「私の言ってること、わかりますか」

最近伊藤亜和さんのエッセイにハマってます。上記タイトルはエッセイ集のタイトルで、「言葉」というエッセイの中から取られています。

ツイッターでこれ読めるのすごない。

3月に御殿場行ったとき、ちょっとした待ち時間でツイッター見てたら流れてきて、その場で本買いました。

これだけさらけ出して、これだけ優しい言葉で、これだけ品のある文章書ける人がいるんだなあと衝撃を受けました。

このエッセイ集結構薄いのですが、ひとつひとつの読後の余韻が凄すぎて、まだ最後まで読めてません。


今週末は珍しく忙しくて、木曜に9-21時の10hレッスンをやったあと、金曜はBUGAKUスピンオフ、土日は朝昼夜6コマ稼働という感じでした。

10hレッスンについてはコチラに書いてます。

BUGAKUスピンオフは今回いつにもまして盛り沢山で、初めて参加された方は大変だったんじゃないかと思いますが、わたしは超楽しかったです。

その中で、「量子力学なんて低レベルなものがなんで流行るんだろうね」というお話があって、うん。むしろ低レベルだから流行るんだろうなと思いました。分かる人が大勢いないと流行りようがないですもんね。

わたしも音楽の領域で似たようなことを感じることがありますが、なかなかそうハッキリとは言えないのがわたしの未熟さでございます。

今回の講座で一番大きな収穫であり今後の課題だと感じたのは、「音声は感覚体から、文字は客体から生まれる」というところでした。そして感覚体から生まれた音声も、客体から生まれた文字も、生まれた後に、物理的身体や思惟的身体で理解されるようになると、物理化、思惟化する。

わたしの専門領域にあてはめますと、古ネウマは客体から生まれたが、譜線に乗せた瞬間に思惟化したのだと、そう言えるなと思いました。

階名がただの音程を測るものさしに成り下がるのも同じ仕組みかと思います。

線の世界の稽古をしていくモチベがまたぐっと上がりました。

こういうことを書いていても、「わたしの言ってること、わからないだろうな」と思ってます。


光岡先生のやっていることよりは、わたしが教えたり伝えたりしていることは余程低レベルなので、まだわかりやすい部類だと思いますが、それでも一般の人には難しすぎるのだということを、この週末思い知りまして、今反省しているところであります。

土曜日朝日本斉唱団、昼お呼ばれのWS、夜合唱団エレウシス

日曜朝サリクス会議、昼古楽院講座、夜ヘクサコルドWS上級

という週末で、斉唱団やエレウシスではほんとに地道にちょっとずつちょっとずつ稽古しているので、着実に実力がついていっているのを実感しているのですが、2時間でチプリアーノ・デ・ローレのマドリガーレをWSお願いしますというのはやっぱりなかなか難しかったです。

産業革命以前の西洋音楽に関しては、とにかくヘクサコルドをやらないと何も始まらないと思っているので、それをやるのですが、チプリアーノ・デ・ローレなんてもう例外だらけで、基本を知らないのにいきなり例外から入るというのが無茶でした。すごく特別なことをたくさんやってるんだけど、何が当たり前かわからないと何が特別なのかもわかりません。

そんなわけで2時間でやるなら別のアプローチをすべきだったのかとも思いますが、とは言えわたしに依頼してくださっているというのはそれを期待されているということでしょうし、やっぱりヘクサコルドを抜きに別のことをやったところでもうそれは付け焼き刃以外の何物でもないですし。いや、付け焼き刃の方がマシということもあるかもしれませんが、なかなかそれはもう性分が許さないかも。

日曜の古楽院は今年度3回目で、「リズムと抑揚」というテーマでした。古楽院講座はルネサンス音楽をやる上でわたしが教えてることを網羅的にやってますので、ヘクサコルドもやった上でリズムの話をしています。ヘクサコルドに比べれば抑揚の話は非常に単純で、なにしろ「抑」と「揚」しかありませんので実践が容易です。なので2時間WSでとりあえずなにか得たいという場合にはこっちのほうがよかったのかなあなどと考えていました。これやるとひとまずなんとなく生き生きとした感じにはなるので。

夜のヘクサコルドWS上級では古ネウマをもとにしたグレゴリオ聖歌の歌いまわしと、デュファイの3声のモテットをやりましたが、これもちょっと上級過ぎたようです。

いつもこういう講座をやるとき、「この内容だと時間が余るかもしれない」と思ってます。この見立てがいつも外れていて、いつも時間が足りません。

いや、わかってるなら改善しろよという話なんですが、いつもメンバー違いますしね、なかなか読みが合わないんですよね。

というわけで今回のシリーズは1回で「レ旋法」の2つの旋法をやる、という予定でしたが、やはり1つずつ旋法を取り上げていこうと思います。順番通り第1旋法から。

そしてヘクサコルドWSについては、多分わたしの言ってる意味は伝わってると思います。ただそれを実践するのが難しいだけで。なので内容を少なめにしてひとつひとつにかける時間を増やせばいいのかなと思います。

実は先週先々週立教大学でゲストスピーカーとしてグレゴリオ聖歌とビチニウムを教えに行ったときも同じことを感じてまして、つまりわたしが教伝したいことは難しすぎるんですよね。

数時間で何かが得られるようなインスタントなことじゃなくて一生かけて稽古していくような類のことなので、なかなか入口の敷居を下げるのが難しい。

だからこそやりがいがあるとも言えるんですけどね。

なんかネガキャンにしかなってないような気がしてきましたが笑、難しいけどいい演奏するためにはやるしかないことだし、非常にやりがいもありますので、ぜひやりましょう。


気軽にボイトレ受けたいなら→オンライン・ショート・ボイトレ

グレゴリオ聖歌やるなら→日本斉唱団

産業革命以前の西洋音楽やるなら→合唱団エレウシス

ルネサンス音楽の基礎を網羅的に学ぶなら→古楽院講座

しっかりヘクサコルドに取り組むなら→ヘクサコルドWS

プロレベルを目指すなら→サリクス研修所

10hレッスン vs 15minレッスン

本日初めての試みということで、1日で10時間1人をレッスンするということをやってみました。

カレー2食付きで。

これあね、すっごいよ。すぅぅぅっごいよ。

信じられないくらい上手くなったー!素晴らしいー!お見事ー!(発狂)

特に最後1時間の伸びがもうすごかった。

1日かけてじっくり身体を整えながらつきっきりでやるって、そのくらいやらんと本来あかんのだろうなとも思いました。

元をたどると、昨年インド音楽の合宿に参加しまして、そこでは同じように1日10時間(以上)インド音楽をひたすら稽古して、カレー食べてっていう生活で最高です。こちらは寺原太郎さんが定期的に企画されているので、そちらをチェック!多分レッスン生限定なのでまずは西荻でやってるレッスンに参加されることをオススメします。

太郎さんのウェブサイト→https://srgmtaro.jimdofree.com

それでグレゴリオ聖歌で同じような合宿やりたいなと始めたのが「タンプーラと歌うグレゴリオ聖歌合宿」で、これが昨年11月と今年5月に開催し、これまたガッチリ手応えを得ました。超楽しかったしみんな本当に上手になった。(こちらはサリクスメンバー、研修生、旋法とヘクサコルドWS受講生、日本斉唱団、合唱団エレウシス限定です)

こういった合宿では1日10時間(以上)稽古し続けるということが出来るのですが、なかなか独りでは難しいところがありますよね。こういう生活を毎日できたらほんとみんな超人になると思うよ。

ということで、私個人としては、2週間に1回、もう手帳に「セルフ合宿」書いちゃって、その日は稽古以外のことはやらないと決めて9時から21時まで稽古するということにしました。

家にずっといる日でも、大抵稽古以外のことをしなきゃいけなくて、ずっと稽古し続けるって難しいですからね。

なので、これが出来る人はこれがオススメです。グレゴリオ聖歌合宿でやってるようなメニューを自分で組んでやってみてください。ロングトーンやって、チャランを全ての旋法やるってだけでも多分10時間なんてあっという間に過ぎます。

しかし!とはいえそれも難しい人がいるのはよくわかるので、そんな人のために今回の1day10hレッスンを企画しました。

今のところサリクスメンバーor研修生限定なので、受講したい人はまず研修生オーディションにエントリーしてください。(申込締切7/15)

詳細・お申込み→https://forms.gle/nEf3ikrHRXZqxRxS7


それと全く対照的なレッスン企画をこの度スタートさせます。

オンライン・ショート・ボイトレです。

こちらは月に4回、15分だけオンラインでサクッとレッスン受けるチョコザップ的な企画です。

これはこれで、人によっては利用しやすく効果が出やすい形なのではないかと思います。

一般的な、2週間に1回とか1か月に1回1時間や2時間のレッスンを受けるという形は、そこで習ったことを上手く消化して日々の稽古に臨める人にとっては効果的でしょう。

しかし多くの人は、まずレッスンに行ったということでまず満足してしまって、なんもしない。

か、あるいは色々習ったけどどれを優先的にやったらいいかわからない、どれやろっかなーって思いながら、なんもしない。

レッスン受けてもなんもしなかったら上手くなりませんからね!

なので人によっては、今週はとりあえず「コレ」やってください。でスパッと提示してもらえたほうが、特にまとまった時間が取れない、スキマ時間で稽古するタイプの生活をしている人にとっては効果的ではないかと思います。

そしてこれは、コロナ禍で合唱稽古ができなくなり、オンラインで一人ちょっとずつレッスンした結果半年でみんな驚くほど上手くなってしまったという実績のお墨付きがあります。

なので一般の方はこういうショートボイトレおすすめです。

ガチの方は研修所にどうぞ!

オンライン・ショート・ボイトレ詳細・お申込み→https://forms.gle/WG88FRGa63rMFqhh7
(ただいまサブスク会員募集中、単発は6/16からです)

インド古典声楽とグレゴリオ聖歌

先日開催いたしましたイベント、「インド古典声楽とグレゴリオ聖歌〜研究発表的レクチャーコンサート」ですが、ご要望がありまして、録画を販売することとなりました。

料金はお手頃価格のの1500円です。

レクチャーと演奏合わせて1時間40分ほどの内容となっております。

お申込みはこちら→https://forms.gle/KAB1yED3WSEx6HgcA

ツイッターでお声がけさせていただいたところ、思わぬ反響をいただきまして、2−3個売れたらいいなあと思っていたところ、すでに20名ほどの方にお申込みいただいております。

おそらくですが、演奏会であれば生演奏派の方も、レクチャー部分に興味を感じていただけているのではないかと思っています。レクチャー部分に関しては生でも録画でも得られる情報には違いが少ないと思いますので。

私が6年間ほどインド音楽のレッスンに通いまして、それをグレゴリオ聖歌の演奏にどのように活かしているかということについて赤裸々にお話しております。

後半の演奏部分では太郎さんのバーンスリーが本当にすごいことになっています。

大森の教会の響きがこれほどバーンスリーにぴったりだとは思いませんでした。

神がかった演奏です。

太郎さんのチャンネルからショート動画が上がっています。

パンフレットもついてます。

パンフ冒頭に書きましたまえがきを貼っておきます。ご興味持たれた方はぜひ録画をお求めください。

お申込み→https://forms.gle/KAB1yED3WSEx6HgcA


 グレゴリオ聖歌が楽譜として残され始めるのは9世紀から10世紀のことです。この単旋律のレパートリーが、西洋音楽の源泉と呼ばれるのは、まとまったレパートリーとして楽譜が残っているものとして最古であるからですが、その後もこのレパートリーは、現代に至るまで歌い継がれています。その間グレゴリオ聖歌は不変のものではなく、時代や地域の価値観の変遷に合わせて変化し続けています。ルネサンス期にはルネサンス風の、バロック期にはバロック風の、ロマン期にはロマン風の編曲がなされ、同じ曲であっても同じとは思えないほどの改変がなされることもありました。
 その都度その時代の歌いまわしも変化し、記録としての楽譜は残っているものの、録音技術が発明されるまでは、実際にどのような歌であったか、はっきりとはわかりません。特に最古の記譜法である「古ネウマ」に書かれている歌いまわしについては、わかっていることはほんの一部で(少なくとも私の目から観ると)、その全体像は完全に失伝してしまっていると言えます。西洋音楽の源泉という大仰な看板を背負いながら、実際それがどういうものだったのかはよくわかってないのです。
 私はこの「古ネウマ」を初めて見たときに「私は一体今まで歌の何を学んできたのだ。ここには歌のすべてがあるじゃないか」と感じました。それくらい「古ネウマ」は五線譜に親しんだ人間にとって、衝撃的に情報量の多い記譜法です。
 この「古ネウマ」で書かれた時代のグレゴリオ聖歌の「歌」、つまり「失伝した西洋の歌」の再創造が私の活動の大きなテーマであるのですが、その途上で出会ったのがインド古典音楽です。バーンスリー奏者の寺原太郎さんに習い始めて私は、「古ネウマ」と出会ったときと同様に、「私が今まで学んできた歌は一体何だったんだ」と白目を剥きました。それはもうカンブリア紀並に、歌の世界が広がり、旋律に対する解像度が爆発しました。その結果今では「古ネウマ」に書かれているのは歌の1%くらいなんじゃないかと感じています。そして裏を返せばそれくらい五線譜に書かれた情報(音高と音価)というのは断片的で、歌の0.001%位なのではないかと思っています。
 インド音楽を学びつつ、師匠にグレゴリオ聖歌を聴いてもらい、歌いまわしを相談しながら、「古ネウマ」の、特に「装飾ネウマ」と呼ばれるタイプのネウマについて検討を重ねました。その結果、それぞれの装飾ネウマについて、ある程度確信を持って、こうだったんじゃないかという歌い分けを決めることができています。それが決まったとて(それは歌の1%にも満たないので)、グレゴリオ聖歌がとても美しく歌えるというわけではないのですが、ここでその経緯と結果を一度発表させていただきたいと思います。
 そしてこの営みの中でわかってきた点として、グレゴリオ聖歌とインド古典音楽にどのような共通点があり、どのような相違点があって、いかにインド音楽の発想がグレゴリオ聖歌に活かされるのかということも整理してお伝えしようと思います。
 再創造した「歌」に説得力があって、それをもってこの営みに共感していただくのがもちろん一番なのですが、それを補足するものとして、またなぜそういう歌いまわしに至ったのかという疑問にお答えするという意図もあって、この度のレクチャーコンサートを企画しました。この企画を通して、「失伝した西洋の歌の再創造」の営みの輪に加わってくれる方が、一人でも増えると嬉しいです。