日本斉唱団

皆様あけましておめでとうございます。今年も何卒よろしくお願いいたします。

今年もじゃんじゃん新しいことにチャレンジしていこうと思っておりますが、一つ大きい告知をさせていただきたいと思います。

「日本斉唱団」作るよ

グレゴリオ聖歌のみをレパートリーとするグループ、合唱じゃないので斉唱団を作ります。

多分日本初ではないかと思うので、「日本斉唱団」を名乗っちゃいます。

主に10世紀の写本をもとに古ネウマでの演奏をやっていきますが、その後のグレゴリオ聖歌にもゆくゆくはチャレンジしていこうと思っています。

活動は月に2回、土曜日の午前に練習します。

いずれはエレウシスとジョイント的な事ができたらいいなあと思っております。

結成に先立ちまして、体験会を行います。

日時:3月7日9:30-12:30
会場:江戸川区の公共施設(決まり次第お知らせいたします)
参加費:2000円
お申し込み:https://forms.gle/wvYNbSuWvd4v6oxK8

皆様の参加をお待ちしております!!

2025年総括

2025年個人的に最も大きなニュースと言えば、将棋ウォーズが三段に昇段したことです。

将棋ウォーズは日本将棋連盟公認のアプリなので、申請すれば免状がもらえます(ただしバカ高い)。

二段になってから7年くらい経ってると思うので、これはもう凄い出来事なんですが、将棋やってる人でないとこれはなかなか伝わらない。悲しい。


個人的なことでいうとニュースといえばそれくらいで、あとは全部仕事関係になろうかと思います。

蟹笛ライブをやった

ジェバンニ=オノさんにお誘いいただきまして、年始に蟹笛ライブデビューしました。

来年の1月11日にもやる予定ですので皆様ぜひお越しください。蟹鍋をして蟹笛を作り、ライブをします。

骨笛を作った

インド音楽の師匠、バーンスリー奏者の寺原太郎さんがレッスン中にどういう流れだったか以前食べたマトンの骨を持ってきてくれて、吹いたら吹けたので調整して骨笛にしてもらいました。

新たに骨笛奏者の肩書が増えました。

シュルティボックス買った

本来的にはサレガマパダミサ(笙のカニササレアヤコさんとやっているグレゴリオ聖歌の企画)のために買ったのですが、これ本当に練習が捗ります。音程取れるようになると思います。一家に一台まじでオススメです。

車買った

ほんとうに車って便利ですね。

行き帰りの時間が下手したら3分の1くらいになるし、移動中に練習できるというのがもうほんとうに良い。歌の人はみんな車にしたらいいよ。上手くなるよ。

グループを4つくらいやめた

いろいろ重なっていっぺんにいろいろやめました。

そういう巡り合わせ、縁だったんだと思います。

今ほとんど自分でやってる企画以外ない感じなので、割と暇です。何か一緒にやれそうなことあれば誘ってください。めんどくさいと思いますが。


演奏会振り返り

今年やった演奏会は

1/5蟹笛ライブ

1/19合唱団エレウシス

1/30トム・ウェイ氏ライブ

2/11フォンス・フローリス古楽院発表会

3/15Tenores de Tokyo

3/18カペラ目黒美術館コンサート

3/30バッハカンタータアンサンブル

4/19サレガマパダミサIII

5/18合唱団そら

6/23.29Salicus Kammerchor第10回定期演奏会

9/23サレガマパダミサIV

10/11ヴォーカル・アンサンブル アラミレ

10/19バッハカンタータアンサンブル

11/15.22Ensemble Salicus

となりました。ご来場くださいました皆様、誠にありがとうございました。

本番は月2回でも多いなあと感じてるので、今年くらいがちょうどいいと思ってます。どれもよく準備できたと思います。

あと今年の経験として大きかったのは2回のインド音楽合宿とグレゴリオ聖歌合宿でしょうか。

これらはまじで凄いので皆様オススメです。インド音楽合宿は寺原さんのとこにレッスンに行けば案内が来ます。グレゴリオ聖歌合宿はヘクサコルドWSに来れば案内が来ます。


私の活動の中心にあるのは、「失われた西洋の歌の再創造」にあるので、それを実践しているサレガマパダミサやサリクスの演奏活動、そしてその文化の再創造としての営み、ヘクサコルドWSやエレウシス等での教授活動が二本立てになってます。

なにしろ「失伝した文化」なので、今の人には理解されづらいというのが悲しいところなのですが、300年後に実を結ぶかもなとか思いながらやってます。

そんなわけでサリクスの活動も10年経ちましたがいまだにカツカツで情けない限りでございます。

毎年この時期に行っている定期会員募集も今日が締切ですが、目標には遠く及ばず・・・。

今年の会員募集は主に再来年以降の出演メンバーの増減に関わってきます。メンバーが減ってたらお察しください(涙

最後の1日ですが、こちらどうぞよろしくお願いいたします。

https://salicus.thebase.in/items/127778351

それでは皆様、2025年も大変お世話になりました。

良いお年をお迎えください。

サレガマパダミサIV

カニササレアヤコさんとの企画第4弾です。

ミサをグレゴリオ聖歌で最初から最後まで歌うという、一見超シンプルなプログラムです。

ただ歌に加えて、タンプーラと笙が一緒にやるというのが珍しいですね。


タンプーラ

最近ありとあらゆる私の出没するところでタンプーラの音が流れてますので、耳馴染みのある方も多いかもしれませんが、タンプーラというのはインドのドローン楽器です。

ドローンなので同じ音がずーっと鳴り続けます。なのに撥弦楽器というちょっと変わった楽器です。弦を弾く楽器は音が減衰するので一見ドローンにはふさわしくないようですが、むしろだからこそそこに呼吸が生まれて、その空間の中で旋律を歌うのが容易になります。

なぜインドの楽器をグレゴリオ聖歌に用いるのかというところですが、現状のわたしの考えでは、1000年前のグレゴリオ聖歌の有様というのは、現代のインド音楽に非常によく似ています。

1000年前のグレゴリオ聖歌の歌い方を再創造するのに、インド音楽は大変参考になります。

そういった経緯でインド音楽をここ数年学んでいまして、私がグレゴリオ聖歌を歌うときには大体いつもタンプーラが鳴っています。

1000年前のグレゴリオ聖歌実践に、ドローンがあったかどうかは定かではありません。ただそういう実践がまったくなかったとも言えません。というかかなり多くの点において「そうでなかったとは誰も言えない」状態なので、なんでもできるんです。いいでしょ。古楽って。


笙は雅楽で用いられる人力リードオルガンみたいな楽器です。主に和音を担っていますが、旋律も吹けます。カニさんはエレクトリカルパレードとかいろいろ吹いてます。

いやこれバカテク。

それでインドにもハルモニウムというこちらもある意味人力(手でふいごパフパフしてるので)リードオルガンがあります。

これは歌の伴奏によく使われていて、歌の旋律をなぞったり、合いの手を入れたりしています。

またシュルティボックスという楽器はハルモニウムから旋律の機能をそぎ取ったような楽器で、タンプーラ同様ドローン楽器です。

それで、このハルモニウムやシュルティボックスのような役割を笙でやってもらえないかという発想で生まれたのがこの企画です。


アーラープ

更に2回目からは、インド音楽においてタブラの入らない自由リズムのセクション「アーラープ」を挿入するようにしています。

アーラープはラーガを召喚する呪文みたいなもので、雅楽的には調子、トッカータとかプレリュードとかそういったものに近い役割です。

でなぜそれをグレゴリオ聖歌の合間にやるのかということですが、まず私は「グレゴリオ聖歌はラテン語のついたアーラープ」だと思ってます。そのくらいよく似ています。

そしてミサを歌うのに、グレゴリオ聖歌の場合は、例えば入祭唱は第1旋法だけど続くキリエは第8旋法、というように、1曲ずつ旋法がどんどん変わっていきます。

なにもなしにこれをどんどん切り替えて歌っていくのって実は結構難しいんですが、この旋法が切り替わるところにアーラープを挿入することによって、続く旋法の雰囲気をあらかじめ作ってしまおうということなんですね。

このアーラープに関しては今回もバーンスリー奏者の寺原太郎さんにプロデュースいただいております。


各曲について

毎回(誰にも気づかれないような)新たなチャレンジを少しずつやっていますが、今回も新しいことが結構たくさんあります。

まずひとつ大きいのはタンプーラの調弦を途中で変える、というところです。過去3回はずっとタンプーラはpa-sa-sa-saの調弦でやっていましたが、今回は一部ma-sa-sa-saでやります。これなかなかガラッと雰囲気が変わるので、聞いていて新鮮に感じられると思います。

なぜそういうことになったかというと、タンプーラをmaにチューニングするラーガのアーラープをやるからで、つまりそういうラーガに挑戦するのも今回が初めてとなります。

以下できるだけ短く各曲について演奏メモを書いてみます。聞いてるだけだと絶対誰にも伝わらないような工夫ばっかりですが、ちょっとでもわかると聞いてて楽しいと思います。

(初!)としているのはこれまでやってこなかった新たな要素です。

1. 即興 笙
D-Aで終わるということだけ決めてます。


2. 入祭唱 Introitus 声とタンプーラと笙

tuttiで歌うところに笙で和音を入れてもらいます。和音を入れるという意味で、笙を笙扱いしているといえます。


3. キリエKyrie 声とタンプーラと笙

交互唱です。声と笙が交互に旋律を歌います。

(ここでタンプーラをmaに)(初!)


4. 双調調子 笙

雅楽においてアーラープ的な役割を果たす調子をそのままやってもらいます。今回は双調(初!)の調子です。


5. グロリアGloriaと双調調子 声とタンプーラと笙

そのままタンプーラが加わり、グロリアを歌います。笙がマディアムセです(初!)。マディアムセというのはマをサにするということで、歌はDの音がfinalisなのですが、笙はGが主音です。なぜそんなことになっているかというと、簡単に言えばそのほうがいい感じだったからです。笑


6. 集祷文 Collectaと双調調子 声と笙
7. 使徒書朗読 Epistolaと双調調子 声と笙

調子が続く中、そのまま祈祷と朗読に入ります(初!)


8. アーラープRaag Gorakh Kaliyan 声とタンプーラ

続くGradualeが第8旋法で、これはfinalisとdominantの関係が4度のソ旋法です。これに合わせたGorakh Kaliyan(初!)はまさにそれにピッタリで、どこからがグレゴリオ聖歌なのかにわかにわからないと思います。(歌詞が聞き取れればわかります)


9. 昇階唱 Graduale 声とタンプーラと笙

tuttiの部分の旋律を笙で重ねます。つまりハルモニウムのような感じに吹いてもらいます。

(ここでタンプーラをpaに)


10. アレルヤ唱 Alleluia 声とタンプーラと笙

9と同じ感じ。


11. 続唱 Sequentia 声とタンプーラと笙

3と同じく交互唱ですが、Sequentiaなので、奇数節と偶数節が同じ旋律です。つまり歌で歌った旋律をそのまま笙で吹いてもらうということで、その意味でちょっとだけハルモニウム的です。


12. 福音書朗読 Evangelium 声とタンプーラ

普通に朗読します。ちなみにミサには司祭と会衆との受け答えのシーンがありますが、その会衆の部分はカニさんに歌ってもらいます。


13. クレドCredo 声とタンプーラと笙

こちらも声と笙の交互唱。

(ここでタンプーラをmaに)


14. アーラープRaag Bagheshri 声とタンプーラ

続くOffertoriumは、ラーガ的視点からすると途中で違うラーガに変わっている雰囲気なのですが、そこから逆算してその前の展開を考えるとBagheshri!ということでこのラーガに決まりました。なんとアンタラ(アーラープのセクションで音域が高い)までやります(初!)。


15. 奉納唱 Offertorium 声とタンプーラと笙

これも確か旋律を重ねてもらいます。


16.叙唱 Praefatio 声

本プログラム唯一のアカペラです。


17. サンクトゥスSanctus 笙

グレゴリオ聖歌を笙だけでやってもらうのはこの曲だけです。キーがBになります(初!)。


18. 主の祈り Pater noster 声とタンプーラ

これは前からのつながりと、カニさんの音域のこともありマディアムセです(初!)。結構高めのキーになります。


19. アーラープRaag Bhairavi 声とタンプーラと笙

Bhairaviというのは本当に面白いラーガで、ミ旋法なのですが、オクターブの12音全て使います。なのにミ旋法です。その上普通はタンプーラはパでやりますが、なんとマでもできます。ホント不思議。普通はタンプーラが変わったら別のラーガになってしまいそうなもんですが、それでもBhairaviだと言えるほどに、このラーガのキャラクターが濃いのだと思います。MaのBhairaviをやるのは今回が(初!)です。


20. アニュス・デイAgnus Dei 声とタンプーラと笙

笙は和音を吹いてもらいます。


21. 聖体拝領唱 Communio 声とタンプーラと笙

ミ旋法からソ旋法への連結で、普通はとても難しいはずなのですが、その前のBhairaviで色んな音を歌っているので、なぜかすんなりとソ旋法の世界へと入っていけます。こういう連結も(初!)


22. 聖体拝領後の祈り Postcommunio 声とタンプーラ

Maのタンプーラで祈祷をやります(初!)


23. 終祭唱 Ite missa 声とタンプーラと笙

第1旋法なので普通はタンプーラPaの方が合うのですが、Maでやります(初!)。よく知った旋律がちょっと違うふうに聞こえます。


24. 即興 声とタンプーラと笙

何も具体的に決まってませんが、これも笙はマディアムセしてもらって最後タンプーラのMaをoffにしてSaで終わろうかななどと思ってます。そうなるとは限りません。笑
もしそうなったら(初!)


ということで4回目なのですが、意外と初めての試みがいっぱいあります。聞いてて誰がわかんねんというような違いばかりなような気がしますが、やってるほうとしては本当にこれ面白いんですよねえ。
毎回、「その手があったか!」の連続で楽しいです。次回は楽器が増えるかも!?なんだって!?

お楽しみに!


サレガマパダミサIV
笙とタンプーラと歌うグレゴリオ聖歌

2025年9月23日(火祝)15時開演

@大森福興教会

一般3500円 学生2000円(当日+500円)

演奏曲:悲しみの聖母の祝日のミサ

出演:櫻井元希 カニササレアヤコ

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdloXZzCnlSCq5sT2HqsBsCM6Cg4BEkJj5gfc24hYIOPcR1dg/viewform

今後の展望

今月はサリクスの第10回定期演奏会があります。

今回はグレゴリオ聖歌だけの演奏会ということで、

「西洋音楽の原点にして頂点」

というキャッチコピーを今更思いついたのですが、チラシに載せればよかったですね。

いつもサレガマパダミサとかでは一人で歌ってるところ、より本来的にみんなで歌えるという喜びを感じております。

特にキリエとかで交唱して最後tuttiになるところとか、やっぱこれよねって感じがします。

私がやってるあまりにも現代人には難しすぎるグレゴリオ聖歌の歌い方をみんなにやってもらっているので、そういう意味では超ハードルは高くて、これまでの中でも最もチャレンジングな企画であると思っています。

もう4回リハしましたが、徐々にグレゴリオ聖歌になっていっています。あと5回のリハで更に素晴らしいものになると思います。

特殊発声を要求される現代曲よりも歌い手にかかる負荷は大きいのではないかと思ってますが、その分より多くの人に聴いていただきたいという思いも強いです。

これからのサリクスの行く先を示す羅針盤となる演奏会になりますので、皆様ぜひ会場にお越しください。


Salicus Kammerchor第10回定期演奏会

「モノフォニー→ポリフォニー」vol.1
グレゴリオ聖歌 〜キリスト教の単旋律聖歌〜

日時・会場:
2025年6月23日(月)19時開演 日本福音ルーテル東京教会
2025年6月29日(日)14時開演 千葉市美術館 さや堂ホール

​チケットお申し込み:
https://t.livepocket.jp/t/salicuskammerchor10th


斉唱団

この演奏会のプログラムにも書いたのですが、今回合唱って1曲もなくて、全部斉唱なんですね。

なので合唱団じゃなくて斉唱団だなあと思ったのですが、これに相当する訳語ってなんなんですかね。

いやあchorはchorな気がしますね。日本語でいうと合唱の定義って「複数の人が複数の声部に分かれて各々の声部を歌う声楽の演奏形態」らしいのですが、chorって斉唱しててもchorだと思うなあ。

それで思いついたのは、斉唱団作りたいなあってことで、グレゴリオ聖歌しか歌わない合唱団ってことですね。

日本斉唱団とかどうですかね。多分日本に他にないと思うので。


いろんな階名で歌おう合唱団

それとは別に、いろんな階名でそれぞれの階名が生み出した合唱曲を歌う合唱団も作りたくて、まあいろんなといってもヘクサコルド、ヘプタコルド、ファソラ法がメインで、サレガマ(厳密に言うと階名ではない)もちょっと触れるくらいになるかと思いますが、それでもかなり面白いんじゃないかと思います。

インド音楽にも合唱という概念は基本的にないので、これも斉唱になるかと思います。

コエダイの企画でいろんな階名で歌おうワークショップを以前やったのですが、それを継続的にやって、ゆくゆくは演奏会もやってみたいなあという感じです。

ヘクサコルドで産業革命以前の西洋音楽を、ヘプタコルドで産業革命以後の西洋音楽を、ファソラ法でシェイプノート聖歌(Sacred Harp)をやるという感じですが、レパートリーはやっぱりキリスト教音楽でまとめようかな。その方が比較がしやすいだろうし。

ローリゼンとかウィテカーとかやっちゃおうかなあ。

ほんとうの意味で、階名の力を世に発信していける団体になるのではないかしら。


ヘクサコルドWS

来月から東京講座は2周目、京都講座は3周目に入ります。

ちょうどキリのいいタイミングなので、新しく始めようと思っている方は今がベストなタイミングです。

両講座とも2つの旋法を比べてみようということで進めていきます。

京都講座はムタツィオありで第1第6旋法を比較、東京はムタツィオなしです。

京都講座は日程決まってますが、東京の方は今調整中なので、間に合えば調整からご参加ください。

京都講座のチラシ、有田さんが素敵なのを作ってくださっています↓

お申し込みはこちらから↓

東京の方は相変わらず簡単なチラシですみません。

お申し込みはこちらから↓

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSesWlDzbuyYFQ44zzTcYQnzdnmDrxID-PFWAcO1-l2P4PwDoQ/viewform

東京講座は3周目(多分来年春以降)からは初級、中級、上級に分けようかなと思っています。

ほんとに初歩の初歩、6つのシラブルと音程を結びつけて覚える、というところで躓いている人が多いように見受けられるので、毎月初級講座やったほうがいいなと思いました。

初級:ムタツィオなし J-POPをヘクサコルドで歌ってみよう
中級:ムタツィオあり 2声のポリフォニー
上級:教本にないグレゴリオ聖歌も 4声のポリフォニー

こんな感じかなあとぼんやり計画しております。

失伝した西洋の歌を再創造して、その文化を根付かせるという気の遠くなるような活動をしておりますが、道筋はもう観えてますので、応援いただけると嬉しいです。

この道をどのくらいの速度でいけるか、私が生きているうちにどこまで進めるか、皆様の応援にかかっていると言っても過言ではございませんのでどうぞよろしくお願いいたします。

古楽と教育

先日広島に帰りまして、15年ぶりに広大の同級生に会いました。

長谷川諒という音楽教育学ユーチュバーです。

対談動画を撮りました。

なんとノーカット完全版ですんごい長いので、通勤通学のお供にラジオ感覚で見ていただければと思います。

動画で1時間弱喋って、その後も2時間位喋ってて、別にそれも撮っとけばよかったんじゃないかと思ったのですが、そこで喋ったことや、その後考えたことなんかを書いてみたいと思います。


古楽

この動画の中で、「文化としてのクラシック音楽」「ジャンルとしてのクラシック音楽」と言っているのは、下記記事で書いているところの「西洋クラシック音楽」「西洋伝統音楽」にあたろうかと思います。

https://bit.ly/3VwmBGr

1年前に書いた記事ですが、われながらよくまとまった記事だと思います。

動画では古楽についても「思想としての古楽」と「ジャンルとしての古楽」という言い方で分けてますが、後者については単に「バロック以前の西洋音楽」と私は意図していて、ちょっと諒ちんの解釈とはすれ違っています。

前者の「思想としての古楽」は下記ちょっと動画を切り抜いてみましたが、ここでも言っている通り、何ら特別なことをしてるわけではなく、ただ音楽してるだけです。

https://youtube.com/clip/UgkxTjspHKpRFDiIc2WD6molzK8MqR6SL4TH?si=l-aS-kN8TxmeKqxj

じゃあそうじゃない古楽は一体どうなってしまったかと言うと、音楽にに近づこうとすることをやめて、思考停止で、古楽ってこんなもんでしょ?これでいいんでしょ?これが気持ちいいんでしょ?ってなっちゃってるんですよね。

これはまさに諒ちんの本の中で出てきている他律的態度なんです。自分が「これが良い」って思ってるんじゃなくて、既存の価値観によっかかってるだけなんですよね。

これを古楽のクラシック化と呼んでます。(念の為に言いますと、ここで言うクラシックは「文化としてのクラシック」です)

この話の流れですのでもう伝わってるかと思いますが、私は「文化としてのクラシック音楽」も「クラシック化した古楽」も、音楽ではないと言っています。

上の「西洋伝統音楽」と「西洋クラシック音楽」と「古楽」では極限までトゲを取り除いてお話していて凄いなあと思うのですが、オブラートに包まず言いますと、結局言いたいことはそういうことです。

60年前にわざわざ音楽のことを「古楽」と言わなければならなかったのか。それは「新即物主義の音楽」に対して、それは音楽じゃねえって言いたかったんだけど、言えなかったから、わざわざ新しい概念を生み出さなければならなかったんだと思います。

そういう意味で、思想としての古楽は、ジャンルの垣根を超えて、あらゆる音楽に適用可能です。

いや、ほんと当たり前のことなんですけどね、普通に、音楽やろうぜっていう、非常にレベルの低い話で。他のジャンルの人から見たら、ほんと馬鹿馬鹿しいくらいに。それくらい古楽の立場から見れば、それ以前の西洋クラシック音楽は迷走していた。

そんなわけで最近はジャンルとしての古楽(バロック以前の西洋音楽)を超え、古典派やロマン派の音楽にも古楽のムーブメントがスライドしています。

わざわざそういう時、「古楽アプローチによる」とかっていう宣伝文句がついたりしますが、これは「実力派シンガー」みたいな謎文句です。(実力のないシンガーはシンガーですか?)

普通に音楽するぜ俺たちって言ってるようなもんです。

そんな当たり前のことを言わなければならない状況が未だにあるということでもあります。

それでまあジャンルとしての古楽やるのに、ヘクサコルド使おうぜって私が言ってるのは、書道やるのに筆使おうぜって言ってるようなもんなので、さらに当たり前というか、さらに低レベルのことですので、ほんと難しいことなにもないのでただ、ヘクサコルドを手にとって、それでまず一本線を描いてください。

それもまた、このあと書いている洗脳がとけないことには難しいのかもしれません。

https://genkisakurai.base.shop/items/80946072


教育

動画後半で教育の話になってまして、私が教育の世界から足を洗ったキッカケの一つについてお話ししています。

「教育は正しいことを教え、洗脳は間違ったことを教える」

これを聞いて私は「へえ、教育って洗脳だったんだ、やーめた」ってなっちゃったわけなんですが、これしかし確かに定義としては全然間違ってないと思います。

教育ってそうならざるを得ない。

ただ問題はその教育なり洗脳の目的で、宗教団体の場合はそれがお布施を集めるためで、「公教育」においては税金を集めるためなんですね。

端的に「公教育」の目的って「優良な納税者を大量生産すること」で、だから教育が公である必要があるんですね。

諒ちんの本「音楽科教育はなぜ存在しなければならないか」は、「公教育における」という条件付けのもとだと解釈してますが、それならまず「公教育はなぜ存在しなければならないか」を問わないといかんのやろうと思います。

だから次回作でぜひ書いてねということを推しておきました。

ちなみに私自身は公教育が存在しなければならない理由は我々の側にはないと思ってます。

なので公教育の中に音楽科がある必要はないと思うけど、教育の中に音楽は必要だと思ってます。それは我々のようなマイノリティに対して、悪いのはあんたじゃないよってことを教えてくれるからです。

諒ちんは音楽科の存在意義について、「非他律的態度の醸成」と言っていて、それ自体は賛成なのだけど、公教育の目的はむしろ逆なのですよね。

「これが答えだ。何も疑問に思うな。義務を果たせ」

なので現状の音楽科教育は公教育の目的に適ってるんですよね。

「ベートーヴェンは偉いのだ。お前がどう思おうと関係ない」

それを盲目的に実践できる先生もいるだろうけど、そうでない音楽科の先生が、現状のシステムの中でなんとか自分がやってることに意味を見出せるように、というのが諒ちんの意図の一つなのだろうし、それはそれで意味のあることなのだろうと思うけど、私からすると、それって大きな船の中で進行方向の反対側に匍匐前進するような虚しさを感じてしまう。(個人の感想です)

しかしだからといって、その大きな船の行先をどこに変更したらいいのかは私もわからないし、多分まだ誰もわかってない。

それは、社会の仕組みそのもの、自由主義、資本主義、民主主義を変えないといけないから。

この3本立ての洗脳のもとでは、公教育は今の目的を変更することはない。公教育はこの3本立てのために必要不可欠だから。

トランプやイーロンマスクや立花孝志や斎藤元彦や石丸伸二を生み出したのはこの3本立てだということを忘れてはならないと思う。

じゃあ共産主義なのか、社会主義なのか、と言われそうですが多分それらでもない。人間はまだ社会の在り方について答えを出せていないし、多分今後も答えは出ないんだと思う。

それは音楽と同じではなかろうか。

辿りつかない音楽に少しでも近づこうとする営みそのものことを音楽と呼ぶように、辿りつかない「理想の社会」に少しでも近づこうとする営みそのもののことを「政治」というのではなかろうか。

だから問うことを辞めたらだめなんだと思います。たとえ答えに辿り着かないということがわかっていたとしても。

「私たちを突き動かすのは、疑問よ」ってトリニティも言ってるじゃない。

洗脳というやつが、いかに解き難いものかというのも、マトリックスは教えてくれてますね。

また、洗脳が解けたとしても、洗脳されている方が幸せだと、またマトリックスの中に戻っていく者もいます。

Wake up.