コエダイr合唱団演奏会

コエダイr合唱団演奏会

2024年も終わろうとしていますね。

9月から投稿が滞っておりました。

というのも9月から10月にかけて、ひと月にデュファイのミサを3曲演奏する(9/23グランデュファイ.10/14アラミレ.10/25カペラ)という多分人生でもう二度とないことがありまして(しかもそれぞれテノール、バス、コントラ(アルト)という別々のパートでした)。

そしてその翌週には叔母の新作能「雪の華」の公演がありまして。

その翌週にはグレゴリオ聖歌の録画と名古屋弾丸ワークショップなどありまして。

その翌週にはオケ合わせに入って、3日連続オケ合わせ、1日あけて2日連続公演、翌日ブルガリアンボイスのワークショップを受けて翌日京都でワークショップというわけのわからんスケジュールで、その後1週間位は呆けておりました。

それぞれを詳細に振り返っておりますと、年が明けてしまいますので、ほんの少しだけ。


グランデュファイ

この催し物は花井哲郎先生が指導する関東関西中部の3つのアマチュア団体が合同でミサ・スラファセパルを演奏するというもので、私は助っ人でテノールを歌いました。

総勢30人くらい?でデュファイを歌うというのも初めての経験でしたし、そもそも本番でテノールミサ(テノールが全ての楽章で定旋律を歌うミサ)のテノールを歌ったのも初めてでした。

長い音価で比較的高い音を歌い続けるので、まあ大変といえば大変なのですが、俯瞰でミサが観れる感じで、役得感もありました。とても面白かったです。

面白いといえばこのときに演奏したグレゴリオ聖歌も面白く、デュファイ作と言われる新作のグレゴリオ聖歌で、なかなかこれも演奏機会の少ないものですので、貴重な経験となりました。


<ヴォーカルアンサンブル アラミレ>第15回演奏会

アラミレも今年はデュファイで、ミサ・アヴェレジーナチェロールムを演奏しました。

これがまたとんでもない難曲で、まあそれはそれは四苦八苦しながら練習して、しかし本当にとんでもない名曲でした。

スラファセよりもこっちが有名になっても全然おかしくないと思います。

モテットの方もごっつい難易度高い曲で、音にするだけでも相当難しいですが、かなりいい演奏ができたのではないかと思います。

アレミレは来年は打って変わってパレストリーナ。

わけあって今デュファイも並行して練習しているのですが、アマゾンとアラスカくらいの体感の違いで、それを楽しみながら練習しています。


ヴォーカル・アンサンブル カペラ
デュファイのミサ《ロム・アルメ》

10月26日に半袖ですね。まだこの頃は夏だった。ほんともう季節が無茶苦茶。

ミサ・ロムアルメのコントラテノール(アルト)のパートを歌いました。

今回驚いたのは、配信の音の良さです笑

めっちゃくちゃ綺麗に入ってる。

カテドラルって残響が多すぎて会場で聴くと、それがいいといえばいいのですが、ディティールを聴き取るのが難しいんです。

もちろん会場でライブでしか体験できないものも大きいので、どちらが良いとは一概には言えませんが、オススメは会場で聴いたあとアーカイブ配信視聴です。

一度お試しください。(できるだけ良い視聴環境で)

それからロムアルメなのでミカエルの祝日のグレゴリオ聖歌を歌ったのですが、使った写本がカンブレー写本、グランデュファイで歌ったデュファイ作のグレゴリオ聖歌が収められている写本でした。

メディチ版のようにずいぶんともとのグレゴリオ聖歌からすると簡潔になっているのですが、そのセンスがメディチ版と違って、めっちゃ面白いです。

一つのグレゴリオ聖歌をいろんなバージョンで歌うのごっつい楽しい。

そういうイベント企画したい。

ちなみにミカエルの祝日のグレゴリオ聖歌は来年のアラミレでも歌うのですが、こちらはメディチ版を用います(パレストリーナなので)。

今練習中なのですがまあほんと面白いです。

詳しく書いていると年が明けるので続きはまた別の機会に。


新作薪能 ハイパー能「雪の華」

ジャニー喜多川をテーマにした新作能でした。屋根はあるけど野外、という環境で、この季節には普通ありえない大雨&風&雷で、凄まじいコンディションでした。

よく薪に火がついたなと思います。

早々に楽譜が飛んで舞台上でパルプになってるし。

私は地謡とグレゴリオ聖歌風の歌、唱歌との二重唱などを歌いました。


Salicus Kammerchor
J. S. バッハの教会カンタータ全曲シリーズvol.1

100年計画の第1回の録音が終了しました。

音源化前提の寒い演奏とは程遠い、かなり録音してることも忘れるような熱演担ったと思います。

打ち上げでコンマスが「世界一美しいコラールだった」と言っていたことが非常に印象的でした。

うちのコンマス厳しいんですよ。同級生でもう10年くらい一緒にカンタータやってるので遠慮がないし。

めったに褒めないというか初めて褒められた気すらするんですが笑、嬉しかったです。

クラウドファンディングもお陰様で目標金額を達成しまして、なんとかやっていけてはいるのですが、それでもお客さんもう少し呼べるようになりたいです。

倍は来てほしい。。

広報頑張ります。

来年は6月に第10回定期演奏会で、グレゴリオ聖歌だけの演奏会を行います。

定期会員の募集を開始しましたので、どうぞよろしくお願いいたします。。

https://www.salicuskammerchor.com/support


コエダイr合唱団演奏会

振り返り終わりましていよいよ本題です。

今月の私の出演する唯一の演奏会です。

ヨーデル、ジョージア、ブルアリア、ホーメイ、オルティンドー、テノーレス、台湾の合唱をやります。

いやあ列挙してみるとなかなかイカツイ。イカツイプログラムです。

これらをただその曲を普通の声で歌うのではなく、それぞれの芸能の価値観に見合った声で歌うというのがコエダイr合唱団の凄いところです。

全部ではありませんが、ホーメイやヨーデルやブルガリアや台湾に関しては、その道の専門家を呼んで定期的に指導を受けています。

テノーレスは実際イタリアのサルデーニャ島まで出向いて直接現地のテノーレスから教わっています。

いやあイカツイ活動してますわ。

演奏会お申し込みはこちら↓
https://www.reservestock.jp/events/948824

さらに、特殊発声は聴くのも楽しいけど出すのはもっと楽しいということで、体験会もあります。↓

https://www.reservestock.jp/events/976243

同じアホなら歌わにゃ損ということで、皆様のご参加お待ちしております。

菩薩のラメント×キュロスの哀愍2

前回の記事はこちらから→https://bit.ly/3heOqTx

今回は、菩薩のラメント×キュロスの哀愍の各曲について解説していきます。


第1部「菩薩のラメント」

①「エレミアの哀歌 第1章1-14節」
ユダヤ教朗唱(ヘブライ語) と グレゴリオ聖歌(ラテン語) を交互に

前半冒頭はまずエレミアの哀歌の第1章を1節から14節まで、ユダヤ教朗唱とグレゴリオ聖歌交互に歌います。

いきなり声明じゃないんですけど、うちの叔母はほんとイカれてて、いろんな単旋律聖歌を歌うことができます。プログラムを見ていただくとわかるんですが(最後に貼り付けます)、叔母はマジで超いろんな言語で超いろんなスタイルで歌う一方、私はグレゴリオ聖歌しか歌いません笑

このユダヤ教朗唱とグレゴリオ聖歌の交互唱はなかなかこれだけでもとてもおもしろくて、ヘブライ語で微分音バリバリ使ってくる叔母と、Ut- Re-Mi-Faの3音しかない超シンプルな旋律でのラテン語の語りとが対照的でありながら、ヘブライ語をラテン語に翻訳して説明する読み聞かせ?のような雰囲気でなかなか味があります。


②「エレミアの哀歌 第2章14節」
声明風新作(中国語) と グレゴリオ聖歌風新作(ラテン語) をポリフォニー

続いては中国語版聖書からエレミアの哀歌第2章14節を引用し、それを声明風に新作したものと、同じ節をグレゴリオ聖歌風に新作したものでポリフォニーします。

送られてきた声明の音源をミの旋法と捉え、第3旋法風の対旋律をつけました。

これは即興風というよりは対位法風に作りましたが、何が協和音程で何が不協和音程なのかという価値観はこの世界線には存在しないので、勘で作りました笑

これなかなかいい感じにポリフォニーになってると思います。


③「エレミアの哀歌 第4章17節」白拍子風新作(日本古語)

「エレミアの哀歌 第4章18-22節」朗唱様式(ラテン語)
をポリフォニー

前半最後はエレミアの哀歌第4章17節を叔母さんが白拍子風に新作したもの(聖書のテキストを日本古語に翻訳!)に、哀歌のその次の節からを朗唱風にしたものを合わせます。

この章は典礼の中では使われていないのですが、①で演奏した(典礼の中で使われる)他の節と同じ方法で朗唱します。

なので新作というわけではありませんが、こういう曲は実際には存在しないという意味では新しい曲と言えるかもしれません。

朗唱なので割と一つの音でととととととっと読んでいくのですが、これがまた「喋るドローン」みたいな感じになって面白いです。


第2部「キュロスの哀愍」

④「エレミア書 第29章10節、第25章22-23節」
グレゴリオ聖歌風新作(ラテン語)

エレミア書から引用したこちらの節では、エルサレムが70年神から見放され、70年後に再び復興することが預言されています。キュロスによってエルサレムが返還されたというのがこれにあたり、今回この部分をキュロスの円筒碑文に先立つ形で取り上げました。

こちらはポリフォニーではなく全く単旋律のグレゴリオ聖歌風新作です。

他の部分で第1旋法が出てこないので第1旋法で作りました。

まず29章の方をDのドローン上で即興し、それを録音したものを採譜するというやり方で作ったので、方法としては結構オーセンティック何じゃないかと思います。紙の上で作曲したのではなく、即興したものを書き留めたという点で。

これをアンティフォナとし、25章の方は詩編唱風に歌います。詩編やカンティクム以外を詩編唱のように歌うことは多分典礼上はないと思うのですが(違ったらごめんなさい)、この世界線では何でもありなので、こういう非現実的なことにもチャレンジします。

雰囲気としてはIntroitus(入祭唱)風になっております。


⑤「キュロスの碑文第32-35節」
新作(アッカド語)

こちらは叔母によるソロです。アッカド語ってそもそもどういう発音で喋られていたかすら分かっていないらしく、まずそこから復元して旋律つけてってもう完全にどうかしてますよね笑

どんだけ手間なんだ。

詳しくは叔母が書いたこちらの記事を御覧ください→https://bit.ly/3iU4ZV8

⑥「キュロスの碑文第35節」声明風新作(中国語)

「イザヤ書第44章21-27節」エピストラ風朗読(ラテン語)
をポリフォニー

続いてキュロスの碑文(アッカド語)の一節を中国語に翻訳したもの(!)を声明風に新作したものに、イザヤ書の一節を合わせます。

イザヤ書の当該箇所ではキュロスによってもたらされたエルサレムの復興が語られています。

ここでは旧約聖書をミサの中で朗読するときの方法で朗読します。カペラの演奏会に来たことのある方は「ああ、あれか」とピンとくるはずです。

⑦「延命十句観音経、梵網菩薩戒経偈」(読経)

「イザヤ書第44章28節、第45章1節」グレゴリオ聖歌風新作(ラテン語)
をポリフォニー

最後はお経とグレゴリオ聖歌のポリフォニーします。

キュロスの碑文の最後の節がキュロスの長命を願う言葉で終わっているため、同じテーマを持つ「延命十句観音経」と、その続きである「梵網菩薩戒経偈」も取り上げました。最後に菩薩登場ということで前半プログラムとのテーマの回帰みたいなところも狙っております。

これに合わせるグレゴリオ聖歌はまさに「キュロス」の固有名詞が登場する(ラテン語ではCyro)箇所で、ここでの作曲方法は、グレゴリオ聖歌が新作される時に用いられる「替え歌」の方式を取りました。

なので厳密に言うと作曲ではないのですが、実際そういうやり方もあるので、伝統に基づいたやり方友言えます。

このお経に合いそうな第7旋法のグレゴリオ聖歌を探して、それにイザヤ書のテキストを振りました。


まとめ

まとめますと、内容的にはざっくり前半はエルサレム没落の嘆き、後半はエルサレム再興。

構成としては、

前半は交互にソロ→ポリフォニー

後半は私のソロ、叔母のソロ→ポリフォニー

という感じで、ポリフォニーも、お互い旋律のもの(②)から、私のドローン×叔母の旋律(③、⑥)、私の旋律×叔母のドローン(⑦)というなかなかバラエティに富んだ構成となっております。

以下プログラム全体です。


プログラム

第1部「菩薩のラメント」

①「エレミアの哀歌 第1章1-14節」
ユダヤ教朗唱(ヘブライ語) と グレゴリオ聖歌(ラテン語) を交互に

②「エレミアの哀歌 第2章14節」
声明風新作(中国語) と グレゴリオ聖歌風新作(ラテン語) をポリフォニー

③「エレミアの哀歌 第4章17節」白拍子風新作(日本古語)

「エレミアの哀歌 第4章18-22節」朗唱様式(ラテン語)
をポリフォニー

第2部「キュロスの哀愍」

④「エレミア書 第25章22-23節、第29章10節」
グレゴリオ聖歌風新作(ラテン語)

⑤「キュロスの碑文第32-35節」
新作(アッカド語)

⑥「キュロスの碑文第35節」声明風新作(中国語)

「イザヤ書第44章21-27節」エピストラ風朗読(ラテン語)
をポリフォにー

⑦「延命十句観音経、梵網菩薩戒経偈」(読経)

「イザヤ書第44章28節、第45章1節」グレゴリオ聖歌風新作(ラテン語)
をポリフォニー


いやあ我等ながら面白そう。

皆様ぜひ会場に足をお運びください。

ご予約は→g.sakurai.office@gmail.com

菩薩のラメント×キュロスの哀愍1

今週末に迫りました叔母との企画について、お話したいと思います。

この企画は2020年に開催した「ダヴィデの声明×如来のイムヌス」の続編で、「声明とグレゴリオ聖歌のポリフォニー」をテーマにしています。

前回は「カタカナの漢字×漢字のカタカナ」、今回は「漢字のカタカナ×カタカナの漢字」ということで入れ子になってるんですね。一応考えてるんですねそういうところ笑

そもそも私たち叔母甥は、というか櫻井家というのがちょっと変わってて、叔母が声明パフォーマーで、甥がグレゴリオ聖歌歌いなんですよね。

それで叔母は仏教徒ではないし、甥はクリスチャンではないというのがミソなのです。

いわゆる声明とグレゴリオ聖歌の企画というのは結構いっぱいありまして、珍しくもなんともないのですが、仏教徒でもクリスチャンでもない人がやるからこそできることというのがあるんですね。

それが「新作」です。

仏教徒が声明新作したり、クリスチャンがグレゴリオ聖歌新作したりしたら怒られますよね。普通。そうじゃなくても怒られそうだけど笑

だから一応声明「風」新作、グレゴリオ聖歌「風」新作としているのです。

それでなんのために新作するかというところですが、それはポリフォニーするためです。

つまり声明とグレゴリオ聖歌を同時に歌って、アンサンブルするのです。

既存の声明と既存のグレゴリオ聖歌を同時に歌ってももうそれはただのパラレルワールドなのですが、新作であればピッタリいい感じにアンサンブルできるわけです。(だから普通はせいぜい声明とグレゴリオ聖歌を交互に歌うくらいしかできないんです)

前回のはこんな感じ。

こんなほうぼうから袋叩きにあいそうなイカれた企画はアングラ声明パフォーマーとハードコアグレゴリオ聖歌歌いにしかできません笑

類まれな企画であるということだけは保証します!


今回のテーマは前半は「エレミアの哀歌」、後半は「キュロスの円筒碑文」です。

エレミアの哀歌は旧約聖書に含まれる、預言者エレミアがエルサレムの陥落を嘆いた歌で、キュロスの円筒碑文については下記ウィキペディアをご参照ください笑

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC

上記ウィキにも触れられておりますが、キュロスについてはイザヤ書44章にも記述があり、私の歌唱部分はその部分と、関連するエレミア書第25章からとられています。

というわけで今回のテキストはほぼ旧約聖書から取られています(キュロスの円筒碑文そのもの以外)。

(だんだん何をやるかわかってきましたよね?ほんと説明するの大変なんだから!)


ここから各曲の説明に入ろうと思いましたが、あまりに長くなってしまうため、その2につづく!ということにしたいと思います。

皆様ぜひともこの空前絶後のライブにお越しください!

お申し込みはこちらのメールアドレスまで→g.sakurai.office@gmail.com

光岡英稔 韓氏意拳講座|12-13回目

先月末から今月末にかけて、BUGAKUと韓氏意拳の講座を受講しました。

まずは韓氏意拳の方からレポートしていきたいと思います。

BUGAKUの方は25回受講してるようなんですが、韓氏意拳はまだ13回なんですね。

開講頻度と金土日にやってることが多いということでそうなってるようですが、前回から少し間があいてしまいました。


これまでのレポートはこちら↓
韓氏意拳講座|1回目 https://is.gd/D3RjiJ
韓氏意拳講座|2回目https://is.gd/G7l53a
韓氏意拳講座|3回目 https://is.gd/rDRgMX
韓氏意拳講座|4回目 https://is.gd/8BX3eO
韓氏意拳講座|5回目 https://is.gd/YmZ2Yc
韓氏意拳講座|6回目https://is.gd/dlMQTX
韓氏意拳講座|7回目https://is.gd/a1Yor1
韓氏意拳講座|8回目https://is.gd/ayTQMA
韓氏意拳講座|9回目https://is.gd/NCZKxY
韓氏意拳講座|10回目https://is.gd/YXuCSM
韓氏意拳講座|11回目https://bit.ly/3PEGYgt


9/30初級講座

王向斉の意拳→韓星僑の意拳→韓競辰の韓氏意拳という流れの中で、先代から何を受け継ぎ、何を新たに生み出していったのかという解説を受ける中で、これからの韓氏意拳はどうなっていくのだろうかと考えていました。

シンプルイズベスト的な王向斉、そこに多様性をもたらした韓星僑、多様な体系を統合しようとした韓競辰、それを受けて光岡英稔が試みていること、そこから私たちは何を学ぼうとしているのか。

そして結構衝撃的だったのは、韓氏意拳を学ぶとき、韓氏意拳だけをやっても使えなくて、形意拳と意拳をやって初めて意味を為すというもの。

まず、それって大変すぎませんか( ´∀` )

そして、それってもはや韓氏意拳と呼べるのでしょうか、私たちが学ぼうとしているのは形意拳と意拳と韓氏意拳が総合された何か別の体系なのではないでしょうかということ。

そもそも王向斉と韓星僑は結構全然違うことをやりながら、同じ意拳という武術の名前だったのに対し、韓競辰は同じ名前を使わずに韓氏意拳としたのはなんでなんだろうとか、光岡先生の教える韓氏意拳は形意拳と意拳と韓氏意拳を総合した光岡氏意拳なのではないかとか考えてました。

が、これっておのれを振り返ると、グレゴリオ聖歌とルネサンスポリフォニーやらずにバッハやったって意味ないぜって結構同じこと言ってませんか?笑

これって私の中では自明なことで、しかも韓氏意拳が韓氏意拳であるように、バッハはバッハなんですよね。

そして私が「それって大変すぎません?」って思ったように私に指導される人たちは思ってるんだろうな。。。

気持ちがすっごいわかりました笑

前半の講義はそんな感じで「うむー」と考えていましたが、後半の実技(?)の内容はなんというか豪快というかシンプルというか、「挙式」ってバックドロップだぜっていう内容でした笑。

やっぱり韓氏意拳って抽象的に感じてしまうところがどうしてもあって、難解だなあと多分みんな感じてるのではないかと思いますが、今回の講座はなんというか明解極まりないというか、こんなに「わかりやすい」と感じた韓氏意拳の講座は初めてでした。

様々な武術家の実践の経験が抽出されたものとして型や式があって、その実践の経験が無い者がその体系に取り組むときにその型の意味を汲みとるのはやっぱり難しくて、どうしても抽象的になるのではと思います。

多分私の人生でバックドロップをやったこともやられたこともなかったと思うので(多分)

そういえば私もボイトレでインワードボーカルフライとか、カルグラとかヨーデルとかよく使いますが、so-so聴いたことない人がインワードボーカルフライやってもよくわかんないだろうと思います。

今回私たちがバックドロップを経験したように、インワードボーカルフライを取り入れるならやはりso-soを経験しないとあかんですね。

ところで光岡先生に落とす直前までバックドロップかけていただいたのですが、もうなんというかキレが凄くて(何がどうなってるのかわからないのでそのくらいの事しか言えない)スバッてこう持ち上げられたのですが、多分5年前の自分だったら肋骨いってたと思います。

その瞬間自分でも何かやったつもりはないのですが、こう、肋骨がきゅっとして無傷で済んだんですね。

バックドロップを受けて知る、自分の身体の成長よ。


10/2初級講座(1コマ目)

この日の講座は・・・・メモが5ページもある・・・。

それだけ内容が濃かったということで。いやあまとめるの大変そ。

午前のコマはお話がかなり沢山で、脳味噌爆発しました。

武術の講座で脳味噌爆発するのも光岡先生ならではですよねえ。

「形と感覚」

というお話で、形意拳、意拳、韓氏意拳の

流派としての形→稽古方法としての形→その中の動き・行いとしての形→止まるポイントとしての一つ一つの形

という4段階におけるそれぞれの形の捉え方(?)というお話でした。

形にこだわるという点がこれらの体系の共通項、世にあるいわゆるボディワークは動きには注目する傾向にあるとのこと。

そしてその形がどうなっているかを判断するのは「感覚」

その感覚を問うことのできる感性

その問いの答えを頭に求めるのか、身体に求めるのか。

そこのところをおさえつつ、形体訓練の稽古をしました。

横向(ハンシャン)をやりながら、いろんなアドバイスを受けるのですが、印象に残ったのは、力みに対する指導で、

「固まってるところを固めないようにしようとして、ただボーっとしてる。固まったままボーっとしてるだけだ」

というので、確かに恣意的身体に入ってしまっていると、頭がボーっとしてれば身体も緩んでるような気がするのですが、それ頭の中の身体が緩んでるだけなんですよね( ´∀` )

あとは、「故意に操作していることを習慣化していることを頭が「自然」だと錯覚している」

とかも実に身に覚えがあることでございました。

あえてそうやろうと思わなくてもできるようになってしまった事柄について、自然にできていると思ってても、過去の自分が不自然を習慣化しただけだったという。

つまり(頭にとって)自然に、(身体にとって)不自然をやっている。

世の中で言う「自然」って大概これなんじゃなかろうか。

身体の自然と頭の自然を区別するというのが(めっちゃ難しいけど)必須なんだと思います。

あとやりながら自分で思ってたのは、力むのって楽だなあということ、力むと辛そうな気がするけど、力むのってほんと簡単で手っ取り早くて、その場をしのげる可能性はあるけど、使い物にならない。

あと問いの答えを身体に求めようということはわかるけれど、多分ここにもトラップがあって、「問いの答えを身体に求めるということを頭でしかわかってない」という状態があるなあと思いました。

これだから韓氏意拳は難しい・・。一昨日とどえらい違いだぜ。


10/2初級講座(2コマ目)

内容が濃すぎてもう長くなっちゃってもう仕方ないですね。。

この午後のコマはもう更に輪をかけてディープな世界でした。

多様性に対する人間の分別感と分別心、それらを捨てた(放下した)先にある無分別心。

多様性つまり自然はカオスだということを分別を通り超えて認めるということだとあたくし理解いたしましたが、もうなにしろ難しい。。

自然に立つ、自然に動く、というのは自然を認めることなしにはありえん。なぜなら自分自身がカオスである自然なのだから。

みたいなことです多分。

そしてこれ午前の話にもつながるんですけど、この「放下」というのが、受動的にボーっとしてるのとは違うということ。

動物だったらそれでも大丈夫かもしれないけど、人間には分別があるから、分別を超えないと無分別に至れない。つまり「放下」は受動ではできない。

なにがなんだかわからないことをわかる。(但し身体で)

ということなのだと思います。

それで、挙式の稽古をしたわけですか、これらのことが、「はいわかりました!」という具合にはできません当たり前ですが。

これらのことを目標に日々稽古に励む他ないのであります。

結局稽古の指針、目標を与えるということが指導の目当てであって、その場でパッとできるようなことはあんまりないんですよね。

ボイトレも合唱指導もそうですが、とにかく自分が稽古しないことには何もできん。

超当たり前で恐縮ですが、しかし稽古もせずに自分のできなさを先生のせいにしてること多くないですか?(自戒で自壊)

というわけで今朝も稽古に励みます。

毎朝稽古を始めてからもうすぐ3年、見た目も変わりましたが中身はもっと変わってます。

出張先でも、合宿先でも、旅行先でも毎朝1時間稽古しています。

稽古すれば上達します。上達すると楽しいです。楽しいから稽古します。

やろうぜ!稽古!


声明とグレゴリオ聖歌がポリフォニーする PARTⅡ
「菩薩のラメント・キュロスの哀愍」

少し先ですが、12月17日(土)昼公演@えびらホールです。

叔母との企画第2弾です。

グレゴリオ聖歌と声明を交互に演奏する企画は普通ですが、グレゴリオ聖歌風や、声明風を新作してしかも同時に歌うというのは無いと思います。多分。

私はラテン語で5曲新作、叔母は中国語、日本古語、アッカド語4曲新作です。やば。

叔母が仏教徒、私がクリスチャンだったらできません。多分。

東西の単旋律聖歌のアウトロー叔母甥だからこそできる無二の企画だと思っています。

櫻井家のイカレた血筋をご堪能ください。

https://www.facebook.com/events/1482411928891613


Salicus Kammerchorカンタータ公演vol.2

こちらも第2弾の企画で、カンタータを4曲とモテットを1曲やります。

全てツィンクとサクバット入りの豪華編成です!

モテット風冒頭合唱を金管と一緒にぬるぬる歌うサリクスをお楽しみに!

11/25ルーテル公演
11/29豊洲公演

演奏会詳細はこちら↓ https://salicuskammerchor.com/concert

ハイパー能「菖蒲冠」|終演

少し時間が空いてしましましたが、6月4日に開催されました、ハイパー能「菖蒲冠」について振り返ろうと思います。

菖蒲冠の概要については、叔母桜井真樹子と撮った宣伝動画がありますので、よろしければご覧ください。

叔母との共演は2回目ですが、ハイパー能は初めて、吉松章さん、灰野敬二さんとの共演は初めて、地謡も初めてという初めてづくしの公演でした。

私もたいがいいろんな声で歌っておりますが、能の声は実は一番苦手といっていいほど苦手で、結構不安がありましたが、私が特に苦手なのはどうやら囃子方の声の方で、地謡の方はそうでもないということがわかりました。

そもそも叔母から「ポリフォニーと地謡ができる人」という発注で話があったのですが、「そんな人いません」で終わらないのが叔母の凄いところ。

よく考えてください。

1.新作能を

2.屋外(菖蒲園)で

3.灰野敬二を囃子方に

4.地謡がポリフォニーを歌い

5.テーマがLGBTで

6.心が女性の男性というシテ役を女性の叔母がやる

という頭のてっぺんから足の先までイカれた公演なのですから。

これ思いついても実現できませんよ普通。

制作のマリプラ、まりあさんもさぞ苦労されたことでしょう。

常人には思いつきもしないことですが、実現するのは超人です。心から尊敬します。

おかげさまで満員御礼で、全く得難い経験をさせていただきました。

満開の菖蒲。これだけ満開なのはこの数日くらいだったらしく、お世話している方がこの日に合うように育ててくれたのだそうです。本当に様々な方の努力によって奇跡的な舞台となりました。


今回初共演の灰野敬二さんは、言わずと知れたアンダーグラウンドの帝王なのですけれど、近年は私の父の作ったポリゴノーラという楽器を気に入ってくださって、よく演奏してくださっています。

楽器の特質を際の際まで見定め、製作者の意図を圧倒的に超える音を出しています。

凄すぎる。

今回灰野さんはハープ、フレームドラム、カンテレ、ポリゴノーラを演奏し、カンテレの時は歌も歌っていました。

中でもポリゴノーラの演奏は圧倒的で、もう完全に異世界。まさに能そのものという世界を作り出していました。

個人的に印象的だったのは灰野さんの歌で、これも灰野さんにしか作り出せない世界でした。

あれですね、最近流行りの呪術廻戦的にいうと、領域展開ですね笑


叔母のやっていることは凄すぎて常人には理解しがたいところがありますが、小1時間よくよく話を聞いてみるとおもろいやないかいと思えるようなことをやっています。

そういう意味で上記の宣伝動画を撮れたのはよかったと思っています。

40分という結構な長さになってしまいましたが、全部見ていただければ、叔母のやろうとしたことがわかっていただけるのではないかと思います。

叔母とは12月にグレゴリオ聖歌と声明のコンサートをやる予定です。

これからも注目して頂けると幸いです。