光岡英稔先生のBUGAKU講座|2回目

光岡英稔先生のBUGAKU講座|2回目

先週日曜日、光岡先生の講座にまた参加してきました。

前回初参加で、午前と午後のコマに参加しましたが、今回は午前午後夜間の3コマプラス忘年会と、ほんとに一日中武術に漬かってきました。

実は前回記事にした内容は、ほぼ午前中の内容で、午後の内容はあまりにちんぷんかんぷんで、文章にできませんでした。

今回2回目で、前回わからなかった部分が少しはわかるようになるかなと思って参加しましたが、逆でした。謎は深まるばかり。

ただ、わからないことをわからないままになんとなく受け入れる、という心構えが生まれた気がします笑

いや正直言いましてね、今までどんな専門的な内容でも教われば大抵のことはわかると思ってましてね、こんな頭のてっぺんからつま先までまるで言ってることがわからねえって体験は初めてだったんです。

ですが多分それが普通で、光岡先生もわからないもんはわからない的なことを仰っていたので、むしろ理解しようという姿勢そのものが間違ってるんだと思います。

Don’t think! Just feel!

ですな。

というわけでここから書く内容は私もぜんっぜん理解してません笑。

なので前回の記事のようにストーリーにもなってないのでご了承ください。

なんかこう、調味料を一個一個並べて味見してる感じだと思ってください。多分これが料理になって全体を味わうことができるようになるのはまだ相当先です。


前回のおさらい

  • 2足歩行よりも4足歩行の方が脊椎の自由度が高い→脊椎の自由度は末梢の自由度にかかわる
  • 2足歩行のまま、4足歩行の機能を得るために、前後表裏、右左表裏、上下表裏を理解し、それが一致している時に起こる作用、不一致の時に起こる作用を知る
  • 右手は甲が前、左は手のひらが前の時に、前後表裏と右左表裏が一致(定位)し、逆の時は不一致(不定位)する。
  • これらは陰陽学の思想だが、この思想がどういう経験から生まれたものなのかにアクセスし、どういう身体観を持っていたかにアプローチする
  • 気と血(感覚)の違い、感覚が生まれる前にある、気の状態がどうなっているか
  • 武術では、感覚が起こった時には既に勝負が決している(やられてからやられたことに気づいては遅い)
  • なので血が起こる前の「気」の方を注目するようになった
  • 気が血を導くことを勁道という
  • 勁道を通すための「型」や「式」
  • 二足歩行でありながら四足歩行の働きをもたらすのが「型」や「式」
  • ただし、型のような「動法」ではなく、「観法」でもそれができる(勁道を通すことができる)


基礎クラス

ここからが今回の内容

  • 気=見えない、感じられない、触れられない、実体がない。けど、ある。
  • 血=見える、感じられる、触れられる、実体がある。
  • 血が無いところに「気」があるのではないか
  • 「気」を見るということは、見えないところを見るということ
  • 気と血の狭間を見る
  • 「観法」とは観ること、観えるからわかる、わかるからできる
  • 空想とは違う。バーチャルな自分を頭で見るのではなく、リアルなからだをからだで観る
  • 「イメージ」とか「イメトレ」とか言う場合、この空想のことを指しているのか、観法のことを指しているのか、注意が必要
  • 前進には定位が適しているが、後退には不定位が適している。後退は生物にとっては超常現象
    つまり前進しにくい方が、後退しやすい
  • からだには、軆躰體骵の四つがある。軆は右前に、躰は左後に、體は左前に、骵は右後にある☜非常ーーーーに難解
  • 躰から軆が生じ、骵から體が生じる
  • 前進の観法は、軆から躰を観る。生じる方向は躰から軆だが、観るときはそれが観えるように反対から観る
  • 後退の観法は、體から骵を観る、ただ軆や躰よりも観えにくく、消えていくように観える。軆→躰→體→骵の順番で「無さ」が増えていく
  • 軆を観るときは外側からからだを「省み」るように
  • 躰を観るときはからだから外側に「観る」
  • そしてここからさらに難解なのは、體を観るときはからだの右後側の内側から左前を観る
  • 骵を観るときはからだの左前の内側から右後を観る☜めちゃめちゃ難解
  • さらに、これら四方のからだを上下にも観ることができるそうで、右前上、とか、左後下というように観るそうです。これを四方八方のからだと言う
  • 後退の経験から人間は時間の概念を構築した
  • 「経験」には覚えている経験と覚えていない経験がある
  • また①個人レベル、②種として、③生命としてという3種類の経験がある
  • 個人レベルだけでみても、覚えている経験は1%以下、種として、生命として覚えていない経験は、なお覚えている経験よりも遥かに豊か
  • いかにこの「覚えていない経験」にアクセスするか
  • 科学は「覚えている経験」の集積
  • 科学でわからないことがあるのは無理のないこと


応用クラス

この辺りまでで午後が終わったように思います。

夜間の応用クラスでは、実践にほとんど時間が費やされ、メモは1つだけでした。

  • 型・式の勁道三種 ①同時そろい型 ②交互入れかわり型 ③連続一形一同型

つまりこれは、不定位を定位にする時に、左右が同時に転換するタイプと、左右が交互に転換するタイプ、そして3つ目は記憶が怪しいのですが、同じ型を左右で入れ替えて連続でやるタイプだったように思います。

応用ではそれまでの基礎を踏まえ、動法からより観法の方にシフトしていったように思います。

動法によって不定位を定位にするのと同様に、観法でも不定位を定位にできます。

そして、からだの見方についても、先ほどの見方に加え、身を観る、骨を観る、という見方もあるそうで、もうちょっとこの辺は僕も混乱しているんですが、體とかの骨と、軆とかの身と通じているのだそうです。

でも軆とか體とかがからだの外側にあるのに対し、身を観る、骨を観る、というときは実際の身(肉)とか骨のことを言っているようでした。

骨を観る、というのは結構わたしにもわかりやすく、確かに骨を観るようにするとからだが機能した感じがする、というか実際に機能しました。

実践を伴いながらやるので、観えてるときは技がかかるし、観えてないとかからない。

相手がガチでやってくれている限り、自分がほんとに観えてるかどうかは、相手を通してはっきりとわかります。

骨が観えて、技がかかる時って、全く身的な力っていらないんです。はっ?てくらい楽にからだが動く。そして受けている方も、力がかかっているという感覚がないんです。大して力を感じないのに、全く耐えることができない。

観法って普段からやるし、できてるつもりでいたけれど、相手を通してシビアに判断されると、自分観たつもりになってただけやなってことが痛いほどわかりました。

あと相手がいて初めてわかるのは、「照らし観」(聞いただけなので漢字があってないかもしれません。てらしみです)ということ。

小手投げっていって、相手の手だけ持って全身を崩すというのをやったんですが、自分のからだが肘まで観えてるときは相手も肘まで技がかかる。腰まで観えてるときは腰までかかる。膝やくるぶしまで観えて初めて相手のからだ全体を崩すことができるのだそうです。

つまり、相手に技をかけているときに、観ているのは相手ではなく自分なんです。

「観るとこ自分しかないからね」って仰っていましたが、これはもう、なーるっほど。でした。

アンサンブルなんかやってるときもそうですよね。音楽の場合、相手をどうこうするわけではないですが、何かこう仕掛けようとしたときに、自分でなく相手の方をみていたら、暖簾に腕押しって感じで空回りするばかり。

何か作用を起こそうとするときは自分を観てなきゃだめなんですよね。

また聴衆と演奏者の関係もそう。

演奏者が聴衆の心を動かそうとして自分がみえなくなると、ほんとお寒いものにしかならない。

「相手を通して自分を観る」

この発想はダイレクトに音楽にも応用できそうです。

あと今回印象的だったのは、「心気体」の話。

私ずっと「心技体」だと思ってたのですが、これは誤った伝承なのだそうです。

今までずっと「心技体」だと思って話してた自分が恥ずかしい、、、。

言われてみれば確かに心技体よりも心気体の方がしっくりくる気がします。

「技」は結局「体」に含まれてる気がするし、「技」ってほんと「体」の邪魔ばっかりするよなあという実感があったので、「技」が心や体と並列にされて敬われていることに違和感がありました。

しかし「心気体」なら、どれも欠くことのできないものとして納得できます。

心気体を心技体だと思っていた私は、技に溺れて気を失っていたんですね笑。


忘年会

そして夜は忘年会、2回目の参加でいきなり忘年会にも参加ってなかなかやなって思ってましたが、初参加で3コマプラス忘年会という猛者すぎる国語の先生もいらっしゃったので、臆せずにすみました。

しかしですね、皆さん、光岡先生とお酒飲むってだけで緊張するのに、なんとこの会にですね、甲野善紀先生までいらっしゃったのですよ。

ウワーッ、、、テレビで見たことある人だーー、、、的な、、、。

しかもなぜか私光岡先生、甲野先生の並びに座ってしまってもう心はふーわふーわ。

その前に武術の稽古してなかったら確実に幽体離脱してたことでしょう。笑

しかし酔っ払ってしまえばこっちのもの、空手の先生と、マイノリティつらいっすよねえ話で盛り上がりました笑

やっぱなんかしら疑問持ちながら追求して、闘ってる人がこういうところには集まるんだなと思いました。


この週末は金曜に灰野敬二さんにお目にかかり(見ただけですけど)、日曜に光男先生と甲野先生にお目にかかって酒まで飲むという凄い週末でした。

そのおかげか昨日から声の調子が明らかにいいです。今までになくスムーズに、いい音色でミックスにいけるかんじ。

あと今朝しゃがんだ状態から立ち上がるときに不思議な感覚がありました。

なんというか、噓みたいですけど、立とうと思ったら、もう立ってたんです。何このスピード感。スゴ。ってそれ一回きりでしたけど。

なんだかからだの部品の一部が交換されちゃったような感覚です。

今週末は叔母の桜井真樹子の声明の講座に行ってきます。

きっとまた人生を刷新するような経験ができることでしょう。楽しみです。

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Salicus Kammerchor

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公演情報

次回は第5回定期演奏会

J. S. バッハのモテット全曲演奏会です!

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第2回 Ensemble Salicus演奏会|終演

第2回 Ensemble Salicus演奏会|終演

先週末、Ensemble Salicusの演奏会が終演いたしました。

ご来場下さいました皆様、誠にありがとうございました。

Ensemble Salicusのリハは毎回ほんとに楽しすぎてノーストレス。ゲラゲラ笑いながらリハできました。

やはり、どういうリハをするかということが本番の演奏を決めるので(それだけではありませんが)。今回はいいリハができたかなと思います。

あと個人的には今回演奏時間に余裕があったので、MCで落ち着いて喋れたのもよかったです。

いつも1分1秒を争うキチキチのスケジュールになってしまうことが多いので。

固有唱を含めたミサ形式を4人で歌うというのもはじめての経験だったので、大変スリリングで楽しかったです。

今回アグリコラを演奏出来て本当に良かった。

録音聴いて、面白い作曲家だとは思ってましたが、これほどまでに凄い作曲家だとは思いませんでした。よく変態作曲家の代表格として引き合いに出される、ジェズアルドなんかとは全然違う「変さ」でした。

アグリコラの音楽は誠実で、誠実であるがゆえに「変」。

中にはそういう人もいるんですね。

グレゴの特殊ネウマについても、今回声明のネウマにヒントを得て、歌い方を微調整しました。

ほんの少しですが、また少し近づけたかなあと思っています。

写真1(普通)写真2(完全に心霊写真)

写真3(Queen風)


そしてこの演奏会、なんと灰野敬二さんがいらっしゃっていて、人生最大レベルの衝撃を受けました。

まさか自分の演奏会に灰野敬二さん来るとは夢にも思っていませんでした。

ただ、あまりに畑違いの演奏会だったので、他のお客さんに気づかれることは少なかったようで(プラス皆様良識的な方々なので)混乱が起きなくて良かったです。

多分父か叔母から話を聞いてくださったのか、何なのかよくわかりませんが、灰野さんは、父と叔母とは面識があります。

父の作ったポリゴノーラという楽器を買ってくださって、使ってくださっています。

https://youtu.be/xyIEbcwz_n8

こちらの動画、ポリゴノーラの可能性を汲み尽くした超名演です。是非一度ご覧ください。

誰に褒められても嬉しいですが、灰野敬二さんのような畑違いの方に評価されるのが一番嬉しいので、どういう感想持ったか聞きたかったなあ、、。


土曜は家探し、日曜は光岡英稔先生の講習会に一日中出てたので更新が遅れてしまいました。

光岡先生の講習会については次の記事で書こうと思います。

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Ensemble Salicus演奏会|今週末

Ensemble Salicus演奏会|今週末

先週末はヴォーカル・アンサンブル カペラの目黒区美術館でのミュージアムコンサートがありました。

ご来場くださいました皆様、まことにありがとうございました。

村上友晴さんのモノトーンの絵画の中で、グレゴリオ聖歌主体のミサを演奏しました。

通常唱はいつもはポリフォニーで演奏することが多いのですが、今回はそれも含めすべてグレゴリオ聖歌でした。ポリフォニーはデュファイの3声のモテット3曲で、それぞれ、オッフェルトリウムの代用、コムニオのあと、そして閉祭の歌として歌いました。

そして今回研一郎が出演できなかったので、私初めて司祭役をやりました。

私実はカペラの演奏会の中では研一郎のPater nosterが一番好きなんですが、それを今回自分がやりました。

やはりいつも見ている光景でも、自分でやるのは違いますね。次に何がくるのか、常に頭がフル回転で、大変素晴らしい経験になりました。


さて、今週末はいよいよEnsemble Salicusの演奏会です。

この演奏会でも私司祭役をやります。

演奏するのはアレクサンダー・アグリコラ、誰やねんって感じですよね。私もそうでした。

16世紀にはこの時代の作曲家としては5本の指に入ると言われていたのですが、現代ではあまり演奏されることがありません。

こういうことって結構あって、いつかアラミレで演奏したアダム・レナーとかヨハンネス・レジスとか、フランドルにはまだ知られざる巨匠が沢山います。

そしてなかなかわかりにくいですが、それぞれが本当に個性的です。それぞれの作曲家の癖、こだわるポイント、頻出させる好きな技法なんかがわかってくると、実に味わい深いです。

例えばルターは、ジョスカンを評して「音の主人」と言いました。音を意のままに操って天才的な音楽を繰り広げる様子をよく表現していると思います。

それに対してアグリコラは、言うなれば「音の料理人」笑、彼の作るスープの隠し味を誰も知りません。何が入ってるか全然わかないけどめっちゃうまい!って感じです。

あるいは違う言い方をすると、ジョスカンが宇宙の摂理を表現しようとしたのに対し、アグリコラはその宇宙に投げ出された人間の孤独を表現しようとしたって感じでしょうか。

「わかりやすい音楽」と言うと嘘になると思います。

この頃の音楽は、作曲家の自己表現ではないので、わかりやすい「感情」や「感覚」を表していないからです。

嬉しさ、苦しさ、怒り、喜び、悲しみ、痛い、気持ちいい、そういう音楽ではありません。

とも言えるし、それらすべてを表しているとも言えます。

もっと根本的な、生きることの尊さとか、世界がこうして在ることのありえなさを歌っているんだと思います。

そういうスタンスで、まっさらな気持ちで、体ごとその音楽に身を浸すと、本当に胸がいっぱいになります。

この音型は何を表しているんだろう、どういう感情なんだろう、そういうの全部取っ払うことができれば、こんなアッパー系なミサ曲はありません。圧倒的高揚感です笑。


それから今回はグレゴリオ聖歌の歌い方についてもアップデートを加えました。

といってもアポストロファのずり下げを、今まではその音からやっていたのを、その音に向かってやるというそれだけのことなのですが。

特殊ネウマについてはコチラをチェーーック!

いやほんとね、我ながら細かいと思いますよ。ほんのちょっとの違いなんです。多分何気なく聴いていたら全く気づかないと思います。

しかしですね、このほんのちょっとした違いが我々にとっては天地がひっくり返るほど本質的なことなんですよね。

わからなくていいんです。なんか違う、なんかいいなって思っていただけたなら、その影にこういう細かい絶対誰にも気づかれないような細部に対するこだわりがあるんです。

問題はこの細かな差、そのものではないんです。そういう細かな差が積み重なったもの全体を聴いた時に何を感じるか、何を感じさせたいかということなんです。

だから、私よく、ここをこうやってます、こんなにこだわってますって押しつけがましく言ってますが、その、そこを聴いてほしいわけではない。そんなクソどうでも良さそうなところにまでこだわり抜いて音楽に向き合ってますよってその情熱ね、それを感じてほしいなって思ってるわけです。

ってね。言わなくてもいいことまで言ってますが、結構誤解されてるようなので勢い余ってたまには言うことにします。笑

演奏会詳細はこちら↓

https://www.salicuskammerchor.com/concert

あ、アポストファってこれです。この赤丸のところ。

これは半袖Tシャツですが、今回ロンTも作りましたので、よかったら受付によってみてください。

さらに今回、去年のEnsemble Salicusのレクチャーコンサートを収録したライブCDも作りましたので、こちらも良ければ御覧ください。

物販について詳細はコチラ↓

https://www.salicuskammerchor.com/goods

 

 

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〈インド古典声楽入門〉に参加してきました。

〈インド古典声楽入門〉に参加してきました。

先週の光岡英稔先生の武学講習会につづき、今週はバーンスリー奏者の寺原太郎さんの講座を受講してきました。

この講座は、先月私が講師を務めさせていただいた、コエダイr合唱団コブシ研究会の主催するワークショップシリーズです。

ちなみに来月はうちの叔母、桜井真樹子が講師を務める、「声明入門」で、こちらも私参加予定です。

ちょっと、よくよく考えたら私最近講習会通いまくり!

先週武学、今週インド音楽、来週とばして再来週武学(2回目)、再々来週声明。5週間のうちに4回講習会!

やば。スーパーインプット月間だわ。モチベーションどないなっとんねん。


ロングトーンによる瞑想

寺原太郎さんの講座は実は2年前にも受けているのですが、その時も大変感銘を受け、今回はことコブシにフューチャーした講習会ということで、あわよくばグレゴリオ聖歌の歌唱法のヒントになるかもと思い参加しました。

tanpura(開放弦5-6本で鳴らし続けるドローン楽器)がずーっと鳴ってる中で進められる講習会のスタイル。なんとi tanpuraというアプリだそうです。早速ダウンロードしました笑

今回の講習会は実際に受講生が歌ってみるという箇所が多く、大変実践的でありがたかったです。

朝イチにインド音楽の演奏者がやるという練習法、ひたすらに基音(sa)を出し続けるというのをまずやりました。

インド音楽では基準ピッチのようなものはなく、声域や楽器によって自由に変えていいそうです。

が、だいたい男性はD周辺、女性はA周辺がsaになることが多いそうで、今回はDを基音にしました。低い方からということで、なんとしょっぱなに発する音がLow D!朝だからギリ出るけど笑、いきなり凄い練習法とびだしました。

しかもなんとこれを1時間とか2時間やるそうで、もはや呼吸よりも自然に声が出る、という境地に至るそうです。

もうとにかくこういうゆったりとした時間の使い方って、私たちの体にとって本当に必要だと思います。

先週の武学の講習会でも、正座で体を観る、という観法を30分くらいやりましたが、途中でほんまに暇すぎて、現代に染まりまくった体には、拒絶反応が凄かったです。

でもそれをやってみて初めて、暇で暇でしょうがないという経験をすることができたし、本当に自分の体から目を離さないというのがどういうことかを学べました。

今朝早速1時間Low Dやってみました。30分正座に合掌で内観やりながら、30分は座禅のスタイルで。

いや、死ぬかと思いました。インド人すげえ。


インド古典声楽におけるコブシ

インドってデカい。なので一言でインド音楽といっても何を指すのかわからない。しかし古典音楽となると、ムガル帝国の影響があってそこまでの地域差はないそうです。

今回は北インド古典声楽ということで、古来のものと、ペルシャ系の文化が融合して発展してきたのだそうです。なんというか、インドって半島の端っこだし、いろんなものが流れ着くようになってるのかなあと思いました。

特徴としては、まずはなんといっても音の滑らかさに対するこだわり、ある音と、隣り合う音との間にある無限の音高、この「無限に一瞬で触る」というのが重要なコンセプトなのだそうです。

この滑らかな動き、にも3種類あって、初速が速くて後半減速しながら次の音に達するもの、初速はゆっくりで、加速して次の音に達するもの、それから初速速くて途中減速し、次の音に達する前にまた加速するものとを歌い分けるそうです。

しかもその途中に音の揺らぎを上につけたり、下につけたり、上下につけたり。こうした細かい動きがラーガによって規定されていて、それらを聞き分け、歌い分けできないとそのラーガは演奏できない。

そしてコブシにあたりそうなガマックとかムルキーをつけているときも、この滑らかな動きが失われないようにします。

ガマックは音と音の間を素早く行き来するのですが、隣り合うだけでなく跳躍音程でも普通にやるそうで、オクターブガマックがデフォルトの流派もあるそうです。

ムルキーは7個とかの音を一気にズラズラズラーっと歌うもので、それを知らないと、なんかしゃくったな、くらいにしかわかりません。あまりに瞬間的なので。しかしそう歌ってると言われて聞いてみると、不思議なことにそう聞こえてくるんですね。確かに音が7つ入ってる。

このムルキーもラーガによって入り方が決まっているそうで、その決まりの中で即興していくのだそうです。

https://youtu.be/76dGK1xcV2E

この動画の15分あたり、細かい音を鍵盤で後追いしてくれているのでわかりやすいです。


悠久のラーガ

このラーガの話で印象的だったのは、寺原さん自身が演奏に使うラーガは50種類くらい(メモってなかったので違ったらすみません)、聞き分けられるのは150種類くらい、ということでした。

旋律の微細な動きの差から、150種類聞き分けるってのも半端ないですが、それでもラーガって無数にあって(今ウィキで調べたら3万以上あるそうです)1人の人間が全てを習得できるということはないそうです。

全てを習得することをそもそも前提としていないというか、悠久の歴史の中でそれだけのものがあったということで、伝統の力強さを感じました。

それからこれも講座の後で個人的に聞いた話なのですが、大変印象的だったので書き留めておきます。

ラーガって一つ身につけるのにどれくらいかかるんですか?って私のしょうもない質問に対する答えとして話してくださった逸話です。

インドで国営放送が始まる時に、専属ミュージシャンのオーディションが行われた。気位の高いインドの音楽家は、なんもわからん役人に審査されることを嫌って誰も応募しようとしなかった。結局オーディションに来たのはいわゆる大御所とされる人ただ1人。一応決まりに従って口頭試問が始まった。「あなたはラーガをいくつ知っていますか?」という質問に、その大御所は「一つです」と答えた。「そんなわけがない。あなたほどの人が一つってことはないでしょう?!」、大御所曰く「知っていると言えるほどに身につけることができたのは一つだけです」

つまり一つのラーガを習得するには、(少なくとも)一生はかかる。

一つでも身につけてみたいなあと気軽に考えた自分が馬鹿でした笑


インド古典声楽における音律

グレゴリオ聖歌との共通点をいくつか感じることのできたインド古典声楽ですが、ここはかなり違うなと思ったのは、音程のとり方、音律についてでした。

グレゴリオ聖歌は基本的に音律はピタゴラス音律を用います。純正5度を使って積み上げた音律で、ドに対してファやソは純正になりますが、ミやシは純正長三度よりかなり高くなります。詳しくはコチラ

それに対しインド古典声楽では、純正調の考え方が基本的としては近いようです。純正調についてはコチラ

タンプーラが常にドローンとして鳴っているので、それに対して自然に音をとっていくと3度も純正にならざるを得ないという感じのようです。

ただいつもsa(ドレミで言うとドの音)を基準にした純正というわけではなく、ラーガによって同じ音でも高さを変えるということでした。

固定されているのはsa(ド), ga(ミ), ma(ファ), pa(ソ), dha(ラ)の5つ、動く可能性があるのはkomal re(レ♭), re(レ), komal ga(ミ♭), tivra ma(ファ#), komal dha(ラ♭), komal ni(シ♭), ni(シ)で、全部で(少なくとも)22個の音程があるのだそうです。

ちなみにここでレ♭という、移動ド固定ドのことをわかっている人からすると意味不明な書き方をしていますが、多分インド古典音楽的にはこの書き方が一番近いです。

これもかなり西洋音楽と違うなと思ったところのひとつで、インド古典音楽の階名は、西洋音楽の音名とも階名とも異なる考え方で、saの音高は適宜移動するのですが、saから階名は固定されていて、例えばkomal reの音もreの音も階名唱では同じreを用います。西洋音楽の階名の考え方だとミ-ファやシ-ドに読み替えるか、あるいはRaと言ったりしますよね。

階名唱に慣れている人にはかなり違和感がありますが、しかしシラブルが全然違うので、意外と慣れればできるものなのかなあとか考えていました。


講習会の後、コエダイr合唱団と、寺原夫妻と、イタリア料理のイベントに行き、たらふくうまいものを食い、コエダイの皆さんのテノーレスを聴くという、なんだかやたらと充実した1日でした。(広島のバルセロにいらっしゃった伊藤さんも料理を振舞われておりました)

https://youtu.be/HVyPQ34bhdM

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光岡英稔先生による『BUGAKU』講習会に参加してまいりました

昨日、光岡英稔先生の講習会に行ってきました。

光岡先生は徳久さんを通じて知って、Twitterずっとフォローしてたのですが、先日徳久さんに「一回あっといたほうがいいよ」と言われ、遂に講習会に参加してきました。

韓氏意拳を知って5年位?光岡先生を知って4年位?やっとこの一歩を踏み出せました。長かった。

最近光岡先生の著作「退歩のススメ」を読んでいたこともあって、かなり自分の中では盛り上がっていました。

この本についても近々書けたらと思っています。人生変える可能性のある本です。


私が参加したのはビギナークラスと基礎クラスだったはずなのですが、八卦掌のレイモンド先生やヒモトレの小関勲先生が参加されていたりして、どんな基礎クラスやねんと思いました笑。

上の写真は午前中にとったメモなのですが、我ながら汚い字。

あとで纏められるようにとなるべくわかりやすいように書いたつもりだったのですが、自分でもすでに理解、解読不能のところがありそうです。

インプットしたことは48時間以内にアウトプットすると記憶に定着しやすいそうなので、吐き出します。

私の記憶違いも多分に含まれている可能性があるということを初めにお断りしておきます。

すべての文の最後に、「※個人の感想です」を付け足してお読みください。


今回のテーマは、「表と裏」、「内と外」ということでした。

中でも「表と裏」の方がメインで、「内と外」を含めるとかなり複雑になる雰囲気だったので午前中は触れられませんでした。


表と裏

人間は自分のからだに、3つの方向から表裏を感じているそうです。

①上下表裏

②右左表裏

③前後表裏

①上下表裏は人間がまだ四足歩行をしていた古代からの感じ方で、太陽のあたっている背中側が表、あたっていないお腹側を裏、という感じ方。

③前後表裏は二足歩行をしている近代、現代の感じ方で、大体生物としては、前に進むのが自然な動きということで、前の方を表、後ろの方を裏、と感じる身体観になるのだそうです。そうするとこの時点で体の部位としては裏と表がひっくり返ってるんですね。四足歩行のときは背中が表、二足歩行になると背中は裏になる。

それで、陰陽道的には、陰と陽が半々になっているのが良いとされるそうなのですが、二足歩行だと陽の部分、つまり太陽にあたっている部分が多すぎて、すでに不調をきたす要素を持っているのだそう。

そこで古典期に生まれたのが②右左表裏で、右と左にも裏と表があるという考えです。

この考えでは、右側が表とされるのですが、合掌した時に、右側にある右手の甲が表、左手の「甲」が裏とされます。というわけでちょっとややこしいですが、右手のひらは裏、左手のひらは表です。

というところで、この裏と表がどのように武術に応用されるのかということを実践しました。

正座で二人が向き合って手を出し、片方が押すのに耐える、という単純な実験なのですが、これが目から鱗でした。

左手を出して、グッと耐える。これは結構耐えられます。

しかし同じ力で右手を押されると、全く耐えられません。もう、へニャーッです。へニャーッ

ところがですね。右手をくるっとひっくり返して、手の甲を押してもらうとですね、あーらびっくり耐えられるんですね。

マジで、いや、マジで。

ほんと冗談かと思いますけど全員そうなるんです。

やってみてください。そうなるので。

それで今度は左手の方をひっくり返して、手の甲で耐えてみる、そうすると、へニャーッ

お前やる気あるんかってくらい簡単に曲がります。

力が入らないだけじゃなくて、もう腰から砕けるという感じです。

仕組みとしてはこうです。

右手の甲は表、左手ひらも表、手の「表」と前後の表が一致していると、耐えられる。「定位する」と仰っていました。

逆に前後表裏と右左表裏が一致していない状態、つまり右手のひら、左手の甲が前を向いているときは、「不定位」になるため力が入らない。

普通の物理原則に慣れている私たちからすると意味不明ですが、やってみればわかります。


「型」の意味

それで、武術家は考えたわけです。不定位の時でも力が入るようにするにはどうしたらいいのか。

そこで考え出されたのが「型」なのだそうです。

実際に今回はインドネシアの武術、シラットの型を教わり、その通りの方向、手順、数、形を守って動いてみると、あーら不思議!さっきまで不定位だった右手のひら、左手の甲でも定位するではあーりませんか。

もうあれですね。書いてて嫌になるくらい胡散臭いですが、もう、ほんと、やってみればわかる!笑

それにしても文章というのは難しい。書いていてこんなに胡散臭くなるとは夢にも思わなかった。ほんと、実践あるのみですよ。

私こう見えて中学生の頃剣道やってたんですね。それで中3になるとみんな段位取るための試験を受けるんです。その時実践とは別に、型の試験もあるんです。

それでその試験のために初めて型を習うんですけど、これが当時の私には全く意味不明。木刀持って、なんかこう、微妙に鈍い動きで、やあっ、とうっ、とかやるわけです。全く(競技の)実践とはかけ離れてるんです。

私、先生に、「これ、何の役にたつんですか?」って聞きましたが、その時は、段を取るために必要、という以上の、納得のいく説明はありませんでした。

これ、空手の型なんか見ててもわかると思います。競技としての実践と、型と、空手の場合は全く別物になってしまって、遂には別の競技になってしまいましたよね。

型の時の美しいすり足の動きはどこにいった?って感じで他の格闘技同様上下動ゆっさゆっさ。

今回の講習会で、やっと「型」の意味がわかりました。

凄く陳腐な言い方すると、体のポテンシャルを引き出すための儀式、という感じでしょうか。

この道を通ると体になんとも神秘的なことが起こって、それまでの体とは違う体になる(ああ胡散臭い涙)。

そう、それでシラットの型の話に戻りますが、その型によって作った、定位した不定位の形を一回やめて、もう一回(今度は型を通さずに)同じ形に手を作ると、もうダメなんです。

型を通したときと、全く同じ形にしたつもりでも、全然違うものになってしまっているんです。

こ、これが韓氏意拳の言う、「形同実異」か!目から鱗ボタボタボタボタ!

つまり形が同じでも中身が違うってことです。


それで、この手の形なんですが、押されるまでは、イケるかどうか全くわかんないんです。どちらかというと右手のひらが前向いてるほうが、なんとなくイケそうな感じするのですが、押されて初めて「あ、これアカン」と気づくわけです。

武術の実践の場合、これってもう手遅れなんです。つまり、グサッと刺されて死んだ後に、あかんことに気づいたのでは遅いのです。

競技のように、一本取られてももう一本!は無いんですね。

負けたら終わりの一発勝負の世界では、事後に気づく、つまりこの場合、押されて初めてアカンと気づく、ではまずい。

お前はもう死んでいる。のです。

そこで、なんとか押される前に、アカンと気づかなければならないのですが、そこで考えられたのが、「気と血」という考え方です。


気と血

「気」というともう、いよいよオカルトっぽいですが、実は私たち、「気が向く」、「気が滅入る」、「気がつく」、「気にする」など「気」という概念を日常的に感じています。

「血」はそれに対して「感覚」の象徴だそうで、押されてから「アカンッ」と感じるこの感覚のことです。

血、つまり感覚になってからでは遅いので、武術家はそれ以前に生じている「気」に注目したそうです。

気が血を導く、というのは「状態が行為を生む」という韓氏意拳の考え方と同じようなことを言っているのだと思います。(個人の感想です)

そしてこの気が血を導くということを、頸といい、頸道を通す、ということが型の目的なのだそうです。


動法と観法

しかし、頸道を通す方法は、「型」だけではありません。

本当に不思議でしょうがないのですが、受講生の一人は「南無阿弥陀仏」というだけでも頸道が通りました。

南無妙法蓮華経でも通ったし、人によって、親しんだお経なんかで通るそうです。

私だったらPater nosterかなあとか考えてみたり笑

もっと驚きだったのは、右手で虚空に「木」という字を書く、というものでした。これも、書き順正しく書くと頸道通るのですが、書き順をめちゃくちゃにすると、全然アカンのです。

もうアレ、脳ミソパラダーイス!全く理解が追いつきません。というかもう理解しようとしてることがすでに失敗なのかもしれない笑

理由はわからんけど、そういうことがある。ということがわかればいいのでしょう。

それで、確かに念仏で頸道は通るのですが先生はお経をブツブツ唱えながら闘うということを推奨はしていませんでした。たしかにそれはなんとなく直感的に違うなって思いました。

それで、型によって頸道を通すというやり方の他に内観によって頸道を通す方法があるということを教わりました。

型は動きによって頸道を通すということで「動法」、内観によるやり方は「観法」というそうです。

ここまできてやっとこの講習会の目的地が見えた気がしました。

自分の体を「どのように」観るか、ということで頸道を通すんですね。

講習会の一番最後にこれをやったのですが、正直あまりにも難しくて全然できなかったので、次回また教わりたいと思います。


さて、この学びを私の場合、指揮や歌に活かさねばなりません。もちろん体のポテンシャルを引き出す稽古なので、自然と活きてくるものでもあるとは思うのですが、もっと積極的に応用できそうな気がするんですよね。

きっといずれつながってくると思うので、また気づいたら書くことにします。

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