出張グレゴリオ聖歌演奏やります

出張グレゴリオ聖歌演奏やります

先日ガザ法要にて死者のためのミサ(通称レクイエム)を独りでやりました。

ミサは普通会衆を含め司祭、助祭、聖歌隊などに役割が割り振られており、歌う部分ももともと独りで歌うものではありません。

それどころか
司祭:Dominus vobiscum. (主があなたがたとともにありますように)
会衆:Et cum spiritu tuo.(またあなたの霊とともにありますように)
といったコール&レスポンスまであり、これを独りでやるのはなかなかおかしなことなのですが、試みてみました。

もともとグレゴリオ聖歌というのは独りで歌う部分は少なく、殆どの部分は複数人で歌いますが、最近独りでグレゴリオ聖歌を歌うことが多くなってきています。

カニササレアヤコさんとの企画サレガマパダミサもそうなのですが、それにしても交互唱のところは笙と交互に、さっきのコール&レスポンスのようなところはカニさんに歌ってもらっています。

8月にやる公演です。お申し込みはコチラ

前回の動画はコチラから

というわけで今回最初から最後まで朗読や祈祷も含めて全部独りでやるというのはなかなかチャレンジングだったわけですが、それに加え、ガザで亡くなった方のお名前を一人ひとり読み上げていく中という更に特殊な状況で、なかなか凄まじい経験となりました。

それで、独りでミサをやるというなかかなかの機動力と、やってやれないことはないという手応えから、依頼があればどこへでも私独り(とタンプーラ)で出張するということを始めようかと思います。

ということでWork&Priceのページを更新しました。

・お好みのミサ(50分前後)
・タンプーラでの歌唱
・準備期間1ヶ月以上
・100,000円+交通費

という条件で、やってほしいという希望があれば伺います。

依頼お待ちしております。→g.sakurai.office@gmail.com

マショーのノートル・ダム・ミサ

いよいよ明日となりました。

カペラ史上初、一人一声でノートルダムミサをやります。

通常唱を男声で、固有唱を女声でやるというのも非常に面白い試みで、聴き応えのあるプログラムとなっております。

先日出来心でグロリアを多重録音しました。

明日はタンプーラもタブラもなければピッチもこれの5度上とかですが、これはこれで結構気に入ってます。

いずれこのバージョンも実演で全曲やりたいなあと思っております。

今回はグレゴリオ聖歌が女声、ポリフォニーが男声という構成ですが、最後のモテットはみんなで歌います。

リハの動画が上がってますのでこちらもぜひご覧ください↓

私の手の動きすんごいことになってますね。

明日はもっとすんごいことになってるかも。

お楽しみに!

https://www.cappellajp.com/concert

ヴォーカル・アンサンブル カペラ 2024定期公演1
マショーのノートル・ダム・ミサ
~グレゴリオ聖歌とポリフォニーによる典礼形式の演奏会

日時:2024年6月7日(金)19時15分 開演(18時30分 開場)
*開演20分前より音楽監督の花井哲郎による説明があります

会場:カトリック関口教会 東京カテドラル聖マリア大聖堂


チケット料金【全席自由】
● 前売・一般席 4,600円(税込)
● 前売ペア席 8,500円(税込)
● 学生席 2,500円(税込)
● 当日 5,100円(税込)

配信チケット料金
【公演当日から6月21日(金)まで、2週間】
● 配信チケット 2,500 円(税込)
● 応援チケット 5,000 円 (税込) 
*いずれもシステム手数料 220 円(税込) が別途かかります
WOOMO(ウーモ)
https://www.woomo.jp/products/detail/2879

曲目
グレゴリオ聖歌 聖母のミサ固有唱
Gregorian chant, Proprium missae de Beata Maria Virgine

ギヨーム・ド・マショー Guillaume de Machaut (ca.1300-1377)
ノートル・ダム・ミサ La messe de nostre dame
モテット
「幸いなおとめ」“Felix virgo”
「けがれない御母」”Inviolata genitrix”
「あなたに嘆息します」”Ad te suspiramus”


演奏 ヴォーカル・アンサンブル カペラ
マショー : 富本泰成 渡辺研一郎 櫻井元希 谷本喜基
グレゴリオ聖歌隊 : 相澤紀恵 鏑木綾 小林恵
Maestro di Cappella (音楽監督):花井哲郎

サレガマパダミサ〜笙とタンプーラとともに歌うグレゴリオ聖歌〜

サレガマパダミサ〜笙とタンプーラとともに歌うグレゴリオ聖歌〜

いよいよ来週末となりましたこちらのコンサートについてお話したいと思います。


なぜタンプーラなのか

グレゴリオ聖歌というのは、その歌唱法というものがほとんど完全に失伝しています。

10世紀頃に書かれた古ネウマによってその歌い方が書き記されているものの、実際それがどのように歌われていたのかはわかりません。

ネウマの「意味」はわかっても現実としての歌唱がどのように鳴り響いていたかは全くわからないのです。当たり前のようですが。

そこでよく私が引き合いに出すのがこちらの音源

壮絶ですよね。こちらは最後のカストラートと言われているAlessandro Moreschiの録音で、これがおよそ100年前です。

100年前でこうなのですから、1000年前の歌などというものはもうどんな声でどんな歌を歌っていたのか想像もできません。

というわけで先入観を徹底的に排除してあらゆる可能性を考慮に入れなければなりません。

そこで、なかば導かれるようにして私がたどり着いたのがインド古典音楽なのであります。

西洋では音楽は単旋律から複旋律(ポリフォニー)へという方向性で変化していきましたが、インドではそうはなりませんでした。インドは今でも単旋律です。

単旋律のまま進化を極めたとも言えるかもしれませんし、単旋律のあわいを今に残していると言うこともできるかもしれません。

端っこには古い文化が残りやすいというのは日本でも同じだと思いますが、私はかつて西洋にあったものが、少なくとも部分的には今のインドに残っていると考えています。

というわけで(少なくとも現代人の目線からすれば)単旋律が極まり尽くしているインド古典音楽を学ぶことで、同じく単旋律である、失われたグレゴリオ聖歌の歌唱法について、その糸口が見つかるのではないかと思ったのです。

習い始めて3-4年になりますが、まあほんとにインド人っていうやつああ笑

もうほんとにすごいんすよ。もうほんとに。(白目)

私が知れたこと、感じれたこと、現状やれることはその0.000000000001%くらいだと思いますが、それでも、グレゴリオ聖歌ってこういう感じだったのかもなというおぼろげな像を描くことはできるようになったと思います。

「何が」というのはほんとに書き出すときりがないのですが、ひとつには西洋の「旋法」という仕組みの特異性が挙げられます。

西洋の旋法は、音階を固定して終止音finalis(と軸となる音)を変えることによってその終止音finalis(と軸となる音)の周りの音の構造を変化させるという仕組みを持っています。

これ西洋音楽をやってると当たり前のような気がしますが、インドのサレガマを知ると、むしろ西洋のやり方のほうが不思議なように感じます。

インドではサはサで固定されていて、周りの音を変化させていくことで音階が変わるんですよね。

西洋では終止音finalisがレになったりミになったりファになったりするわけで、これよく考えたら結構複雑なんです。(だからこそ面白いのは、シラブルそのものが変わることによって、終止音自体のキャラクターがまるで変わってしまうということ)

でわたし達は普通、レ旋法でDをfinalisにすると、ミ旋法はEをfinalisにしますよね、ファ旋法はFでソ旋法はG、という具合に。

そうすると同じ音階上で「高さが変わってる」と感じてしまって、旋法の違いがよくわからないんです。

なので私はfinalisの音高を(自分のキー)固定して、それをレ旋法のときはレと読み、ミ旋法のときはミと読むということをしています。

そうするとfinalis周りの音構造の変化が感じやすく、旋法の違いが明確にわかります。

この発想はインド古典音楽的です。

そしてもう一つはドローン。ドローンというのは持続音のことで、インドではこれをタンプーラという楽器が担います。

インド古典音楽ではほとんどいつでもこのタンプーラが鳴り続けています。(後ろのでかい楽器です)

これうちの子です♡

タンプーラがあると何がいいかというのは、鳴り続ける音があることで、その音に対して旋律がどうなっているのかというのが非常にわかりやすいんです。

歌ってる方も、聴いている方も。

帰ってくる音(finalis)が鳴り続けているので、今どこにお出かけしていて、どのようにしてその音に帰っていこうとしているのか。そのありさまが非常によく分かる。

逆にこれなしに、曲中でどの音がfinalisなのか判断するのは聴いてる方にはほとんど不可能です。だから今何旋法を歌っているのか、聴いてる方は最後の音を聴くまでわからない。(その曲を知ってるとか、よほど歌い手がうまくてその上聴いている方もそれを感じ取れるだけの文化的土壌があれば話は別で、私が目指しているのはまさにそこなのですが)

これドローンが鳴ってればまるわかりです。

で持続音(ドローン)というのはどんな楽器や声でやってもいいのですが、タンプーラという楽器はほんと「これだよね」っていう固有の魅力があります。

そこらへんは寺原太郎さんが詳しく書いてくださっているので割愛しますが↓

https://note.com/srgmtaro/n/n011b28e90c1e

まず持続音なのに撥弦楽器を使うというのが面白いですよね。発想として。音を持続しなきゃいけないのに、出した音が出した途端に必ず減衰する撥弦楽器を用いるという。

しかしこれによって有機的な場のうねりのようなものが生まれて、音楽がその結果自由に羽ばたけるんです。

同じことをオルガンとかでやってみると違いはよくわかります。オルガンのほうが圧倒的にドローンに適しています(凄い持続します)が、とても空間をfixするように感じます。

そんなわけで最近私はグレゴリオ聖歌を歌うときはいつでもタンプーラと一緒に歌っています。


なぜ笙なのか

きっかけはこの投稿でした。

もともと友達の知り合いくらいの距離感の方だったので、なんかこう気軽に、いや嘘です意を決して、決死の覚悟でDMしました。

そしたらもう気さくも気さく、なんの障害もなく一緒にできることになりました。

それで企画を進めながら思ったのは、笙ってハルモニウムみたいなもんだよなあということ。

もう一度こちらの動画を貼りますが、

これの右側で左手パタパタしながら弾いてる鍵盤楽器がハルモニウムです。

小型のオルガンですね。

これが歌に合わせて、ちょっと遅れたり、ちょっと掛け合ったりなんかしながら一緒に演奏してるんです。

この役割を笙でやったら、インド的であり、日本的であり、実はグレゴリオ聖歌的なんじゃないかということを考えたわけです。

そして実際にはそのような吹き方もしてもらいますし、笙だけでグレゴリオ聖歌を吹いたり、タンプーラを使わないで(シュルティボックスのように)ドローンだけやってもらったり、はたまた雅楽の伝統曲と一緒にグレゴリオ聖歌を歌ったりと様々なやり方で演奏していただきます。

既存曲に合わせてグレゴリオ聖歌を歌うというのは、叔母との声明とグレゴリオ聖歌のコラボでさんざんやってるのでもはや朝飯前です。

そして最近カニササレさんフランスに行かれていたそうなのですが、そのときに投稿されていた動画がまた素晴らしかった。

もうこれ、完全にオルガンですよね。

オルガン以外のなにものでもないですよね。

そりゃグレゴリオ聖歌相性いいに決まってますよねえ。


なぜグレゴリオ聖歌なのか

嘘だろそこからかよ。この記事長すぎだろ。という読者の罵声が聞こえてきたのでやめておきます笑

細かすぎて伝わらないかもしれませんが、私は楽しいですし、そんなに変なことをやっているという自覚もありません。

イロモノとしてではなく、普通に来てよかったと思えるコンサートになると思いますので、皆様是非お越しください。

お席に限りがございますので、ご予約はお早めに↓↓

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdloXZzCnlSCq5sT2HqsBsCM6Cg4BEkJj5gfc24hYIOPcR1dg/viewform

サレガマパダミサ
〜笙とタンプーラとともに歌うグレゴリオ聖歌〜

12/16(土) 14:30開演
えびらホール

演奏予定曲目:降誕節第3主日のためのミサ

なぜヘクサコルドでなければならないのか

動画を撮りました。

ワークショップでいつも話している内容ですが、こういう動画がYou Tube上にある価値はあるかなと思って撮りました。

ますますヘクサコルドが広まりますように!

もう私は必死です。血眼です。本当にこれ(ヘクサコルドの周知)を人生かけてやらなければならないと思ってます。

なぜか。私はアンサンブルがしたいからです。

1人で演奏するならこれを共有するまでもありません。自分だけわかってればいいからです。

でも私はアンサンブルがしたいので、私とアンサンブルする人がこの前提を共有してないと困るんです。

この前提(ヘクサコルド)を共有していれば、リハーサル時間は5分の1くらいに短縮できると思います。

逆にこれを共有していないと、リハーサルの限られた時間内で私がやりたいことを共有するのは不可能です。

だから私はやらなければならないのです。私自身のために。私がいい演奏をするために。

とはいえ半分くらいは諦めてます。この前提を共有した音楽家や音楽愛好家をある程度の数にするためには、人生は短すぎます。

500年後くらいに学習指導要領に「ヘクサコルド」という文字が載ったらいいなあというくらいの緩さで頑張っていこうと思っています。

実際ヘプタコルド(いわゆるドレミ)よりもヘクサコルドを先に学んだほうが絶対いいです。なぜならヘプタコルドはヘクサコルドから生まれたからです。ここには明確な先後があります。

まあ夢物語は置いておくとして(2523年の人!このブログ見てる!?!?)、現実的にはこれを教えられる人を増やさないといけないと思っています。

音楽家の方は是非ともそういう気概で取り組んでいただきたいなと思います。

そして愛好家の方は、ヘクサコルドを知った耳で、音楽家の演奏を聴いていただきたい。

「今日のバスの低い方のミはちょっと柔らかすぎやしませんか?」とか、「いやーテノールの高い方はみんなラみたいでしたな〜」とか言ってください。

文化はそのようにして育っていくのだと思います。

と、いうわけで、すでにたくさんの方にご参加いただいておりますワークショップですが、ますます多くの方に受講していただきたいなと熱烈希望しております!

第3回を下記の要領で開催いたしますので、ぜひともお申し込みください!

60名ほどで予定調整をした結果今回も11回にわけての開催となっております。チャンスは11回もあります!ぜひ!

お申し込みはコチラから↓
https://forms.gle/QCmgMB7zWtSg5fN37


私のワークショップを受けた方で、言わんとすることはわかるけど、結局どういう演奏になるんだい?って思ってる方きっとたくさんいると思います。

そういう方は是非こちらのコンサートにお越し下さい。

私もまだまだ道半ばでございますが、ビジョンは示せると思います。

お席に限りがございますので、お申し込みはお早めに↓

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdloXZzCnlSCq5sT2HqsBsCM6Cg4BEkJj5gfc24hYIOPcR1dg/viewform?usp=send_form

Ensemble Salicus第3回演奏会

Ensemble Salicus第3回演奏会

常日頃から、「いい音楽家の条件の第1番目は暇であることである」と言っている私ですが、今の私はいい音楽家ではありません。

10月からやばい忙しいです。クソです。クソ音楽家です。

ブログの更新も滞っておりました。

この間セアダスでライブをしたり


アラミレの演奏会があったり

コエダイのWSをやったり


京都でもWSやったり


トムウェイシのライブをしたり


富士山でレクイエムを歌ったり


長野でWSをやったり


オケゲムのレクイエムを歌ったり


エレウシスの公開WSをやったり

しておりましたが、今週末はEnsemble Salicusです!


没後400周年の記念の年に3声のミサを3人でやるなんて、これを聴かない手はないと思うのですが、なんとまだ出演者の5倍のチケットしか売れておりません(掛け算してね)

OVPP(1人1声)で3声(しかもクワイヤブックで演奏)というのはある意味ではスリリングだけれども、自由度が非常に高いので、ならではの演奏ができると思います。

こういう演奏はこの人たちしかできないねっていう演奏をしますのでぜひ皆様お越しください。

何卒!

何卒!!

https://tiget.net/events/264218