光岡英稔 韓氏意拳講座|6回目

先週土曜日、久しぶりに韓氏意拳の講座に行ってきました。私去年会員になってたんですが、全然都合つかなくて、会員用の講座を受けられたのは今回が初めてでした。

午前が非会員でも参加できる初級講座、午後が会員向けの初級講座でした。

今回も自分のメモのため、またこういう世界があるよっていう紹介のため、レポートを書いていこうと思います。

あの、ほんと私が参加してるくらいなので、ハードルはかなり低いですよ。どなたでも参加できます。

ここでしか学べない、ほんとうに大切なことを学べるので、よかったら一緒に受講しませんか。


以前のレポートはこちら↓

BUGAKU1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
BUGAKU2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
BUGAKU3回目 https://is.gd/Gm9C17
韓氏意拳講座1回目 https://is.gd/D3RjiJ
BUGAKU4回目 https://is.gd/37Oxg1
BUGAKU5回目 https://ux.nu/AmsQM
韓氏意拳講座2回目https://is.gd/G7l53a
光岡英稔 BUGAKU講座|7回目 https://is.gd/xiBfFB
光岡英稔 韓氏意拳講座|3回目 https://is.gd/rDRgMX
光岡英稔 韓氏意拳講座|4回目 https://is.gd/8BX3eO
光岡英稔 BUGAKU講座|8回目 https://is.gd/tbIYiI
光岡英稔 韓氏意拳講座|5回目 https://is.gd/YmZ2Yc
光岡英稔 BUGAKU講座|9回目https://is.gd/BnOQit


韓氏意拳という体系

午前の講座はいつものように、中国文化圏でどのようにして韓氏意拳が生まれ、これがどんなバックボーンを持っているのかについての講義から始まりました。

そしてこの天才が作った体系を私たち普通の人が受容するためには何が必要なのか。

まずは根本のコンセプトに対する理解、そしてこれを生んだ人々の身体観へのアプローチ。

ある思想を理解するためには、理解する側の変容が必要であると古東哲明先生が言っていますが、それを身体ごとやるという感じです。これを作った人の身体観へのシンパシーなしにこの体系を身に着けることはできません。

また中国文化圏における身体観を問う前に、人間、人類、ヒトとしての身体観を問うことも必要になります。

それもまた中国文化の考え方を引用しながら、人間が四足歩行から二足歩行へと推移していった過程でどのような変化があったかをみていきます。

そこで実際四足歩行の身体観とはなんぞやということを実際四つ足で歩いてみることによって経験していくのですが、この稽古は物凄く効果があるんですけど場所を選びますよねえ。

普段からやりたいとは思うのですが、家の中は狭いし外でやると通報されそうだし、どうしたもんかと思っております。

四足歩行には交差歩行、同側歩行、前後歩行とあるのですが、この順番に安定性が減って動力が増します。

つまり交差歩行は安定しているけど動力は小さく、前後歩行は不安定だけれど動力が大きい。

やってみて感じたのは、前後歩行(カエルとかウサギのような感じ)だと、1歩で止まるのが凄く難しい。1歩進むと2歩3歩勝手に進んじゃう。1歩で止まるのはなかなか努力がいりました。

印象的だったのは同側歩行にバリエーションが多いということ。受講者の同側歩行を見ていると、歩行形態は同じなのに、歩幅とか、前後どちらの足が先に浮くか、どちらの足が先に着くかなど、見た目に違いがはっきり出ていてとても面白かったです。それぞれが持っている集注観が違うからかと思いましたが、加速しようとしているか、減速しようとしているかによっても変わるそうです。

あと今回もあえて間違ってみるという稽古をやったのですが、これがもう笑っちゃいました。

老子の教えで「万物は陰を負いて陽を抱き 冲気を持って和を為す」というのがありまして、その通りに四つ足で歩いた時と、その教えに背いて陰を抱いて陽を負いた時の違いをみるのですが、もう老子先生ごめんなさい二度と教えには背きませんって感じでした。手も足も出ないとはこのことですな。


「二足で立つ・歩く」とは

午後のクラスの前に、みんなでお弁当をご一緒したのですが、そこでの雑談も楽しかったなあ。基本私が光岡先生を質問攻めにしてたんですが笑。

光岡先生のハワイ時代のエピソードはもう漫画みたいで面白いです。あんまりここに書いていいような内容ではなかったような気がするので、気になる方は個別にお問い合わせください笑

午後は韓氏意拳の前身(?)となった心意拳、形意拳について。

心と意の違いとは。

私の印象では、なんとなく「意」の方がとらえどころがあるというか、具体性を帯びている感じがして、「心」のほうは、もう茫漠としてわからんなあという感じがしてました。心ってなんなんでしょうね。

意拳は意味が分かるけど、心拳だとちょっと私にとってはよくわからない。と思って検索したら心拳というのもあるんですね。失礼しました。。。

形意拳の名前となっている「形」はまさにかたち、構造のことを指します。こちらはもうこの上なく明確ですね。

ただ、どういう形が自然で、どういう形が不自然なのか、を問う時に、それが中国武術の中での自然なのか、アジアや、アフリカ、ヨーロッパだとどうなのか、人間、人類としてどうなのか。

というところで、また人類としての自然な「立つ形」についての稽古に入りました。

膝で足先が隠れるまで腰を落として、その時の脛の角度と同じ角度になるまで上半身を前傾していくというのがその形で、これは以前にもやったことがあったし、出来てると思っていたのですが、どうやら上半身の角度が甘かったらしく、また上半身の角度をつけようとすると腰の位置が下がりすぎてしまうということになっていました。

それをこう光岡先生がこっちこっちって手で矯正してくださるのですが、センセーアタシの腰はそっちには曲がりません!!って感じで超きつかったです。

安定した形というのは必ずしも楽ではない。少なくとも我々にとっては。

稽古を積んでいくとこの形が楽になっていくのだろうと、これは正座の稽古でも同じですね。

我々にとっては「苦」だけれど、100年さかのぼればこの形は「楽」であったのだと、電車の座席に正座で座っていたおばあちゃんが教えてくれます。

武術の場合、安定して立つということは前提にはなりますが実際には動けなければなりません。(けど立ててもいないのに動けるわけなんかないとも言えると思います)

四つ足の歩行形態の時にも確認しましたが、運動性は安定性と反比例します。動こうとすると不安定を作らなければならない。安定した立ち方ができても、動いたときに不安定になってしまうなら武術としてはマズい。動けるけど安定しているという矛盾をいかにクリアするか。

ということで二つの方法を学びました。安定した形のまま、站椿の結束式の時のように傾斜をつける。そうすると安定した形のまま勝手に身体が前に進みます。

もう一つは一瞬不安定を作ってすぐ安定に戻るというやり方。これはかなり難しかったです。

安定した形を作るときは、上記の老子の教えの通り、陽の面を観るのですが、動き出そうとするその瞬間に、ほんの一瞬陰の面を観る。その不安定を利用して動き出し、瞬時にまた陽の面に戻る。

相当観法の稽古を積まないとこのスピードではできません。

私の場合ですが、陰の面から陽の面に戻るのが遅くてうまくいきませんでした。

ここまでで午後の講座が終わりました。

午前中から午後にかけて四つ足から二足に進化して、立って数歩歩く、ということを学びました。

これらは韓氏意拳の体系そのものではないですが、そこに足を踏み入れるための基本、二足歩行の人間として根底にあるものです。

そこに中国文化圏の考え方でアプローチしていくというのが、光岡先生の韓氏意拳初級講座なのだと思います。

午前午後を費やして、ついにこの日は挙式(站椿の最初)も前擺(形体訓練の最初)もやりませんでした。

けど足腰ボロボロになりました。笑

立って歩いただけですよ!立って歩くだけでこんなことになりますかね!

いやほんと。早く立って歩けるようになりたい。

かといって四つ足で歩けるわけでもないから赤ん坊以下だな笑

月曜から5日連続カペラの稽古なんですが、普通は座って歌うんですが、例の立ち方の稽古をしつつ歌っています。おかげさまでなぜか筋肉痛はなく、足がボロボロのままです笑

立つこともできないのに歌なんか歌えるわけがないだろうが。という感じですが、精進します。。

カペラは今ベルギーの音楽祭に出品する演奏動画(録画は来週)を製作するためにリハやってます。一般公開はされるのだろうか、、よくわかりません笑

あと再来週はSalicus Kammerchorでも演奏動画を撮ります。こちらは立教大学の米沢陽子さんの研究発表のための動画で、こちらはいずれ大学のHPで公開されるはずです。

こういう状況で、お客さんを入れてのコンサートよりこうした録画の機会が増えてきましたね。

まだまだ全然慣れないですが、ひとつひとつ乗り越えていきたいです。

「引きこもるんだよ、身体に、足の輪郭に、やることは山のようにある!(外的要素に)反応している暇はない!」

GBB21|今、日本のHuman Beatboxがアツい

いやあここ最近興奮することが多いですよねえ?ねえ?

一昨日は藤井聡太の順位戦第3回戦、完勝でしたね。

そしてRISINでの朝倉兄弟の試合は両方とも見たことないくらい衝撃的でした。

で昨日ですよ。22時からGBB(Grand Beatbox Battle)21のタッグ部門とクルー部門の予選(wildcard)通過者の発表がありましたね。

いやー興奮した。

クルー部門には日本からSARUKANI、4thGas、New Schooler、今宵はBeatboxの4チームがエントリーしていました。

予選通過は1組のみ。

私の推しはSARUKANI(GBB19で世界4位となったso-so率いる4人組、KAJI、Kohey、Rusyという若いメンバー)と4thGas(アジアチャンプのRofuの2人、今年のソロwildcardで6位通過のShowgo、タッグとソロで2部門日本チャンプになったTatsuakiの4人)なのですが、4thGasはもうあまりにも未来のパフォーマンスをやっていて、今回のwildcard通る気さらさらねえだろっていうネタでした。対してSARUKANIはゴリゴリに受かりに来てた。もうゴリッゴリ。これでもかという詰め込み方で、完璧だったと思います。

日本以外の対抗馬としてはフランスのOhlalaとかEnd of the Gameでした。

9位から発表があって、Top3にNew Schooler、EOG、SARUKANIが残った時点で、SARUKANIこれやったなと思いました。順位は思った通りでSARUKANIが1位、予選を突破しました。

審査員全員一致の1位だったそうです。タッグ部門がかなり票が割れていたので、SARUKANIの圧勝はかなり衝撃的だったと思います。

どうもパフォーマンスが総合的に判断されてるのではないかと思いました。演奏そのものに加え、録音状態、ミキシング、動画編集などどれをとってもSARUKANIは群を抜いていたと思います。


続いて発表されたタッグの通過者、なんとSARUKANIから2組通りました。

SO-SOとKAJIのWildcard Guysが4位でKoheyとRusyのHUSKEYが1位!

もう昨日の発表は完全にSARUKANIの独壇場でしたね。

Rofuも既にGBB21出場を決めているので(延期になったGBB20からのスライド)日本からはなんと3組もタッグ部門にでます。

すごないすか。11組中3組日本から出場するんですよ。

ちなみに余談ですが、Wildcard3位に入ったおにーちゃんは日本大好きなドイツのタッグチームで、大好きなしょごたんの動画をリアクションしまくってます。そしてなんと日本公式チャンネルまで持ってます(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=V9c0gFVZwug

とてもうれしい気分になるので是非見てね↑


昨日の発表はタッグとクルーの2部門の予選だったわけですが、GBBにはこのほかに、ソロ、ソロループステーション、タッグループステーションの部門があります。

そしてこの全ての部門に日本人が出ます。

ソロはShow-go、kohey、ソロループはso-so、タッグループはso-soとrusyのsorryです。

いやSARUKANIすごないすか。

5部門で6組出場?数あってる?

これとんでもないですよ。え、まてよ。so-so個人で見ても4部門出場?!

前例あるんかな。私ビートボックス新参ファンなので知らなんけど、これとんでもないことだと思いますよ。

クリエイティヴィティがとんでもない。このクウォリティのものをこれだけの編成でこの期間内に生み出すのはもうちょっと想像を超えてる。ほんとに人間なんかな。

GBB21の本番はこの秋だそうです。

まずは無事に開催されますように。いやほんとに楽しみだ。


いやー古楽の専門家がビートボックスの話しても全然だれも反応してくれないのがさみしいんですけど、誰に言ってもわかってもらえないからブログに書きました(笑)

明日はヴォーカルアンサンブル カペラのムジカーザ公演、金曜はカテドラル公演です。

彼らに負けないようなアツい演奏をしよ。

https://www.concertsquare.jp/blog/2021/202105173.html

http://www.cappellajp.com/concert/index.html#cappella05

光岡英稔 BUGAKU講座|9回目

昨日、久しぶりに光岡先生の講座に行ってまいりました。前回が2月だったので4ヶ月ぶり。なかなか仕事で休日が空かないので、今回平日夜にグループレッスンを開講してくださってとても助かりました。

それでもキャンセル待ちだったので、講座の人気ぶりが窺えます。

雑談的な内容も含めて今回も大変刺激的でした。

書ける範囲でレポートしていきたいと思います。

いつものように、このレポートは全く私櫻井元希の主観によるものであり、同じ講座に参加されている方でも、へえ、そう感じる人もいるのか、というような内容のものです。

もし少しでも興味が湧くようであれば、講座に申し込んでみてください。

少なくとも今よりちっとは楽になりますよ。

韓氏意拳講座情報 http://hsyqjapan.dreamblog.jp/

BUGAKU講座情報 http://bugakutokyo.blogspot.com/2018/01/blog-post_22.html


以前のレポートはこちら↓

BUGAKU1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
BUGAKU2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
BUGAKU3回目 https://is.gd/Gm9C17
韓氏意拳講座1回目 https://is.gd/D3RjiJ
BUGAKU4回目 https://is.gd/37Oxg1
BUGAKU5回目 https://ux.nu/AmsQM
韓氏意拳講座2回目https://is.gd/G7l53a
光岡英稔 BUGAKU講座|7回目 https://is.gd/xiBfFB
光岡英稔 韓氏意拳講座|3回目 https://is.gd/rDRgMX
光岡英稔 韓氏意拳講座|4回目 https://is.gd/8BX3eO
光岡英稔 BUGAKU講座|8回目 https://is.gd/tbIYiI
光岡英稔 韓氏意拳講座|5回目 https://is.gd/YmZ2Yc


講座が始まる前に、受講生同士で話しているときに「Eテレ見ました」とか「You Tube見ました」とかおっしゃっていただいてとても嬉しかったのですが、徳久さんがコエダイの練習会の動画をアップしてて↓

https://youtu.be/5YQTu1j2I1s

この動画の中で、「合ってる」と思ってる音程から上がったり下がったりするということをやったのですが、これをご覧になった方から「なぜあえてずらすんですか?」というようなことを質問いただきました。

自分の音を出しながら聴くのって実は相当難しくて、絶対に合ってる自信があっても録音聴いたらめちゃくちゃってことがよくあります。なので鬼のように絶対にブレないキーボードの音に合わせて、唸りを聞きながらあえて音をずらしたり合わせたりすることで、「合ってる」という状態と、「合ってない」という状態を知る、ということをやるんです。

というようなことをお話したら、内田さんが「武術の稽古でもやりますよね、あえて間違う、間違うということを知る」とおっしゃいました。

で、それを聞いてか聞かずか、講座の中でまさにこれをやったんです。

「観て」やったときの所作と、「意識して」やったときの所作の違い。

「観る」と「感覚する」と「意識する」をことわけるのってすごく難しくて、習い始めてからずっと大きな課題としてあったのですが、これまで「意識」をしないようにしないようにという稽古ばかりしてきて、これらを切り替えるような稽古はしてこなかったんです。

なので、むしろ「観てる」状態から「意識する」状態に入るのが難しくて、「意識する」ってなんだっけ?とか思いました笑。ただこれも層を分けて、「観る」から「感覚する」を経由するようにすると「意識する」に入れて、とてもわかり易かったです。


というのが雑談からの流れでの気づきだったのですが、講座はまず「苦と快」というテーマから始まりました。

以前も、苦は自然か、快は自然か、というようなテーマがあって、ぼんやり頭の中には残っていたのですが、少し理解が深まったように思います。

本能的には、苦は悪とされ避けられる、快は良しとされ求められる、という傾向にあるが、一方で快ばかり求めていると怠けてしまう、苦を経なければ向上はない、というような、苦を求め、快を避ける考え方もある。

詰め込み教育かゆとり教育か、みたいなもんで、両方失敗してんじゃん?と。

というところで新たな視点、その「苦・快」は自然と生じたものなのかどうか。

「不自然な苦、人為的な苦」

「不自然な快、人為的な快」

これは環境操作、またその操作された環境に適応するための身体操作から生まれたもの。自然界にはない「快・苦」がある。

例えば正座でなぜ苦が生じるのか。じっとしてるだけなのに。殴られて痛いならわかる、殴って痛いならわかる、なぜ座っているだけで足が痛くなったりするのか。これは自然の苦なのか。

電車の座席に正座で座っていた昔のおばあちゃん。呉服屋の番台で一日中正座で帳簿をつけていたおかみさん。彼らは苦行をしていたのか。

彼らにとってはそれが「快」であった。それが私たちにとって「苦」であるのはなぜか。

古来からの武術にアクセスしようとする時、少なくとも正座が「快」である身体観にシンパシーを持てるかどうかというのは大きな分岐になりそうだ。

結局の所「快と苦」は同時に存在し、移ろうものである、快がなければ苦はなく、苦がなければ快はない。

そう、クヴァンツさんも言ってますね。

「決して切断されない快楽は、われわれの感受性を弱め衰弱させ、快楽をついには快楽でなくさせる。」

というところで正座、合掌での観法に入りました。

あらかじめたてた問いに対して身体に答えを聞く、という感じの流れで、この日の観法も一味違うものになりました。

私も毎日正座、合掌で観法はやってるのですが、やはりもっとじっくり時間をかけてやらなきゃだめだなと思いました。

正座も最初の頃は座った途端に「苦」がやってきてたのですが、1年位やってると、むしろ座った瞬間は気持ちいい感じで、ずっとそうしていたいと思うほどです。が実際は5分もやってると足が痺れ始めて「苦」が生じてきます。

このときもそんな感じで5分くらいで痺れ始めたのですが、不思議なことに観法が深くなっていくとその痺れが完全に消えました。

その後どれくらい経ったかわかりませんがまた「苦」が生じ始め、しかしそれはいつものような痺れではなく、熱くてジンジンした感じ?いつもはむしろ足が冷たくなっていく感じで痺れてくるのですが、ちょっとこれまでにない体感でした。

それでまあある程度の苦は生じるものの、耐えられないほどではなく、傍らに置いておける程度のものでした。

後でうかがったのですが、観法をどこから始めるか、どう進めるかは、決めているときもあれば決めてないときもあり、決めていても始めてみたらそうならないということもあるそうです。この日も最初左肘から入ったのはその時級にそうなったそうで、かなり即興的要素が強いようです。


その後この観法を使った稽古に入るのですが、最初にかなり深く観法をやっておくと、その後の稽古で身体を観るスピードと深さが全然違います。普段の自分ならあと5秒必要だな、とか思いながらやってました。

これ以降の内容はまだオープンにはなっていないようなのですが、間合いについて教わりました。間合いは距離とは違う、距離は同じでも間合いは違うという現象を体験しました。

左右観の違いみたいなことはずっとテーマになってるように思いますが、それがより複雑化して、発展していってるような印象を受けました。

今後も追っていきたいです。


あとは完全に蛇足ですが、着替えてるときに、あ、この人ヒモトレしてるんだな、とか、あれ、これマンサンダルじゃない?とかそういうものが普通になっているこの界隈素敵やなと思いました。

私も今マンサンダル注文中なので楽しみです。

ヒモトレについて https://www.kablabo.com/2016/06/post-236.html

マンサンダルについて https://www.mansandals.net/concept/

『事 ある 事』 声 と 声 ~ 灰野敬二、徳久ウィリアム

『事 ある 事』 声 と 声 ~ 灰野敬二、徳久ウィリアム

昨日、超久しぶりに生演奏を聴いてきました。

覚えてないだけかもしれないけど、下手したら去年の3月以来かもしれない。

その時もノイズのライブだった。

何屋なんだろうか私は。

もっとライブ行きたいな。


ライブを聴いた感想としてまず最初に来るのは「混ざりてえ」ってことなんですが、これは他の演奏会でも思うことと言えば思うこと、でもたいがいは、私だったらこうするのになっていうモチベーションの上がり方であって、このままこの中で一緒に声出したいって思うことは今まで一度もなかったかもしれない。

このままでいい。これはもうこのままにしておいて、そのままこの中に飛び込みたい。

そういう気持ちになったのは初めてかもしれない。


ほとんど全て完全な即興だったようで、後で聞いたところによると、段取りある程度決めようと思っていたけど、始めてみたら必要ないということがわかったので何も決めなかったのだそうです。

それだけ灰野さんに信頼される徳久さんマジですごい。

始まり方、終わり方くらいは決めてたんですか?って聞いたら灰野さんなんて言ったと思います?

「あ!って始まって、うん!で終わる」

やられちゃいますよねえ。いや確かにそんな感じでしたよ。観てても。

休憩挟んで2本のパフォーマンスだったのですが、使用したのはマイクそれぞれ1本、マイクスタンド、ゴザ、灰野さんはピアノ椅子、徳久さんは水、以上でした。

かなりミニマルな編成で、逆にそれが生々しく、没入感がありました。

思考をはさむ余地がないというのはいい演奏の条件かもしれません。

いやほんと、超いい演奏だったんですよ。滅多にないです。こんないい演奏。

本当によかった。

芸術が生まれなおしの営みであるということを再確認しました。こんばんは!世界!


※以下昨日のパフォーマンスについて書いていますが、何しろ個人の感想です。多分演奏者の意図(そんなものがあったのかどうかはともかく)とは全然関係ないです。

1本目は何というか、静か。いや、クソうるさいんですけど。特に徳久さんの出す音っていうのはほとんど全部経験してるので、んーなんというか全然うるさくない。むしろ落ち着く。

灰野さんの声はもう今まで聞いたことない音。もう、はあ?って感じ。なにそれ。その鋭さどうやってんの?

特に、あの、リップハーシュですか?っていうようなきめの細かい超高音でキレ、つまり無音から有音へのスピードが異常なほど速い「声」を多分インヘイルでもエクスヘイルでも出してて、これはマジで今まで一回も聞いたことない音でした。

そう、で1本目は割と静かに、お互いの引き出しを順番に開けていってるという感じで心地よい感じでした。

2本目、これ凄かった。ああああ。今思いましたけどこれアーラープとガットに似てる。インド音楽でですね、タブラを伴わないで非拍節的にラーガを紹介していくようなセクションをアーラープと言いまして、タブラが入って拍節的に演奏される部分をガットというんですが、いや最近バンスリー奏者の寺原太郎さんにインド音楽習ってまして、ほんと自分の演奏にもめちゃめちゃ影響受けてましてですね、リハーサルとかでもキャバテキャバテゆうとりますけど、で太郎さん曰く、ニキル・ベナルジーが言うには、アーラープは奏者がラーガの深海に潜る、ガットはそこへ聴衆を導く、ということなのだそうです。

この二つの要素って自分が何やってるのか、把握するうえですごく大事な指標になりますよね。

で2本目なんですが、もう作ったような完璧な構成でした。後から思えば。

最初徳久さん全く声出さずに、身体の動きだけでシャウトしてて、多分10分くらいそうしてて、そのあと、即興喋りに入ろうとして、言葉にならない、「あっ」とか「えっ」とか「だっ」とかっていうのをやってて、これめちゃくちゃよかった。

即興喋りって徳久さんの一つの必殺技だと私は思っているのですけど、あ、即興喋りってこういう感じです。↓

https://youtu.be/Qz6dYvD1fNs?t=1015

ノイズボイスって本来意味を持たない超ド級の抽象表現だと思うのですが、この即興喋りはまとまった意味はないものの、ノイズボイスの中で使うと、それでもやっぱり意味の世界に引きずり込むえげつない力があります。

でこの意味の世界に入りそうで入らない、「え」とか「だ」とか何か言葉になりそうでならないというぎりぎりのせめぎあいの中で、あの世とこの世を行ったり来たりするような体験をしました。

あの世とこの世との間はしょっちゅう行ったり来たりしてるわけですけども、こんなスピードで、しかもあの世からこの世へ片足だけ踏み入れてまた戻るような、こんな表現は今まで見たことないかもしれないです。

それでまあ諸々割愛して後半の後半の序盤あたりで、徳久さんが「たとえば」って発した刹那だったかと思いますが、突如として灰野さんが喋りだしたんですよね。

これが凄かった。うわーそれやっちゃうか!やっちゃうのか!って感じ。もうそっからはバチバチの果し合いでした。

これか、真樹子さん(伯母)が言ってたのはこれなのか!っていう灰野さんのヤバいやつが見れました。

でもうこれは取り返しがつかない、収拾がつかんぞこれっていうところで、徳久さんの必殺技その二が飛び出して、その流れを一気に断ち切ったんです。

これが個人的ハイライトでした。すっっっっげえええ。最高でしたね。もう。マジで。ヤバい。


構成についてはそんな感じで、あとは灰野さんのパフォーマンスについて気づいたところをメモしておきたいと思います。(徳久さんはいつも見てるのであえてここでは書きません)

灰野さんのボイスってかなりリズムがあるんですね。後半は特にリズムがない瞬間がほとんどなかったのではないかと思うほど。拍節、周期性といっていいかもれないですが。舞曲的、ガット的。対して徳久さんはほぼ非拍節的、グレゴリオ聖歌的、アーラープ的。

でそのグルーブはまさしく正しく身体に現れていて、特に脊椎の自由度、これっきゃないっていう運動が美しかったです。マイクスタンド使っているときにそれは顕著で、もうマイクスタンドお化けみたいになってました。

あとはゴザをひいてる意味なんですが、そこへあぐらをかいたり、膝をついて声を出したりということもしていて、これは灰野さんのアイデアなのだそうです。

四つん這いみたいになって声を出していた時まさしく四足の身体観だと思わせる声が出てました。

周期性という点でいうと、徳久さんの喋りが意味のない言葉を次々に紡いでいくのに対して、灰野さんの喋りは短いフレーズのリフレインで、喋り方、声のクオリティを変えていくというものでした。

その変え方もえぐくて、一音節ずつノイズになるくらいただただ強く発音する、というのがシンプルですが、ぜってえ出来ねえ。無理。って思いました。凄い技術です。子音と母音の組み合わせで、ノイズにしやすいものとしにくいものとあって、全部のシラブルを同じ強度でノイズ化させるというのはほんと驚異的。

「ず つ う なん て と く い か も く さ」

これだけバリエーションに富んだ子音と母音の組み合わせ、全て綺麗にノイズ化されてました。

あとは衣装ですかね。。

自分もそうなんですが、なかなか音楽に合った衣装って難しい。

どう見えるかということではなくて、その音楽を演奏するのにふさわしい衣装。

つまり衣装によって出る声が違うってことです。

なかなかそこまで気が回らないというか、その前にやることが多すぎてそこまで出来ないんですよね。予算も時間も必要ですし。

そういう点でも灰野さんの出で立ちは身に纏っているものにすら必然性があったように思いました。サングラスとか、髪型とかもそうなんでしょうかね。

どう見えるかというのもまあそこそこ売っていくには重要な要素だと思いますけど、それ以前に純粋に音楽のためにも重要な要素なんですよね。

そういう意味で、徳久さんは裸足かそれに近い履物の方がよかったんじゃないかなと思いました。

私も本番靴新しいの買いたいなあ。


何か他にも忘れてることがありそうですが、思い出したらまた加筆しようかな。

とても重要なことが沢山起こっていたので、これをまた糧にしていきたいと思います。

それにしてもいい演奏だった。

徳久さんとは別れ際いつも握手するんですが、あんなに力ない握手は初めてでした(笑)

そりゃああれだけ出しちゃったらもう何も残ってないよなあと。

ノイズのライブって、なんかうるさそう、怖そう、とか多分思われてると思いますけど、私にとっては新宿線の神保町小川町間の方がよほどうるさいし恐ろしいです。

いざという時は耳ふさいじゃってもいいし、心配なら耳栓持ってってもいいと思います。

私も、人の声なら大丈夫なんですが、電子音のノイズはちょっと苦手で、1回ライブで終始耳を塞いでたということがありました。

何を感じるかは人それぞれだと思いますが、このレベルの演奏ならだれが聴いても何かを感じざるを得ないと思います。是非。

徳久さんってボイストレーナーとしても素晴らしい方で、実際私のように彼に(歌手)生命を救われた人もたくさんいると思いますが、やはり本性はパフォーマーなのだと思いました。

あの灰野さんと、(しかも声で)わたりあえる音楽家、そんなに沢山はいないですよ。

Salicus Kammerchor第6回定期演奏会終演

Salicus Kammerchor第6回定期演奏会終演

先日、豊洲公演が終演いたしまして、第6回定期演奏会のすべての公演を終えました。

ご来場くださいました皆様、また配信を御覧くださいました皆様、誠にありがとうございました。

なかなか正気を保ちづらい状況の中で、いつも通り正気でない音楽ができたのではないかと思います。

正気でない世界で正気でいるためには、正気でない音楽がやっぱりあったほうがいいですよね。

いつも私、演奏が終わって何か思うということがないのですけど、今回最後の曲を演奏し終わったあと、振り返ったときに「楽しかった?僕は楽しかった」というのが頭をよぎりまして、我ながら気持ち悪いなと思いました。笑

翌日の朝のルーティンで後擺をやってるときに、「カラダは空だ」という体感がありまして、時間差でいつもの体感が来たのだなと思いました。いつもは多分終わった瞬間そうなるんですよね。

来年の定期の頃はどうなっているでしょうか。普通に演奏会できるようになっているでしょうか。その場合配信はやったほうがいいでしょうか。目下一番問題なのは図書館に入れないということで、膨大なレパートリーから選曲するのが常な我々にとってはかなり死活問題でどうしたもんかと思っております。まいった。

会員制度もこういう状況に合わせて変えていかなければならないなと思っておりまして、昨日は事務局でzoomで4時間会議しました。笑

本番翌日にやることではない笑笑

終わる頃にはみんな腹ペコで、やっぱりこういうことも、一緒にご飯食べながら話したいよなあと思いました。

まあなんにせよ、皆様のお力を借りつつ、私たちが演奏をやめることはありませんので、気長にお付き合いいただければと思っております。

サリクスとしては今後は7月に立教大学の企画で収録、10月にジョスカンフェスティバル、12月に国際基督教大学のクリスマスコンサートに出演予定です。また詳細が出ましたらお知らせいたしますので引き続きご注目ください。

その前に私個人としては6月にヴォーカル・アンサンブル・カペラの演奏会に出演いたします。

ミサ“L’homme armé”は以前Ensemble Salicusでも取り上げましたが、構造的にも音楽的にも驚嘆すべき作品です。全体をテノールの定旋律が支配しながら、更にキリエではそのテノールのメンスーラカノンまでもが登場し、ベネディクトゥス、アニュスではメンスーラカノンのみによってできた楽曲も含まれています。

詳しくはおそらくムジカーザでのコンサートで解説があると思いますのでどうぞお楽しみに。