菩薩のラメント×キュロスの哀愍1

今週末に迫りました叔母との企画について、お話したいと思います。

この企画は2020年に開催した「ダヴィデの声明×如来のイムヌス」の続編で、「声明とグレゴリオ聖歌のポリフォニー」をテーマにしています。

前回は「カタカナの漢字×漢字のカタカナ」、今回は「漢字のカタカナ×カタカナの漢字」ということで入れ子になってるんですね。一応考えてるんですねそういうところ笑

そもそも私たち叔母甥は、というか櫻井家というのがちょっと変わってて、叔母が声明パフォーマーで、甥がグレゴリオ聖歌歌いなんですよね。

それで叔母は仏教徒ではないし、甥はクリスチャンではないというのがミソなのです。

いわゆる声明とグレゴリオ聖歌の企画というのは結構いっぱいありまして、珍しくもなんともないのですが、仏教徒でもクリスチャンでもない人がやるからこそできることというのがあるんですね。

それが「新作」です。

仏教徒が声明新作したり、クリスチャンがグレゴリオ聖歌新作したりしたら怒られますよね。普通。そうじゃなくても怒られそうだけど笑

だから一応声明「風」新作、グレゴリオ聖歌「風」新作としているのです。

それでなんのために新作するかというところですが、それはポリフォニーするためです。

つまり声明とグレゴリオ聖歌を同時に歌って、アンサンブルするのです。

既存の声明と既存のグレゴリオ聖歌を同時に歌ってももうそれはただのパラレルワールドなのですが、新作であればピッタリいい感じにアンサンブルできるわけです。(だから普通はせいぜい声明とグレゴリオ聖歌を交互に歌うくらいしかできないんです)

前回のはこんな感じ。

こんなほうぼうから袋叩きにあいそうなイカれた企画はアングラ声明パフォーマーとハードコアグレゴリオ聖歌歌いにしかできません笑

類まれな企画であるということだけは保証します!


今回のテーマは前半は「エレミアの哀歌」、後半は「キュロスの円筒碑文」です。

エレミアの哀歌は旧約聖書に含まれる、預言者エレミアがエルサレムの陥落を嘆いた歌で、キュロスの円筒碑文については下記ウィキペディアをご参照ください笑

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC

上記ウィキにも触れられておりますが、キュロスについてはイザヤ書44章にも記述があり、私の歌唱部分はその部分と、関連するエレミア書第25章からとられています。

というわけで今回のテキストはほぼ旧約聖書から取られています(キュロスの円筒碑文そのもの以外)。

(だんだん何をやるかわかってきましたよね?ほんと説明するの大変なんだから!)


ここから各曲の説明に入ろうと思いましたが、あまりに長くなってしまうため、その2につづく!ということにしたいと思います。

皆様ぜひともこの空前絶後のライブにお越しください!

お申し込みはこちらのメールアドレスまで→g.sakurai.office@gmail.com

大島俊樹|階名唱(いわゆる「移動ド」唱)77のウォームアップ集 

大島俊樹|階名唱(いわゆる「移動ド」唱)77のウォームアップ集 

Salicus Kammerchorのメルマガ、サリクス通信に寄稿していただいている大島俊樹さん(カンタータクラブの先輩)による階名唱の練習曲集。

前から気にはなっていたのですが、記事をお願いしているこの機会にと思って購入しました。

開いてみて、まず解説が非常に充実しています。たっぷり13ページ。

そもそも「固定ド」という概念が存在しなければこのような解説も必要なかっただろうなと思いますが、世の中は残念ながら「固定ド」に支配されていますので笑、これは致し方ないところ。

「固定ド」ってそもそも「固体目薬」って言ってるようなもんで、本来存在しないものなんですよね。しかしなぜかその存在しないものが世の中を支配しているので、それに対する本来のドレミが「移動ド」と呼ばれているのです。つまり「液体目薬」と言ってるようなもんです。

いやあ不可解。

非常にしっかりした解説の後、14ページ目からいよいよ曲集が始まります。

正直私最初にこれを見た時、

「え。なにこれ。あまりにも簡単すぎる。何の意味があるんだこれ」

と思いました。(後にこれは私の個人的な思い込みであるということがわかります)


しかしまあなにはともあれ一回は使ってみようと思いまして、何人かに実際歌ってもらいました。

それも、あまりに簡単すぎると思っていたので最初の方は飛ばして15番からやってもらいました。

そこで私は思い知りました。

「こういうことだったのか」

なにしろ最初の方、長旋法と短旋法の主和音の構成音しか出てこないんですよ。

そんなもん練習する意味があるのかと思っていたのは、私の脳には長旋法と短旋法の主和音の構成音のマップがあるからで、(少なくとも合唱やってるような人で)それが無い人がいるなんていうことは想像もできなかったんです。

もうそりゃあ、すれ違うのもしょうがない。

私なぜだか音楽経験の初歩の段階から階名唱を習っていて、「固定ド」の意味がわからないんですよね。「固定ド」で歌われると気持ち悪くて発狂しそうになります。

でも大島さんはそうじゃない。絶対音感+固定ドを持った状態で、相対音感、つまり階名唱の必要性に気がついて、ドレミのマッピングをやり直したんです。

だからこそ作れた曲集なのです。私では絶対に逆立ちしたって思いつかない。まず生まれ直さないと無理。


ということで私はこれまでの行いを非常に強く恥じまして、大島さんに30冊注文しました。

あ、ちなみにこの本はアマゾンとかに出てないので大島さんに直接注文する必要があります。

なのでまとめ買いして手売りで購入したほうがお得です。1冊ずつだと送料がかかるので。

それで合唱団の皆さんにお配りして、買わない人には貸し出しますということでやってみましたが、ほとんどの方は購入されました。

大勢でやってみて(今度は1番から順に)わかったのは、やはりドレミのマップが無いかあるいは極めて曖昧な方がとても多いということです。

1番から既にできない人はできない。ラミと言いながら普通に減5度歌っちゃったり。

今まで自分がやってきた指導、全部「そういう問題ではない」でカタがついた感。

結構ショックでしたが、とにかくこの曲集やりゃあいいんだということがわかっただけでも本当に良かった。できればもっと早く出会いたかったですが。


あまりネタバレにならないように慎重に書いていきますが、この曲集のコンセプトの素晴らしいところは、長調短調で重要な音から順番にマッピングしていくところです。

長調ならまずドとソの関係を徹底的にインプットする。それができたら今度はドとミ、それができたらドミソの3音。

もうそれは鬼のごとく徹底的にドミソを植え付ける。なにしろこの3音が中心となって、その他の音はこの3つの音との関係性でマッピングしていく。

これはちょうど北と東がわかって初めて北東がわかり、北東がわかって初めて北北東がわかるというのに似ています。

よくある教本ではまず二度の音程を取りましょう「ドレミファソファミレド」

二度ができたら三度をとりましょう。「ドレミソラファミレド」

みたいのが多いんですけど、これは北から北北東を向きましょう。それができたら北東を向きましょうって言ってるようなもんで、北と東がわからないのになんか適当に右を向く、何回かやるうちにズレがひどくなってたアッチャーみたいなことなんですよね。

調性音楽においては、軸になる音というのは隣り合っていないんですよね。

この軸となる音をマッピングしていくという作業をいろんな高さでやる。

これも普通のソルフェージュ教材と違うところかもしれません。

普通はやっぱり調号なしから始めて、次はシャープ一個、フラット一個ってな具合で調号を増やしていくものが多いと思います。

どの高さであってもドとソの間隔は変わらないということを刷り込んでいくのですね。

なのでこれはこれから楽譜を読むことを始めようと思う人が取り組むだけではなく、音楽を専門的にやっている人でも、自分が持っている「固定ド」を破壊することが出来ると思います。

実はこれサリクスでもちょっとやってみたのですが、1番が難しいねという声もありました。ちなみに1番というのは長旋法と短旋法のそれぞれ主音と属音だけでできています。プロがそれを難しいと感じるのです。


ですので、プロアマ問わず、自分が楽譜が読めると思っている人もそうでない人も、西洋音楽をやる人はもう全員やったらいいと思います。

あるいはそうでなくても、ドレミのマップを持っていると、ドレミでできていない曲であってもドレミの曲とどう違うのかがわかります。

ものさしを一本持っていると色んなものが測れるんです。

そういう意味でもドレミは便利です。

一本持っておいて損のないものさしです。

楽譜が読めるとか読めないかいうことでさえないです。楽譜読む必要がない人もドレミの感覚は持っておいて損はないです。

この曲集のいいところは、ただこの順番で、なんも考えずにひたすらドリルのようにこなしてくことで勝手にドレミが頭に入ってくるというところで、これほど優れた教材があれば、指導者は必要ないのではないかと思うほどです。

多分厳密に言うとそれは言いすぎなんでしょうけど、まあそのくらい優れた教材であるということは間違いありません。自習に最適です。ソルフェージュのレッスン行くの大変だなあとか、それほどでもないなあとか、今更ソルフェージュ習うの恥ずかしいなとかそういう人にもうってつけ!

私のところにもあと数冊残ってますので、私に会う機会のある方はご連絡ください。取り置いておきます。

光岡英稔 BUGAKU講座|26-27回目

光岡英稔 BUGAKU講座|26-27回目

今月は韓氏意拳3コマ、BUGAKU2コマ参加したのでレポートも大変です。

しかし自分のためにもまとめておきたいと思います。

今回も八卦掌と剣術に参加してきました。


これまでのレポート
1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
3回目 https://is.gd/Gm9C17
4回目 https://is.gd/37Oxg1
5回目 https://bit.ly/3D63JVq
7回目 https://is.gd/xiBfFB
8回目 https://is.gd/tbIYiI
9回目 https://is.gd/BnOQit
10回目 https://is.gd/RczZH5
11回目 https://is.gd/ayTQMA
12回目 https://is.gd/zHtNYL
13-14回目 https://is.gd/YXuCSM
15-17回目 https://bit.ly/3PEGYgt
18-19回目 https://bit.ly/3NRSUKy
20-23回目 https://bit.ly/3p63TWg
24-25回目https://bit.ly/3Qs4RqV


10/3ハワイアン八卦掌

この日も観法ののち、座学がありました。

韓氏意拳もそうなのですが、ハワイアン八卦掌の時の座学もなかなか難解です。

やはり「中心とは何か」というのがメインテーマなのですが、抽象的、思想的でなく、形として、運動の中での中心を身体通して経験するということをいかに学んでいくか。

話を聞きながら、思想的中心の中には、権威的中心とでも言うべきか、「俺がこれを中心ということにする!」というパターンもあるなと思いました。まったくの無根拠、恣意的中心とも言えると思います。

感覚経験は完全に自分のものでしかないので、それでもって中心性を捉えることさえできればいいのですが、これはもう自分で感性を磨いていくしかないんだと思います。

身体経験は教わることができない。自分が自分で経験するしかない。

座学の後、open palm change / close palm changeでくるくる回りました。

最近の朝稽古では、韓氏意拳は毎日やっていて、剣術、ハワイアン八卦掌、シラットをそれぞれローテーションでやってます。全部やると2時間くらいかかっちゃうので。

なのでこのくるくる回る稽古も3日に1回はやってるのですが、一人稽古と対人稽古の違いを凄く感じました。

やっぱり相手がいるとどうしても反応の世界に入ってしまって、自分の形や動きから気が逸れてしまうんですよね。

やりながら「どうしてうまくいかないんだろう」とか考えだしたらもうダメです。笑

この日新たに教わったのは、止まった時、またchangeした後の足の形で、これがないとうまく止まれない、またうまく歩き出せない。

歩型、歩法、むちゃ大事ですね。。


10/6剣術

この日はなんかこういつもと違って(週末レクリエーション感があるというか)軽いスパーみたいなことを沢山やってめっちゃ楽しかったです。

テーマは、なぜ日本の刀剣は両手持ちの武器で、なぜ盾を使わないのか。

これを学ぶために、実際に「袋竹刀と盾」の人と「両手持ちの袋竹刀」で戦ってみました。

まずすっごいおっきいフィリピンのカリンガ族の盾。これはもう相手の姿がほとんどすっかり隠れるくらいでかい。

光岡先生のこちらのツイートに画像が出ております。

これはもうすっごい邪魔、すっごい邪魔。

続いてキャプテン・アメリカが持ってるような丸い盾。

これは肘を固定しているのでタックルしていく感じになりやすいです。

カリンガ族の盾に比べればかなり相手の身体が見えます。

お互い素人なので、盾の使い方もよくわかってなくて、それも含め探り探りのスパーだったのですが、それぞれのバックグラウンドから、個性が出て面白かったです。

最後はバックラーという鍋蓋大の盾。

これはもう持ってる方からするとかなり心もとない。盾という感じもしない。けどまあ軽いから動かしやすいです。

大中小の盾で攻防してみてわかったのは、それぞれ邪魔だなあという感じがあるのだけど、それはお互い様で、盾持ってる方からしても、盾があるから相手に攻撃しづらい。

それならむしろ両手持ちで剣を持ってるほうがまだ有利なんじゃないかということ。

だんだんわかってきました。なぜ日本の剣術が盾を使わないのか。

もう一つは、日本の剣術は刀剣を「刀」のようにも使うし「槍」のようにも使うし「盾」のようにも使うことが出来るということ。

もちろん素人にはそのどれも不可能ですが、熟練するとそういう可能性があるということ。

そして斜の構えは「盾」として刀剣を使う「後の先」の構えであることを教わりました。

そう思うと、盾を持って攻防してみた経験が役に立つ感じがしました。

あーあの感じかー。

っていうのを得るためには一回経験しないと無理なんですよね。

この構えは盾の構えです。と言われても、盾で攻防したことがないとさっぱりわからん笑。

すんごいよくできた稽古手順だなあと思いました。いつもそうなんですけど。

こういう手順で身体がこれとこれとこれを経験していくと、それで初めてああそうかと、身体でもって分かることがある。

この「感じ」は「頭でわかる」とは全然違います。

私たち、頭でわかったような気になって何も身についてないってそういうこと、よくありますよね。

なんか講座とか受けるとそれで満足して自分上達した気になってるんですけど、何にもなってない。

武術も音楽も。


Salicus Kammerchor カンタータ公演 vo.2
チケット発売中!

11/25ルーテル公演
11/29豊洲公演

いよいよ今月末!チケットお申し込みはお早めに!

演奏会詳細はこちら↓
https://salicuskammerchor.com/concert


声明とグレゴリオ聖歌がポリフォニーする PARTⅡ
「菩薩のラメント・キュロスの哀愍」

2022年12月17日(土)
14:00 開場
14:30 開演

会場:えびらホール

料金:4,000円
チケット予約・お問い合わせ:g.sakurai.office@gmail.com


Salicus Kammerchor
演奏動画続々公開中!

第7回定期演奏会から4本動画を公開しております!


謎のお役立ち動画

突然思い立って撮ってみました。

誰の役に立つのかわかりませんが笑

光岡英稔 韓氏意拳講座|12-13回目

先月末から今月末にかけて、BUGAKUと韓氏意拳の講座を受講しました。

まずは韓氏意拳の方からレポートしていきたいと思います。

BUGAKUの方は25回受講してるようなんですが、韓氏意拳はまだ13回なんですね。

開講頻度と金土日にやってることが多いということでそうなってるようですが、前回から少し間があいてしまいました。


これまでのレポートはこちら↓
韓氏意拳講座|1回目 https://is.gd/D3RjiJ
韓氏意拳講座|2回目https://is.gd/G7l53a
韓氏意拳講座|3回目 https://is.gd/rDRgMX
韓氏意拳講座|4回目 https://is.gd/8BX3eO
韓氏意拳講座|5回目 https://is.gd/YmZ2Yc
韓氏意拳講座|6回目https://is.gd/dlMQTX
韓氏意拳講座|7回目https://is.gd/a1Yor1
韓氏意拳講座|8回目https://is.gd/ayTQMA
韓氏意拳講座|9回目https://is.gd/NCZKxY
韓氏意拳講座|10回目https://is.gd/YXuCSM
韓氏意拳講座|11回目https://bit.ly/3PEGYgt


9/30初級講座

王向斉の意拳→韓星僑の意拳→韓競辰の韓氏意拳という流れの中で、先代から何を受け継ぎ、何を新たに生み出していったのかという解説を受ける中で、これからの韓氏意拳はどうなっていくのだろうかと考えていました。

シンプルイズベスト的な王向斉、そこに多様性をもたらした韓星僑、多様な体系を統合しようとした韓競辰、それを受けて光岡英稔が試みていること、そこから私たちは何を学ぼうとしているのか。

そして結構衝撃的だったのは、韓氏意拳を学ぶとき、韓氏意拳だけをやっても使えなくて、形意拳と意拳をやって初めて意味を為すというもの。

まず、それって大変すぎませんか( ´∀` )

そして、それってもはや韓氏意拳と呼べるのでしょうか、私たちが学ぼうとしているのは形意拳と意拳と韓氏意拳が総合された何か別の体系なのではないでしょうかということ。

そもそも王向斉と韓星僑は結構全然違うことをやりながら、同じ意拳という武術の名前だったのに対し、韓競辰は同じ名前を使わずに韓氏意拳としたのはなんでなんだろうとか、光岡先生の教える韓氏意拳は形意拳と意拳と韓氏意拳を総合した光岡氏意拳なのではないかとか考えてました。

が、これっておのれを振り返ると、グレゴリオ聖歌とルネサンスポリフォニーやらずにバッハやったって意味ないぜって結構同じこと言ってませんか?笑

これって私の中では自明なことで、しかも韓氏意拳が韓氏意拳であるように、バッハはバッハなんですよね。

そして私が「それって大変すぎません?」って思ったように私に指導される人たちは思ってるんだろうな。。。

気持ちがすっごいわかりました笑

前半の講義はそんな感じで「うむー」と考えていましたが、後半の実技(?)の内容はなんというか豪快というかシンプルというか、「挙式」ってバックドロップだぜっていう内容でした笑。

やっぱり韓氏意拳って抽象的に感じてしまうところがどうしてもあって、難解だなあと多分みんな感じてるのではないかと思いますが、今回の講座はなんというか明解極まりないというか、こんなに「わかりやすい」と感じた韓氏意拳の講座は初めてでした。

様々な武術家の実践の経験が抽出されたものとして型や式があって、その実践の経験が無い者がその体系に取り組むときにその型の意味を汲みとるのはやっぱり難しくて、どうしても抽象的になるのではと思います。

多分私の人生でバックドロップをやったこともやられたこともなかったと思うので(多分)

そういえば私もボイトレでインワードボーカルフライとか、カルグラとかヨーデルとかよく使いますが、so-so聴いたことない人がインワードボーカルフライやってもよくわかんないだろうと思います。

今回私たちがバックドロップを経験したように、インワードボーカルフライを取り入れるならやはりso-soを経験しないとあかんですね。

ところで光岡先生に落とす直前までバックドロップかけていただいたのですが、もうなんというかキレが凄くて(何がどうなってるのかわからないのでそのくらいの事しか言えない)スバッてこう持ち上げられたのですが、多分5年前の自分だったら肋骨いってたと思います。

その瞬間自分でも何かやったつもりはないのですが、こう、肋骨がきゅっとして無傷で済んだんですね。

バックドロップを受けて知る、自分の身体の成長よ。


10/2初級講座(1コマ目)

この日の講座は・・・・メモが5ページもある・・・。

それだけ内容が濃かったということで。いやあまとめるの大変そ。

午前のコマはお話がかなり沢山で、脳味噌爆発しました。

武術の講座で脳味噌爆発するのも光岡先生ならではですよねえ。

「形と感覚」

というお話で、形意拳、意拳、韓氏意拳の

流派としての形→稽古方法としての形→その中の動き・行いとしての形→止まるポイントとしての一つ一つの形

という4段階におけるそれぞれの形の捉え方(?)というお話でした。

形にこだわるという点がこれらの体系の共通項、世にあるいわゆるボディワークは動きには注目する傾向にあるとのこと。

そしてその形がどうなっているかを判断するのは「感覚」

その感覚を問うことのできる感性

その問いの答えを頭に求めるのか、身体に求めるのか。

そこのところをおさえつつ、形体訓練の稽古をしました。

横向(ハンシャン)をやりながら、いろんなアドバイスを受けるのですが、印象に残ったのは、力みに対する指導で、

「固まってるところを固めないようにしようとして、ただボーっとしてる。固まったままボーっとしてるだけだ」

というので、確かに恣意的身体に入ってしまっていると、頭がボーっとしてれば身体も緩んでるような気がするのですが、それ頭の中の身体が緩んでるだけなんですよね( ´∀` )

あとは、「故意に操作していることを習慣化していることを頭が「自然」だと錯覚している」

とかも実に身に覚えがあることでございました。

あえてそうやろうと思わなくてもできるようになってしまった事柄について、自然にできていると思ってても、過去の自分が不自然を習慣化しただけだったという。

つまり(頭にとって)自然に、(身体にとって)不自然をやっている。

世の中で言う「自然」って大概これなんじゃなかろうか。

身体の自然と頭の自然を区別するというのが(めっちゃ難しいけど)必須なんだと思います。

あとやりながら自分で思ってたのは、力むのって楽だなあということ、力むと辛そうな気がするけど、力むのってほんと簡単で手っ取り早くて、その場をしのげる可能性はあるけど、使い物にならない。

あと問いの答えを身体に求めようということはわかるけれど、多分ここにもトラップがあって、「問いの答えを身体に求めるということを頭でしかわかってない」という状態があるなあと思いました。

これだから韓氏意拳は難しい・・。一昨日とどえらい違いだぜ。


10/2初級講座(2コマ目)

内容が濃すぎてもう長くなっちゃってもう仕方ないですね。。

この午後のコマはもう更に輪をかけてディープな世界でした。

多様性に対する人間の分別感と分別心、それらを捨てた(放下した)先にある無分別心。

多様性つまり自然はカオスだということを分別を通り超えて認めるということだとあたくし理解いたしましたが、もうなにしろ難しい。。

自然に立つ、自然に動く、というのは自然を認めることなしにはありえん。なぜなら自分自身がカオスである自然なのだから。

みたいなことです多分。

そしてこれ午前の話にもつながるんですけど、この「放下」というのが、受動的にボーっとしてるのとは違うということ。

動物だったらそれでも大丈夫かもしれないけど、人間には分別があるから、分別を超えないと無分別に至れない。つまり「放下」は受動ではできない。

なにがなんだかわからないことをわかる。(但し身体で)

ということなのだと思います。

それで、挙式の稽古をしたわけですか、これらのことが、「はいわかりました!」という具合にはできません当たり前ですが。

これらのことを目標に日々稽古に励む他ないのであります。

結局稽古の指針、目標を与えるということが指導の目当てであって、その場でパッとできるようなことはあんまりないんですよね。

ボイトレも合唱指導もそうですが、とにかく自分が稽古しないことには何もできん。

超当たり前で恐縮ですが、しかし稽古もせずに自分のできなさを先生のせいにしてること多くないですか?(自戒で自壊)

というわけで今朝も稽古に励みます。

毎朝稽古を始めてからもうすぐ3年、見た目も変わりましたが中身はもっと変わってます。

出張先でも、合宿先でも、旅行先でも毎朝1時間稽古しています。

稽古すれば上達します。上達すると楽しいです。楽しいから稽古します。

やろうぜ!稽古!


声明とグレゴリオ聖歌がポリフォニーする PARTⅡ
「菩薩のラメント・キュロスの哀愍」

少し先ですが、12月17日(土)昼公演@えびらホールです。

叔母との企画第2弾です。

グレゴリオ聖歌と声明を交互に演奏する企画は普通ですが、グレゴリオ聖歌風や、声明風を新作してしかも同時に歌うというのは無いと思います。多分。

私はラテン語で5曲新作、叔母は中国語、日本古語、アッカド語4曲新作です。やば。

叔母が仏教徒、私がクリスチャンだったらできません。多分。

東西の単旋律聖歌のアウトロー叔母甥だからこそできる無二の企画だと思っています。

櫻井家のイカレた血筋をご堪能ください。

https://www.facebook.com/events/1482411928891613


Salicus Kammerchorカンタータ公演vol.2

こちらも第2弾の企画で、カンタータを4曲とモテットを1曲やります。

全てツィンクとサクバット入りの豪華編成です!

モテット風冒頭合唱を金管と一緒にぬるぬる歌うサリクスをお楽しみに!

11/25ルーテル公演
11/29豊洲公演

演奏会詳細はこちら↓ https://salicuskammerchor.com/concert

Ensemble Scandicusコンサート|天衣無縫

いよいよEnsemble Scandicusのコンサートが来週に迫ってまいりました。

この企画は普段グレゴリオ聖歌とルネサンス・ポリフォニーしか歌ってない4人組が、歌曲歌っちゃおうという企画です。

サティ、髙田三郎、シューマンと歌って最後にデュファイとオケゲムとビュノワを歌います。

一応声楽科は出ているものの普段普通のクラシックほとんど歌わないメンバーが、今の自分たちだからこそ歌える歌を歌います。

私なんかもう最近はもうなんの遠慮もなくアンチクラシックを謳っておりますし、ピアノ伴奏でソロの歌を歌うなんて事自体多分学部卒業して以来初めてです。

もうクラシックという文化に辟易してしまいまして、シューマンとか実はかなりシンパシーあるのですが、これまで歌ってきませんでした。

この企画は祐天寺から研一郎と電車で移動してる時に思いついたのですが、彼のピアノだったら出来るなって思ったんです。

というのも彼の弾くピアノはピアノにしてピアノに非ず。

ピアニストには決して出せない音を出します。

もうなんの音かわかんない。

なんでピアニストには出来ないかというと、ピアニストってピアノが好きなんですよね。だからピアノの音しかしない。

私もクラシックが嫌いなので、思想が近いんですよね。

そんなわけで演奏会タイトルを「天衣無縫」としました。

ある価値観の枠の中で、そこからはみ出ないように作られたなにかではないものが出てくるといいなと思っております。

歌詞は辛そうなのに歌は偉そうだったり、悲しいはずなのに威圧的だったり、絶叫してるのにノイズがひとつも入ってないとか、そういうの、変じゃないですか?

お昼の部はほぼ完売ですが、夜の部はまだ大丈夫です。

なんか歌曲っていまいちピンとこない。という方にオススメです。

https://tiget.net/events/193887