4月から始めたリモートアンサンブル、リモート合唱について、少し振り返る時期が来たような気がしています。
アマチュア合唱団の練習手段として、アマ・プロ合唱団の作品発表の機会として、様々な形で関わり、また他の方の話も聞き、作品にも触れてきました。
いずれにしても、最近思うのは、リモート合唱はリアル合唱の代替、廉価版、バッタモン、っていうのは違うんじゃないかなということ。
リモート合唱にはリモート合唱のロマンがあって、それはリアル合唱にはない。
違う種類の感動がある。
なんか、焦がれというか、そういう種類の。
リモート合唱で得るものが沢山あって、リアルの合唱にそれを活かそうっていうのも、もちろんあるけど、それって現代曲歌えるようになるためにルネサンスポリフォニーを利用するようなもんで、あるいはルネポリ歌うためにグレゴリオ聖歌を勉強するようなもんで。
それそのものの価値はまた別のところにある。
リモート合唱をリアル合唱のためのつなぎ、練習台、と考えるのはどうももったいないような気がする。
リモート合唱やった時のなんとも言えない何かを、気のせいだと思って、なかったことにする。ワクチンや治療薬が流通するようになったらみんなそうするのだろうか。
それとも、このなんとも言えない何かは、リアル合唱の中にもあったのだろうか。
5月末だか6月頭だかに、2ヶ月ぶりに電車に乗った時、電車って、こんなにワクワクする乗り物だったのか!って驚きました。
うわ、揺れる、動く、走る、はやーいって感動しました。
でもそれって、もともと電車に乗るっていうアクティビティの中に含まれていたものですよね。
そういう類のものなのだろうか、リモート合唱にある、なんとも言えない何かは、リアル合唱にもともとあったけれど、気がつけなくなっていたものなのだろうか。
また私たちが主にやっている音楽がいわゆる古楽と呼ばれる音楽ジャンルであるということもなかなか面白い。
“Remote” Ensemble Salicusでやってることが古楽なのか否か。
まずそれは古楽をどう定義しているかによります。
私としては「古楽」って1750年以前に作曲された音楽ってそのぐらいのことでいいのではないかと思ってます。
「古楽的」というとまた話が違ってきて、これは非常〜に曖昧かつキナ臭い言葉だから基本的には使わないし、使うときは「いわゆる古楽的」という使い方をしてます。
それはつまり作曲当時の演奏習慣を知ること(再現することではない)であったり、あたれる限り作曲者に近い資料にあたったりすることであったりするわけですが、それって別に1750年以前の音楽に限ったことではない。だからいわゆる古楽演奏家が古典派やロマン派の音楽を「古楽的アプローチ」と称して演奏するのが全然ありなの。
だけどそれって普通のことじゃない?
どんな音楽やるにしても、作曲者の意図を知ろうとすることは、単に音楽対して誠実であるかどうかという問題で。
まして古楽器で演奏することを「古楽的」だと勘違いしてる人もいるくらいだけど、それはそれで別の言い方がある。
「古楽器使用」
だから”Rmote” Ensemble Salicusにしてもなんにしても、与えられた条件で音楽に対して誠実に演奏しましょう。というのは誠実な音楽家であれば一緒ですよね。どんなジャンルの、どんな時代の、どんな地域の音楽であっても。
怪我の功名ってこともあって、先日関ジャムで宮本浩次さんが言ってたみたいに、不自由な、ネガティブなシチュエーションからすっげえ作品ができたりするんですよね。
それを面白がることができるか、今までと違うことを受け入れられるかどうか。
私は何か小さなもの、小さなことを、見過ごさないようにしたいと思ってます。目に見えないくらい小さくて、一瞬で過ぎ去って忘れてしまうようなこと。
人生を刷新するような出来事というのは、いつだってとても小さなことなのです。
11月には本当に久しぶりにSalicus Kammerchorとしてリアルの演奏会を開催します。
2011年3月、僕はもう二度と関東には戻ってこれないと思ってました。もう二度と、仲間たちと、バッハを演奏することはないだろうと、思ってました。
けどそうはならなかった。5月に再開して、カンタータを演奏したときのことを僕は一生忘れられないと思う。
その時から、今日が最後の日だと思いながら生きるという思いがより強くなったと思います。
毎日、もう二度と会えないかもしれないと思って「いってらっしゃい、いってきます」と言ってます。今も。
今回また別の形で私たちの日常が奪われて、311の時から今まで生きてきた自分が試されてるなと思いました。
あの時、自分はまだ海のようには生きられないと思いました。海容エチカってやつですね。
今の自分はどうだろう。あの時よりはましだろうか。
試される日々はまだ続いていますが、11月のカンタータ公演は一つの試金石になると思っています。
神様からの中間テスト。
あなたはいままでどんなに生きてきましたか?
こんなに生きてきましたよと、言えるような演奏をしようと思います。