光岡英稔韓氏意拳講座|4回目

先日、また光岡先生の講座に行ってきました。

なかなか土日に都合がつかず最近伺えておらず枯渇気味だったので、久々に吸収できてよかったです。

今回も気づいた点をまとめていきたいと思います。

過去の記事はこちら↓
BUGAKU1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
BUGAKU2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
BUGAKU3回目 https://is.gd/Gm9C17
韓氏意拳講座1回目 https://is.gd/D3RjiJ
BUGAKU4回目 https://is.gd/37Oxg1
BUGAKU5回目 https://ux.nu/AmsQM
韓氏意拳講座2回目https://is.gd/G7l53a
BUGAKU7回目https://is.gd/xiBfFB
韓氏意拳講座3回目https://is.gd/rDRgMX

改めて、ここに書いてあることは、自分の記憶の定着、学びの記録のために書いているという面がかなり大きいです。

全ての文章の最後に「*個人の感想です」を付け加えてお読みください。

でもこの記事を見て、なんか面白そう、私も行ってみようかな、と思ってもらえたら嬉しいです。

光岡先生って「同時代に生きてることが奇跡」レベルの、後の時代の人から見れば伝説の人だと思うので、ひと目会っておくに越したことはない、というかただそれだけで子の世代に自慢できるくらいの人だと思います。

いや、すんごい薄っぺらい言い方ですけど、ここでやってることって真に近すぎて常人には理解できないので、入り口を広くするのが難しいんですよね。

喩えを使って表現することが難しい。

つまりは比類ないということで、喩えようもないぐらいスゲーってことで許してもらえないでしょうか笑


立つ稽古以前の稽古

今回受講した韓氏意拳初級講習会は、韓氏意拳と言いながら、韓氏意拳に導入するための、韓氏意拳以前の内容という感じでした。

站樁も、形体訓練にも至らない韓氏意拳の講座なんて想像もできないですよね。

喩えるなら、一回も声出さない合唱講座みたいなもんです。普通苦情が来そうなもんですが笑、これが成り立ってしまうどころか熟練の受講者をも唸らせる(というのも10年以上韓氏意拳をやられてる方が、これを初学の時にうかがいたかったと仰っていたので)内容なんですよね。

韓氏意拳の基本の稽古である「站樁」というのは簡単にいうと「立つ稽古」なんですけど、このただ「立つ」というある意味超基本中の基本といえる稽古に入るための「基本中の基本中の基本」というのがあるんですよね。

つまり、站樁という立つ稽古を生み出した人間のベースにあった身体観とは何かを知りそれを経験するというのがその内容になろうかと思います。

わかりやすいのは「背もたれを使ったことのない人間」の身体観です。王向斉も韓星橋も、背もたれを使って座っているのを見たことがないそうです。

そういう人間が立っているベースラインを知らずに、彼らの編み出した基本の稽古に入ることはできない、ということだと思います。

これはもちろん韓氏意拳のに限らず、歌でもなんでもそうだと思います。

教える側の「当たり前、言うまでもないこと」に教わる側が至っていない場合、何を教えても効果がない、ということはよくあります。

まずはそこに至るまでの道筋を教えて下さいという感じなのですが、自分の当たり前を教えるのって難しいんですよね。

「どうやってるんですか?」

「うーん普通にやったらこうなるからなあ」

「いや、なりません先生・・・」

ここで止まってしまうこと多いですよね。


座るように

立つ稽古である站樁を教える時に、代々言われるポイントとして「座!」(座るように)というのがあります。

中国は椅子文化なので、この場合座るというのは地面にではなく椅子に座るようにということです。

ということで座るというのがどういうことなのか、ということが「立つ」ことを知るためのきっかけになるのだと思います。

座っている状態というのは足ではなくお尻に体重が乗っているということで、この体重を足の方に移動させていかなければ立つことはできない。

講座では具体的に、座っている状態から立つためにはどういう条件が必要なのか、足の角度、立つための順序、どこから立てて、どこまでは立てないのか、を丁寧に見ていきます。

また同様に、四足歩行から二足歩行に進化していった過程で身体観がどう変化していって、どういう過程で、どういう条件で立つということが成立したのかということを見ていきます。


四足歩行の経験

生物が四足歩行を始めたのが3億5000万年前、人間が二足歩行を始めたのが400万年前だそうなので、まだ「立つ」ということが不慣れなのもしょうがない、四足歩行から二足歩行を捉えることで、「立つ」ということがどういうことなのか経験しましょう、というようなことだと思います。

四足歩行における四肢の連動を、「交差歩行」「同側歩行」「前後歩行」から経験し、椅子から立ち上がる際の四肢の連動と照らし合わせていきます。

四足歩行の3つのタイプはいずれも前足から動きが始まります。これを経験したことが私にとっては大きかったです。

立ち上がる時、座る時、いずれも前足から動きが始まるようにすると、四肢がうまく連動したようでした。

二足歩行の場合、前足と関係なく後ろ足だけで立ったり座ったりを認識しがちですが、やはり四肢が連動した時に初めて安定して立つ、座るという動作ができる、ということが経験できました。

特に前後歩行、カエルやウサギのような歩行形態、立ち座りの練習にはかなり効果的でした。結構わかりやすく、ダイレクトに関係を体感することができました。

試し稽古として、胸骨に外圧をかけながら立ち座りをするというのもやっていただきまして、なかなか一人ではこの稽古はできないので、普段の自分の稽古の成果を感じることもできましたし、また課題を明確にできました。

やはりこの試し稽古、定期的にやらないと日々の稽古が形骸化する恐れがありますね。実際役に立つのか、効き目があるのか、一人稽古ではだんだんわからなくなってきてしまう。

自分の稽古の再確認という意味でもやはり定期的に通いたいなあという思いが強くなりました。

幸い韓氏意拳の講座は東京では光岡先生の講座以外にも複数講座を受講できます。

私は今まで光岡先生の講座しか受けたことなかったのですが、どうしても土日の講座にはなかなか行けないので、他の先生の講座にも参加させていただきたいと思いました。

講座は以下のサイトからご覧いただけます。

http://hsyqjapan.dreamblog.jp/

皆様もよろしければ是非!


お知らせ

さて、先月サリクスのカンタータ公演が終わり、最近は来年の企画の準備をやっています。

第6回定期の日程も決まりました。(チラシができたらまた公式で発表します)

https://www.salicuskammerchor.com/concert

そして7月から温めていた企画がオープンになりました。

5ヶ月も温めてしまいました。温めすぎたかもしれません笑

リモートワークショップ×バーチャルクワイヤ
〈Ensemble Salicusと歌うビクトリアのミサ〉

7月に行ったタリスの40声のモテットの企画からの継続で、よりレッスンの比重を大きくした企画です。

タリスのときはレッスンは希望者のみ、30分を1回だったのですが、今回は原則全員2回受けてもらいます。よりじっくり作品に取り組める企画になっていると思います。

また募集枠も減らしてますので、お申込みはぜひお早めに。

詳細はこちら→https://www.salicuskammerchor.com/workshop

また来年2月くらいに、結構大きな発表ができそうです。今後の活動を卜う企画、というかシステム?なので、またこれからじっくり準備していきます。

どうぞご期待ください。

Salicus Kammerchor演奏会 J. S. バッハの教会カンタータ|終演

去る13日の金曜日、カンタータ公演が終演いたしました。

ご来場くださいました皆様、またライブ配信でご参加くださいました皆様、誠にありがとうございました。

コロナ禍の合唱とオケの演奏会ということで、様々な事柄に神経をすり減らしました。

例えばリハーサル会場なども、いつもより広い会場を取らなければならないので、5倍位の予算がかかり、また交通の便の悪いところにならざるを得ませんでした。

地味なところでは、コロナ対策でスリッパの貸し出しをしていなくて、持参しなくてはならない、とか、毎回の検温、消毒ジェルの持ち込みなどちょっとしたことですが、手間がかかりました。


今回本番は10日のほうが武蔵野市民文化会館でした。この会場は9月の段階で合唱使用が認められておらず、間際になって規制が緩和されたということで、利用できることになりましたが、その日に演奏会が重なっていたこともあって集客に苦労しました。

楽屋割りなども、借りれるところは全て借りたのですが、それでも狭めだったので、何人かは廊下で過ごしたりしてました。

400席以上の会場ですが、半分を潰し、200名定員とさせていただきましたが、潰した200席分の「お隣にお座りください」の紙を貼るという作業も、私はやっていませんが、大変だったと思います。

今回合唱とソリストとの間に立てた飛沫防止シールドはAmazonで8000円くらいで買いました。いつもの演奏会の荷物(パンフ等)をスーツケースに入れ、シールドを台車?に乗せて両手で引きながら三鷹まで行きました。(写真はルーテル公演)

苦労して持っていったんですが、やはり音に影響が結構あって、不評でした笑

しかしこの人数でやるなら歌は2列にならざるを得ず、前の人を飛沫から守るためには必要だったと思います。


13日のルーテル公演は、更にライブ配信をやったので心配事は2倍でした。

リアルのお客さんの心配と、配信の心配と。

有料の配信はこれが初めてで、ツイキャスのアカウントを作るところからのスタートで、わからないことだらけでした。

教会のLANを使わせていただけたのがめちゃくちゃ大きくて、良質なライブ配信になったと思います。

いつもの師匠が配信のすべてをやってくれたのですが、カメラマン3人、ディレクター、スイッチャー、スコアリーダー少なくとも6人でやる仕事をたった一人でやってくれました。八面六臂とはこのことです。(その上本番中写真まで撮ってくれました)

ライブ配信に絶対はないので、本当に無事にできてほっとしました。ほんとに恐ろしかった。

こちらのライブ配信のアーカイブは20日までご視聴いただけます。

今からでもご購入いただけますのでよろしければぜひ!

https://twitcasting.tv/salicus_kc/shopcart/28574

ロビー挨拶とか、打ち上げとか、今回できなかったのですが、これは思ったより大きかったです。

なんというか、手応えという意味で笑

アンケートも今回オンラインでやったので、やはり回収率はいまひとつでした。

どんな演奏会だったのか、頼りになるのはTwitterばかりなり笑


今回わかったのは、マスクは体力を奪うということで、リハーサルがめちゃめちゃ疲れました。体感3倍位。

最初は久しぶりの対面リハーサルで体力落ちたのかなとか思いましたが、リハーサルを重ねていっても体感全然変わらなかったのでマスクのせいだと思います。

マスクしたままバッハ歌えるってマジでみんなすげえなと思いました。しかも結構みんな普通のマスクでやってたからなあ。最近買った剣道用具やさんが作ったマスクはかなり良かったけど、それでもコラールを振るのは相当きつかったです。振るだけでも。歌うのは一層きついと思います。

あとサリクスには対人距離の短い人が多いので、密接しないように心がけるのは結構ストレスだったと思います。

私も意外と(?)結構触っちゃったりするタイプなので、ちょっとしたボディタッチなんかも気をつけなきゃいけないのはそこそこストレスでした。

終演後、ハグとかせめて握手くらいしたいけど、それもできない。

こういう状況でなければ、舞台上でコンマスと握手くらいはしてたと思います。

こうした小さなストレスは積み重なってきます。気づかないうちに。

代わりになるものを探して、埋め合わさないと、危ないです。

皆さんもどうぞお気をつけて。なにしろ自分の心身の健康を最優先に考えてくださいね。ワガママに、まずは自分を。その上で時には助け合いましょう。

それで、助けることで、自分を助けましょう。

昨日も一昨日も結構がっつり仕事だったので、全然疲れがとれてなくて、いまいち思考がまとまりませんが、今回こういう状況でも、演奏会ができて本当によかったです。

こういう状況で、苦労は絶えないけど、それでもカンタータを演奏したいという想いのほうが強い。

それを確認することができました。

「こんな思いしてまでお前はカンタータをやりたいのか?」っていう問いに対しては、即答で「それはもう。ぶっちぎりで」でしたね。

カンタータって、ガーディナーもコープマンもBCJも全曲録音が終わって、もうやり尽くされたってムードが漂ってるような気がするんですけど、全然そんなことないぜって演奏をしたいんですよね。不遜ですけど。

サリクスはカンタータ全曲録音をやります。

いつから開始できるかわからないですけど、少なくともこの10年のうちには始めます。

あとこれも10年後くらいにモテットの再録音をします。今度は楽器付きで。

さしあたりこの6年はシュッツに取り組みますが、並行して、楽器とのプロジェクトを前進させます。

どうぞこれからも皆様応援よろしくお願いいたします。

カペラ定期公演|終演

カペラ定期公演|終演

昨日、ヴォーカル・アンサンブルカペラの定期公演が終演いたしました。

ご来場くださいました皆様、誠にありがとうございました。

お客さんのいる演奏会は、3月以来だったので、7ヶ月ぶりだったんですね。

あんまりそういうこと意識することもないくらい手一杯だったんですけど、そういえばそうだったんですよね。

感慨に浸る余裕すらなかった。

演奏は良かったと思うし、自分のパフォーマンスもまあ悪くはなかったと思うのですが、やりたいことは1%位しかできなかったです。

ゼロじゃなくてよかったねってことでもないんですけど、このパーセンテージはこの先変わることがあるんでしょうか。

今ふとBUMP OF CHICKENの天体観測の一節が思い浮かんだんですけど、

「背が伸びるにつれて伝えたいことも増えてった」

ってそういうことかあ。

やれることが多くなるってこととやりたいことが増えるってことの伸び率ってきっと後者のほうが大きいんでしょうね。

https://twitter.com/cappellajp/status/1321803671261249541

今回コロナ対策で、終演後に皆様とご挨拶することがかないませんでした。

よろしければSNS等で感想等いただけると嬉しいです。


サリクスのカンタータ公演が近づいています。

13日の公演の方は完売間近なのですが、10日の方はまだまだ余裕あります。

(そういえばこの日は他のイベントがかぶってたんだ・・・汗)

よく考えたら4週間分のカンタータを一晩でやってしまうというのはなかなかのことだなあと思い始めています。

一つのカンタータを、レクチャーを挟んで2回演奏するということをやっている団体があるそうですが、素晴らしいやり方だなと思います。

僕ら、ついもったいなくて、つまりカンタータの公演をやろうと思うと結構な数の人間が関わらなくてはならなくて、それで1曲だけやるというのはもったいない感じがしちゃうんですよねえ貧乏性だから。

湯水のようにお金があったら、毎日でもみんなとリハーサルして、毎週でもコンサートしたいよ。


カンタータについてサリクスのホームページでブログ記事を書いています。

カンタータってオペラとかと違って明確な筋があるわけじゃないから、どうもわかりにくいって思われることも多いと思うんです。

でもカンタータってかなり明確な目的をもって書かれてるんですよね。

でそのコンセプトを知ることができればJ. S. バッハがあれだけ量産したにもかかわらず、驚くべき繊細さと緻密さで曲を仕上げているかということが見えてくるんです。

カンタータが倍面白くなりますよ。

この記事はその導入というか、ひっかかりに過ぎないですが、ちょっと見てみてください。

第51回 教会カンタータに綴られた物語1https://t.co/P1IugJ2bFN?amp=1

第52回 教会カンタータに綴られた物語2 https://is.gd/cZiQFx


Salicus Kammerchor演奏会
J. S. バッハの教会カンタータ vol.1

11月10日(火)19:15開演(18:30開場)
武蔵野市民文化会館小ホール
https://tiget.net/events/104835

11月13日(金)19:15開演(18:30開場)
日本福音ルーテル東京教会
https://tiget.net/events/102915(完売間近!)
配信:https://twitcasting.tv/salicus_kc/shopcart/28574

光岡英稔韓氏意拳講座|3回目

光岡英稔韓氏意拳講座|3回目

先週金曜日に、また光岡先生の講座に出てきました。

今回もめちゃめちゃ面白かった。

いつものようにレポートしていきたいと思います。

過去の記事はこちら↓
BUGAKU1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
BUGAKU2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
BUGAKU3回目 https://is.gd/Gm9C17
韓氏意拳講座1回目 https://is.gd/D3RjiJ
BUGAKU4回目 https://is.gd/37Oxg1
BUGAKU5回目 https://ux.nu/AmsQM
韓氏意拳講座2回目https://is.gd/G7l53a
BUGAKU7回目https://is.gd/xiBfFB


養生功

今回参加したのは養生功というクラスで、ようは健康な身体をつくりましょう的なことだと思うのですが、あまりいい加減なことを言うのもアレなので、詳しくは日本韓氏意拳学会のサイトをご覧ください。

今回は站椿と健身功をやる予定だったみたいですが、あまりに内容が濃すぎて站椿までしかできませんでした。あいかわらず濃ゆい。

何しろ2時間半の講座のうち1時間半は「立つ・座る」ということに費やされました。

いかに人間は「立てていない」「座れていない」かということを、四足歩行から二足歩行への移行をヒントに学んでいきます。


中国文化の身体観

まずこの体系が中国文化・武術における身体性/身体観であることを確認します。無極(0)・太極(1)・両儀(2)・三才(3)・四象(4)etc.数について中華文化圏でどのように考えられているか。

陰陽は両儀の範疇だが、一般に浸透している陰陽太極図(点が入ってるやつ)は両儀ではなく四象になるのだそう。

ちなみに合唱団エレウシスのロゴマークはこの太極図をデザイン化したものだって、知ってました??(しらねー)

かっちょいいだろ。めっちゃ気に入ってます(笑)

生と死、豊穣の象徴の麦などいろいろ詰め込まれてます。


四足歩行→二足歩行

陰陽の基本的な考え方として、陽の当たっているところが陽、当たってないところは陰となります。当たり前か(笑)

四足歩行の場合陽が当たっているのは背中側、これは二足歩行になったときもその傾向を残していて、たとえば鍼灸の世界では背中側を陽経というそうです。

立ち上がった時に前側が陰、後ろ側が陽というのはちょっと一般的イメージと異なるというか、どうしても目で見えている前側を陽のように感じてしまいますよね。表裏でいうと前側が表、後ろ側が裏と感じますもんね。

このように二足歩行になった人間も四足歩行であったころの身体の傾向を残していて、前足と後足の連動なんかも四足歩行の名残があって、それが韓氏意拳でいうところの「同歩」ということになるのだそうです。(うろ覚え)

「進化の過程」みたいな図で四足歩行から二足歩行にだんだん変わっていく絵がありますよね。

あれってこう前に歩きながらだんだん立ち上がっていくようになっていますが、あれはあくまでイメージ。実際前に歩きながら立ち上がるというのは相当困難、というか無理、やってみればわかります。

実際は後足に体重を乗せていかなければならないので、まずは後足が止まって、重心を後にずらしながら、後方向に立ち上がっていきます。

これはゴリラなんかを見ているとわかります。


立つ/座る

というあたりを確認したところで、「立つ稽古」としての站椿に進むかと見せかけてさらにその前段階の「立つ」ことそのものについて。

「立つ」とはどういうことなのかを、今度は椅子から立ち上がるという動作の中で探っています。

詳しくは割愛しますが、この「座る」→「立つ」の間に、四足歩行の身体観を経由しています。そして安定して立つためには、四足歩行と二足歩行のちょうど間の身体観で立ちたい。

ということでちょっと猿人みたいな、膝をちょっと曲げてちょっと前かがみな感じの格好になるんですね。

膝のラインがつま先のラインと同じあたり、そして3メートル先あたりの地面に目線がいく感じです。結果的に目線が下に行くということで、棒立ちで目線だけ下にいってもしょうがないよというのもポイントです。

自然でリラックスしててどこにも力みがないけど安定してる。という姿形です。

それでその際前重心にしたいのですが、そのやり方もなかなか独特で、背中側を感覚するようにすると重心が前にいきます。

ちょっと意外な気がしますが、BUGAKUでやった感覚方向と運動方向のズレがそうさせます。

感覚方向を後ろにすると運動は前に行こうとする。

で、この後ろを感覚するというのはつまり、陽の側を観るということです。

ここで引用された老子の一節が秀逸でした。

万物は陰を負いて陽を抱き
沖気を以って和を為す

身体の前側、すなわち陰はそのままにしておいて、陽の側を観る(抱く)ことで、両極のちょうど真ん中をとることができ、バランスよく立てる。

みたいなことですね。

上の一節を知っていても、こういう身体経験を伴わなければ、それが自分のものとしては感じられないと思います。

感覚を後ろに出して重心が前に行って安定する。という意味には取れないですよね。普通。でもやってみると、ほう、なるほど、と腑に落ちる。

実感を伴わない言葉は伝わらない、とよく言いますが、身体観を伴って初めて自分の経験となるという感じでした。

ありがたい言葉を知っている、唱えることができる。ということと、身体観を伴って経験があるというのは全然別の事柄なのですね。


站椿

はい。ここまで1時間半でした。残りの1時間で站椿を教わりました。

韓氏意拳で最も重要とされ、最も韓氏意拳の考え方を色濃く表すのは站椿だと思います。

なにしろ「立つ」ことを主眼においた稽古なのです。

前も書いたかもしれませんが、光岡先生はハワイ時代、この站椿を1日平均6時間、長いときは8時間やっていたそうです。

しかもですね、これは講座の後ピザを食べながら聞いたことですが、站椿八式を何巡もするというやり方ではなく、1つを2時間!とかやっていたそうです。いや、もう笑いますよね。変態すぎ( ´∀` )

というかそのころは站椿が八式あって、それを流れるようにやるということも知らずに、独学で3つくらいをただただ静止状態でやっていたそうです。

もう同じ人間とは思えないです。

やってみればわかります。八式を15分やるのでも一般人にはかなり大変です。なんかわあ!ってなります。辛抱できないです。

でもそれをやりだしてから不思議と怪我をしなくなったと。

それで後に韓星僑老師に站椿をみてもらったときに、始めて二週間で「基本はできている」と言わしめたそうです。

当時は「なんだ、基本だけか」と思ったそうですが、站椿って奥深すぎて、基本ができるってもうそれはそれは果てしないものなのです。

それを二週間で習得したというのは、ハワイでの独学での稽古(というか研究?)の成果だったと。

そういうわけで站椿というのはそういうものなのですが、私も実は八式全てを教わるのは初めてでした。

前回は形体訓練(の最初の2つ)、前々回は站椿の最初の3つだけだったので。

時間の関係でそれほど微に入り細に入りという感じではなかったですが、大まかに何に注目しながらやっているか教えていただきました。

「普通にやればいいんだよ」

というその人の言う普通とは何か。その人が普通にできるようになっている、その要因(ファクターX)はなんなのか。それを見つけないと永遠に普通にはできない。

また普通にできなければ意味がない。形だけ真似て、やろうと思ってそれをやるんでは使い物にならないんですね。

今回目から鱗だったことがもう一つ。重心に関して。

站椿で手を挙げていくときに、手が前にいくとその重みで重心が後ろにいきます。

それって普通に考えて足の後ろに体重が乗るって思うじゃないですか。

違うんですって。足の前半分の後ろ側に重心が移動するのだそうです。

だから韓氏意拳でいうところの後ろ重心というのは結局前重心なんですね!

そんなんあるんかあと思ってこれはもう目玉飛び出ました笑

上にも少し書きましたが、この日は講座後にピザ(うまい)を食べに行きまして、そこでも超絶面白い話が聞けましたが、普通の人が理解できる話ではないのでオフレコで笑

気になる方はぜひBUGAKUの方の講座に出てみてください。

というか一緒にやりましょう。


おしらせ

今週からSalicus Kammerchorのカンタータのリハーサルが始まります。

光陰矢の如し、もうそんな季節なんですねえ。

5月の演奏会が延期になって、そして他の演奏家もことごとくとびまくった私たちのなんやらいろんなものが大爆発する演奏会になります(確信)。

こういうこと(音楽家の鬱憤がこれほどまでに高められる機会)って滅多にないのでぜひ生で聴きにこれる方はぜひお越し下さい。

Salicus Kammerchor演奏会
J. S. バッハの教会カンタータ vol.1

日時・会場:
11月10日(火)19:15開演(18:30開場)
武蔵野市民文化会館小ホール ※200席限定

チケット:前売り 一般5,500円/学生2,500円
https://tiget.net/events/104835

​11月13日(金)19:15開演(18:30開場)
日本福音ルーテル東京教会 ※70席限定

チケット:前売り 一般6,000円/学生3,000円
https://tiget.net/events/102915

ライブ配信:
11月13日の公演はライブ配信(有料)を予定しています。
詳細は近日中に公開いたします。

曲目:J. S. バッハ
カンタータ第78番「イエス、私の魂よ」 BWV 78
カンタータ第99番「神の御業は正しきこと」 BWV 99
カンタータ第103番「あなた方は泣き喚くだろう」 BWV 103
カンタータ第182番「天の王よ、あなたを歓迎します」 BWV 182


第1回 プライバックSalicus

この懐かしいチラシはSalicus Kammerchorの第1回定期演奏会のときのものです。

今回このデビューコンサートの音源を聞きながら、メンバーと当時の思い出話裏話を語るライブ配信を企画しました。

ラジオ感覚でお聴きいただければと思います。

You Tubeチャンネル登録もどうぞよろしくおねがいします!

10月22日(木)20時より
Salicus KammerchorのYouTubeチャンネルにてライブ配信
https://www.youtube.com/channel/UCeWlQtnOnETy6Q2uZUVq4jA

出演:櫻井元希 谷本喜基 中須美喜 前島眞奈美

光岡英稔BUGAKU講座|7回目

日曜日、光岡先生のBUGAKU講座に参加してきました。

BUGAKU・韓氏意拳関連の記事はこちら↓

BUGAKU1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
BUGAKU2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
BUGAKU3回目 https://is.gd/Gm9C17
韓氏意拳講座1回目 https://is.gd/D3RjiJ
BUGAKU4回目 https://is.gd/37Oxg1
BUGAKU5回目 https://ux.nu/AmsQM
韓氏意拳講座2回目https://is.gd/G7l53a

(6回目の講座のレポートを書きそびれていて今回7回目です)

いやー7回目にして今回が一番わからんかったですね。わからんというか、自分の出来が悪かった。

毎日の稽古を見直さねばならんですね。

客体慣れする稽古をしなければ。

今回参加したのは応用1.2というクラスで、観法もやらなかったくらいアドバンスなところから始まってたということもあるんだと思います。前日の基礎クラスに出れなかったことが悔やまれる。

いや、メモの意味さえわからない。。。


応用クラス1

傾向が現象を生み、現象が行為を生む。

傾向と現象の違いがいまいちはっきりとはわからなかったのですが、身体の傾向「気」が現象を生んで、それが動きとなって現れる。それが「自然」なのだが、人間は傾向に逆らって、現象が起きていないのに動きを起こす事もできる。

そういう不自然なこともできてしまうが、結果生まれた行為は、傾向に沿った行為とは似て非なるものである。ということだと思います。

それができてしまう仕組みが、物理的身体(実体)を概念化した、思惟的身体(多分恣意的ではなかったと思う)を脳が作り上げてしまうから。

この思惟的身体(意識体、想像体)を壊して経験的身体に入ることが必要。

経験的身体には感覚体、客体、気之体があり、客体は感覚体と気之体を仲介するような役割を持つ。

そしてここにとても大事そうなこととして、

×「現象の行為化」

というのが書いてあるのですが、これがどういうことなのか説明できない。。

その時は理解してたはずなのに。。。

現象が起こる前に行為を起こしてはならないというようなニュアンスのことだったとは思うのですが。。

それでやはり今回も、武術の大きなテーマである、「自然とはなにか」というところに入っていったのですが、「不自然を感じる」というのは一体どういうことなのか、一切は自然のはずなのに。人間が作り出したものもまた人間という自然が作り出したものなのだから自然である。にもかかわらず、これは自然、これは不自然と我々が感じるということはどういうことなのか。

不登校という話にもなって、現象に沿った行為という意味では、学校に行きたくない子どもをむりやり学校に行かせるようなものですかね、という受講生の問いかけに、光岡先生は

「んー学校自体が不自然だからねえ。うちのこなんかずっと不登校だし」

とのこと。

一応私も教育学部を卒業したものとして教育には思うところがあるのですが、学校というのは、不自然の中で生きるためのわざを学ぶところであって、それはつまり生徒を不自然にするということなのだと思います。

不自然の中で生きるには、自分が不自然になるしかない。

不自然の中では、不自然こそが自然だからだ。

これが最近光岡先生がよく仰ってるマトリックスなんだと思います。

はい。講座の内容からちょっと脱線しました。

このあたりで、「傾向→現象→行為」を確かめるための稽古として、立ちしゃがみの型をやりました。

今回教わった型は新バージョンで、「伸び」の動きが追加されていました。

伸びた状態での定位不定位を経験するというもので、具体的には合掌した状態で伸びをして、右の指が左の指より上に来るようにずらすと定位、左の指が上に来るようにすると不定位ということでしたが、伸びた状態にも定位があるということがちょっと不思議な感じがしました。

定位・不定位といっても相対的なもので、伸びた状態での定位・不定位、立った状態での定位・不定位、しゃがんだ状態での定位・不定位があると。

つまり一番定位しているのはしゃがんだ状態での定位だが、伸びた状態でも、比較的定位、あるいは不定位という現象が起こると、そういうことのようです。

引き続き五体投地、涅槃→亀、逆涅槃→亀、しゃがみ稽古を教わりました。

ここらへん詳しく書くと大変なので、省略します。

それで午後のコマの最後にやった「点、線、面、体の世界」というのがわけわからな過ぎたのでここに書き記しておこうと思います。

正座で座った状態で右肩、左膝を両側から押して定位・不定位を確かめる方法があるのですが、細い棒を2本、私の後ろ側にハの字に置くと、不定位、逆ハの字に置くと定位になりました。

試している間、私後ろ見てません。ので、視覚情報によって生じた変化ではありません。

ちょっとわからなすぎるのでとりあえず起こったことだけ書き留めておくだけにしておきます。


応用クラス2

夜のクラスは、午後のクラスで「線の世界」に触れた延長ということで、曲線についてでした。

曲線というか円運動でしょうか。

まずみんなで輪になってぐるぐる歩きます。時計回り、反時計回り、それぞれ歩いている時の傾向をみます。

時計回りには中心に向かって集まっていく傾向が、反時計回りには逆に広がっていく傾向が身体にうまれます。更に歩きながら、指を下に出してぐるぐる回します。

歩く方向が時計回り、指も時計回りだと加速します。指を反時計回りにすると減速します。

歩く方向が反時計回り、指も反時計回りだと広がる傾向が強まります。指を時計回りにすると傾向が弱まります。

これ、私凄い気持ち悪くてすぐ酔っちゃいました。特に歩く方向と指の方向が逆だと一発でした。

それでこの広がる傾向、閉じる傾向を利用して、小手投げで試し稽古をしました。同じように小手投げをやるんですが、時計回りに歩いていた経験を思い出すようにすると身体の近くで崩れ、反時計回りの経験を思い出すようにすると遠くに崩れるんです。

私の稽古が足りてないと思ったところは特にここのところで、経験を身体で思い出す=客体でやるってことだと理解していますが、その稽古が足りないですね。私。

しかし一人稽古でこれをやるのは難しい。

練習法を編み出さねばならんやもしれんです。

夜のコマには甲野善紀がいらっしゃって光岡先生と稽古をやるというなんだか凄いものをみてしまいました。

空気が凄かった。

「見てないで稽古して」って言われましたがそれどころではない感じがしてました笑


今回のレポートはこのくらいにしておこうと思います。

今回はほんとに自分の至らなさを痛感するばかりだったので、また自分の稽古を見直して、次回に臨みたいと思います。

昨日サリクスの若手養成機関サリクス・アカデミー(仮)でも観法を取り入れながらそれを演奏にどうつなげるかという話をしました。

何言ってんだこいつって感じになるかなあと予想していたのですが、意外とコンセプトは伝わっていたようでした。

私が武術を学びにいって、それを演奏に活かそうとしてるというのは、自分がその効果と可能性を感じているからなんですよね。

こういうことって、多分超一流が自然とやれていることなんじゃないかと思います。

けどそれを教える事ができなかった部分。今まで才能という言葉で片付けられていた部分なんじゃないかなと思います。

それを、目に見えて、教えられる体系にしようとしているところが光岡先生の凄いところなんだと思います。

しかしながらやはり、本当のことは、あまりにも難しくて理解できない。

わかるように伝えようと嘘になる。

結局本当のことは誰にも理解できないから、理解できるようなことはみんな嘘です。わかりやすくすればするほど嘘が増える。

容易ではないですね。

わかりやすく伝えたいけど嘘は言いたくない。これはやっぱり矛盾してるんだと思います。


Salicus Kammerchor主催
ワークショップ第9回
「ネウマ的に歌う」の実践
〜発音・発声・歌いまわしの関係〜

今回のワークショップはコロナ対策で、オンラインとオフラインのハイブリッドです。

多分武術的な内容には全然触れないと思いますが笑、なるべく嘘のないように、しかしわかりやすくお伝えできるように奮闘します!

言葉と旋律の関係、歌を歌う上で欠かすことの出来ないこの関係のキモのところがお伝えできればと思っています。

詳細こちら→https://www.salicuskammerchor.com/workshop