光岡英稔BUGAKU講座|7回目

日曜日、光岡先生のBUGAKU講座に参加してきました。

BUGAKU・韓氏意拳関連の記事はこちら↓

BUGAKU1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
BUGAKU2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
BUGAKU3回目 https://is.gd/Gm9C17
韓氏意拳講座1回目 https://is.gd/D3RjiJ
BUGAKU4回目 https://is.gd/37Oxg1
BUGAKU5回目 https://ux.nu/AmsQM
韓氏意拳講座2回目https://is.gd/G7l53a

(6回目の講座のレポートを書きそびれていて今回7回目です)

いやー7回目にして今回が一番わからんかったですね。わからんというか、自分の出来が悪かった。

毎日の稽古を見直さねばならんですね。

客体慣れする稽古をしなければ。

今回参加したのは応用1.2というクラスで、観法もやらなかったくらいアドバンスなところから始まってたということもあるんだと思います。前日の基礎クラスに出れなかったことが悔やまれる。

いや、メモの意味さえわからない。。。


応用クラス1

傾向が現象を生み、現象が行為を生む。

傾向と現象の違いがいまいちはっきりとはわからなかったのですが、身体の傾向「気」が現象を生んで、それが動きとなって現れる。それが「自然」なのだが、人間は傾向に逆らって、現象が起きていないのに動きを起こす事もできる。

そういう不自然なこともできてしまうが、結果生まれた行為は、傾向に沿った行為とは似て非なるものである。ということだと思います。

それができてしまう仕組みが、物理的身体(実体)を概念化した、思惟的身体(多分恣意的ではなかったと思う)を脳が作り上げてしまうから。

この思惟的身体(意識体、想像体)を壊して経験的身体に入ることが必要。

経験的身体には感覚体、客体、気之体があり、客体は感覚体と気之体を仲介するような役割を持つ。

そしてここにとても大事そうなこととして、

×「現象の行為化」

というのが書いてあるのですが、これがどういうことなのか説明できない。。

その時は理解してたはずなのに。。。

現象が起こる前に行為を起こしてはならないというようなニュアンスのことだったとは思うのですが。。

それでやはり今回も、武術の大きなテーマである、「自然とはなにか」というところに入っていったのですが、「不自然を感じる」というのは一体どういうことなのか、一切は自然のはずなのに。人間が作り出したものもまた人間という自然が作り出したものなのだから自然である。にもかかわらず、これは自然、これは不自然と我々が感じるということはどういうことなのか。

不登校という話にもなって、現象に沿った行為という意味では、学校に行きたくない子どもをむりやり学校に行かせるようなものですかね、という受講生の問いかけに、光岡先生は

「んー学校自体が不自然だからねえ。うちのこなんかずっと不登校だし」

とのこと。

一応私も教育学部を卒業したものとして教育には思うところがあるのですが、学校というのは、不自然の中で生きるためのわざを学ぶところであって、それはつまり生徒を不自然にするということなのだと思います。

不自然の中で生きるには、自分が不自然になるしかない。

不自然の中では、不自然こそが自然だからだ。

これが最近光岡先生がよく仰ってるマトリックスなんだと思います。

はい。講座の内容からちょっと脱線しました。

このあたりで、「傾向→現象→行為」を確かめるための稽古として、立ちしゃがみの型をやりました。

今回教わった型は新バージョンで、「伸び」の動きが追加されていました。

伸びた状態での定位不定位を経験するというもので、具体的には合掌した状態で伸びをして、右の指が左の指より上に来るようにずらすと定位、左の指が上に来るようにすると不定位ということでしたが、伸びた状態にも定位があるということがちょっと不思議な感じがしました。

定位・不定位といっても相対的なもので、伸びた状態での定位・不定位、立った状態での定位・不定位、しゃがんだ状態での定位・不定位があると。

つまり一番定位しているのはしゃがんだ状態での定位だが、伸びた状態でも、比較的定位、あるいは不定位という現象が起こると、そういうことのようです。

引き続き五体投地、涅槃→亀、逆涅槃→亀、しゃがみ稽古を教わりました。

ここらへん詳しく書くと大変なので、省略します。

それで午後のコマの最後にやった「点、線、面、体の世界」というのがわけわからな過ぎたのでここに書き記しておこうと思います。

正座で座った状態で右肩、左膝を両側から押して定位・不定位を確かめる方法があるのですが、細い棒を2本、私の後ろ側にハの字に置くと、不定位、逆ハの字に置くと定位になりました。

試している間、私後ろ見てません。ので、視覚情報によって生じた変化ではありません。

ちょっとわからなすぎるのでとりあえず起こったことだけ書き留めておくだけにしておきます。


応用クラス2

夜のクラスは、午後のクラスで「線の世界」に触れた延長ということで、曲線についてでした。

曲線というか円運動でしょうか。

まずみんなで輪になってぐるぐる歩きます。時計回り、反時計回り、それぞれ歩いている時の傾向をみます。

時計回りには中心に向かって集まっていく傾向が、反時計回りには逆に広がっていく傾向が身体にうまれます。更に歩きながら、指を下に出してぐるぐる回します。

歩く方向が時計回り、指も時計回りだと加速します。指を反時計回りにすると減速します。

歩く方向が反時計回り、指も反時計回りだと広がる傾向が強まります。指を時計回りにすると傾向が弱まります。

これ、私凄い気持ち悪くてすぐ酔っちゃいました。特に歩く方向と指の方向が逆だと一発でした。

それでこの広がる傾向、閉じる傾向を利用して、小手投げで試し稽古をしました。同じように小手投げをやるんですが、時計回りに歩いていた経験を思い出すようにすると身体の近くで崩れ、反時計回りの経験を思い出すようにすると遠くに崩れるんです。

私の稽古が足りてないと思ったところは特にここのところで、経験を身体で思い出す=客体でやるってことだと理解していますが、その稽古が足りないですね。私。

しかし一人稽古でこれをやるのは難しい。

練習法を編み出さねばならんやもしれんです。

夜のコマには甲野善紀がいらっしゃって光岡先生と稽古をやるというなんだか凄いものをみてしまいました。

空気が凄かった。

「見てないで稽古して」って言われましたがそれどころではない感じがしてました笑


今回のレポートはこのくらいにしておこうと思います。

今回はほんとに自分の至らなさを痛感するばかりだったので、また自分の稽古を見直して、次回に臨みたいと思います。

昨日サリクスの若手養成機関サリクス・アカデミー(仮)でも観法を取り入れながらそれを演奏にどうつなげるかという話をしました。

何言ってんだこいつって感じになるかなあと予想していたのですが、意外とコンセプトは伝わっていたようでした。

私が武術を学びにいって、それを演奏に活かそうとしてるというのは、自分がその効果と可能性を感じているからなんですよね。

こういうことって、多分超一流が自然とやれていることなんじゃないかと思います。

けどそれを教える事ができなかった部分。今まで才能という言葉で片付けられていた部分なんじゃないかなと思います。

それを、目に見えて、教えられる体系にしようとしているところが光岡先生の凄いところなんだと思います。

しかしながらやはり、本当のことは、あまりにも難しくて理解できない。

わかるように伝えようと嘘になる。

結局本当のことは誰にも理解できないから、理解できるようなことはみんな嘘です。わかりやすくすればするほど嘘が増える。

容易ではないですね。

わかりやすく伝えたいけど嘘は言いたくない。これはやっぱり矛盾してるんだと思います。


Salicus Kammerchor主催
ワークショップ第9回
「ネウマ的に歌う」の実践
〜発音・発声・歌いまわしの関係〜

今回のワークショップはコロナ対策で、オンラインとオフラインのハイブリッドです。

多分武術的な内容には全然触れないと思いますが笑、なるべく嘘のないように、しかしわかりやすくお伝えできるように奮闘します!

言葉と旋律の関係、歌を歌う上で欠かすことの出来ないこの関係のキモのところがお伝えできればと思っています。

詳細こちら→https://www.salicuskammerchor.com/workshop

改めてリモート合唱を考える

改めてリモート合唱を考える

4月から始めたリモートアンサンブル、リモート合唱について、少し振り返る時期が来たような気がしています。

アマチュア合唱団の練習手段として、アマ・プロ合唱団の作品発表の機会として、様々な形で関わり、また他の方の話も聞き、作品にも触れてきました。

いずれにしても、最近思うのは、リモート合唱はリアル合唱の代替、廉価版、バッタモン、っていうのは違うんじゃないかなということ。

リモート合唱にはリモート合唱のロマンがあって、それはリアル合唱にはない。

違う種類の感動がある。

なんか、焦がれというか、そういう種類の。

リモート合唱で得るものが沢山あって、リアルの合唱にそれを活かそうっていうのも、もちろんあるけど、それって現代曲歌えるようになるためにルネサンスポリフォニーを利用するようなもんで、あるいはルネポリ歌うためにグレゴリオ聖歌を勉強するようなもんで。

それそのものの価値はまた別のところにある。

リモート合唱をリアル合唱のためのつなぎ、練習台、と考えるのはどうももったいないような気がする。

リモート合唱やった時のなんとも言えない何かを、気のせいだと思って、なかったことにする。ワクチンや治療薬が流通するようになったらみんなそうするのだろうか。

それとも、このなんとも言えない何かは、リアル合唱の中にもあったのだろうか。

5月末だか6月頭だかに、2ヶ月ぶりに電車に乗った時、電車って、こんなにワクワクする乗り物だったのか!って驚きました。

うわ、揺れる、動く、走る、はやーいって感動しました。

でもそれって、もともと電車に乗るっていうアクティビティの中に含まれていたものですよね。

そういう類のものなのだろうか、リモート合唱にある、なんとも言えない何かは、リアル合唱にもともとあったけれど、気がつけなくなっていたものなのだろうか。


また私たちが主にやっている音楽がいわゆる古楽と呼ばれる音楽ジャンルであるということもなかなか面白い。

“Remote” Ensemble Salicusでやってることが古楽なのか否か。

まずそれは古楽をどう定義しているかによります。

私としては「古楽」って1750年以前に作曲された音楽ってそのぐらいのことでいいのではないかと思ってます。

「古楽的」というとまた話が違ってきて、これは非常〜に曖昧かつキナ臭い言葉だから基本的には使わないし、使うときは「いわゆる古楽的」という使い方をしてます。

それはつまり作曲当時の演奏習慣を知ること(再現することではない)であったり、あたれる限り作曲者に近い資料にあたったりすることであったりするわけですが、それって別に1750年以前の音楽に限ったことではない。だからいわゆる古楽演奏家が古典派やロマン派の音楽を「古楽的アプローチ」と称して演奏するのが全然ありなの。

だけどそれって普通のことじゃない?

どんな音楽やるにしても、作曲者の意図を知ろうとすることは、単に音楽対して誠実であるかどうかという問題で。

まして古楽器で演奏することを「古楽的」だと勘違いしてる人もいるくらいだけど、それはそれで別の言い方がある。

「古楽器使用」

だから”Rmote” Ensemble Salicusにしてもなんにしても、与えられた条件で音楽に対して誠実に演奏しましょう。というのは誠実な音楽家であれば一緒ですよね。どんなジャンルの、どんな時代の、どんな地域の音楽であっても。

怪我の功名ってこともあって、先日関ジャムで宮本浩次さんが言ってたみたいに、不自由な、ネガティブなシチュエーションからすっげえ作品ができたりするんですよね。

それを面白がることができるか、今までと違うことを受け入れられるかどうか。

私は何か小さなもの、小さなことを、見過ごさないようにしたいと思ってます。目に見えないくらい小さくて、一瞬で過ぎ去って忘れてしまうようなこと。

人生を刷新するような出来事というのは、いつだってとても小さなことなのです。


11月には本当に久しぶりにSalicus Kammerchorとしてリアルの演奏会を開催します。

2011年3月、僕はもう二度と関東には戻ってこれないと思ってました。もう二度と、仲間たちと、バッハを演奏することはないだろうと、思ってました。

けどそうはならなかった。5月に再開して、カンタータを演奏したときのことを僕は一生忘れられないと思う。

その時から、今日が最後の日だと思いながら生きるという思いがより強くなったと思います。

毎日、もう二度と会えないかもしれないと思って「いってらっしゃい、いってきます」と言ってます。今も。

今回また別の形で私たちの日常が奪われて、311の時から今まで生きてきた自分が試されてるなと思いました。

あの時、自分はまだ海のようには生きられないと思いました。海容エチカってやつですね。

今の自分はどうだろう。あの時よりはましだろうか。

試される日々はまだ続いていますが、11月のカンタータ公演は一つの試金石になると思っています。

神様からの中間テスト。

あなたはいままでどんなに生きてきましたか?

こんなに生きてきましたよと、言えるような演奏をしようと思います。

https://www.salicuskammerchor.com/concert

藤井聡太二冠

藤井聡太二冠

もうほんと凄いことになってきましたね。

いや、当然といえば当然で、いよいよそういうフェーズに入ったんだなということなんですが。

つまり、誰が藤井聡太に対峙しうるのか、というフェーズに。

木村一基王位に対してストレート奪取ですよ。

しかも決着局は封じ手以降のAIの最善手との一致率が100%というじゃあありませんか。意味わかりません。

ああ、もう人間の世界から旅立たれたのですね。。。って感じです。


藤井聡太二冠の強さ

翌日の記者会見で、「長いタイトル戦が一区切り付きましたが、自宅に帰って何がしたいですか」という問いに対して

「昨日の将棋をじっくり振り返りたい」

って答えたんですよ。

それでいやいやそうじゃなくてってなって、「将棋を離れて何か」と改めて問われて、大長考の末、

「落ち着いたらパソコンを1台組みたいなとは思っています」

いやいやそのパソコンで昨日の将棋をじっくり振り返るんやろーーー!!

これが藤井聡太ですよ皆さん。

以前「プロになったときと比べて今はどのくらい強くなったと思いますか?」という問いに、「角一枚くらい」って言ったんですよね。彼。ほんとに恐ろしい。

底が知れない。

普通プロに入って最初の頃は全部予選からで、トーナメントも下の方からになるので、なかなかトッププロとはあたらないんです。だから勝率も高くなるんですけど、今の藤井聡太二冠を見ていると、もしかして、まさか、これから勝率上がっていくんじゃないかって、そんな有り得ないことも夢想してしまうほど、次元が違う感じです。

私の好きな将棋YouTuberクロノさんも「いやいやいや、ひくぐらい強いですね正直」と言っていましたが同感です。


木村一基が好き

今回破れた木村一基王位は46歳で昨年初めてタイトルを取った百折不撓の男でありまして、私が最も好きな棋士の一人です。

推しと推しの対局は、必ずどちらか負けてしまうので、どちらが勝っても素直に喜べない複雑な気持ちです。

めちゃめちゃ見たいけど見たくない的な。

昨日読んだ記事でとても感動的な記事だったので紹介します。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/50118

行方八段の言葉がアツいです。

これからも勝ってる木村さんが見たい。


将棋カフェCOBIN

それで昨日実は私初めて将棋カフェというところに行ってみました。

レッスンを受けている高田馬場に、ずっとあるのは知っていたんですが、なかなか行く勇気が出ず。。

すごーく緊張しました。

なにしろリアルで将棋指すの20年ぶり笑笑

ずっと将棋ウォーズというアプリでやってたので。

手え震えましたね。

なかなか近頃こんなスリリングな気持ちになったことがなかったので、貴重な体験でした。2戦2敗でした。。

精進します。


演奏会暗中模索

仕事の方は今、9月4日のリモートアンサリの音源編集と、11月のカンタータ公演の準備で忙しくしています。

こう見えて。

リモートアンサリについてはこちら

仮歌紹介動画も見てね♡

11月のカンタータはもうほんと、相当知恵を絞らないと、普通にやったら100万円単位の赤字が出そうです。

なにしろ出演料だけで100万円超えるのに、50人しかお客さん呼べなかったらチケット代2万円にしなきゃいけない。

さすがにそれはできないけど、チケット代は上げざるを得ないし、配信もそれなりの料金をいただかないと採算が取れない。

それなりの料金をとるとなると生半可な配信はできない。

アーカイブは売るのか、いくらでどう売るのか、課題が山積です。

今演奏会を企画している音楽家はみんな同じように試行錯誤、頭を捻りながらやってます。

どうか応援よろしくおねがいします。


サリクス謹製クリアファイル販売開始!

今日はいいニュースも一つ。

ずっと作ろう作ろうという話はしていた、サリクスのクリアファイルができました。

使ってもらえると嬉しいです。

今基本ネットでしか売ることができないということで、セットでのみの販売です。

5枚フルセットか、3枚ランダムセットかいずれかです。

結構鮮やかで可愛い感じに仕上がったので、ぜひお買い求めください!

https://salicus.thebase.in/


アラミレ合宿

縮小版でしたが、今年もアラミレの合宿で長野に行きました。

青い空と木々の緑を吸収してきました。

行けてよかった。

流れ星と天の川と雷と蛍を見て花火をしました。

おなかいっぱい。

第3回リモートアンサリライブ

コロナ対策で始めたリモートアンサリライブ、初回は5月、4人でやりました。

2回目は7月で6人でした。第3回は9月で8人です。

このまま順調に行けば11月には10人、、、1月には0人、、、になるわけではないですね。

が、この次はいよいよ通奏低音を入れてSalicus Kammerchorとしてライブできればいいなあと思っております。

その前に11月のカンタータ公演をどのような形で開催するかを検討してお知らせしなければなりませんね。

演奏会についてはもう常に難しい判断を迫られます。

その点リモートアンサリライブは、この企画自体での感染リスクは極めて低いので準備がしやすいです。

とは言っても演奏会同様大変は大変ですけどね。

でも開催できるとわかっているものの準備は楽しいです。

今回披露する予定の曲は5曲です。


①グレゴリオ聖歌 主の昇天の祝日のミサ固有唱より拝領唱「主に向かいて賛美の歌を歌え」
②グレゴリオ聖歌 ミサ通常唱第1番より「アニュス・デイ」

グレゴリオ聖歌は前回から引き続き主の昇天の祝日のミサからです。

今回で例の動画から続く主の昇天のミサがすべてグレゴリオ聖歌だけで完結します。

そういうパッケージ作ってもいいかもな。うむ。検討します。


③ギョーム・デュファイ「めでたし乙女」

今回のポリフォニーはすべて聖母マリアのモテットです。時代順にデュファイから。3声の美しいモテットです。鏑木・渡辺・櫻井の3人で演奏しました。

本当にデュファイって凄すぎて、私この人宇宙人だったんじゃないかと思ってるんですけど笑

仮歌作るのに4日かかりました。「仮歌」にですよ。しかも3声の曲なのに。いや、単純に声部の少ない順に録り始めたんですけど、いやはやこんなに大変だとは思わなかった。

あまりに大変だったので、仮歌紹介動画とか作ろうかなあ。全曲は流さないで、曲紹介も兼ねて。

間違いなくこれまでで一番の難曲です。普通に歌っても難しいです、多重録音としては最高難度の曲ではないでしょうか。


④クローダン・ド・セルミジ「天の元后」

セルミジは第1回リモートアンサリライブでも取り上げたのですが、最近ハマってます。歴史的にいまいち評価されてないのはなぜだろう。

パレストリーナに匹敵するか上回るほどのポピュラリティがあると思います。

素直に、まっさらで聴いて美しい。

「あなたのハートにド直球」な作曲家だと思います。

間違いないですね。これは。

5声の作品で、中須・富本・佐藤・谷本・松井の5人で演奏します。


⑤トマス・ルイス・デ・ビクトリア「アヴェ・マリア」

最後は8人全員で8声の作品を演奏します。

ビクトリアの8声のアヴェ・マリアです。ビクトリアのアヴェ・マリアとしては4声のものが有名で、合唱コンクールなどにも取り上げられていましたが、どうやらあちらは偽作のようですね。

偽作問題については、いつも思うんですが、有名な作曲家の名前がついていたことによってその作品が後世に残ったわけですので、その曲が好きな人にとっては万々歳ですよね。

誰が作ったかということで作品そのものの価値はなんら変わらないので。

8声の方のアヴェ・マリアは典型的な二重合唱の様式で書かれています。

重厚にして均整のとれた美しさというか、基本的には他のルネサンスの宗教作品同様宇宙の摂理をあらわしたものだと思うのですが、その建前の隙間からにじみ出る人間味みたいなものがビクトリアの魅力かなと思います。

どうしようもなく滲んじゃってるんですよね。人間が。

これもやはり、当たり前ですが声部が多いので、仮歌づくりは大変でした。4声の作品と比べて単純に手間は2倍です。

最近暑いですよね。エアコンつけなかったら30分くらいで命の危険を感じますが、録音するときってエアコンのノイズが入っちゃうから切るんです。

設定温度21度とかでキンキンに冷やしてからスイッチ切って、汗ダラダラ流しながら録音してまたエアコンつけて、またキンキンに冷やしてから録音する。みたいなことを何十回と繰り返して録音しました。

いや、真夏の宅録って過酷。多分真冬も過酷なんだろうなああ。

でも多分夏のほうが辛いですよね。のび太くんも言っていましたが、冬は服を着れば温かいけど、夏は裸になっても暑いですからね。

演奏も激アツになってますので、どうぞお楽しみに。


第3回 “Remote” Ensemble Salicus Live〈過去最大編成のアンサリ〉

Salicus KammerchorのYou Tubeチャンネルでのライブ配信です↓

https://www.youtube.com/channel/UCeWlQtnOnETy6Q2uZUVq4jA

日時:9月4日(金)20時開始

曲目:
グレゴリオ聖歌 主の昇天の祝日のミサ固有唱より拝領唱「主に向かいて賛美の歌を歌え」
グレゴリオ聖歌 ミサ通常唱第1番より「アニュス・デイ」
ギョーム・デュファイ「めでたし乙女」※鏑木・渡辺・櫻井
クローダン・ド・セルミジ「天の元后」※中須・富本・佐藤・谷本・松井
トマス・ルイス・デ・ビクトリア「アヴェ・マリア」

出演:Ensemble Salicus
鏑木綾 中須美喜 渡辺研一郎 佐藤拓 富本泰成 櫻井元希 谷本喜基 松井永太郎

古楽的見地から分析するトゥヴァ民謡

昨日お風呂でぼーっと考えていたことを書きます。

タイトルほど大げさなことではありません。

今コエダイr合唱団でХөөкүй ноянという多分トゥヴァ民謡を練習しています。

音源は以下から聞くことができます。

https://mp3mn.com/?song=02+%D1%85%D0%BE%D0%BE%D0%BA%D1%83%D0%B9+%D0%BD%D0%BE%D1%8F%D0%BD

この曲自体は去年からやってるのですが、この音源聴いたのは先週の練習会ででした。

それでこの曲のありさまを初めて知ったのですが、ちょっと思ってたのと違ったんですね。

そもそもこの曲アカペラでユニゾンで歌ってるものなんですね。勝手にイギルとかドシュプルール楽器付きだと思ってました。

それでこの曲3番までと4番からの様子が全然違う。それはテキストが3番まではなんだか牧歌的なのほほんとしたテキストなのに、4番から急に政治的な内容になって、二重支配辛い的な内容になってます。

何か事情があって4番5番の歌詞が付け加えられたんでしょうか。初めから子の構成だったとは私には思えません。

それでこの内容に合わせて、最初はどちらかというと息もれ系の柔らかヴォイスから、3番の終わりのところのオーハヤン、エーハヤンという掛け声みたいとこから喉詰め発声になるんですね。

でも実は声の音色は徐々に変わっていっていて、3番の頭ちょっと過ぎたあたりから、(多分)3人のうちの真ん中の1人が喉詰めで歌っています。

それでオーハヤン、エーハヤンのところで左の人が喉詰めになって、4番の頭からみんな喉詰めになっています。

多分打合せでは3番の頭から一人喉詰めになる予定だったんでしょう。途中で目配せがあったのか、あわてて喉詰めに変えてるっぽいです。

最後、5番ですが、真ん中の人ひょっとして歌ってないかしら?最後のところ、左の人はどういうわけか慌てて音をブチって切って歌いやめてしまうんですが(最後のnの子音も言ってない)、そのとき残っている声は右の人だけの気がする。

ちょっと後でモニター用ヘッドフォンで確かめてみようかな。

この3人が時々違う歌詞歌ったりしてるのは単に間違えたんでしょうか。多分そうだと思います。

それでもこのテイクをCDにしちゃうっていうのがまたトゥヴァっぽいというかなんというか。

しかしながら旋律に関しては大体見解が一致しているようです。

しかし大きく違うところがあります。

ラーラードレミドレーレミレミド
ラードレミドミーミソミレド
ミーミソミーレドレーレミレミド
ラードレミドレーレミレミド

左の人はほぼ一貫してこんな感じで歌っています。

しかし右の人はほぼこんな感じです。

ラーラードレミドレーレミレード
ラードレミドミーミソミレド
ミーミソミーレドレーレミレード
ラードレミドレーレミレード

1・3・4行目の終わり方が右の人の方がシンプルです。

他の箇所も左の人の方が若干装飾的だったりしているので、この終わり方も装飾の一つなのかもしれないし、まあちょっとした旋律のバリエーションなのでしょう。

それでいままでコエダイでは右の人のシンプルなやり方で歌っていたのですが、左の人の終わり方もいいなあと思いました。

レからドに直接行くのではなく、ミに寄り道してからドに行く感じ。

あれ。これなんかあれに似てるな。あれあれ。

ランディーニ終止

はい。やっと古楽ターム出てきました。

ランディーニ終止とは導音のティから直接ドに行くのではなく、ラに寄り道してからドに行く終止の方法です。ドシーラドーみたいな感じです。

普通
ランディーニ終止

Хөөкүй ноянの場合は上から終止して、ランディーニ終止の場合は下から終止しますが、1個隣の音に寄り道するという点では同じです。

右の人
左の人

もう一つ。

これ、リクエッシェンスじゃね?っていう気づきもありまして。

くだんの終止の箇所、最初の歌詞はカンドゥルでありまして、左の人はミに寄り道する際そのnの子音だけミに寄り道してるんです。

これはグレゴリオ聖歌のネウマの一つ、エピフォヌスに他ならないではあーりませんか。

これは上昇2音のネウマ「ペス」の縮小系リクエッシェンスとも言われ、ここの箇所の場合、カ(レ)ア(ミ)ン(ミ)ドゥル(ド)となっていればペスなのですが、ミの音はンだけです。リクエッシェンスではこのように子音だけに一つの音が与えられることがあります。

日本人にとっては「ん」に音があてられることもあるので余計この例外的処置が説明しづらいのですけど、西洋の歌の場合、音があてられるのは母音なんです。

子音だけに音が与えられるってことがほぼなくて、グレゴリオ聖歌にはそれが普通にあるのが面白いところなのです。

しかもそれをわざわざ他のネウマと書き分けて記す神経の細かさよってところが現代人からするとため息ものなのです。

てことで、この左の人は反転(?)ランディーニ終止をエピフォヌスでやっているのだなあと、風呂に入りながら考えていました。

おしまい。