DeusがBhairaviに近いとのこと。

というわけで次回から私はラーガBhairaviを学ぶことになりました!

バンザイ!一歩進んだ!


今後の展望

ここから先はまずこのラーガを勉強してからじゃないとわかりませんが、音の運び方やゆらぎや装飾的な動きを学んでいくことで、それをグレゴリオ聖歌に活かしていくことができるかもしれません。

Judica me DeusをBhairavi風に歌うというのもやってみたいな。今思いついたけど。

あとは一応なんとなく旋法にもそれぞれ情緒というか、キャラクターがあって、さらに、聖務日課では歌われる時間が決められている。

そういう点がラーガにも共通するので、例えば朝のラーガと朝課で歌われるグレゴリオ聖歌の特徴を比べてみたりとかも面白そうだなあと思っております。

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