光岡英稔 BUGAKU講座|26-27回目

光岡英稔 BUGAKU講座|26-27回目

今月は韓氏意拳3コマ、BUGAKU2コマ参加したのでレポートも大変です。

しかし自分のためにもまとめておきたいと思います。

今回も八卦掌と剣術に参加してきました。


これまでのレポート
1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
3回目 https://is.gd/Gm9C17
4回目 https://is.gd/37Oxg1
5回目 https://bit.ly/3D63JVq
7回目 https://is.gd/xiBfFB
8回目 https://is.gd/tbIYiI
9回目 https://is.gd/BnOQit
10回目 https://is.gd/RczZH5
11回目 https://is.gd/ayTQMA
12回目 https://is.gd/zHtNYL
13-14回目 https://is.gd/YXuCSM
15-17回目 https://bit.ly/3PEGYgt
18-19回目 https://bit.ly/3NRSUKy
20-23回目 https://bit.ly/3p63TWg
24-25回目https://bit.ly/3Qs4RqV


10/3ハワイアン八卦掌

この日も観法ののち、座学がありました。

韓氏意拳もそうなのですが、ハワイアン八卦掌の時の座学もなかなか難解です。

やはり「中心とは何か」というのがメインテーマなのですが、抽象的、思想的でなく、形として、運動の中での中心を身体通して経験するということをいかに学んでいくか。

話を聞きながら、思想的中心の中には、権威的中心とでも言うべきか、「俺がこれを中心ということにする!」というパターンもあるなと思いました。まったくの無根拠、恣意的中心とも言えると思います。

感覚経験は完全に自分のものでしかないので、それでもって中心性を捉えることさえできればいいのですが、これはもう自分で感性を磨いていくしかないんだと思います。

身体経験は教わることができない。自分が自分で経験するしかない。

座学の後、open palm change / close palm changeでくるくる回りました。

最近の朝稽古では、韓氏意拳は毎日やっていて、剣術、ハワイアン八卦掌、シラットをそれぞれローテーションでやってます。全部やると2時間くらいかかっちゃうので。

なのでこのくるくる回る稽古も3日に1回はやってるのですが、一人稽古と対人稽古の違いを凄く感じました。

やっぱり相手がいるとどうしても反応の世界に入ってしまって、自分の形や動きから気が逸れてしまうんですよね。

やりながら「どうしてうまくいかないんだろう」とか考えだしたらもうダメです。笑

この日新たに教わったのは、止まった時、またchangeした後の足の形で、これがないとうまく止まれない、またうまく歩き出せない。

歩型、歩法、むちゃ大事ですね。。


10/6剣術

この日はなんかこういつもと違って(週末レクリエーション感があるというか)軽いスパーみたいなことを沢山やってめっちゃ楽しかったです。

テーマは、なぜ日本の刀剣は両手持ちの武器で、なぜ盾を使わないのか。

これを学ぶために、実際に「袋竹刀と盾」の人と「両手持ちの袋竹刀」で戦ってみました。

まずすっごいおっきいフィリピンのカリンガ族の盾。これはもう相手の姿がほとんどすっかり隠れるくらいでかい。

光岡先生のこちらのツイートに画像が出ております。

これはもうすっごい邪魔、すっごい邪魔。

続いてキャプテン・アメリカが持ってるような丸い盾。

これは肘を固定しているのでタックルしていく感じになりやすいです。

カリンガ族の盾に比べればかなり相手の身体が見えます。

お互い素人なので、盾の使い方もよくわかってなくて、それも含め探り探りのスパーだったのですが、それぞれのバックグラウンドから、個性が出て面白かったです。

最後はバックラーという鍋蓋大の盾。

これはもう持ってる方からするとかなり心もとない。盾という感じもしない。けどまあ軽いから動かしやすいです。

大中小の盾で攻防してみてわかったのは、それぞれ邪魔だなあという感じがあるのだけど、それはお互い様で、盾持ってる方からしても、盾があるから相手に攻撃しづらい。

それならむしろ両手持ちで剣を持ってるほうがまだ有利なんじゃないかということ。

だんだんわかってきました。なぜ日本の剣術が盾を使わないのか。

もう一つは、日本の剣術は刀剣を「刀」のようにも使うし「槍」のようにも使うし「盾」のようにも使うことが出来るということ。

もちろん素人にはそのどれも不可能ですが、熟練するとそういう可能性があるということ。

そして斜の構えは「盾」として刀剣を使う「後の先」の構えであることを教わりました。

そう思うと、盾を持って攻防してみた経験が役に立つ感じがしました。

あーあの感じかー。

っていうのを得るためには一回経験しないと無理なんですよね。

この構えは盾の構えです。と言われても、盾で攻防したことがないとさっぱりわからん笑。

すんごいよくできた稽古手順だなあと思いました。いつもそうなんですけど。

こういう手順で身体がこれとこれとこれを経験していくと、それで初めてああそうかと、身体でもって分かることがある。

この「感じ」は「頭でわかる」とは全然違います。

私たち、頭でわかったような気になって何も身についてないってそういうこと、よくありますよね。

なんか講座とか受けるとそれで満足して自分上達した気になってるんですけど、何にもなってない。

武術も音楽も。


Salicus Kammerchor カンタータ公演 vo.2
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11/25ルーテル公演
11/29豊洲公演

いよいよ今月末!チケットお申し込みはお早めに!

演奏会詳細はこちら↓
https://salicuskammerchor.com/concert


声明とグレゴリオ聖歌がポリフォニーする PARTⅡ
「菩薩のラメント・キュロスの哀愍」

2022年12月17日(土)
14:00 開場
14:30 開演

会場:えびらホール

料金:4,000円
チケット予約・お問い合わせ:g.sakurai.office@gmail.com


Salicus Kammerchor
演奏動画続々公開中!

第7回定期演奏会から4本動画を公開しております!


謎のお役立ち動画

突然思い立って撮ってみました。

誰の役に立つのかわかりませんが笑

光岡英稔 韓氏意拳講座|12-13回目

先月末から今月末にかけて、BUGAKUと韓氏意拳の講座を受講しました。

まずは韓氏意拳の方からレポートしていきたいと思います。

BUGAKUの方は25回受講してるようなんですが、韓氏意拳はまだ13回なんですね。

開講頻度と金土日にやってることが多いということでそうなってるようですが、前回から少し間があいてしまいました。


これまでのレポートはこちら↓
韓氏意拳講座|1回目 https://is.gd/D3RjiJ
韓氏意拳講座|2回目https://is.gd/G7l53a
韓氏意拳講座|3回目 https://is.gd/rDRgMX
韓氏意拳講座|4回目 https://is.gd/8BX3eO
韓氏意拳講座|5回目 https://is.gd/YmZ2Yc
韓氏意拳講座|6回目https://is.gd/dlMQTX
韓氏意拳講座|7回目https://is.gd/a1Yor1
韓氏意拳講座|8回目https://is.gd/ayTQMA
韓氏意拳講座|9回目https://is.gd/NCZKxY
韓氏意拳講座|10回目https://is.gd/YXuCSM
韓氏意拳講座|11回目https://bit.ly/3PEGYgt


9/30初級講座

王向斉の意拳→韓星僑の意拳→韓競辰の韓氏意拳という流れの中で、先代から何を受け継ぎ、何を新たに生み出していったのかという解説を受ける中で、これからの韓氏意拳はどうなっていくのだろうかと考えていました。

シンプルイズベスト的な王向斉、そこに多様性をもたらした韓星僑、多様な体系を統合しようとした韓競辰、それを受けて光岡英稔が試みていること、そこから私たちは何を学ぼうとしているのか。

そして結構衝撃的だったのは、韓氏意拳を学ぶとき、韓氏意拳だけをやっても使えなくて、形意拳と意拳をやって初めて意味を為すというもの。

まず、それって大変すぎませんか( ´∀` )

そして、それってもはや韓氏意拳と呼べるのでしょうか、私たちが学ぼうとしているのは形意拳と意拳と韓氏意拳が総合された何か別の体系なのではないでしょうかということ。

そもそも王向斉と韓星僑は結構全然違うことをやりながら、同じ意拳という武術の名前だったのに対し、韓競辰は同じ名前を使わずに韓氏意拳としたのはなんでなんだろうとか、光岡先生の教える韓氏意拳は形意拳と意拳と韓氏意拳を総合した光岡氏意拳なのではないかとか考えてました。

が、これっておのれを振り返ると、グレゴリオ聖歌とルネサンスポリフォニーやらずにバッハやったって意味ないぜって結構同じこと言ってませんか?笑

これって私の中では自明なことで、しかも韓氏意拳が韓氏意拳であるように、バッハはバッハなんですよね。

そして私が「それって大変すぎません?」って思ったように私に指導される人たちは思ってるんだろうな。。。

気持ちがすっごいわかりました笑

前半の講義はそんな感じで「うむー」と考えていましたが、後半の実技(?)の内容はなんというか豪快というかシンプルというか、「挙式」ってバックドロップだぜっていう内容でした笑。

やっぱり韓氏意拳って抽象的に感じてしまうところがどうしてもあって、難解だなあと多分みんな感じてるのではないかと思いますが、今回の講座はなんというか明解極まりないというか、こんなに「わかりやすい」と感じた韓氏意拳の講座は初めてでした。

様々な武術家の実践の経験が抽出されたものとして型や式があって、その実践の経験が無い者がその体系に取り組むときにその型の意味を汲みとるのはやっぱり難しくて、どうしても抽象的になるのではと思います。

多分私の人生でバックドロップをやったこともやられたこともなかったと思うので(多分)

そういえば私もボイトレでインワードボーカルフライとか、カルグラとかヨーデルとかよく使いますが、so-so聴いたことない人がインワードボーカルフライやってもよくわかんないだろうと思います。

今回私たちがバックドロップを経験したように、インワードボーカルフライを取り入れるならやはりso-soを経験しないとあかんですね。

ところで光岡先生に落とす直前までバックドロップかけていただいたのですが、もうなんというかキレが凄くて(何がどうなってるのかわからないのでそのくらいの事しか言えない)スバッてこう持ち上げられたのですが、多分5年前の自分だったら肋骨いってたと思います。

その瞬間自分でも何かやったつもりはないのですが、こう、肋骨がきゅっとして無傷で済んだんですね。

バックドロップを受けて知る、自分の身体の成長よ。


10/2初級講座(1コマ目)

この日の講座は・・・・メモが5ページもある・・・。

それだけ内容が濃かったということで。いやあまとめるの大変そ。

午前のコマはお話がかなり沢山で、脳味噌爆発しました。

武術の講座で脳味噌爆発するのも光岡先生ならではですよねえ。

「形と感覚」

というお話で、形意拳、意拳、韓氏意拳の

流派としての形→稽古方法としての形→その中の動き・行いとしての形→止まるポイントとしての一つ一つの形

という4段階におけるそれぞれの形の捉え方(?)というお話でした。

形にこだわるという点がこれらの体系の共通項、世にあるいわゆるボディワークは動きには注目する傾向にあるとのこと。

そしてその形がどうなっているかを判断するのは「感覚」

その感覚を問うことのできる感性

その問いの答えを頭に求めるのか、身体に求めるのか。

そこのところをおさえつつ、形体訓練の稽古をしました。

横向(ハンシャン)をやりながら、いろんなアドバイスを受けるのですが、印象に残ったのは、力みに対する指導で、

「固まってるところを固めないようにしようとして、ただボーっとしてる。固まったままボーっとしてるだけだ」

というので、確かに恣意的身体に入ってしまっていると、頭がボーっとしてれば身体も緩んでるような気がするのですが、それ頭の中の身体が緩んでるだけなんですよね( ´∀` )

あとは、「故意に操作していることを習慣化していることを頭が「自然」だと錯覚している」

とかも実に身に覚えがあることでございました。

あえてそうやろうと思わなくてもできるようになってしまった事柄について、自然にできていると思ってても、過去の自分が不自然を習慣化しただけだったという。

つまり(頭にとって)自然に、(身体にとって)不自然をやっている。

世の中で言う「自然」って大概これなんじゃなかろうか。

身体の自然と頭の自然を区別するというのが(めっちゃ難しいけど)必須なんだと思います。

あとやりながら自分で思ってたのは、力むのって楽だなあということ、力むと辛そうな気がするけど、力むのってほんと簡単で手っ取り早くて、その場をしのげる可能性はあるけど、使い物にならない。

あと問いの答えを身体に求めようということはわかるけれど、多分ここにもトラップがあって、「問いの答えを身体に求めるということを頭でしかわかってない」という状態があるなあと思いました。

これだから韓氏意拳は難しい・・。一昨日とどえらい違いだぜ。


10/2初級講座(2コマ目)

内容が濃すぎてもう長くなっちゃってもう仕方ないですね。。

この午後のコマはもう更に輪をかけてディープな世界でした。

多様性に対する人間の分別感と分別心、それらを捨てた(放下した)先にある無分別心。

多様性つまり自然はカオスだということを分別を通り超えて認めるということだとあたくし理解いたしましたが、もうなにしろ難しい。。

自然に立つ、自然に動く、というのは自然を認めることなしにはありえん。なぜなら自分自身がカオスである自然なのだから。

みたいなことです多分。

そしてこれ午前の話にもつながるんですけど、この「放下」というのが、受動的にボーっとしてるのとは違うということ。

動物だったらそれでも大丈夫かもしれないけど、人間には分別があるから、分別を超えないと無分別に至れない。つまり「放下」は受動ではできない。

なにがなんだかわからないことをわかる。(但し身体で)

ということなのだと思います。

それで、挙式の稽古をしたわけですか、これらのことが、「はいわかりました!」という具合にはできません当たり前ですが。

これらのことを目標に日々稽古に励む他ないのであります。

結局稽古の指針、目標を与えるということが指導の目当てであって、その場でパッとできるようなことはあんまりないんですよね。

ボイトレも合唱指導もそうですが、とにかく自分が稽古しないことには何もできん。

超当たり前で恐縮ですが、しかし稽古もせずに自分のできなさを先生のせいにしてること多くないですか?(自戒で自壊)

というわけで今朝も稽古に励みます。

毎朝稽古を始めてからもうすぐ3年、見た目も変わりましたが中身はもっと変わってます。

出張先でも、合宿先でも、旅行先でも毎朝1時間稽古しています。

稽古すれば上達します。上達すると楽しいです。楽しいから稽古します。

やろうぜ!稽古!


声明とグレゴリオ聖歌がポリフォニーする PARTⅡ
「菩薩のラメント・キュロスの哀愍」

少し先ですが、12月17日(土)昼公演@えびらホールです。

叔母との企画第2弾です。

グレゴリオ聖歌と声明を交互に演奏する企画は普通ですが、グレゴリオ聖歌風や、声明風を新作してしかも同時に歌うというのは無いと思います。多分。

私はラテン語で5曲新作、叔母は中国語、日本古語、アッカド語4曲新作です。やば。

叔母が仏教徒、私がクリスチャンだったらできません。多分。

東西の単旋律聖歌のアウトロー叔母甥だからこそできる無二の企画だと思っています。

櫻井家のイカレた血筋をご堪能ください。

https://www.facebook.com/events/1482411928891613


Salicus Kammerchorカンタータ公演vol.2

こちらも第2弾の企画で、カンタータを4曲とモテットを1曲やります。

全てツィンクとサクバット入りの豪華編成です!

モテット風冒頭合唱を金管と一緒にぬるぬる歌うサリクスをお楽しみに!

11/25ルーテル公演
11/29豊洲公演

演奏会詳細はこちら↓ https://salicuskammerchor.com/concert

光岡英稔 BUGAKU講座|24-25回目

先月はほんといろんなことがありまして、BUGAKUの講座に参加できませんでした。

やっぱり2か月空くとちょっと体調に影響します笑

今月は2コマ、剣術とハワイアン八卦掌に参加できました。

シラットと韓氏意拳の方にしばらく行けてないのが気がかりなのですが、金曜日は予定入りやすいんですよねえ。。

今回も私が理解している範囲で書きまとめていきたいと思います。


これまでのレポート
1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
3回目 https://is.gd/Gm9C17
4回目 https://is.gd/37Oxg1
5回目 https://ux.nu/AmsQM
7回目 https://is.gd/xiBfFB
8回目 https://is.gd/tbIYiI
9回目https://is.gd/BnOQit
10回目https://is.gd/RczZH5
11回目https://is.gd/ayTQMA
12回目https://is.gd/zHtNYL
13-14回目https://is.gd/YXuCSM
15-17回目https://bit.ly/3PEGYgt
18-19回目https://bit.ly/3NRSUKy
20-23回目https://bit.ly/3p63TWg


剣術

これを書くにあたって質問しようと思っていたことを質問し忘れてしまいました笑

また曖昧な記述が多くなることをお許しください。

この日は観法から。別のタイミングで光岡先生が「基本にして奥義」ということを仰っていたのですが、観法ってまさにそうだよなあと思ったのは私の見解です。

導観法もいろんなやり方があって、その日のテーマに沿った観方を教わるのですが、これなかなか一人稽古でできないんですよね。「身体を観る」というただそれだけのことなのですが、場の力なのか、光岡先生に導かれると、一人稽古の時では行けない深ーい世界に入っていけます。

陳腐な言い方ですが、身体の解像度が全然違います。眼鏡かけてる時とかけてない時くらい違います。


この日は板書的なことはほとんどなく、ひたすら動く稽古でした。これもなかなか不思議で、ひとまず頭で理解してからやりましょうか、という時と、まあとにかく身体を動かそうぜっていう時と、あるんですよね。これも私の勝手な理解ですが、両方の要素が必要なんだろうなと思います。

わからないことをやろうとしても難しいし、ともかく身体を動かしてわかることもある。


後で気づいたのですが、この日は刀を振るという動きが全くありませんでした。

思い起こせば前回もそうだったような。。。。

剣術の講座としては多分普通の事ではないですよね笑

今回教わったのは「ある構えから別の構えに丁寧に移る」という文字にしたら、マジでそんだけのことですか・・・!っていう内容なんですけど、それはそれはディティールが凄い。

物理的な形のディティールと、観法のディティールとこれ両方丁寧にひとつひとつ行っていくのはなかなか至難の業です。

刀身と自分の身を揃えるというのが剣術の観法の基本なのですが、これだけとってもまあそんなぱっぱっぱっとはいきません。時間がかかります。焦れてここが雑になると稽古が形骸化します。

加えて、私が中学時代に剣道として習っていた剣術は「一刀流」がベース、光岡先生の剣術は「新陰流」がベース(不正確でしたらご指摘ください)ということらしく、複雑さが段違いです。

中学レベルの剣道で私が習ったのは中段の構えだけで、一応上段と下段、八双とかこういうのあるよ、というのは知識としては教わりましたが、実戦で使うことはありませんでした。

中段の構えは、左足が常に後ろで刀を正中で構える。これ1個だけ。

だからそもそも構えから構えへ移るということ自体がなかったわけです。

それに対してこの日光岡剣術で習ったのはセイガン、ジョカクセイ、左右の上段の四つ(構えの名前についてはいろいろあるそうです)で、それぞれ右足前の時と左足前の時があるので×2で8種類。

歩を進めつつ(とはいってもこの日はたったの一歩)8つの構えを丁寧に移っていく。

それぞれの構えの際に刀身と身を揃え、揃ったら移行し、次の構えでまた揃え、一歩進んで8回構えるだけで結構ヘトヘトです。

形自体、あと動くときに踵から動くのかつま先から動くかなど、物理の段取り自体も実に精妙でディティールが超厳しい。しかしそれに全て理由がある。

やっぱり広めようとすると単純な方がいいに決まってるけど、人間も自然もそんな単純にはできてないんですよね。

そんなことを感じた回でした。

ちょうど、頭のいい人は難しいことを易しく伝えられるみたいなテンプレートをまた言ってた人がボコボコにされてまいたが、そういう言い訳ほんとに見苦しいですよね。

頭が良かろうが悪かろうがカオスはカオスなのよ。


ハワイアン八卦掌

この頃顕著だなあと思うのは、グループプライベートクラスの各クラスのメンバーの違いです。

多分今回の剣術と八卦掌でかぶってたのは私だけじゃないかな・・・?

光岡先生も2-3個に絞った方がいいと仰るのですが、私の場合仕事の都合で出れないことも多いので、とにかく出れる時に出るというスタンスなのです。

私は比較哲学や比較音楽学が好きで、光岡先生がやってることも私の目には「比較武学」に見えてるので、そういうところも合ってるのかなあと思います。

なので私はしばらくこのスタンスで続けようと思ってます。

八卦掌はこの日も観法から入ったのですが、この日の観法は一段と凄かった。

あまりに芸術すぎて集注できないくらい感動してました笑

私がこんなこと言うのもなんですが、コンサート行くより稽古に来た方がいいですよ。その方が芸術に出会えます。


八卦掌では「際と端から中心を知る」ということを教わっていて、最初はちんぷんかんぷんだったのですが、何回か通ってるうちに、少しずつわかってきました。

「物理としての中心」も、「観念としての中心」も、私にとってはかなりわかりにくいなあと思っていたのですが、「経験としての中心」というワードが今回出てきまして、あーそれならわかるかも、と思いました。

多分普通に生きてると、観念としての中心と、経験としての中心の何が違うのかわからないかもしれません。この区別は結構難しいと思いますが、「中心」という経験が私の身体にあるなあ、と、私は思いました。

稽古としてはこの日はopen palmとclose palmの形で外力をかけてもらうということをやりました。後足に外力を受けられると形を保てるのですが、他のところで受けてしまうとそこに力みが出ます。

そのまた違った形の稽古として、肘を水平に出して、両手で押してもらうという稽古も教わったのですが、これがまた非常ーーによくできた稽古で笑、もうこれどう考えても受け止められんだろっていう形してるんですよね。

やっぱりまだ頭で「どうやったらこれを受け止められる形にできるだろうか」とか考えちゃうんですけど、全然そんなのは屁のツッパリにもならんのですね。ただ後ろ足で受けるってそれだけのことだという発想の転換というかもう発想ですらないと思うんですけど、ともかくそのくらいのエウレカがないと絶対無理笑。

それで思ったのは、これってうまくいっても別に楽ではないんです。足にはくる。普通。足が足らければ足がきつい。

脱線しますがこれってボイトレにも同じことが言えて、楽だから正解というわけではないんですよね。

きっついしめっちゃ声枯れるっていう場合でも、それはそこが足らないだけってことかもしれない。

ただ八卦掌の稽古では肩じゃなくて足にきてればオッケーなんですけど、歌の場合そんなにはっきりわかんないんですよね。

だからこのきつさが正解なのかどうか判断が難しい。

特に最近はリスクを避けすぎてるというか、きついのも汚いのも危険なのもやりたくないってそりゃあわかるけど、そうしないと身につかないものってあるよなあと。


この日、終わった後ネパール料理屋で夕飯をご一緒したのですが、この時光岡先生が、

「思ったことそのまま直接言ってくる人は信頼できる」

的なことを仰ってまして、私目から鱗が落ちました。

完全に自分の発想の外でした。

私言いたいことが言えないのが自分にとって一番ストレスだという自覚があるのですが、振り返ってみると誰にも言いたいことなんか言ってないですね笑。

私が言いたいことを言ってしまうと社会生活を営めないので。

しかしまあそれって誰も信頼してないってことなのかもしれない。その上私に言いたいことを言ってくる人もいないので、誰からも信頼されてないということなんだなあと。

何かあったら黙って去るのが常だもんなあ。

どうしようかなあ。困ったなあ。

まあゆっくり考えようと思います。


9月は来週からコンサートが毎週あります。

まずこちら。

私emulsionとしては最後の舞台です。

合同ステージではソロもやります。

https://tiget.net/events/170962


つぎはこちら。しかしこちらはもう完売してしまっております。。。

一応キャンセル待ちは受け付けております。

http://www.ne.jp/asahi/vocal.ensemble/alamirejp/concert.html


そしてこちら。

https://www.facebook.com/events/598619378487030

おばさんの企画に乗せてもらいます。

私はレクイエムを歌います。Gradualeまでですが。

光岡英稔 BUGAKU講座|20-23回目

また少し時間が経ってしまいましたが、BUGAKU講座のレポートをしていきたいと思います。

最近小忙しくてなかなかブログを書いている時間がなくもどかしいところです。

音楽家あるあるだと思いますが、暇な時期と忙しい時期が極端でしかも予測がつかないというのどうにかなりませんかね笑

昨日久しぶりにカレーを作ってて思ったのは、週1カレー作る余裕もない暮らしをしていてはいけない。

あと昨日作ったカレーがうますぎました。時々自分の才能が恐ろしくなります。


これまでのレポート
1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
3回目 https://is.gd/Gm9C17
4回目 https://is.gd/37Oxg1
5回目 https://ux.nu/AmsQM
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15-17回目https://bit.ly/3PEGYgt
18-19回目https://bit.ly/3NRSUKy


今回はハワイアン八卦掌と剣術のグループプライベートクラス(GPC)と、多分1年以上ぶりにBUGAKUの本体、土日の方のクラスに3コマ参加できました。

先月は1回も予定合わず残念でしたが今回はなんと5コマも!特に土日の方に参加できたのはとてもありがたかったです。


ハワイアン八卦掌GPC

回る回る八卦掌の稽古、今回2回目でしたが、前回より目が回らなくなってました笑

前回はもう結構グロッキーになってましたからね。

その時のレポートはこちらhttps://is.gd/zHtNYL

読み返してみると結構面白い。「もしかして私たち・・・テンセグってる?!」で笑いました。笑いのツボがこの人とは近い気がする( ´∀` )

それで、この時と基本的には同じことをしているのですが、やはり半年前の私と今の私は違うぜっていうところをもう遺憾なく発揮するわけですよね。

いや自画自賛というわけではなくて、この半年間に受けたハワイアン八卦掌の練功法とか、毎朝やってる稽古とかがこうつながって、な、なるほどそういうことだったのか!という発見がね、あるわけですね。

こうやって自分の身体を通して新たに気づいたり、発見したり、つながったり、こういうのが楽しくてやってるところあります。ドーパミンどばどばですわ。

そもそも武術の稽古って一人でできることとできないこととがあって、いくら家で一人で練習してても一生気づけないことってあるんですよね。

そういう意味ではアンサンブルの練習に近いですね。家で一人でできることもあるけど、アンサンブルの場でしかできないこともある。そんで家でやってないと現場に行っても何もできない。(自戒自戒、次回磁界自壊)

ハワイアン八卦掌では「自己中心性」「他者中心性」「自他中心性」という三つの中心性について扱うのですが、これがなんなのか、実はまだよくわかってません。

ですが、今回の講座で、それを探っていくためのきっかけが与えられた気がします。

中心をしるためにはキワをしること、キワとキワを結んだちょうどまんなかに中心がある。

キワをしる、あそびをとる、ということもこれまでの講座で教わってきて、キワの経験というのは積み重なってきていると思います。そのキワを手掛かりに中心をみていくということなのかと。


剣術GPC

今回の剣術は刀身と自分の身を揃えるということをかなりしっかり行いました。

正座で木刀を持って観法しているとき、自分史上最大の苦が到来しましたが、過ぎ去っていきました。

苦というものはほんとに捉えがたい。不思議。

向こうから勝手にやってきて、勝手にいなくなる。

しかし一人稽古でこうなることはないんですよね。光岡先生の導観法でしかやってこない苦。

この日の稽古は、二つの構えを行き来しながら何歩か進む、という非常に地味な稽古でしたが、そんなこともできないんだから面白い笑

基本光岡先生から教わる稽古法は地味なものがほとんどで、はたから見てると武術の稽古にすら見えないものが多いです。

なんというかこう、一般に想像されるような派手でかっこいい動きみたいなもんがほぼ全くありません笑

「基礎」ってそういうものなんだと思います。

この日は改めて、観の目と「意識」の違いについて伺いました。

仏教でいう六識のひとつとしての意識と、外来語consciousnessの翻訳としての「意識」の違い。

現代日本人が普通に使うのは後者だけど、それが何なのかわからないまま使ってる。

六識の意識とは、「意を用いて物事を識る」こと。

後者の意味が私にもさっぱりわからなかったので、wikipedia先生に聞いてみました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98

だいぶ混乱してますね。よほど注意深く使わなきゃいけない単語だということがわかります。

ほんとみんな意識って言葉を無意識に使うよねーー( ´∀` )

前から気になっていたことを質問しました。

意識と観の目を同時に働かせることはできないのか。

できないそうです。

意識が働くと気が抜ける。意識を働かせて気を張ることはできない。

気之体と恣意的身体という別の層に同時にいることができないからだそうです。

長年の疑問がとけてよかった。

意識を働かせずに歌を歌うのって限りなく難しいんですよね。うん。気の抜けた演奏しないようにしようね。(耳介次会)

BUGAKU

ひさしぶりのBUGAKU本体の稽古は相変わらず凄いところに突っ込んでってました。

もう脳の置いてけぼり感が凄い。

メモ見てもなんのことだかわかんないんですよね。

その時は「今はなんのことだかわかんないけど後から見たらわかるかもしれないからとりあえず書いとこう」とか思って書くんですけど、後から見ても案の定わかんないんですよね笑

しかしこういう断片的な「とりあえず触れておいたこと」がほんとにのちのち繋がってきて、あああ、あれはそういうことだったのか、、、ってなるんですよね。その日を首を長くして待つことにします。

地球を回転させる宇宙の風の話がロマンチックで好きでした。

地球は回転してるもんだ、というところから思考がスタートするのが普通な気がしますが、そもそも地球を回転させているのは何だ、という問いから逃げちゃだめですよね。

もうそんなもん気としか言いようがないやろって、確かにそうだなと思います。

だから僕が時々めんどくさくなって「気のせいですね・・・。」とか言ってるときは勘弁してください。もうほんとにつまるところ、なんでも「気」のせいなのじゃ・・・。

とか言ってるだけではなんにも始まらないのでガチで稽古し続けるしかないのですが、この日行った稽古は「サンチン(三戦)」!

実は私初サンチンでした。

空手の有名な型で、ネットで検索しても沢山動画が出てきたりしますが、やはり形同実異だなあと感じます。

光岡先生に教わるサンチンは、未だ嘗てなく足が爆発しました。

足の最大爆発を結構毎回更新してるような気がするんですが、もうサンチンは群を抜いてました。モウダメダ・・・の境界線を何度越えたことか。最後まで立っていた自分を褒めてあげたい。

試し稽古を交えながら、型の意味、なぜそうなっているのかを丁寧に観ながら型を行うと、その型が本気出してくる感じがします。

ただその動きをやるだけならなんてことはない。別に10回でも20回でもできる。

けどガチで丁寧にその型と向き合うと、型のほうも本領発揮してくるんだと思います。

いやあマジで効いた。

しかし私膝にめっちゃキテたのですが、それはまだ甘いそうです。(ガチ勢は足首にくるんですって)


翌日のBUGAKUは、観法から入って、「気」と「もの」と「こと」の関係についてのお話がありました。

いやこれまとめようがない。

いやがんばれ俺。

ものというのはいわゆる物(物質、実体)ではなくて、ことに気が入った結果生じた「まとまり」のようなもので、ことに気が入るとものになるのだそうです。

だめだ笑

つまりこういうことですって全然言えない。やば。脳が敗北してる。

手も足も出ない。

では手と足を出しましょう。ということでこの日もサンチン。前日より更に丁寧に。

同じサンチンでもその場にいる人と、会場の感じとで、その場限りのものになった気がします。

私は夜のコマに出れなかったのでここで失礼しましたが、道すがら足がガックガックに震えてました。

サンチン。続けたいと思います。


今回はいつにも増してまとまらなかったなあ。

理解が全然追いついてない。まあでもそれはそれとして、稽古をするのです。

光岡英稔 BUGAKU講座|18-19回目

ちょっと時間が経ってしまいましたが今回もレポートしていきたいと思います。

最近グループプライベートクラスではシラット、八卦掌、剣術を習っているのですが、今回は八卦掌と剣術を受講しました。

私中学校の頃剣道やってまして、長い棒には親しみがあるもので、剣術の稽古は非常にしっくりくるものがあります。木刀握るの好き♡

あとハワイアン八卦掌はなんというか底が見えなさすぎるというか、直観的にこの先に音楽があるなというのがあって、毎回楽しみに参加しています。


以下のアーカイブ、これまで韓氏意拳の講座も入れておりましたが、すごく長くなってしまうので、BUGAKU講座だけ載せることにしました。

【これまでのBUGAKU講座レポート】
1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
3回目 https://is.gd/Gm9C17
4回目 https://is.gd/37Oxg1
5回目 https://ux.nu/AmsQM
7回目 https://is.gd/xiBfFB
8回目 https://is.gd/tbIYiI
9回目https://is.gd/BnOQit
10回目https://is.gd/RczZH5
11回目https://is.gd/ayTQMA
12回目https://is.gd/zHtNYL
13.14回目https://is.gd/YXuCSM
15-17回目https://bit.ly/3PEGYgt


ハワイアン八卦掌

この日は観法ののち、八卦掌の練功法を3種類教わりました。

いろんなクラスに出てると、導観法で光岡先生が導こうとしている身体観が武術ごとに違って、それだけでも滅茶苦茶面白いです。

あとでやる練功法につながるように、上丹田、中丹田、下丹田を観ていくような観法でした。観法によって、自分の感覚も構造もどんどん変わっていくというのと、こんな体の観方(みかた)があったのかという発見の連続です。

朝の稽古でやる観法のバリエーションも増えてきて、自分でも体の観方を発見する下地ができてきたように思います。

習った練功法3種は3つとも、今までのBUGAKUの講座で感じたことのないような手触りがありました。

一つ目のやつ(名前はないんですかと聞いたら、いや練功だよ、と言われました笑)では、初めて腹筋にきました。これまでなにをやっても大抵足腰にきてたのですが、腹筋は初めてでした。

二つ目のやつは膝が爆発しました。これはある意味いつものことです。しかしなんだろう、これ私には凄くしっくりきて、先生の言われるポイントがあたかも身体が初めから知っていたかのようにすっと入ってきました。(けど膝は爆発しました)

三つ目のやつは一番身体に馴染みがなくて、ひと際苦労しました。どうも私膝裏が弱点のようです(ここで曝す!)。

三つも習ってこれ帰って覚えてるのだろうかと思いましたが、ちゃんと覚えてました。

ただ形と動きを伝えるのではなく、こうだからこう(例えば肘を水平にするから腰が回る等)、というところまで教えてくださるので、それをどうやら覚えているようです。あと間違ったときに何かおかしいと体が教えてくれるようになった気がします。ん?っていう違和感を感じれるようになった。


剣術

この日は武学における剣術と抜刀術の基本的な考え方、4つの分類について教わりました。ちょうどテンセグリティの梶川先生がタイムリーに以下のつぶやきをされていて、思わずこの画像を保存しました笑

太極図は本当に惹きつけられるものがあります。自分の合唱団のロゴにしちゃうくらい好き。

めっちゃ良くないですかこのロゴ。すげえ気に入っております。

この日は二種類の抜刀を教わりました。

横から横と縦から横、であってると思います(自信なし)

抜刀はやはり木刀より模造刀の方がやりやすそうだし、帯とかもちゃんとしたいし、なんなら家の蛍光灯を天井に張り付くやつにしたいとさえ思っておりますが、なかなかそこまで手が回っておりません。

いろいろ買いすぎて怒られそうだし・・・(その前にダーバンズが欲しい、もう東急ハンズで机の脚を買うことは心に決めているのだけれど、あとは実行に移すだけ・・・)

光岡先生のところで習う剣術は、私が中学生の時に習った剣道とは似ても似つかないけど、長い棒を持っているというところだけは共通しているので、こう昔の血が沸いてワクワクします。

この日はとても久しぶりに皆さんと帰りがけに飲みに行けまして、それもとても楽しかったです。

おそらく世界にここにしかない価値観を共有する仲間という感じで心強かったです。

この2・3年というもの、世界がこれだけ分断されていて、救いようなく人間が愚かであるということを思い知らされている中で、こうしたコミュニティがあることは本当にありがたいと思っています。


ということで、最近やたらと忙しく、ずいぶんとレポートが遅くなってしまいました。

この間サリクスの公演があり、ハイパー能「菖蒲冠」があり、先週はエマルシオンとカンティガとトム・ウェイシとコエダイr合唱団のリハで忙殺されておりまして、今は軽井沢で録音のディレクターをやっておりますが、俗世間から隔離された空間で、合間にブログを書くという充実した日々を過ごさせていただいております。

(私にディレクターを頼むなんてなかなかパンチある人選だと思っておりますが、ご期待に沿えるようがんばります。)

ということでこれらのことについてはまた機会を改めてお知らせできればと思います。

エマルシオンの公演詳細→https://tiget.net/events/170961

トム・ウェイシの公演詳細→https://www.reservestock.jp/events/710061

コエダイr合唱団の公演詳細→https://www.reservestock.jp/events/672981