光岡英稔 BUGAKU講座|26-27回目

光岡英稔 BUGAKU講座|26-27回目

今月は韓氏意拳3コマ、BUGAKU2コマ参加したのでレポートも大変です。

しかし自分のためにもまとめておきたいと思います。

今回も八卦掌と剣術に参加してきました。


これまでのレポート
1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
3回目 https://is.gd/Gm9C17
4回目 https://is.gd/37Oxg1
5回目 https://bit.ly/3D63JVq
7回目 https://is.gd/xiBfFB
8回目 https://is.gd/tbIYiI
9回目 https://is.gd/BnOQit
10回目 https://is.gd/RczZH5
11回目 https://is.gd/ayTQMA
12回目 https://is.gd/zHtNYL
13-14回目 https://is.gd/YXuCSM
15-17回目 https://bit.ly/3PEGYgt
18-19回目 https://bit.ly/3NRSUKy
20-23回目 https://bit.ly/3p63TWg
24-25回目https://bit.ly/3Qs4RqV


10/3ハワイアン八卦掌

この日も観法ののち、座学がありました。

韓氏意拳もそうなのですが、ハワイアン八卦掌の時の座学もなかなか難解です。

やはり「中心とは何か」というのがメインテーマなのですが、抽象的、思想的でなく、形として、運動の中での中心を身体通して経験するということをいかに学んでいくか。

話を聞きながら、思想的中心の中には、権威的中心とでも言うべきか、「俺がこれを中心ということにする!」というパターンもあるなと思いました。まったくの無根拠、恣意的中心とも言えると思います。

感覚経験は完全に自分のものでしかないので、それでもって中心性を捉えることさえできればいいのですが、これはもう自分で感性を磨いていくしかないんだと思います。

身体経験は教わることができない。自分が自分で経験するしかない。

座学の後、open palm change / close palm changeでくるくる回りました。

最近の朝稽古では、韓氏意拳は毎日やっていて、剣術、ハワイアン八卦掌、シラットをそれぞれローテーションでやってます。全部やると2時間くらいかかっちゃうので。

なのでこのくるくる回る稽古も3日に1回はやってるのですが、一人稽古と対人稽古の違いを凄く感じました。

やっぱり相手がいるとどうしても反応の世界に入ってしまって、自分の形や動きから気が逸れてしまうんですよね。

やりながら「どうしてうまくいかないんだろう」とか考えだしたらもうダメです。笑

この日新たに教わったのは、止まった時、またchangeした後の足の形で、これがないとうまく止まれない、またうまく歩き出せない。

歩型、歩法、むちゃ大事ですね。。


10/6剣術

この日はなんかこういつもと違って(週末レクリエーション感があるというか)軽いスパーみたいなことを沢山やってめっちゃ楽しかったです。

テーマは、なぜ日本の刀剣は両手持ちの武器で、なぜ盾を使わないのか。

これを学ぶために、実際に「袋竹刀と盾」の人と「両手持ちの袋竹刀」で戦ってみました。

まずすっごいおっきいフィリピンのカリンガ族の盾。これはもう相手の姿がほとんどすっかり隠れるくらいでかい。

光岡先生のこちらのツイートに画像が出ております。

これはもうすっごい邪魔、すっごい邪魔。

続いてキャプテン・アメリカが持ってるような丸い盾。

これは肘を固定しているのでタックルしていく感じになりやすいです。

カリンガ族の盾に比べればかなり相手の身体が見えます。

お互い素人なので、盾の使い方もよくわかってなくて、それも含め探り探りのスパーだったのですが、それぞれのバックグラウンドから、個性が出て面白かったです。

最後はバックラーという鍋蓋大の盾。

これはもう持ってる方からするとかなり心もとない。盾という感じもしない。けどまあ軽いから動かしやすいです。

大中小の盾で攻防してみてわかったのは、それぞれ邪魔だなあという感じがあるのだけど、それはお互い様で、盾持ってる方からしても、盾があるから相手に攻撃しづらい。

それならむしろ両手持ちで剣を持ってるほうがまだ有利なんじゃないかということ。

だんだんわかってきました。なぜ日本の剣術が盾を使わないのか。

もう一つは、日本の剣術は刀剣を「刀」のようにも使うし「槍」のようにも使うし「盾」のようにも使うことが出来るということ。

もちろん素人にはそのどれも不可能ですが、熟練するとそういう可能性があるということ。

そして斜の構えは「盾」として刀剣を使う「後の先」の構えであることを教わりました。

そう思うと、盾を持って攻防してみた経験が役に立つ感じがしました。

あーあの感じかー。

っていうのを得るためには一回経験しないと無理なんですよね。

この構えは盾の構えです。と言われても、盾で攻防したことがないとさっぱりわからん笑。

すんごいよくできた稽古手順だなあと思いました。いつもそうなんですけど。

こういう手順で身体がこれとこれとこれを経験していくと、それで初めてああそうかと、身体でもって分かることがある。

この「感じ」は「頭でわかる」とは全然違います。

私たち、頭でわかったような気になって何も身についてないってそういうこと、よくありますよね。

なんか講座とか受けるとそれで満足して自分上達した気になってるんですけど、何にもなってない。

武術も音楽も。


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謎のお役立ち動画

突然思い立って撮ってみました。

誰の役に立つのかわかりませんが笑

光岡英稔 BUGAKU講座|24-25回目

先月はほんといろんなことがありまして、BUGAKUの講座に参加できませんでした。

やっぱり2か月空くとちょっと体調に影響します笑

今月は2コマ、剣術とハワイアン八卦掌に参加できました。

シラットと韓氏意拳の方にしばらく行けてないのが気がかりなのですが、金曜日は予定入りやすいんですよねえ。。

今回も私が理解している範囲で書きまとめていきたいと思います。


これまでのレポート
1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
3回目 https://is.gd/Gm9C17
4回目 https://is.gd/37Oxg1
5回目 https://ux.nu/AmsQM
7回目 https://is.gd/xiBfFB
8回目 https://is.gd/tbIYiI
9回目https://is.gd/BnOQit
10回目https://is.gd/RczZH5
11回目https://is.gd/ayTQMA
12回目https://is.gd/zHtNYL
13-14回目https://is.gd/YXuCSM
15-17回目https://bit.ly/3PEGYgt
18-19回目https://bit.ly/3NRSUKy
20-23回目https://bit.ly/3p63TWg


剣術

これを書くにあたって質問しようと思っていたことを質問し忘れてしまいました笑

また曖昧な記述が多くなることをお許しください。

この日は観法から。別のタイミングで光岡先生が「基本にして奥義」ということを仰っていたのですが、観法ってまさにそうだよなあと思ったのは私の見解です。

導観法もいろんなやり方があって、その日のテーマに沿った観方を教わるのですが、これなかなか一人稽古でできないんですよね。「身体を観る」というただそれだけのことなのですが、場の力なのか、光岡先生に導かれると、一人稽古の時では行けない深ーい世界に入っていけます。

陳腐な言い方ですが、身体の解像度が全然違います。眼鏡かけてる時とかけてない時くらい違います。


この日は板書的なことはほとんどなく、ひたすら動く稽古でした。これもなかなか不思議で、ひとまず頭で理解してからやりましょうか、という時と、まあとにかく身体を動かそうぜっていう時と、あるんですよね。これも私の勝手な理解ですが、両方の要素が必要なんだろうなと思います。

わからないことをやろうとしても難しいし、ともかく身体を動かしてわかることもある。


後で気づいたのですが、この日は刀を振るという動きが全くありませんでした。

思い起こせば前回もそうだったような。。。。

剣術の講座としては多分普通の事ではないですよね笑

今回教わったのは「ある構えから別の構えに丁寧に移る」という文字にしたら、マジでそんだけのことですか・・・!っていう内容なんですけど、それはそれはディティールが凄い。

物理的な形のディティールと、観法のディティールとこれ両方丁寧にひとつひとつ行っていくのはなかなか至難の業です。

刀身と自分の身を揃えるというのが剣術の観法の基本なのですが、これだけとってもまあそんなぱっぱっぱっとはいきません。時間がかかります。焦れてここが雑になると稽古が形骸化します。

加えて、私が中学時代に剣道として習っていた剣術は「一刀流」がベース、光岡先生の剣術は「新陰流」がベース(不正確でしたらご指摘ください)ということらしく、複雑さが段違いです。

中学レベルの剣道で私が習ったのは中段の構えだけで、一応上段と下段、八双とかこういうのあるよ、というのは知識としては教わりましたが、実戦で使うことはありませんでした。

中段の構えは、左足が常に後ろで刀を正中で構える。これ1個だけ。

だからそもそも構えから構えへ移るということ自体がなかったわけです。

それに対してこの日光岡剣術で習ったのはセイガン、ジョカクセイ、左右の上段の四つ(構えの名前についてはいろいろあるそうです)で、それぞれ右足前の時と左足前の時があるので×2で8種類。

歩を進めつつ(とはいってもこの日はたったの一歩)8つの構えを丁寧に移っていく。

それぞれの構えの際に刀身と身を揃え、揃ったら移行し、次の構えでまた揃え、一歩進んで8回構えるだけで結構ヘトヘトです。

形自体、あと動くときに踵から動くのかつま先から動くかなど、物理の段取り自体も実に精妙でディティールが超厳しい。しかしそれに全て理由がある。

やっぱり広めようとすると単純な方がいいに決まってるけど、人間も自然もそんな単純にはできてないんですよね。

そんなことを感じた回でした。

ちょうど、頭のいい人は難しいことを易しく伝えられるみたいなテンプレートをまた言ってた人がボコボコにされてまいたが、そういう言い訳ほんとに見苦しいですよね。

頭が良かろうが悪かろうがカオスはカオスなのよ。


ハワイアン八卦掌

この頃顕著だなあと思うのは、グループプライベートクラスの各クラスのメンバーの違いです。

多分今回の剣術と八卦掌でかぶってたのは私だけじゃないかな・・・?

光岡先生も2-3個に絞った方がいいと仰るのですが、私の場合仕事の都合で出れないことも多いので、とにかく出れる時に出るというスタンスなのです。

私は比較哲学や比較音楽学が好きで、光岡先生がやってることも私の目には「比較武学」に見えてるので、そういうところも合ってるのかなあと思います。

なので私はしばらくこのスタンスで続けようと思ってます。

八卦掌はこの日も観法から入ったのですが、この日の観法は一段と凄かった。

あまりに芸術すぎて集注できないくらい感動してました笑

私がこんなこと言うのもなんですが、コンサート行くより稽古に来た方がいいですよ。その方が芸術に出会えます。


八卦掌では「際と端から中心を知る」ということを教わっていて、最初はちんぷんかんぷんだったのですが、何回か通ってるうちに、少しずつわかってきました。

「物理としての中心」も、「観念としての中心」も、私にとってはかなりわかりにくいなあと思っていたのですが、「経験としての中心」というワードが今回出てきまして、あーそれならわかるかも、と思いました。

多分普通に生きてると、観念としての中心と、経験としての中心の何が違うのかわからないかもしれません。この区別は結構難しいと思いますが、「中心」という経験が私の身体にあるなあ、と、私は思いました。

稽古としてはこの日はopen palmとclose palmの形で外力をかけてもらうということをやりました。後足に外力を受けられると形を保てるのですが、他のところで受けてしまうとそこに力みが出ます。

そのまた違った形の稽古として、肘を水平に出して、両手で押してもらうという稽古も教わったのですが、これがまた非常ーーによくできた稽古で笑、もうこれどう考えても受け止められんだろっていう形してるんですよね。

やっぱりまだ頭で「どうやったらこれを受け止められる形にできるだろうか」とか考えちゃうんですけど、全然そんなのは屁のツッパリにもならんのですね。ただ後ろ足で受けるってそれだけのことだという発想の転換というかもう発想ですらないと思うんですけど、ともかくそのくらいのエウレカがないと絶対無理笑。

それで思ったのは、これってうまくいっても別に楽ではないんです。足にはくる。普通。足が足らければ足がきつい。

脱線しますがこれってボイトレにも同じことが言えて、楽だから正解というわけではないんですよね。

きっついしめっちゃ声枯れるっていう場合でも、それはそこが足らないだけってことかもしれない。

ただ八卦掌の稽古では肩じゃなくて足にきてればオッケーなんですけど、歌の場合そんなにはっきりわかんないんですよね。

だからこのきつさが正解なのかどうか判断が難しい。

特に最近はリスクを避けすぎてるというか、きついのも汚いのも危険なのもやりたくないってそりゃあわかるけど、そうしないと身につかないものってあるよなあと。


この日、終わった後ネパール料理屋で夕飯をご一緒したのですが、この時光岡先生が、

「思ったことそのまま直接言ってくる人は信頼できる」

的なことを仰ってまして、私目から鱗が落ちました。

完全に自分の発想の外でした。

私言いたいことが言えないのが自分にとって一番ストレスだという自覚があるのですが、振り返ってみると誰にも言いたいことなんか言ってないですね笑。

私が言いたいことを言ってしまうと社会生活を営めないので。

しかしまあそれって誰も信頼してないってことなのかもしれない。その上私に言いたいことを言ってくる人もいないので、誰からも信頼されてないということなんだなあと。

何かあったら黙って去るのが常だもんなあ。

どうしようかなあ。困ったなあ。

まあゆっくり考えようと思います。


9月は来週からコンサートが毎週あります。

まずこちら。

私emulsionとしては最後の舞台です。

合同ステージではソロもやります。

https://tiget.net/events/170962


つぎはこちら。しかしこちらはもう完売してしまっております。。。

一応キャンセル待ちは受け付けております。

http://www.ne.jp/asahi/vocal.ensemble/alamirejp/concert.html


そしてこちら。

https://www.facebook.com/events/598619378487030

おばさんの企画に乗せてもらいます。

私はレクイエムを歌います。Gradualeまでですが。

光岡英稔 BUGAKU講座|20-23回目

また少し時間が経ってしまいましたが、BUGAKU講座のレポートをしていきたいと思います。

最近小忙しくてなかなかブログを書いている時間がなくもどかしいところです。

音楽家あるあるだと思いますが、暇な時期と忙しい時期が極端でしかも予測がつかないというのどうにかなりませんかね笑

昨日久しぶりにカレーを作ってて思ったのは、週1カレー作る余裕もない暮らしをしていてはいけない。

あと昨日作ったカレーがうますぎました。時々自分の才能が恐ろしくなります。


これまでのレポート
1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
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8回目 https://is.gd/tbIYiI
9回目https://is.gd/BnOQit
10回目https://is.gd/RczZH5
11回目https://is.gd/ayTQMA
12回目https://is.gd/zHtNYL
13.14回目https://is.gd/YXuCSM
15-17回目https://bit.ly/3PEGYgt
18-19回目https://bit.ly/3NRSUKy


今回はハワイアン八卦掌と剣術のグループプライベートクラス(GPC)と、多分1年以上ぶりにBUGAKUの本体、土日の方のクラスに3コマ参加できました。

先月は1回も予定合わず残念でしたが今回はなんと5コマも!特に土日の方に参加できたのはとてもありがたかったです。


ハワイアン八卦掌GPC

回る回る八卦掌の稽古、今回2回目でしたが、前回より目が回らなくなってました笑

前回はもう結構グロッキーになってましたからね。

その時のレポートはこちらhttps://is.gd/zHtNYL

読み返してみると結構面白い。「もしかして私たち・・・テンセグってる?!」で笑いました。笑いのツボがこの人とは近い気がする( ´∀` )

それで、この時と基本的には同じことをしているのですが、やはり半年前の私と今の私は違うぜっていうところをもう遺憾なく発揮するわけですよね。

いや自画自賛というわけではなくて、この半年間に受けたハワイアン八卦掌の練功法とか、毎朝やってる稽古とかがこうつながって、な、なるほどそういうことだったのか!という発見がね、あるわけですね。

こうやって自分の身体を通して新たに気づいたり、発見したり、つながったり、こういうのが楽しくてやってるところあります。ドーパミンどばどばですわ。

そもそも武術の稽古って一人でできることとできないこととがあって、いくら家で一人で練習してても一生気づけないことってあるんですよね。

そういう意味ではアンサンブルの練習に近いですね。家で一人でできることもあるけど、アンサンブルの場でしかできないこともある。そんで家でやってないと現場に行っても何もできない。(自戒自戒、次回磁界自壊)

ハワイアン八卦掌では「自己中心性」「他者中心性」「自他中心性」という三つの中心性について扱うのですが、これがなんなのか、実はまだよくわかってません。

ですが、今回の講座で、それを探っていくためのきっかけが与えられた気がします。

中心をしるためにはキワをしること、キワとキワを結んだちょうどまんなかに中心がある。

キワをしる、あそびをとる、ということもこれまでの講座で教わってきて、キワの経験というのは積み重なってきていると思います。そのキワを手掛かりに中心をみていくということなのかと。


剣術GPC

今回の剣術は刀身と自分の身を揃えるということをかなりしっかり行いました。

正座で木刀を持って観法しているとき、自分史上最大の苦が到来しましたが、過ぎ去っていきました。

苦というものはほんとに捉えがたい。不思議。

向こうから勝手にやってきて、勝手にいなくなる。

しかし一人稽古でこうなることはないんですよね。光岡先生の導観法でしかやってこない苦。

この日の稽古は、二つの構えを行き来しながら何歩か進む、という非常に地味な稽古でしたが、そんなこともできないんだから面白い笑

基本光岡先生から教わる稽古法は地味なものがほとんどで、はたから見てると武術の稽古にすら見えないものが多いです。

なんというかこう、一般に想像されるような派手でかっこいい動きみたいなもんがほぼ全くありません笑

「基礎」ってそういうものなんだと思います。

この日は改めて、観の目と「意識」の違いについて伺いました。

仏教でいう六識のひとつとしての意識と、外来語consciousnessの翻訳としての「意識」の違い。

現代日本人が普通に使うのは後者だけど、それが何なのかわからないまま使ってる。

六識の意識とは、「意を用いて物事を識る」こと。

後者の意味が私にもさっぱりわからなかったので、wikipedia先生に聞いてみました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98

だいぶ混乱してますね。よほど注意深く使わなきゃいけない単語だということがわかります。

ほんとみんな意識って言葉を無意識に使うよねーー( ´∀` )

前から気になっていたことを質問しました。

意識と観の目を同時に働かせることはできないのか。

できないそうです。

意識が働くと気が抜ける。意識を働かせて気を張ることはできない。

気之体と恣意的身体という別の層に同時にいることができないからだそうです。

長年の疑問がとけてよかった。

意識を働かせずに歌を歌うのって限りなく難しいんですよね。うん。気の抜けた演奏しないようにしようね。(耳介次会)

BUGAKU

ひさしぶりのBUGAKU本体の稽古は相変わらず凄いところに突っ込んでってました。

もう脳の置いてけぼり感が凄い。

メモ見てもなんのことだかわかんないんですよね。

その時は「今はなんのことだかわかんないけど後から見たらわかるかもしれないからとりあえず書いとこう」とか思って書くんですけど、後から見ても案の定わかんないんですよね笑

しかしこういう断片的な「とりあえず触れておいたこと」がほんとにのちのち繋がってきて、あああ、あれはそういうことだったのか、、、ってなるんですよね。その日を首を長くして待つことにします。

地球を回転させる宇宙の風の話がロマンチックで好きでした。

地球は回転してるもんだ、というところから思考がスタートするのが普通な気がしますが、そもそも地球を回転させているのは何だ、という問いから逃げちゃだめですよね。

もうそんなもん気としか言いようがないやろって、確かにそうだなと思います。

だから僕が時々めんどくさくなって「気のせいですね・・・。」とか言ってるときは勘弁してください。もうほんとにつまるところ、なんでも「気」のせいなのじゃ・・・。

とか言ってるだけではなんにも始まらないのでガチで稽古し続けるしかないのですが、この日行った稽古は「サンチン(三戦)」!

実は私初サンチンでした。

空手の有名な型で、ネットで検索しても沢山動画が出てきたりしますが、やはり形同実異だなあと感じます。

光岡先生に教わるサンチンは、未だ嘗てなく足が爆発しました。

足の最大爆発を結構毎回更新してるような気がするんですが、もうサンチンは群を抜いてました。モウダメダ・・・の境界線を何度越えたことか。最後まで立っていた自分を褒めてあげたい。

試し稽古を交えながら、型の意味、なぜそうなっているのかを丁寧に観ながら型を行うと、その型が本気出してくる感じがします。

ただその動きをやるだけならなんてことはない。別に10回でも20回でもできる。

けどガチで丁寧にその型と向き合うと、型のほうも本領発揮してくるんだと思います。

いやあマジで効いた。

しかし私膝にめっちゃキテたのですが、それはまだ甘いそうです。(ガチ勢は足首にくるんですって)


翌日のBUGAKUは、観法から入って、「気」と「もの」と「こと」の関係についてのお話がありました。

いやこれまとめようがない。

いやがんばれ俺。

ものというのはいわゆる物(物質、実体)ではなくて、ことに気が入った結果生じた「まとまり」のようなもので、ことに気が入るとものになるのだそうです。

だめだ笑

つまりこういうことですって全然言えない。やば。脳が敗北してる。

手も足も出ない。

では手と足を出しましょう。ということでこの日もサンチン。前日より更に丁寧に。

同じサンチンでもその場にいる人と、会場の感じとで、その場限りのものになった気がします。

私は夜のコマに出れなかったのでここで失礼しましたが、道すがら足がガックガックに震えてました。

サンチン。続けたいと思います。


今回はいつにも増してまとまらなかったなあ。

理解が全然追いついてない。まあでもそれはそれとして、稽古をするのです。

光岡英稔 BUGAKU講座|18-19回目

ちょっと時間が経ってしまいましたが今回もレポートしていきたいと思います。

最近グループプライベートクラスではシラット、八卦掌、剣術を習っているのですが、今回は八卦掌と剣術を受講しました。

私中学校の頃剣道やってまして、長い棒には親しみがあるもので、剣術の稽古は非常にしっくりくるものがあります。木刀握るの好き♡

あとハワイアン八卦掌はなんというか底が見えなさすぎるというか、直観的にこの先に音楽があるなというのがあって、毎回楽しみに参加しています。


以下のアーカイブ、これまで韓氏意拳の講座も入れておりましたが、すごく長くなってしまうので、BUGAKU講座だけ載せることにしました。

【これまでのBUGAKU講座レポート】
1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
3回目 https://is.gd/Gm9C17
4回目 https://is.gd/37Oxg1
5回目 https://ux.nu/AmsQM
7回目 https://is.gd/xiBfFB
8回目 https://is.gd/tbIYiI
9回目https://is.gd/BnOQit
10回目https://is.gd/RczZH5
11回目https://is.gd/ayTQMA
12回目https://is.gd/zHtNYL
13.14回目https://is.gd/YXuCSM
15-17回目https://bit.ly/3PEGYgt


ハワイアン八卦掌

この日は観法ののち、八卦掌の練功法を3種類教わりました。

いろんなクラスに出てると、導観法で光岡先生が導こうとしている身体観が武術ごとに違って、それだけでも滅茶苦茶面白いです。

あとでやる練功法につながるように、上丹田、中丹田、下丹田を観ていくような観法でした。観法によって、自分の感覚も構造もどんどん変わっていくというのと、こんな体の観方(みかた)があったのかという発見の連続です。

朝の稽古でやる観法のバリエーションも増えてきて、自分でも体の観方を発見する下地ができてきたように思います。

習った練功法3種は3つとも、今までのBUGAKUの講座で感じたことのないような手触りがありました。

一つ目のやつ(名前はないんですかと聞いたら、いや練功だよ、と言われました笑)では、初めて腹筋にきました。これまでなにをやっても大抵足腰にきてたのですが、腹筋は初めてでした。

二つ目のやつは膝が爆発しました。これはある意味いつものことです。しかしなんだろう、これ私には凄くしっくりきて、先生の言われるポイントがあたかも身体が初めから知っていたかのようにすっと入ってきました。(けど膝は爆発しました)

三つ目のやつは一番身体に馴染みがなくて、ひと際苦労しました。どうも私膝裏が弱点のようです(ここで曝す!)。

三つも習ってこれ帰って覚えてるのだろうかと思いましたが、ちゃんと覚えてました。

ただ形と動きを伝えるのではなく、こうだからこう(例えば肘を水平にするから腰が回る等)、というところまで教えてくださるので、それをどうやら覚えているようです。あと間違ったときに何かおかしいと体が教えてくれるようになった気がします。ん?っていう違和感を感じれるようになった。


剣術

この日は武学における剣術と抜刀術の基本的な考え方、4つの分類について教わりました。ちょうどテンセグリティの梶川先生がタイムリーに以下のつぶやきをされていて、思わずこの画像を保存しました笑

太極図は本当に惹きつけられるものがあります。自分の合唱団のロゴにしちゃうくらい好き。

めっちゃ良くないですかこのロゴ。すげえ気に入っております。

この日は二種類の抜刀を教わりました。

横から横と縦から横、であってると思います(自信なし)

抜刀はやはり木刀より模造刀の方がやりやすそうだし、帯とかもちゃんとしたいし、なんなら家の蛍光灯を天井に張り付くやつにしたいとさえ思っておりますが、なかなかそこまで手が回っておりません。

いろいろ買いすぎて怒られそうだし・・・(その前にダーバンズが欲しい、もう東急ハンズで机の脚を買うことは心に決めているのだけれど、あとは実行に移すだけ・・・)

光岡先生のところで習う剣術は、私が中学生の時に習った剣道とは似ても似つかないけど、長い棒を持っているというところだけは共通しているので、こう昔の血が沸いてワクワクします。

この日はとても久しぶりに皆さんと帰りがけに飲みに行けまして、それもとても楽しかったです。

おそらく世界にここにしかない価値観を共有する仲間という感じで心強かったです。

この2・3年というもの、世界がこれだけ分断されていて、救いようなく人間が愚かであるということを思い知らされている中で、こうしたコミュニティがあることは本当にありがたいと思っています。


ということで、最近やたらと忙しく、ずいぶんとレポートが遅くなってしまいました。

この間サリクスの公演があり、ハイパー能「菖蒲冠」があり、先週はエマルシオンとカンティガとトム・ウェイシとコエダイr合唱団のリハで忙殺されておりまして、今は軽井沢で録音のディレクターをやっておりますが、俗世間から隔離された空間で、合間にブログを書くという充実した日々を過ごさせていただいております。

(私にディレクターを頼むなんてなかなかパンチある人選だと思っておりますが、ご期待に沿えるようがんばります。)

ということでこれらのことについてはまた機会を改めてお知らせできればと思います。

エマルシオンの公演詳細→https://tiget.net/events/170961

トム・ウェイシの公演詳細→https://www.reservestock.jp/events/710061

コエダイr合唱団の公演詳細→https://www.reservestock.jp/events/672981

光岡英稔 韓氏意拳講座|11回目:BUGAKU講座|15-17回目

今月はたくさん講座に参加できました。

それだけに身体も頭もパンパンになりました。

整理して、自主練の指針を立てていきたいと思います。


【これまでの講座レポート】
BUGAKU講座|1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
BUGAKU講座|2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
BUGAKU講座|3回目 https://is.gd/Gm9C17
韓氏意拳講座|1回目 https://is.gd/D3RjiJ
BUGAKU講座|4回目 https://is.gd/37Oxg1
BUGAKU講座|5回目 https://ux.nu/AmsQM
韓氏意拳講座|2回目https://is.gd/G7l53a
BUGAKU講座|7回目 https://is.gd/xiBfFB
韓氏意拳講座|3回目 https://is.gd/rDRgMX
韓氏意拳講座|4回目 https://is.gd/8BX3eO
BUGAKU講座|8回目 https://is.gd/tbIYiI
韓氏意拳講座|5回目 https://is.gd/YmZ2Yc
BUGAKU講座|9回目https://is.gd/BnOQit
韓氏意拳講座|6回目https://is.gd/dlMQTX
BUGAKU講座|10回目https://is.gd/RczZH5
韓氏意拳講座|7回目https://is.gd/a1Yor1
韓氏意拳講座|8回目https://is.gd/ayTQMA
BUGAKU講座|11回目https://is.gd/ayTQMA
韓氏意拳講座|9回目https://is.gd/NCZKxY
BUGAKU講座|12回目https://is.gd/zHtNYL
韓氏意拳講座|10回目:BUGAKU講座|13.14回目https://is.gd/YXuCSM


剣術

今回の剣術は流派による構え方の違い、身体観の違いというところを正座で、木刀を持った状態での観法で比べていきました。

なにか持った状態での観法というの自体初めてで、それだけで既にめちゃくちゃ面白かったのですが、構え方の違いで観え方が全然変わってくるのがかなりわかりやすく、身体にとって自然な構えとはなにかということの気づきが大きかったです。

このあと更に立った状態で構えて観法もやりましたが、膝が爆発するかと思いました笑

足にキテるのはうまく観れてる証拠とのことで少し安心しましたが、まだまだ足腰を鍛錬せねばならんです。

木刀と手を対応させながら観ていくと「揃う」という状態になり「定位」するのですが、それをどこか一箇所ずらすことで「不定位」を作って動くということもやりました。

動きが出てくると更に「観る」難易度が上がって、私の場合足首から下がいい加減になってるのがよーくわかりました。

ほんともう毎日稽古してるんですけどねえ。

毎朝稽古する習慣をつけてもう2年半くらい経ってますが、自分でもこんなに続くと思ってませんでした。

しかしやらないとほんとに気持ち悪いんですよね。そうなったらこっちのもんという感じですが、ただのルーティンとか、健康法に陥らないようにずっと注意しながらやってます。

毎日少しずつでも自分の身体が練れていくように。

あとこれだけやっててもほんとに講座に出るたびにマジで自分何もできねえということを思い知らされます。

今年歳男で36歳になりますが、この歳になってこれだけ伸び代を感じることができるのはなかなか他ではないんですよね。


東南アジア武術

シラットは前回から引き続き礼法を丁寧にやっていって、その精度を上げていきました。

更に様々な言語で数字を口に出すということで、シラットの身体観との相性をみていくということをやっていきました。

前回は音楽との相性、今回は数字を発声するということで、これはまさに私が武学を通じて学ぼうとしていることに直結すはず!

「音楽・声と身体」というテーマを探求する上できっと大きなヒントになっているはずなのですが、今のところまだ具体的にはひらめいてません。

は!時系列がおかしくなってしまって申し訳ないですが、剣術のところでは、中世、古代の日本語との相性をみたのでした。

これです。これを紹介いただいてからこのチャンネルの動画見まくってるのですが、解説動画の内容が頭良すぎて吐きそうになります。

しかも解説動画がデフォルトで1.5倍速とかになっててさらに情報量がえげつないので、0.75倍速にして見てます笑

現代日本語と現代日本人の身体観、古代日本語と古代日本人の身体観に親和性があるということで、やはり現代日本語を喋ってる限りは現代日本人の身体観から逃れられないのかな、などと思いました。

やはりこれも、音楽や言語、発音、発声との結びつきということで、非常に古楽的アプローチに直結しますし、他国の民族音楽を演奏する時(すなわち西洋クラシックを演奏するときも含む)、避けては通れないテーマなのだと思います。

現代日本人の身体性と他国の伝統音楽とでは親和性がまるでないので、上手くいかんのです。

だからそこにアプローチしていかなきゃあかん。

と、いうことと、もう一つ直接的に興味が湧いたのは、10世紀頃の、例えばザンクトガレン式ネウマが書かれたスイスにおいて、ラテン語ってどう発音していたのか、ということ。

これまでも無視していたわけではないのですが(いやほぼ無視していたと言って過言ではないのですが)、我々がグレゴリオ聖歌を歌うときって、演奏会の中で歌うので、ほぼグレゴリオ聖歌だけの演奏会というのはなくて、何かしらポリフォニーを歌う。でそのポリフォニーがフランスやフランドルのものであれば、それにあわせてグレゴリオ聖歌も15世紀フランス風の発音で歌う、ということにしていました。

それはそれでそこそこ理にかなっているとも言えるのですが、実際ネウマが書かれたのは10世紀なので、インチキといえばインチキです。10世紀スイスで書かれたネウマを見ながら、15世紀フランス風の発音で歌うということなので。

そしてそういうことをやっていると、実はネウマとの齟齬というのも出てきていて、二重母音やtのリクエッシェンスなんかは目を瞑ってなかったことにしているのです(!)

しかし実際10世紀頃のラテン語の発音ってどのくらいわかってるんでしょうか。14−16世紀あたりの発音についてはみんな持ってるあの本を見ればだいたいのことはわかるけれど、10世紀の歌われたラテン語の発音について、何かご存じの方がいらっしゃれば教えて下さい。


韓氏意拳

この日の韓氏意拳も、韓氏意拳というよりはシュワイジャオの稽古を行いました。

なぜかというと、韓氏意拳の創始者たちが幼い頃シュワイジャオに親しみ、身体観の下地としていた(という言い方でいいのかわかりませんが)からです。

バッハを歌うためにポリフォニーを、ポリフォニーを歌うためにグレゴリオ聖歌を歌うようなものですね。

大棒子という太めの棒を使った練習をするのですが、これうちにはまだないのです。

木刀で代用しているのですが、やはり太さと重さがほしい。

ホームセンターで買ってこよう。

駒井先生が作り方紹介されてますね。

このような道具です。

この日最も衝撃的だったのは、光岡先生の膝裏です。

左右を振り向きながらビシッと足を回転させるという動きがあるのですが、その時

「後ろ足って膝伸びてますか?」

と私質問しまして、ほなちょっとここ触ってみいということで、先生の膝裏を触らせてもらったんですね。

そしたらもうあたくしの手がシュパーンって弾かれるわけです。危うく突き指をするとこでした。

全身凶器ってこういう事を言うんですねえ。しみじみ。

まさか膝裏までこんな殺傷力あるとは。。。

で、光岡先生はこの動きで相手のタックルを切るというデモンストレーションも見せてもらったのですがこれがまた、見たことない動きでした。想定外の動き。そんなんあり・・・?って感じ。

なんでMMAの人はやらないのかしら。

競技と武術は違いますけど、これを朝倉海が知ってしまったらどうなるんだろうなあとか妄想はします。


ハワイアン八卦掌

この日はハワイアン八卦掌の成り立ちから。

クリス・リー・マツオ師範がいかにして今の体系を作り上げたのかというところを教わりました。

忍術、柔術、光岡道場、龍形八卦掌、蛇形八卦掌、チベット密教や道教に至るまで、様々な要素が取り入れられているそうです。

基本的にこういった流派は「混ぜるな危険」なのだそうですが、複数の体系を比べることによってそれぞれのアイデンティティが純化されて抽出されるという、まさにBUGAKUの理念そのもののようでした。

広大時代お世話になった古東哲明先生は比較哲学が専門で、同じようなことをされていて、光岡先生やハワイアン八卦掌は比較武学と言えるのではないかと思います。

で、私がやりたいことは比較音楽なんです。いろんな音楽の流派にはそれぞれアイデンティティがあって、基本的に混ぜるな危険だと思います。混ぜて上手くいった例は殆ど見たことない。

The HUとか結構好きですけど、もの凄く良いかと言われると・・・。

いや、好きなんですけどね、結構、こういうのも。

こういうのとか。最高ですけど笑。

けどほんとのほんとに音楽の真を喰ってるかというと違うと思う。(あくまで私は)

エンターテイメントとして面白いというところと、音楽の真を喰うというのは違うと思ってまして、私がやりたいのは後者なんですよね。

すぐ音楽の喩えになっちゃってすみません。音楽家なもんで笑

それでこの日はその中から、ハワイアン八卦掌にも影響を与えたと考えられる旧光岡道場でやっていた関節技を教わりました。

光岡先生の講座では、基礎の基礎をとにかく煮詰めて煮詰めてココ!っていう基礎を教わるのですが、それはおそらく他の武術の心得がある人であっても決して持っていない基礎なんですよね。

なので他の武術の心得がある人の持っている基礎についてはあまり重視されないのですが、私の場合そこすらもないので、より一層できないんだろうなあと思います。

普通の関節技の基礎のある人だったらもっとすんなり入ってくるところが、私の場合はまずはそこを知るところから入らなきゃいけない。

もどかしい。

しかしこれも伸び代ですね。

(本田圭佑の伸び代の動画探したけど見つからなかった)

というわけで今回もたくさんのことを学び、またもっともっと学びたいという思いを強めました。

八卦掌の3つの中心性、自己中心性、他者中心性、自他中心性。

これはアンサンブルやるときには欠かせない考え方だと思いますが、3つ目についてまだ理解が深まってないので、また学び、実践し、活かしていこうと思います。


Salicus Kammerchor第7回定期演奏会

出演メンバーのプロフィールを公開しました。

今回も凄いメンバーです。演奏会前に是非チェックを!

https://www.salicuskammerchor.com/blank

5月20日(金)19時開演
日本福音ルーテル東京教会
https://tiget.net/events/160766

5月22日(日)14時開演
台東区生涯学習センター ミレニアムホール
https://tiget.net/events/160767


サリクスのリハはまだですが、8月のエマルシオンのリハは早くも始まっております。

この音の形は当然こうなるよねっていう音が、実際当然のようにそういう形になる、そういうメンバーと歌うのはほんと楽!

6人中5人サリクスだからそりゃそうなのかもしれないけど、それを考えるとまっつんがマジで凄い。

https://twitter.com/emulsionvocal/status/1497562144048828421

先日思い立って多重録音をしました。

ロシア正教の歌で、一番下は吸いのなんちゃってオクタヴィストです。

面白いのでぜひ見てみてください。