もう皆さんご存じと思いますが、7月31日に西久保さんが亡くなったそうです。
私が知らせを受けたのは8月2日の夜、拓さんが電話で知らせてくれました。
emulsionの大変なコンサートが1日に終わって、翌朝なぜかemulsionのリハをやって、帰りにトミーにemulsionやめるわってラインして、その後放心して午後寝て、晩飯食べてまた寝ようとしていたところでした。
その翌日からカンタータクラブ50周年演奏会のリハが始まるところで、私は合唱指導という結構大変な役回りを仰せつかっておりまして、もう十分負荷がかかっていたところに信じられない知らせが来まして、もうなんか、きつかったです。
というか今もきついです。
お通夜はもう知った時には終わってたと思います。お葬式も親族のみでということで、もうなんか「念」のやり場がない。多分他のみんなもそんな感じだと思います。
関係団体が訃報をSNSで出したりしていて、サリクスもシグナスもそういうことをやった方がいいのかもしれないけど、全くそんな気にもなれない。
冷静にそういうことできる人はほんとに凄いと思う。
翌朝カンタータクラブのリハのために山台組んだりなんかするんですけど、もうその時は仕事モードというか、別人になって働いてるんですが、ふいにO貫さんに「西久保のこと聞いた?」とか言われてもう無茶苦茶。
私もその場にいた関係者には言っとかないと思って言ったけど、誰も何も言えない。
どういう感情なんだろう。自分。
あんまり感情のレベルで自分を観るということを今までしたことがなかったかもしれない。
悲しいというよりは、悔しい。
心がずっと「クソ。。。クソ。。。」って言ってますね。
こういうのは他人にはどうすることもできないということはわかってるけど、それと感情とは無関係ですね。
いやこのブログ公開すんのかな。せんのかな。
演奏会の終演報告を淡々と何事もなかったかのように書くのも有りかと思ったけど、やっぱり自分のためにこれは書いておきたい。
しかしこういう時の私の多重人格ぶりには自分でも驚きました。
合唱指導なんかやってられるか、という自分と、普通にノリノリでバッハ振ってる自分と、そんなことが可能なんですね。
自分にはほんとに沢山の層があって、それぞれの層で全く違う反応をしてるみたいです。
西久保さんとは数えてみると18年、18歳のころから一緒に歌ってました。
ちょうど人生の半分ですね。
最初はジャパンユース、それからジャパンチェンバー、シグナス、コントラポント、サリクス、もうありとあらゆるところで一緒に演奏しました。
そして西久保さんといえば私がどうしても思い出すのが下の写真。
これは笑ったな。
リハーサルの演奏動画撮ってたら奥にいた西久保さんが寝てんのかと思いきや「カッ」と目を開くという笑
そんなわけで、8月6日、この日は原爆記念日であり、西久保さんのお葬式であり、カンタータクラブ創部50周年演奏会だったわけですが、本番中、45番のアリアを聴きながら、この後西久保さんとビール飲もうかなとか思って顔がゆがんでました。
ね、テレビドラマとかでよく見る、二人掛けのテーブルのこちらと向こうにビール2個置いてっていう、あれですね。なんかやっちゃいましたね。無意味に。
減らないビールを眺めました。(この後しっかりおいしくいただきました)
今、順番に、西久保さんと歌った音源を聴いてます。
シグナス、サリクス、今まで何度も聴いているはずですが、全然違ってきこえます。5倍くらいうまく聞える笑
多くの人に聞いてほしいなと、思いました。
ああ。化けて出てくれねえかなあ。
この写真は最後に共演した時の、最後の曲です。
曲目は、ヒエロニムス・フィンダース 「ああ、避けられぬ死よ」でした。