海の日と言えば?

今年も皆さん待ちに待った海の日がやってきます!

海の日と言えばカペラ!恒例ですよね!

そうですね!(オーディエンス)

カペラはだいたい1月の成人の日、7月の海の日、10月の平日の年3回の定期公演を行っています。
カペラを聴かないと年が明けた気がしないし、カペラを聴かないと夏が来た気がしませんよね?
そうですね!(オーディエンス)

今回の定期公演は、「サルヴェの祈り」という事で、聖母の祈りの集いを再現するような形でプログラムが組まれています。
演奏会詳細はコチラ

 

といっても実はこのサルヴェの祈り自体は演奏会の3分の1くらいの長さで、演奏会の大半を占めるのは、前半の晩課です。

カペラは通常典礼形式で演奏会を行っていますが、僕が参加してからは、ミサ形式ばかりで、晩課の形式は初めてです。

いつものミサ通常文主体のお決まりのテキストではないので、沢山のテキストに若干苦労しております。
だがしかし!先日のコントラポントで演奏しましたヴェスプロは、まさにこの晩課形式でございまして、テキストが共通する部分が凄く多いんですね!助かった!
こうして、時代と地域は違うけれども、同じ聖母の晩課という形式で一貫性をもってプログラミングをするというのも、花井先生のこだわりだと思います。(ちなみに9月のアラミレも晩課です)

晩課というのは、主にアンティフォナ、賛歌、マニフィカトで構成されています。
このうちアンティフォナは、詩編唱をはさんで二回歌われる決まりになっているのですが、その二回目のアンティフォナを省略し(省略しなかったという説もあり)その代りに別のモテット等を演奏するという習慣があったそうです。
つまり、通常
アンティフォナ→詩編唱→アンティフォナ
となるところを、
アンティフォナ→詩編唱→アンティフォナ代用モテット
という具合です。

このアンティフォナ代用モテットのことを、メンバーの間ではアンティフォナ大王と呼んで、これ「何番目の大王だっけ?」「第二大王だよ。」
などと使っています。著作権等ございませんので、皆さんも是非お気軽にお使いください。
街中で「ヴェスプロの第3大王やばくなーい?」「いやこないだのカペラのゴンベールの第4大王のがやばくなくなくなーい?」などという会話が営まれることを願ってやみません。

先日のモンテヴェルディの場合、この流れがどのようになっていたかというと、
アンティフォナ(グレゴリオ聖歌)→詩編唱(モンテヴェルディ作曲のポリフォニー)→大王(モンテヴェルディ作曲の小編成のアンサンブルやソナタ)
という具合でした。

今回は、
アンティフォナ(グレゴリオ聖歌)→詩編唱(単声)→大王(ゴンベールのモテット)
という事になっています。
大王がアンティフォナと同じ歌詞のものもありますし、こちらのほうがよりシンプルで、元の形に近いと言えると思います。

同じ聖母の晩課でも、かなり振れ幅のある両作品と言えると思います。

また今回はいつもの8人編成に加え、3人の新しいメンバーも一緒に演奏します。
鏑木綾
渡辺研一郎
富本泰成
新しいと言っても、関係者にとってはおなじみの3人ですね(笑)

3人ともサリクスのメンバーですし、コントラポントのメンバーでもあります。
サリクスカンマーコアのホームページ
コントラポントのホームページ

かぶちゃんはサリクスでも圧巻のモンテヴェルディのソロを聴かせてくれました。
けんぼーはただの天才。
トミーは藝大の同期で、ずっと苦楽を共にしてきた仲間です。

3人ともほんといつもお世話になってます。

カペラではこの3人をまとめて新人、もとの8人を旧人と呼んでいます(笑)。
今回個人的に一番聴きどころだと思っているのは、この新人のグレゴリオ聖歌と、旧人のポリフォニーによる交唱です。
交唱は賛歌Ave maris stellaと、Magnificatで聴けます。両方とも、最後は5声となって、13人でポリフォニーを歌います。
いいですよーーじんわりきますよーー。
(なにより交唱楽ですよーー)
だいたいいつも、マニフィカトやるときは、単声もポリフォニーも自前でやんなきゃいけないので、結局ずっと歌ってることになるので結構大変なんですね。しかし交唱なんだから交互に歌うのがやっぱり本来だよなーーと今回つくづく思いました。

この3人が加わるのは、いつもより声部数が多いからなのですが、これも時代による音楽の変遷を感じさせてくれます。
いつもカペラが演奏しているジョスカンデプレなんかは、4声が基本で、声部数が増えることはほとんどありませんが、ポストジョスカン世代になると、5声6声7声平気で出てきます。

だからコワイヤブックねつ造するのが大変なんですねーーー!その苦労についてはをぜひともコチラ見てください!まじで大変だったんで!

これ6月1日のブログなんですね。もうひと月半前なんですね。そうなんです。一つの演奏会を実現するにはほんとに沢山の時間と労力が必要なんです。

えーと音楽の変遷の話でした。音楽の中身としては、ジョスカンが確立したとされる通模倣様式をさらに徹底させた感じで、もうひたすらにもほうもほうもほうもほうもほう!です。
ひとつテーマが聞こえたらしばらくそのテーマを追っていれば、初めて聴く曲であっても、その構造がはっきりと聞き取れます。
そういった意味で、よりキャッチ-でわかりやすいと思います。ルネサンス音楽初心者の方も是非!入り口としてもお勧めです。
しかし、5声―7声で模倣を徹底していくと、あちこちでチラリホラリとほころびが見えてくるんですね。これを「模倣の限界!」と千代の富士風に表現します。
後発のテーマの音高関係を保とうとすると、前のパートと音がぶつかっちゃうんですよね。どうしようもなく。それがまた、味がある。愛おしい。ああ、愛すべきほころび。

千代の富士の去り際が美しかったように、模倣にも限界があるから美しいのかもしれませんね。

はい。妄想でした。

ええ、

海の日と言えばカペラ!カペラといえば海の日!
Ave maris stella(めでたし海の星)を聴かなくっちゃ!

きれいな字を書こう

私幼いころから書道を習っていて、結構長い間やったんですが、見事に甲斐なく字がものすごく汚いんですね。
しかしカペラやアラミレで使っているような、人の手で書かれた楽譜をそのまま使っている場合は、楽譜作成ソフトやなんかは使えないので、書き込みをする際は自分の手で書かなければなりなりません。

コワイヤブックには、几帳面に音符の下に歌詞が書いてあることはまれで、大抵は各セクションの始まりのところにその言葉が書いてあるか、あるいは楽譜の一番最初に一番最初の単語が書いてあるだけというのもあります。
ひどいのになると、パート名だけで歌詞なしとかもあります。
ですので、私たちが演奏する際は、どの音にどの言葉をあてはめるか、自分で考えなければなりません。

{EEE05D87-C8AB-4507-8DDF-8EEB2007CA47:01}

コワイヤブックが書かれた当時、文字は美しくカリグラフィーで書かれました。カリグラフィーというのは西洋風書道のようなもので、時代や地方、書き手によってさまざまな字体で書かれました。

つまり普通のブロック体みたいな字で歌詞を書き込むと、結構浮いちゃって興ざめな感じなんですね。見た目って楽譜を使ううえで結構大事で、出版譜でも、紙質とか字体とか音符の玉の大きさとか五線の間隔なんかで、曲の印象が結構変わったりします。

というわけで、カリグラフィーを始めることにしました。

アラミレの皆さんがカリグラフィーペンを買ってくださいました。メンバーの中にカリグラフィーをやられている方がいらっしゃるので、テキストもお勧めいただきました。

昨日それで練習してみた結果がこれです!

{5EF4587D-5D71-411A-BFC0-1561637F063F:01}

結構うまくないですか?笑

最初コピー用紙で練習していたのですが、インクがうまくつかなかったので、スケッチブックを使いました。そしたら途端にきれいに書けるように!

上手く書けると気持ちいです!僕の数少ない趣味になるやもしれません。


主宰団体Saclicus Kammerchorのホームページはコチラ

演奏動画はコチラ

 

特典充実!

2016-17年シーズンサポート会員募集中!

 

――・――・――・――・――

 

櫻井元希へのお仕事のご依頼は以下のフォームよりお問い合わせください。

発声・歌唱指導、合唱指導等承っています。

詳細はコチラをごらんください。

カペラ・コントラポント【楽譜の問題】

今日は午後はカペラ、夜はコントラポントの練習でした。

コントラポントは6/22(月)

http://www.fonsfloris.com/c/

カペラは海の日7/20(月)

http://www.cappellajp.com/topics/index.html

にコンサートがあります。

それぞれの演奏会詳細はリンク先のホームページをご覧ください。

古楽を演奏する際は、多かれ少なかれ必ずぶつかる問題として、使用楽譜の問題があります。

一般に、演奏する作品が古くなればなるほど、つきまとう問題は増えるように思います。

例えば前回のブログに書いたドラランドなど盛期バロックの楽譜は、手書きで見にくいということはあっても、記譜法自体は現代の記譜法となんら変わりがないので、楽譜の読める方なら解読可能です。コントラポントは基本的にバロック時代の作品をレパートリーとしています。今はモンテヴェルディのヴェスプロですが、この曲の場合そういう問題でないところに問題があります(笑)。

ところが時代を遡ってカペラがレパートリーとしているルネサンス期あたりになりますと、かなり事情が変わってきます。

まずスコアがありません(笑)。この時代あったのは、パートブックとコワイヤブックと呼ばれるものです。

パートブックというのは、いわゆるパート譜状のものが、テノールならテノール、ソプラノならソプラノで1冊にまとまっているものです。

こんなかんじ

{EFC9DE1C-58C1-46AD-81D2-F29870681222:01}

これでも演奏できることはできるのですが、何しろ誰にも全体像が分からない状態(スコアがないので)でリハーサルをするのはかなり難しいです。

そこでカペラでは通常コワイヤブックを用いて演奏します。

これは1枚の大きな楽譜に、左上にソプラノ、左下にテノール、右上にアルト、右下にバスを記載した楽譜です。

{DC34DC16-B1C1-472C-9502-A31069F7C25C:01}

演奏者は全員、この1枚の大きな楽譜を見て歌います。スコアのように、同時に鳴っている音を瞬時に判別はできませんが、慣れてくると、どのパートが何をやっているか、なんとなーく分かるようになってきます。(もう7年くらいこの楽譜で演奏していますが、まだそんなレベルですみません)

ですので、全体を把握して歌う為には、かなりの割合で、「聴いて覚える」という作業に依らなければなりません。ここの所が、コワイヤブックで演奏する際のメリットであり、デメリットであると思います。

パートブックとコワイヤブックの説明にえれー文字数使ってしまった…。

この二種類がこの時代に存在した楽譜なのですが、曲によってはパートブックしか残っていないものもあります。

そんな時は、諦めてパートブックで演奏するか、パートブックをそのまま超拡大して無理やりコワイヤブック状にして使うということも考えられますが、一番快適なのは、パートブックを切り貼りして、捏造コワイヤブックを作るということです。

こんなかんじ

{40B308E0-C2EF-42B6-BAA5-DA35CDE37394:01}

今カペラでは、僕がこの作業を担当しているのですが、これ、意外と難しいんです。

しかもこの難しさって、なかなか伝わらないんです(笑)

難しさを説明するのが難しいんです(笑)

ちょっとその難題に挑戦してみましょう。

今回扱う曲は7声です。まず、A4を横に使ったパート譜が7つあります。Superius, Altus, Tenor, Bassus, Quintus, Sextus, Septimusです。パートによって休符多いパートもありますので、段の数はまちまちです。

それを、A3用紙に収まるように並べていきます。高度な空間処理能力が求められることがおわかりでしょう。
七つのパートをA3に入れるので、左側に4つのパート、右側に3つのパートです。とうぜん左はギッチギチ、右はスッカスカになります。ただし、一番下のパート(テノールかバス)には、ワープを使うことが許されていて、ワープ記号を書くと、同じ見開きの右から左、あるいは左から右にワープできます。

写真では、左下のテノールが、右下へワープ!

{185E01DB-043D-4217-99A8-4D8C0E135684:01}

ね!もう既に難しいでしょ!難しさが難しいでしょ!

1曲はもちろん1枚には収まらないので、曲の途中でページをまたがなければなりません。みんなが同じ楽譜を見ているのでめくるタイミングは同時でなければなりません。かなり頻繁にシンコペーションが起こっているので、同時にめくれるタイミングを見つけるのは結構手間です。

あとはクレフの問題。段の初めには必ず音部記号を付けなければならないのですが、A4横をA4縦に入れるわけですから段が倍くらいになります。つまりクレフも倍必要ということなので、クレフのために原本をコピーして、クレフのストックを作ります。それを新しくできた段の最初のところに、ずれないようにぴったり貼ります。万が一一段ずれてクレフを貼っちゃった場合大惨事!そのパートは3度ずれて歌っちゃいます!

あと、歌詞が必ずしも音符の真下に書いてあるとは限らないので、切って貼った時に、右の歌詞と左の歌詞ががっちゃんこするときがあります。そういう時はどっちかを諦めて、別のところに、しかもわかりやすいところに書き直さなければなりません。

{592E261D-5C66-47A7-834F-B7984B48B374:01}

そういった作業の後、クストスを全部の段につけ直したら完成です。

はじめから綿密な計画のもと作業しているわけではないので、いつも出来はいびつで恥ずかしい仕上がりです。(泣)今度の演奏会では、そんな人知れぬ努力の賜物である楽譜を使用しています。

ちょっといびつな楽譜を見かけたら、そんな努力の跡を垣間見ていただけると嬉しいです(笑)。


主宰団体Saclicus Kammerchorのホームページはコチラ

演奏動画はコチラ

特典充実!

2016-17年シーズンサポート会員募集中!

――・――・――・――・――

櫻井元希へのお仕事のご依頼は以下のフォームよりお問い合わせください。

発声・歌唱指導、合唱指導等承っています。

詳細はコチラをごらんください。

カペラ

僕の所属している、ヴォーカル・アンサンブル カペラが、演奏動画を公開しました。

演奏しているのは、グレゴリオ聖歌のSalve Regeinaと、

それをもとにしたジョスカンの4声のSalve Reginaです。

どちらも、5/1の演奏会のリハーサル時間を利用してほぼ一発撮りで撮ったので、粗はありますが(僕も一カ所派手に間違えてます)カペラを一度も聴いたことのない方に、カペラの雰囲気を感じていただくには十分な動画になっていると思います。

ちなみにこれを撮影、編集してくれたのは、友人の新村氏が代表を務める、LEIBNIZ RECORDです。

今、世界には、ルネサンス音楽を演奏するにあたって大きく二つの潮流が存在するように思います。
ひとつは、「楽譜通りに演奏すれば、それだけで素晴らしい音楽になる」という立場、
もう一つは、「楽譜通りに演奏したって、それじゃあなんにもならない」という立場。

バロックの世界では、前者の立場は40年以上前に第一線から姿を消したように思います。
前者の立場とは、楽譜にフォルテもピアノも書いてないんだから、フォルテでもピアノでも演奏しないし、クレッシェンドもディミヌエンドも書いてないんだから、しない。という立場です。

バロック音楽ではそうですが、ルネサンス音楽ではどうでしょうか?

僕の認識する限り、前者の考え方が支配的だと思います。
多く合唱団がルネサンス音楽を演奏するのは、「基本だから」「粗が目立つから合唱団の基礎力を育成、披露するのに都合がいいから」だと思います。
だからコンクールの課題曲にもなるし、演奏会でも(大抵最初の方に)ちょろっと演奏します。

もとは音程を追求するグループであったイギリスのグループの影響が未だに大きく、音程とタイミング、つまり縦と横を揃えただけの演奏をよく聴きます。

グレゴリオ聖歌についても同じことが言えると思います。

誰でも、クラシック音楽をやっている人ならば、西洋音楽の基礎がグレゴリオ聖歌であることは知っていますが、なぜかそれを学ぼうとはしません。
まあこれに関してはグレゴリオ聖歌を教えられる人が少ないということに最も大きな原因があると思いますが。

そんな人にとって、カペラの活動が、何かきっかけになればいいなと思います。

「命の息吹としての歌=音楽」のようなものが感じられなければ、それは、もう音楽じゃないよ。
友人の合唱仲間が「音楽を聴いて感動したことが無い」と言っていたけれど、とても寂しいことだと思います。だけど僕自身もそうです。音楽を聴いて感動するようなことは、まあ滅多にないです。何年に1回とかいう頻度だと思います。

本当に音楽だけ見つめて、音楽の傍にいようと努力し続けている音楽家は少ないと思います。

「取り繕うような練習は、かえって遠回りだよ」
小林先生の言葉ですが、その通りだと思います。
本質を本質として捉え、枝葉を枝葉として扱うということ。
初心忘るべからずといいますが、音楽家にとっての初心とは、グレゴリオ聖歌に代表される、単旋律歌の精神だと思います。


主宰団体Saclicus Kammerchorのホームページはコチラ

演奏動画はコチラ

特典充実!

2016-17年シーズンサポート会員募集中!

――・――・――・――・――

櫻井元希へのお仕事のご依頼は以下のフォームよりお問い合わせください。

発声・歌唱指導、合唱指導等承っています。

詳細はコチラをごらんください。