合唱団エレウシスについて

エレウシスのロゴは、いつもサリクスでお世話になっているけんしさんにお願いしたのですが、太極図がモチーフになっています。

陽のほうが人の顔になってて、陰の方は髑髏になってます。

で左側には麦っていう。めっちゃかっこいい。

太極図ってこういうのです。

そういえば陽中の陰はあるけど陰中の陽はないのか?いや、歯の部分がそれということで。

エレウシスといえば最近は牛のチラシで団員募集しています。

これは牛の声真似の発声練習をよくやってるからですが、実は四足の稽古は陰陽の稽古にもなってます。

これらは岩崎さんとこで習ったベルティングと、光岡武学で習った四つの陰陽表裏がベースになっています。

光岡武学のすごいところは、概念っぽく見えるものを実際にこの身体で経験できるよう稽古が構成されているというところで、上の太極図も、リアルに、現実に、「ああそうだな」と実感できるレベルで稽古できます。

いやー。自分の身体に太極図が観えた時はほんと興奮したわ。

え、あーあ、太極図ってこのことを言ってたのか!ってね。

わたしの稽古では実際そこまでのことはできません。3時間のワークショップなり合唱練習の中で、2時間の観法をやる勇気はまだないです笑

流石にクレーム来るだろうな。「何しに来たかわかりません!」ってなあ。

でも本当のところ、そうしたほうがいいのかもしれないなあとも思っています。

観法というのは、じっと身体を観る稽古法です。

そしてそれは光岡先生のとこに行ったほうがまあ目算10倍以上は効率がいいです。

光岡先生の観法の深さにまだ自分は全く至れてないし、すんごい頑張ったとしても、光岡先生が2時間で入れる深さに自分だったら20時間以上かかると思います。

だから理想としては、光岡先生のところで身体を練った人がわたしのとこに来て歌をやるっていうのがとてもとてもありがたいです。

身体のベースラインがあって初めて意味を為す歌の稽古をしているので、ほんとそうなったらいいなあと思いながら武学講座の宣伝を日々頑張っております。

もうみんなとにかくどの講座でもいいから光岡先生んとこ行ってください。マジで話はそれからだ。

いやもちろん光岡先生レベルのことを自分ができればいいんでしょうけど、それは少なくとも現世では無理です。

宮本武蔵に剣術が習えるとか、バッハに音楽習えるとか、プラトンに哲学習えるとか、もうそういうレベルですよ。光岡先生に武術を習えるということは。

同じ時代に生きているというこの奇跡的なチャンスを逃せる人の気が知れないですよわたしは。


話をエレウシスの方に戻しますと、そんなわけでロゴには陰陽と、生と死というテーマが盛り込まれています。

そもそもエレウシスというのはギリシャのエレウシスという名の地で行われていた「行」(よく秘儀と訳されます)がその名の元となっています。

これは秘儀なので具体的なことはわかっていませんが、死を通して生を知るという行であったと言われています。

死生観についてあまり軽々しく口にするのは憚られますが、少なくともそれに思いをいたすことで、生きることに対する不安とか、辛さ苦しさが相当和らぐということは言えると思います。

武術に取り組むということも結局はそこにつながります。

稽古は辛いですが、稽古することで生きるということの辛さはかなりマシになります。

技術論、動作論に回収されてしまうようなまがいものももちろん世に蔓延っておりますが、安心してください。光岡武学はガチです。

ただ技術論、動作論に回収されてしまったほうが、現代人的にはわかりやすいしドーパミンが出るので、そういう方が流行るのはまこと理にかなったことでございます。

だからそういうのが好きな人はそういうのやればいいと思います。いいですよそれはそれで、とても現代人らしくて。

そういうことを疑問に思える人は、たぶんこの現世で相当生きづらい思いをしていることでしょう。

そういう人は光岡先生んとこ行きましょう。マジで話はそれからだ。


またしても話が逸れましたのでエレウシスの方に話を戻しますと、わたしは音楽をそのようなものだと捉えています。

生きてるうちは生きてることを忘れてる。だから死を通して生を知る、エレウシスの秘儀のような媒介が必要になってくるのだけど、音楽はまさに、その媒介足りうると、そう考えています。

というか芸術ってそのためにあるんじゃないかな。

つまり、生きながらにして生きているとうことを知るために。

日頃から、「音楽の目的は音楽そのものだ」と言っているのでそれ矛盾してないか?と思われるかもしれませんが、わたしにとってはこれは矛盾してません。

音楽=生を知ること

なのでそれぞれ代入が可能です。

というようなことで合唱団エレウシスは合唱団エレウシスという名前になりました。

つまり「音楽することで、生きているということを知ろう」という団体です。

サリクスよりよっぽどよく考えられた名前です笑

サリクスはただネウマの名前から取っただけなので。とはいえ結果的に、今実践してる装飾ネウマの中で、最も印象的な歌いまわしを有しているのはサリクスだと思うので、それはそれで名は体を表していて良きかなとも思っています。

ちなみにサリクスの第2回定期演奏会のタイトルは「Melete Thanatou ー死が照らし出す生の輝きー」でした。これ、今まで考えた演奏会タイトルとして一番気に入ってます。

この演奏会はお葬式関係の歌ばかりを集めた演奏会だったのでそのように名付けたのですが、Melete Thanatouはまあ、そこそこエレウシスの秘儀と同じようなことです。死の試練などと訳されます。

この演奏会のプログラムに引用したのが明石海人のうたで、

薔薇が咲き 日が差し それが見えている こんなことさへ ただごとなのか

です。明石海人はハンセン病患者で、視力を失うということが避けられないという身の上でこのうたをうたったのですが、生きるということのただごとでなさをもう寸分の狂いもなく言い表していますよね。

人は病の時、死にそうな時、このただごとでなさを知るわけですが、まさにこの明石海人のうたは、このうたを通して、それを示してくれていますね。

かくありたいものです。

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