桜井真樹子 「声明入門」に参加してきました

先日、コエダイr合唱団コブシ研究会プレゼンツ、桜井真樹子の「声明入門」に参加してきました。

これまで、光岡英稔先生のBUGAKU講習会に2回、寺原太郎さんのインド古典声楽、と参加してきまして、これが怒涛のインプット月間の最後です。

インド古典声楽の時もそうでしたが、やはり2時間は短かった。

真樹子さんて私の叔母なんですが、ほんともうビックリするぐらい頭が良いんですね。記憶力もずば抜けてるし、回転も速い。

もう全然こちらの思考が追いつかないんです笑

それでも得てきたことをまたここに書きまとめようと思います。

自分のためのメモという性質が強いので、必ずしも読みやすくはないかもしれません。

あらかじめご了承くださいませ。


天台宗大原声明

密教である天台宗は、インドの土着の神々を仏教の中に取り入れ、仏教讃歌の中で、その神々を呼ぶ。

円仁が天台声明の始祖で、これを大原流と称する。

声明には中曲、呂曲、律曲という3つの旋法があって、それぞれインド、中国、日本の5音をとったが、明治以降にまとめられた現在の声明では、呂旋法、律旋法、そしてそれらを行き来する中旋法が使われる。


鐘の音は君なり

声明は鐘の音を模すると言われる。鐘の音のうなりは神様の笑い声であると言われ、大変尊重される。仏教楽器が大抵金属なのは、そういう由来がある。

また色(白・赤・黄・青・黒)のなかで中心は黄色であり、ここから、全ての中心となる音が、黄鐘(おうしょう・こうしょう)と名付けられた。

これは9寸の律管の音の高さであり、現代で言うところのD音に近似する。

中国では9尺のDが黄鐘であったが、なぜか日本では6尺のA(近似値)が黄鐘と定められた。

これが前回のインド音楽入門とつながる大変興味深い話でした。

真樹子さんによると、男系の強い中国では男性の音域に合わせてDに中心音が定められていたが、女系の強かった日本では女性の音域に合わせて5度上のAに中心音が定められたのではないか、とのことでした。

まさしくインド古典声楽でも、男性はD周辺、女性はA周辺にサレガマパダニサのサの音が定められます。

ポップスのメソッドでも男性と女性の音域はおよそ5度ほど違うと言われますので、これも一致します。

教会旋法では、第一旋法の終止音をレと定め、支配音をラとしているということもこうした生理的な部分からくるものも大きいのかもしれません。

現代では中心音は長調の場合はド、短調の場合はラですよね。

合唱では、なぜかハ長調はハモりにくいなどと言ったりするのですが、原因の一端がここにあるのかも、と思いました。

男声合唱はD-Durがハモりやすくて、女声合唱はA-Durがハモりやすいとかあるのかな。

心当たりのある方、教えてくださーい。


声明の記譜法「博士」

声明の記譜法は博士と呼ばれるが、時代によって変遷している。

9世紀ごろの博士→「古博士」

平安末期より→「五音博士」

現代→「目安博士」

ここのところあまり詳しくは説明がなかったのですが、古博士というのが古ネウマみたいなもんかと思いながら聞いてました。

ただ古博士は「ふるはかせ」と読むので「こねうま」とは読み方が違いますね。

そもそも古ネウマと日本語で言うようになったのには古博士が念頭にあったのかもしれません。

時代もほぼ一緒、9世紀ですし、共通点を感じました。

この古博士はそもそもは中国語のアクセントを表したものだったようですが、遣唐使の廃止などで中国文化が日本に入ってこなくなって、中国語のアクセントがわかんなくなっちゃった。それで徐々に「旋律」を書き表す記譜法に変わっていったようです。

つまり音の高さを示すようになっていった。

これも譜線無しネウマから譜線ありネウマへの移行と共通します。


呂曲の旋律型

ユリ

微妙に下に音を揺らす。揺らすといってもビブラートのように高速ではなく、3秒下がって3秒上がるくらいの超スローペース。

そのスピードで、体感16セントくらいの変化なので、知らずに聴くとただのロングトーンに聞こえます。

西洋音楽に慣れていると、本当に微妙な音というのは脳が勝手に補正して、同じ音としてカテゴライズしてしまう。

感覚が鈍化してるんだと思います。

インド古典声楽にも、ミーンドという装飾がまさにこのユリでした。

ユリ上げ

こいつあまさにクィリスマ!

2回ユリをやって3回目で上の音に上がる。

しかしやはりタイム感がグレゴリオ聖歌のそれとは50倍くらい違う。

つまりユリ上げは、50倍に拡大したクィリスマ、と言えるでしょうか。

アサ下り

上がった音の切れ側で「っ」みたいな感じで音を取って、すぐ下の音でまた歌い出す。なんとも文字では説明のしづらい旋律型。

これは類似の歌い方を思いつきませんでした。

ソリ

ユリを拡大したような音型。上がって下がって上がる。グレゴリオ聖歌でいうとトルクルスフレクススに近いけれど、音はずっと滑らかで、折り返しなく繋ぐような感じでした。

マクリ

上に回転するような感じで上がって、上がるときに抜いて、また降りてくる。やってることはトルクルスに近いが、それよりはインドのガマックという装飾法に近い感じ。

ここまでの音型は皆上がるときに下の音を押すようにして、上がったときに抜く。

この感覚は現代の邦楽には残っていないため、できない方が多いそうです。どうしても上の方が強くなってしまう。

これはまさにペスの感覚。下の方に緊張感があって、上の音でスっと抜ける。そしてこの抜けた音の方が大事という、現代の感覚からの逆転現象まで一緒。現代では音が高ければ強いということが多いため、なかなかこのスっと抜ける感覚を身につけるのが難しい。

イロ回し

ここで初めて上の方が強いという旋律型がくる。

イロというのがそれで、これはまさにまごうかたきトリストロファ!

少し勢いをつけて上から素早く引っかけるような感じです。

イロ回しは、イロの前後にマクリとマワシがあるもの。

マワシは下がって(押す)上がる(抜く)って感じ。

というところで真樹子さんによるデモンストレーションを博士を見ながら聞いたのですが、マジでどこやってるかわからねえ。「今、どこやってんすか、あ、まだ「う」のとこですか」って感じでした。


律曲の旋律型

呂曲と律曲って、音階だけじゃなくて、性格が全然違うようで、そのあたりはインド音楽におけるラーガに少し近いかと思いました。

呂曲は鐘の音、律曲はもう少し歌寄りなのだそうです。

ヲル

アサ下りにちょっと似てる感じですが、アサ下りのように上がってって下がるんではなくて、同じ音を伸ばしてから下に降りる。で降りるときにアサ下りのときみたいに「っ」みたいな感じで1回切れる感じ。

律ユリ

これユリなん?って感じでした。ヲルのあとに、アサ下りを2回やってるようにしか聞こえない。

同じユリでも呂と律ではこんなに変わってしまうんですね。

律ソリ

ソリの途中でアサ下りのような音の切れを伴う感じ。上がっていく途中に装飾的な歌い方があるという意味ではサリクスに近いような気もする、という感じです。ただ、アサ下りの「っ」のような音の切り方をグレゴリオ聖歌で試したことがないので、ひょっとすると新たな可能性かもしれません。


というところで呂と律が交互に現れる、中曲の声明を聞きました。呂が鐘で律が歌ってのが、なんっとなくわかりました。

今回はこのあたりで時間切れだったのですが、果てしなさすぎて、わかんないことがいっぱいあるよーって感じでした。

いや、ちゃんとやろうと思ったらやっぱ稽古に通わねばならんのですよね。入門編でなんやわかった気になってはあかん。

しかし西洋音楽、インド古典声楽、そして声明と、興味深い共通点がいくつも見出せて、大変実り多い機会となりました。

それぞれかなり個性的で、インドは言葉を尊重しないどちらかというと純音楽に近い感じ、声明は鐘の音を模するというもう途方も無い価値観の違いを思い知ると同時に、同じ、人間の声を使った芸術ということで、確実につながっている部分があるなということを感じました。

今月と先月でインプットしたことを消化し、自分のものにしていきたいと思います。

また気づきがあったらここに書いていくので、すっごい暇だったらまたお付き合いくださいませ。

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光岡英稔先生のBUGAKU講座|2回目

光岡英稔先生のBUGAKU講座|2回目

先週日曜日、光岡先生の講座にまた参加してきました。

前回初参加で、午前と午後のコマに参加しましたが、今回は午前午後夜間の3コマプラス忘年会と、ほんとに一日中武術に漬かってきました。

実は前回記事にした内容は、ほぼ午前中の内容で、午後の内容はあまりにちんぷんかんぷんで、文章にできませんでした。

今回2回目で、前回わからなかった部分が少しはわかるようになるかなと思って参加しましたが、逆でした。謎は深まるばかり。

ただ、わからないことをわからないままになんとなく受け入れる、という心構えが生まれた気がします笑

いや正直言いましてね、今までどんな専門的な内容でも教われば大抵のことはわかると思ってましてね、こんな頭のてっぺんからつま先までまるで言ってることがわからねえって体験は初めてだったんです。

ですが多分それが普通で、光岡先生もわからないもんはわからない的なことを仰っていたので、むしろ理解しようという姿勢そのものが間違ってるんだと思います。

Don’t think! Just feel!

ですな。

というわけでここから書く内容は私もぜんっぜん理解してません笑。

なので前回の記事のようにストーリーにもなってないのでご了承ください。

なんかこう、調味料を一個一個並べて味見してる感じだと思ってください。多分これが料理になって全体を味わうことができるようになるのはまだ相当先です。


前回のおさらい

  • 2足歩行よりも4足歩行の方が脊椎の自由度が高い→脊椎の自由度は末梢の自由度にかかわる
  • 2足歩行のまま、4足歩行の機能を得るために、前後表裏、右左表裏、上下表裏を理解し、それが一致している時に起こる作用、不一致の時に起こる作用を知る
  • 右手は甲が前、左は手のひらが前の時に、前後表裏と右左表裏が一致(定位)し、逆の時は不一致(不定位)する。
  • これらは陰陽学の思想だが、この思想がどういう経験から生まれたものなのかにアクセスし、どういう身体観を持っていたかにアプローチする
  • 気と血(感覚)の違い、感覚が生まれる前にある、気の状態がどうなっているか
  • 武術では、感覚が起こった時には既に勝負が決している(やられてからやられたことに気づいては遅い)
  • なので血が起こる前の「気」の方を注目するようになった
  • 気が血を導くことを勁道という
  • 勁道を通すための「型」や「式」
  • 二足歩行でありながら四足歩行の働きをもたらすのが「型」や「式」
  • ただし、型のような「動法」ではなく、「観法」でもそれができる(勁道を通すことができる)


基礎クラス

ここからが今回の内容

  • 気=見えない、感じられない、触れられない、実体がない。けど、ある。
  • 血=見える、感じられる、触れられる、実体がある。
  • 血が無いところに「気」があるのではないか
  • 「気」を見るということは、見えないところを見るということ
  • 気と血の狭間を見る
  • 「観法」とは観ること、観えるからわかる、わかるからできる
  • 空想とは違う。バーチャルな自分を頭で見るのではなく、リアルなからだをからだで観る
  • 「イメージ」とか「イメトレ」とか言う場合、この空想のことを指しているのか、観法のことを指しているのか、注意が必要
  • 前進には定位が適しているが、後退には不定位が適している。後退は生物にとっては超常現象
    つまり前進しにくい方が、後退しやすい
  • からだには、軆躰體骵の四つがある。軆は右前に、躰は左後に、體は左前に、骵は右後にある☜非常ーーーーに難解
  • 躰から軆が生じ、骵から體が生じる
  • 前進の観法は、軆から躰を観る。生じる方向は躰から軆だが、観るときはそれが観えるように反対から観る
  • 後退の観法は、體から骵を観る、ただ軆や躰よりも観えにくく、消えていくように観える。軆→躰→體→骵の順番で「無さ」が増えていく
  • 軆を観るときは外側からからだを「省み」るように
  • 躰を観るときはからだから外側に「観る」
  • そしてここからさらに難解なのは、體を観るときはからだの右後側の内側から左前を観る
  • 骵を観るときはからだの左前の内側から右後を観る☜めちゃめちゃ難解
  • さらに、これら四方のからだを上下にも観ることができるそうで、右前上、とか、左後下というように観るそうです。これを四方八方のからだと言う
  • 後退の経験から人間は時間の概念を構築した
  • 「経験」には覚えている経験と覚えていない経験がある
  • また①個人レベル、②種として、③生命としてという3種類の経験がある
  • 個人レベルだけでみても、覚えている経験は1%以下、種として、生命として覚えていない経験は、なお覚えている経験よりも遥かに豊か
  • いかにこの「覚えていない経験」にアクセスするか
  • 科学は「覚えている経験」の集積
  • 科学でわからないことがあるのは無理のないこと


応用クラス

この辺りまでで午後が終わったように思います。

夜間の応用クラスでは、実践にほとんど時間が費やされ、メモは1つだけでした。

  • 型・式の勁道三種 ①同時そろい型 ②交互入れかわり型 ③連続一形一同型

つまりこれは、不定位を定位にする時に、左右が同時に転換するタイプと、左右が交互に転換するタイプ、そして3つ目は記憶が怪しいのですが、同じ型を左右で入れ替えて連続でやるタイプだったように思います。

応用ではそれまでの基礎を踏まえ、動法からより観法の方にシフトしていったように思います。

動法によって不定位を定位にするのと同様に、観法でも不定位を定位にできます。

そして、からだの見方についても、先ほどの見方に加え、身を観る、骨を観る、という見方もあるそうで、もうちょっとこの辺は僕も混乱しているんですが、體とかの骨と、軆とかの身と通じているのだそうです。

でも軆とか體とかがからだの外側にあるのに対し、身を観る、骨を観る、というときは実際の身(肉)とか骨のことを言っているようでした。

骨を観る、というのは結構わたしにもわかりやすく、確かに骨を観るようにするとからだが機能した感じがする、というか実際に機能しました。

実践を伴いながらやるので、観えてるときは技がかかるし、観えてないとかからない。

相手がガチでやってくれている限り、自分がほんとに観えてるかどうかは、相手を通してはっきりとわかります。

骨が観えて、技がかかる時って、全く身的な力っていらないんです。はっ?てくらい楽にからだが動く。そして受けている方も、力がかかっているという感覚がないんです。大して力を感じないのに、全く耐えることができない。

観法って普段からやるし、できてるつもりでいたけれど、相手を通してシビアに判断されると、自分観たつもりになってただけやなってことが痛いほどわかりました。

あと相手がいて初めてわかるのは、「照らし観」(聞いただけなので漢字があってないかもしれません。てらしみです)ということ。

小手投げっていって、相手の手だけ持って全身を崩すというのをやったんですが、自分のからだが肘まで観えてるときは相手も肘まで技がかかる。腰まで観えてるときは腰までかかる。膝やくるぶしまで観えて初めて相手のからだ全体を崩すことができるのだそうです。

つまり、相手に技をかけているときに、観ているのは相手ではなく自分なんです。

「観るとこ自分しかないからね」って仰っていましたが、これはもう、なーるっほど。でした。

アンサンブルなんかやってるときもそうですよね。音楽の場合、相手をどうこうするわけではないですが、何かこう仕掛けようとしたときに、自分でなく相手の方をみていたら、暖簾に腕押しって感じで空回りするばかり。

何か作用を起こそうとするときは自分を観てなきゃだめなんですよね。

また聴衆と演奏者の関係もそう。

演奏者が聴衆の心を動かそうとして自分がみえなくなると、ほんとお寒いものにしかならない。

「相手を通して自分を観る」

この発想はダイレクトに音楽にも応用できそうです。

あと今回印象的だったのは、「心気体」の話。

私ずっと「心技体」だと思ってたのですが、これは誤った伝承なのだそうです。

今までずっと「心技体」だと思って話してた自分が恥ずかしい、、、。

言われてみれば確かに心技体よりも心気体の方がしっくりくる気がします。

「技」は結局「体」に含まれてる気がするし、「技」ってほんと「体」の邪魔ばっかりするよなあという実感があったので、「技」が心や体と並列にされて敬われていることに違和感がありました。

しかし「心気体」なら、どれも欠くことのできないものとして納得できます。

心気体を心技体だと思っていた私は、技に溺れて気を失っていたんですね笑。


忘年会

そして夜は忘年会、2回目の参加でいきなり忘年会にも参加ってなかなかやなって思ってましたが、初参加で3コマプラス忘年会という猛者すぎる国語の先生もいらっしゃったので、臆せずにすみました。

しかしですね、皆さん、光岡先生とお酒飲むってだけで緊張するのに、なんとこの会にですね、甲野善紀先生までいらっしゃったのですよ。

ウワーッ、、、テレビで見たことある人だーー、、、的な、、、。

しかもなぜか私光岡先生、甲野先生の並びに座ってしまってもう心はふーわふーわ。

その前に武術の稽古してなかったら確実に幽体離脱してたことでしょう。笑

しかし酔っ払ってしまえばこっちのもの、空手の先生と、マイノリティつらいっすよねえ話で盛り上がりました笑

やっぱなんかしら疑問持ちながら追求して、闘ってる人がこういうところには集まるんだなと思いました。


この週末は金曜に灰野敬二さんにお目にかかり(見ただけですけど)、日曜に光男先生と甲野先生にお目にかかって酒まで飲むという凄い週末でした。

そのおかげか昨日から声の調子が明らかにいいです。今までになくスムーズに、いい音色でミックスにいけるかんじ。

あと今朝しゃがんだ状態から立ち上がるときに不思議な感覚がありました。

なんというか、噓みたいですけど、立とうと思ったら、もう立ってたんです。何このスピード感。スゴ。ってそれ一回きりでしたけど。

なんだかからだの部品の一部が交換されちゃったような感覚です。

今週末は叔母の桜井真樹子の声明の講座に行ってきます。

きっとまた人生を刷新するような経験ができることでしょう。楽しみです。

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第2回 Ensemble Salicus演奏会|終演

第2回 Ensemble Salicus演奏会|終演

先週末、Ensemble Salicusの演奏会が終演いたしました。

ご来場下さいました皆様、誠にありがとうございました。

Ensemble Salicusのリハは毎回ほんとに楽しすぎてノーストレス。ゲラゲラ笑いながらリハできました。

やはり、どういうリハをするかということが本番の演奏を決めるので(それだけではありませんが)。今回はいいリハができたかなと思います。

あと個人的には今回演奏時間に余裕があったので、MCで落ち着いて喋れたのもよかったです。

いつも1分1秒を争うキチキチのスケジュールになってしまうことが多いので。

固有唱を含めたミサ形式を4人で歌うというのもはじめての経験だったので、大変スリリングで楽しかったです。

今回アグリコラを演奏出来て本当に良かった。

録音聴いて、面白い作曲家だとは思ってましたが、これほどまでに凄い作曲家だとは思いませんでした。よく変態作曲家の代表格として引き合いに出される、ジェズアルドなんかとは全然違う「変さ」でした。

アグリコラの音楽は誠実で、誠実であるがゆえに「変」。

中にはそういう人もいるんですね。

グレゴの特殊ネウマについても、今回声明のネウマにヒントを得て、歌い方を微調整しました。

ほんの少しですが、また少し近づけたかなあと思っています。

写真1(普通)写真2(完全に心霊写真)

写真3(Queen風)


そしてこの演奏会、なんと灰野敬二さんがいらっしゃっていて、人生最大レベルの衝撃を受けました。

まさか自分の演奏会に灰野敬二さん来るとは夢にも思っていませんでした。

ただ、あまりに畑違いの演奏会だったので、他のお客さんに気づかれることは少なかったようで(プラス皆様良識的な方々なので)混乱が起きなくて良かったです。

多分父か叔母から話を聞いてくださったのか、何なのかよくわかりませんが、灰野さんは、父と叔母とは面識があります。

父の作ったポリゴノーラという楽器を買ってくださって、使ってくださっています。

https://youtu.be/xyIEbcwz_n8

こちらの動画、ポリゴノーラの可能性を汲み尽くした超名演です。是非一度ご覧ください。

誰に褒められても嬉しいですが、灰野敬二さんのような畑違いの方に評価されるのが一番嬉しいので、どういう感想持ったか聞きたかったなあ、、。


土曜は家探し、日曜は光岡英稔先生の講習会に一日中出てたので更新が遅れてしまいました。

光岡先生の講習会については次の記事で書こうと思います。

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Ensemble Salicus演奏会|今週末

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先週末はヴォーカル・アンサンブル カペラの目黒区美術館でのミュージアムコンサートがありました。

ご来場くださいました皆様、まことにありがとうございました。

村上友晴さんのモノトーンの絵画の中で、グレゴリオ聖歌主体のミサを演奏しました。

通常唱はいつもはポリフォニーで演奏することが多いのですが、今回はそれも含めすべてグレゴリオ聖歌でした。ポリフォニーはデュファイの3声のモテット3曲で、それぞれ、オッフェルトリウムの代用、コムニオのあと、そして閉祭の歌として歌いました。

そして今回研一郎が出演できなかったので、私初めて司祭役をやりました。

私実はカペラの演奏会の中では研一郎のPater nosterが一番好きなんですが、それを今回自分がやりました。

やはりいつも見ている光景でも、自分でやるのは違いますね。次に何がくるのか、常に頭がフル回転で、大変素晴らしい経験になりました。


さて、今週末はいよいよEnsemble Salicusの演奏会です。

この演奏会でも私司祭役をやります。

演奏するのはアレクサンダー・アグリコラ、誰やねんって感じですよね。私もそうでした。

16世紀にはこの時代の作曲家としては5本の指に入ると言われていたのですが、現代ではあまり演奏されることがありません。

こういうことって結構あって、いつかアラミレで演奏したアダム・レナーとかヨハンネス・レジスとか、フランドルにはまだ知られざる巨匠が沢山います。

そしてなかなかわかりにくいですが、それぞれが本当に個性的です。それぞれの作曲家の癖、こだわるポイント、頻出させる好きな技法なんかがわかってくると、実に味わい深いです。

例えばルターは、ジョスカンを評して「音の主人」と言いました。音を意のままに操って天才的な音楽を繰り広げる様子をよく表現していると思います。

それに対してアグリコラは、言うなれば「音の料理人」笑、彼の作るスープの隠し味を誰も知りません。何が入ってるか全然わかないけどめっちゃうまい!って感じです。

あるいは違う言い方をすると、ジョスカンが宇宙の摂理を表現しようとしたのに対し、アグリコラはその宇宙に投げ出された人間の孤独を表現しようとしたって感じでしょうか。

「わかりやすい音楽」と言うと嘘になると思います。

この頃の音楽は、作曲家の自己表現ではないので、わかりやすい「感情」や「感覚」を表していないからです。

嬉しさ、苦しさ、怒り、喜び、悲しみ、痛い、気持ちいい、そういう音楽ではありません。

とも言えるし、それらすべてを表しているとも言えます。

もっと根本的な、生きることの尊さとか、世界がこうして在ることのありえなさを歌っているんだと思います。

そういうスタンスで、まっさらな気持ちで、体ごとその音楽に身を浸すと、本当に胸がいっぱいになります。

この音型は何を表しているんだろう、どういう感情なんだろう、そういうの全部取っ払うことができれば、こんなアッパー系なミサ曲はありません。圧倒的高揚感です笑。


それから今回はグレゴリオ聖歌の歌い方についてもアップデートを加えました。

といってもアポストロファのずり下げを、今まではその音からやっていたのを、その音に向かってやるというそれだけのことなのですが。

特殊ネウマについてはコチラをチェーーック!

いやほんとね、我ながら細かいと思いますよ。ほんのちょっとの違いなんです。多分何気なく聴いていたら全く気づかないと思います。

しかしですね、このほんのちょっとした違いが我々にとっては天地がひっくり返るほど本質的なことなんですよね。

わからなくていいんです。なんか違う、なんかいいなって思っていただけたなら、その影にこういう細かい絶対誰にも気づかれないような細部に対するこだわりがあるんです。

問題はこの細かな差、そのものではないんです。そういう細かな差が積み重なったもの全体を聴いた時に何を感じるか、何を感じさせたいかということなんです。

だから、私よく、ここをこうやってます、こんなにこだわってますって押しつけがましく言ってますが、その、そこを聴いてほしいわけではない。そんなクソどうでも良さそうなところにまでこだわり抜いて音楽に向き合ってますよってその情熱ね、それを感じてほしいなって思ってるわけです。

ってね。言わなくてもいいことまで言ってますが、結構誤解されてるようなので勢い余ってたまには言うことにします。笑

演奏会詳細はこちら↓

https://www.salicuskammerchor.com/concert

あ、アポストファってこれです。この赤丸のところ。

これは半袖Tシャツですが、今回ロンTも作りましたので、よかったら受付によってみてください。

さらに今回、去年のEnsemble Salicusのレクチャーコンサートを収録したライブCDも作りましたので、こちらも良ければ御覧ください。

物販について詳細はコチラ↓

https://www.salicuskammerchor.com/goods

 

 

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〈インド古典声楽入門〉に参加してきました。

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先週の光岡英稔先生の武学講習会につづき、今週はバーンスリー奏者の寺原太郎さんの講座を受講してきました。

この講座は、先月私が講師を務めさせていただいた、コエダイr合唱団コブシ研究会の主催するワークショップシリーズです。

ちなみに来月はうちの叔母、桜井真樹子が講師を務める、「声明入門」で、こちらも私参加予定です。

ちょっと、よくよく考えたら私最近講習会通いまくり!

先週武学、今週インド音楽、来週とばして再来週武学(2回目)、再々来週声明。5週間のうちに4回講習会!

やば。スーパーインプット月間だわ。モチベーションどないなっとんねん。


ロングトーンによる瞑想

寺原太郎さんの講座は実は2年前にも受けているのですが、その時も大変感銘を受け、今回はことコブシにフューチャーした講習会ということで、あわよくばグレゴリオ聖歌の歌唱法のヒントになるかもと思い参加しました。

tanpura(開放弦5-6本で鳴らし続けるドローン楽器)がずーっと鳴ってる中で進められる講習会のスタイル。なんとi tanpuraというアプリだそうです。早速ダウンロードしました笑

今回の講習会は実際に受講生が歌ってみるという箇所が多く、大変実践的でありがたかったです。

朝イチにインド音楽の演奏者がやるという練習法、ひたすらに基音(sa)を出し続けるというのをまずやりました。

インド音楽では基準ピッチのようなものはなく、声域や楽器によって自由に変えていいそうです。

が、だいたい男性はD周辺、女性はA周辺がsaになることが多いそうで、今回はDを基音にしました。低い方からということで、なんとしょっぱなに発する音がLow D!朝だからギリ出るけど笑、いきなり凄い練習法とびだしました。

しかもなんとこれを1時間とか2時間やるそうで、もはや呼吸よりも自然に声が出る、という境地に至るそうです。

もうとにかくこういうゆったりとした時間の使い方って、私たちの体にとって本当に必要だと思います。

先週の武学の講習会でも、正座で体を観る、という観法を30分くらいやりましたが、途中でほんまに暇すぎて、現代に染まりまくった体には、拒絶反応が凄かったです。

でもそれをやってみて初めて、暇で暇でしょうがないという経験をすることができたし、本当に自分の体から目を離さないというのがどういうことかを学べました。

今朝早速1時間Low Dやってみました。30分正座に合掌で内観やりながら、30分は座禅のスタイルで。

いや、死ぬかと思いました。インド人すげえ。


インド古典声楽におけるコブシ

インドってデカい。なので一言でインド音楽といっても何を指すのかわからない。しかし古典音楽となると、ムガル帝国の影響があってそこまでの地域差はないそうです。

今回は北インド古典声楽ということで、古来のものと、ペルシャ系の文化が融合して発展してきたのだそうです。なんというか、インドって半島の端っこだし、いろんなものが流れ着くようになってるのかなあと思いました。

特徴としては、まずはなんといっても音の滑らかさに対するこだわり、ある音と、隣り合う音との間にある無限の音高、この「無限に一瞬で触る」というのが重要なコンセプトなのだそうです。

この滑らかな動き、にも3種類あって、初速が速くて後半減速しながら次の音に達するもの、初速はゆっくりで、加速して次の音に達するもの、それから初速速くて途中減速し、次の音に達する前にまた加速するものとを歌い分けるそうです。

しかもその途中に音の揺らぎを上につけたり、下につけたり、上下につけたり。こうした細かい動きがラーガによって規定されていて、それらを聞き分け、歌い分けできないとそのラーガは演奏できない。

そしてコブシにあたりそうなガマックとかムルキーをつけているときも、この滑らかな動きが失われないようにします。

ガマックは音と音の間を素早く行き来するのですが、隣り合うだけでなく跳躍音程でも普通にやるそうで、オクターブガマックがデフォルトの流派もあるそうです。

ムルキーは7個とかの音を一気にズラズラズラーっと歌うもので、それを知らないと、なんかしゃくったな、くらいにしかわかりません。あまりに瞬間的なので。しかしそう歌ってると言われて聞いてみると、不思議なことにそう聞こえてくるんですね。確かに音が7つ入ってる。

このムルキーもラーガによって入り方が決まっているそうで、その決まりの中で即興していくのだそうです。

https://youtu.be/76dGK1xcV2E

この動画の15分あたり、細かい音を鍵盤で後追いしてくれているのでわかりやすいです。


悠久のラーガ

このラーガの話で印象的だったのは、寺原さん自身が演奏に使うラーガは50種類くらい(メモってなかったので違ったらすみません)、聞き分けられるのは150種類くらい、ということでした。

旋律の微細な動きの差から、150種類聞き分けるってのも半端ないですが、それでもラーガって無数にあって(今ウィキで調べたら3万以上あるそうです)1人の人間が全てを習得できるということはないそうです。

全てを習得することをそもそも前提としていないというか、悠久の歴史の中でそれだけのものがあったということで、伝統の力強さを感じました。

それからこれも講座の後で個人的に聞いた話なのですが、大変印象的だったので書き留めておきます。

ラーガって一つ身につけるのにどれくらいかかるんですか?って私のしょうもない質問に対する答えとして話してくださった逸話です。

インドで国営放送が始まる時に、専属ミュージシャンのオーディションが行われた。気位の高いインドの音楽家は、なんもわからん役人に審査されることを嫌って誰も応募しようとしなかった。結局オーディションに来たのはいわゆる大御所とされる人ただ1人。一応決まりに従って口頭試問が始まった。「あなたはラーガをいくつ知っていますか?」という質問に、その大御所は「一つです」と答えた。「そんなわけがない。あなたほどの人が一つってことはないでしょう?!」、大御所曰く「知っていると言えるほどに身につけることができたのは一つだけです」

つまり一つのラーガを習得するには、(少なくとも)一生はかかる。

一つでも身につけてみたいなあと気軽に考えた自分が馬鹿でした笑


インド古典声楽における音律

グレゴリオ聖歌との共通点をいくつか感じることのできたインド古典声楽ですが、ここはかなり違うなと思ったのは、音程のとり方、音律についてでした。

グレゴリオ聖歌は基本的に音律はピタゴラス音律を用います。純正5度を使って積み上げた音律で、ドに対してファやソは純正になりますが、ミやシは純正長三度よりかなり高くなります。詳しくはコチラ

それに対しインド古典声楽では、純正調の考え方が基本的としては近いようです。純正調についてはコチラ

タンプーラが常にドローンとして鳴っているので、それに対して自然に音をとっていくと3度も純正にならざるを得ないという感じのようです。

ただいつもsa(ドレミで言うとドの音)を基準にした純正というわけではなく、ラーガによって同じ音でも高さを変えるということでした。

固定されているのはsa(ド), ga(ミ), ma(ファ), pa(ソ), dha(ラ)の5つ、動く可能性があるのはkomal re(レ♭), re(レ), komal ga(ミ♭), tivra ma(ファ#), komal dha(ラ♭), komal ni(シ♭), ni(シ)で、全部で(少なくとも)22個の音程があるのだそうです。

ちなみにここでレ♭という、移動ド固定ドのことをわかっている人からすると意味不明な書き方をしていますが、多分インド古典音楽的にはこの書き方が一番近いです。

これもかなり西洋音楽と違うなと思ったところのひとつで、インド古典音楽の階名は、西洋音楽の音名とも階名とも異なる考え方で、saの音高は適宜移動するのですが、saから階名は固定されていて、例えばkomal reの音もreの音も階名唱では同じreを用います。西洋音楽の階名の考え方だとミ-ファやシ-ドに読み替えるか、あるいはRaと言ったりしますよね。

階名唱に慣れている人にはかなり違和感がありますが、しかしシラブルが全然違うので、意外と慣れればできるものなのかなあとか考えていました。


講習会の後、コエダイr合唱団と、寺原夫妻と、イタリア料理のイベントに行き、たらふくうまいものを食い、コエダイの皆さんのテノーレスを聴くという、なんだかやたらと充実した1日でした。(広島のバルセロにいらっしゃった伊藤さんも料理を振舞われておりました)

https://youtu.be/HVyPQ34bhdM

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