大島俊樹|階名唱(いわゆる「移動ド」唱)77のウォームアップ集 

大島俊樹|階名唱(いわゆる「移動ド」唱)77のウォームアップ集 

Salicus Kammerchorのメルマガ、サリクス通信に寄稿していただいている大島俊樹さん(カンタータクラブの先輩)による階名唱の練習曲集。

前から気にはなっていたのですが、記事をお願いしているこの機会にと思って購入しました。

開いてみて、まず解説が非常に充実しています。たっぷり13ページ。

そもそも「固定ド」という概念が存在しなければこのような解説も必要なかっただろうなと思いますが、世の中は残念ながら「固定ド」に支配されていますので笑、これは致し方ないところ。

「固定ド」ってそもそも「固体目薬」って言ってるようなもんで、本来存在しないものなんですよね。しかしなぜかその存在しないものが世の中を支配しているので、それに対する本来のドレミが「移動ド」と呼ばれているのです。つまり「液体目薬」と言ってるようなもんです。

いやあ不可解。

非常にしっかりした解説の後、14ページ目からいよいよ曲集が始まります。

正直私最初にこれを見た時、

「え。なにこれ。あまりにも簡単すぎる。何の意味があるんだこれ」

と思いました。(後にこれは私の個人的な思い込みであるということがわかります)


しかしまあなにはともあれ一回は使ってみようと思いまして、何人かに実際歌ってもらいました。

それも、あまりに簡単すぎると思っていたので最初の方は飛ばして15番からやってもらいました。

そこで私は思い知りました。

「こういうことだったのか」

なにしろ最初の方、長旋法と短旋法の主和音の構成音しか出てこないんですよ。

そんなもん練習する意味があるのかと思っていたのは、私の脳には長旋法と短旋法の主和音の構成音のマップがあるからで、(少なくとも合唱やってるような人で)それが無い人がいるなんていうことは想像もできなかったんです。

もうそりゃあ、すれ違うのもしょうがない。

私なぜだか音楽経験の初歩の段階から階名唱を習っていて、「固定ド」の意味がわからないんですよね。「固定ド」で歌われると気持ち悪くて発狂しそうになります。

でも大島さんはそうじゃない。絶対音感+固定ドを持った状態で、相対音感、つまり階名唱の必要性に気がついて、ドレミのマッピングをやり直したんです。

だからこそ作れた曲集なのです。私では絶対に逆立ちしたって思いつかない。まず生まれ直さないと無理。


ということで私はこれまでの行いを非常に強く恥じまして、大島さんに30冊注文しました。

あ、ちなみにこの本はアマゾンとかに出てないので大島さんに直接注文する必要があります。

なのでまとめ買いして手売りで購入したほうがお得です。1冊ずつだと送料がかかるので。

それで合唱団の皆さんにお配りして、買わない人には貸し出しますということでやってみましたが、ほとんどの方は購入されました。

大勢でやってみて(今度は1番から順に)わかったのは、やはりドレミのマップが無いかあるいは極めて曖昧な方がとても多いということです。

1番から既にできない人はできない。ラミと言いながら普通に減5度歌っちゃったり。

今まで自分がやってきた指導、全部「そういう問題ではない」でカタがついた感。

結構ショックでしたが、とにかくこの曲集やりゃあいいんだということがわかっただけでも本当に良かった。できればもっと早く出会いたかったですが。


あまりネタバレにならないように慎重に書いていきますが、この曲集のコンセプトの素晴らしいところは、長調短調で重要な音から順番にマッピングしていくところです。

長調ならまずドとソの関係を徹底的にインプットする。それができたら今度はドとミ、それができたらドミソの3音。

もうそれは鬼のごとく徹底的にドミソを植え付ける。なにしろこの3音が中心となって、その他の音はこの3つの音との関係性でマッピングしていく。

これはちょうど北と東がわかって初めて北東がわかり、北東がわかって初めて北北東がわかるというのに似ています。

よくある教本ではまず二度の音程を取りましょう「ドレミファソファミレド」

二度ができたら三度をとりましょう。「ドレミソラファミレド」

みたいのが多いんですけど、これは北から北北東を向きましょう。それができたら北東を向きましょうって言ってるようなもんで、北と東がわからないのになんか適当に右を向く、何回かやるうちにズレがひどくなってたアッチャーみたいなことなんですよね。

調性音楽においては、軸になる音というのは隣り合っていないんですよね。

この軸となる音をマッピングしていくという作業をいろんな高さでやる。

これも普通のソルフェージュ教材と違うところかもしれません。

普通はやっぱり調号なしから始めて、次はシャープ一個、フラット一個ってな具合で調号を増やしていくものが多いと思います。

どの高さであってもドとソの間隔は変わらないということを刷り込んでいくのですね。

なのでこれはこれから楽譜を読むことを始めようと思う人が取り組むだけではなく、音楽を専門的にやっている人でも、自分が持っている「固定ド」を破壊することが出来ると思います。

実はこれサリクスでもちょっとやってみたのですが、1番が難しいねという声もありました。ちなみに1番というのは長旋法と短旋法のそれぞれ主音と属音だけでできています。プロがそれを難しいと感じるのです。


ですので、プロアマ問わず、自分が楽譜が読めると思っている人もそうでない人も、西洋音楽をやる人はもう全員やったらいいと思います。

あるいはそうでなくても、ドレミのマップを持っていると、ドレミでできていない曲であってもドレミの曲とどう違うのかがわかります。

ものさしを一本持っていると色んなものが測れるんです。

そういう意味でもドレミは便利です。

一本持っておいて損のないものさしです。

楽譜が読めるとか読めないかいうことでさえないです。楽譜読む必要がない人もドレミの感覚は持っておいて損はないです。

この曲集のいいところは、ただこの順番で、なんも考えずにひたすらドリルのようにこなしてくことで勝手にドレミが頭に入ってくるというところで、これほど優れた教材があれば、指導者は必要ないのではないかと思うほどです。

多分厳密に言うとそれは言いすぎなんでしょうけど、まあそのくらい優れた教材であるということは間違いありません。自習に最適です。ソルフェージュのレッスン行くの大変だなあとか、それほどでもないなあとか、今更ソルフェージュ習うの恥ずかしいなとかそういう人にもうってつけ!

私のところにもあと数冊残ってますので、私に会う機会のある方はご連絡ください。取り置いておきます。

光岡英稔 韓氏意拳講座|12-13回目

先月末から今月末にかけて、BUGAKUと韓氏意拳の講座を受講しました。

まずは韓氏意拳の方からレポートしていきたいと思います。

BUGAKUの方は25回受講してるようなんですが、韓氏意拳はまだ13回なんですね。

開講頻度と金土日にやってることが多いということでそうなってるようですが、前回から少し間があいてしまいました。


これまでのレポートはこちら↓
韓氏意拳講座|1回目 https://is.gd/D3RjiJ
韓氏意拳講座|2回目https://is.gd/G7l53a
韓氏意拳講座|3回目 https://is.gd/rDRgMX
韓氏意拳講座|4回目 https://is.gd/8BX3eO
韓氏意拳講座|5回目 https://is.gd/YmZ2Yc
韓氏意拳講座|6回目https://is.gd/dlMQTX
韓氏意拳講座|7回目https://is.gd/a1Yor1
韓氏意拳講座|8回目https://is.gd/ayTQMA
韓氏意拳講座|9回目https://is.gd/NCZKxY
韓氏意拳講座|10回目https://is.gd/YXuCSM
韓氏意拳講座|11回目https://bit.ly/3PEGYgt


9/30初級講座

王向斉の意拳→韓星僑の意拳→韓競辰の韓氏意拳という流れの中で、先代から何を受け継ぎ、何を新たに生み出していったのかという解説を受ける中で、これからの韓氏意拳はどうなっていくのだろうかと考えていました。

シンプルイズベスト的な王向斉、そこに多様性をもたらした韓星僑、多様な体系を統合しようとした韓競辰、それを受けて光岡英稔が試みていること、そこから私たちは何を学ぼうとしているのか。

そして結構衝撃的だったのは、韓氏意拳を学ぶとき、韓氏意拳だけをやっても使えなくて、形意拳と意拳をやって初めて意味を為すというもの。

まず、それって大変すぎませんか( ´∀` )

そして、それってもはや韓氏意拳と呼べるのでしょうか、私たちが学ぼうとしているのは形意拳と意拳と韓氏意拳が総合された何か別の体系なのではないでしょうかということ。

そもそも王向斉と韓星僑は結構全然違うことをやりながら、同じ意拳という武術の名前だったのに対し、韓競辰は同じ名前を使わずに韓氏意拳としたのはなんでなんだろうとか、光岡先生の教える韓氏意拳は形意拳と意拳と韓氏意拳を総合した光岡氏意拳なのではないかとか考えてました。

が、これっておのれを振り返ると、グレゴリオ聖歌とルネサンスポリフォニーやらずにバッハやったって意味ないぜって結構同じこと言ってませんか?笑

これって私の中では自明なことで、しかも韓氏意拳が韓氏意拳であるように、バッハはバッハなんですよね。

そして私が「それって大変すぎません?」って思ったように私に指導される人たちは思ってるんだろうな。。。

気持ちがすっごいわかりました笑

前半の講義はそんな感じで「うむー」と考えていましたが、後半の実技(?)の内容はなんというか豪快というかシンプルというか、「挙式」ってバックドロップだぜっていう内容でした笑。

やっぱり韓氏意拳って抽象的に感じてしまうところがどうしてもあって、難解だなあと多分みんな感じてるのではないかと思いますが、今回の講座はなんというか明解極まりないというか、こんなに「わかりやすい」と感じた韓氏意拳の講座は初めてでした。

様々な武術家の実践の経験が抽出されたものとして型や式があって、その実践の経験が無い者がその体系に取り組むときにその型の意味を汲みとるのはやっぱり難しくて、どうしても抽象的になるのではと思います。

多分私の人生でバックドロップをやったこともやられたこともなかったと思うので(多分)

そういえば私もボイトレでインワードボーカルフライとか、カルグラとかヨーデルとかよく使いますが、so-so聴いたことない人がインワードボーカルフライやってもよくわかんないだろうと思います。

今回私たちがバックドロップを経験したように、インワードボーカルフライを取り入れるならやはりso-soを経験しないとあかんですね。

ところで光岡先生に落とす直前までバックドロップかけていただいたのですが、もうなんというかキレが凄くて(何がどうなってるのかわからないのでそのくらいの事しか言えない)スバッてこう持ち上げられたのですが、多分5年前の自分だったら肋骨いってたと思います。

その瞬間自分でも何かやったつもりはないのですが、こう、肋骨がきゅっとして無傷で済んだんですね。

バックドロップを受けて知る、自分の身体の成長よ。


10/2初級講座(1コマ目)

この日の講座は・・・・メモが5ページもある・・・。

それだけ内容が濃かったということで。いやあまとめるの大変そ。

午前のコマはお話がかなり沢山で、脳味噌爆発しました。

武術の講座で脳味噌爆発するのも光岡先生ならではですよねえ。

「形と感覚」

というお話で、形意拳、意拳、韓氏意拳の

流派としての形→稽古方法としての形→その中の動き・行いとしての形→止まるポイントとしての一つ一つの形

という4段階におけるそれぞれの形の捉え方(?)というお話でした。

形にこだわるという点がこれらの体系の共通項、世にあるいわゆるボディワークは動きには注目する傾向にあるとのこと。

そしてその形がどうなっているかを判断するのは「感覚」

その感覚を問うことのできる感性

その問いの答えを頭に求めるのか、身体に求めるのか。

そこのところをおさえつつ、形体訓練の稽古をしました。

横向(ハンシャン)をやりながら、いろんなアドバイスを受けるのですが、印象に残ったのは、力みに対する指導で、

「固まってるところを固めないようにしようとして、ただボーっとしてる。固まったままボーっとしてるだけだ」

というので、確かに恣意的身体に入ってしまっていると、頭がボーっとしてれば身体も緩んでるような気がするのですが、それ頭の中の身体が緩んでるだけなんですよね( ´∀` )

あとは、「故意に操作していることを習慣化していることを頭が「自然」だと錯覚している」

とかも実に身に覚えがあることでございました。

あえてそうやろうと思わなくてもできるようになってしまった事柄について、自然にできていると思ってても、過去の自分が不自然を習慣化しただけだったという。

つまり(頭にとって)自然に、(身体にとって)不自然をやっている。

世の中で言う「自然」って大概これなんじゃなかろうか。

身体の自然と頭の自然を区別するというのが(めっちゃ難しいけど)必須なんだと思います。

あとやりながら自分で思ってたのは、力むのって楽だなあということ、力むと辛そうな気がするけど、力むのってほんと簡単で手っ取り早くて、その場をしのげる可能性はあるけど、使い物にならない。

あと問いの答えを身体に求めようということはわかるけれど、多分ここにもトラップがあって、「問いの答えを身体に求めるということを頭でしかわかってない」という状態があるなあと思いました。

これだから韓氏意拳は難しい・・。一昨日とどえらい違いだぜ。


10/2初級講座(2コマ目)

内容が濃すぎてもう長くなっちゃってもう仕方ないですね。。

この午後のコマはもう更に輪をかけてディープな世界でした。

多様性に対する人間の分別感と分別心、それらを捨てた(放下した)先にある無分別心。

多様性つまり自然はカオスだということを分別を通り超えて認めるということだとあたくし理解いたしましたが、もうなにしろ難しい。。

自然に立つ、自然に動く、というのは自然を認めることなしにはありえん。なぜなら自分自身がカオスである自然なのだから。

みたいなことです多分。

そしてこれ午前の話にもつながるんですけど、この「放下」というのが、受動的にボーっとしてるのとは違うということ。

動物だったらそれでも大丈夫かもしれないけど、人間には分別があるから、分別を超えないと無分別に至れない。つまり「放下」は受動ではできない。

なにがなんだかわからないことをわかる。(但し身体で)

ということなのだと思います。

それで、挙式の稽古をしたわけですか、これらのことが、「はいわかりました!」という具合にはできません当たり前ですが。

これらのことを目標に日々稽古に励む他ないのであります。

結局稽古の指針、目標を与えるということが指導の目当てであって、その場でパッとできるようなことはあんまりないんですよね。

ボイトレも合唱指導もそうですが、とにかく自分が稽古しないことには何もできん。

超当たり前で恐縮ですが、しかし稽古もせずに自分のできなさを先生のせいにしてること多くないですか?(自戒で自壊)

というわけで今朝も稽古に励みます。

毎朝稽古を始めてからもうすぐ3年、見た目も変わりましたが中身はもっと変わってます。

出張先でも、合宿先でも、旅行先でも毎朝1時間稽古しています。

稽古すれば上達します。上達すると楽しいです。楽しいから稽古します。

やろうぜ!稽古!


声明とグレゴリオ聖歌がポリフォニーする PARTⅡ
「菩薩のラメント・キュロスの哀愍」

少し先ですが、12月17日(土)昼公演@えびらホールです。

叔母との企画第2弾です。

グレゴリオ聖歌と声明を交互に演奏する企画は普通ですが、グレゴリオ聖歌風や、声明風を新作してしかも同時に歌うというのは無いと思います。多分。

私はラテン語で5曲新作、叔母は中国語、日本古語、アッカド語4曲新作です。やば。

叔母が仏教徒、私がクリスチャンだったらできません。多分。

東西の単旋律聖歌のアウトロー叔母甥だからこそできる無二の企画だと思っています。

櫻井家のイカレた血筋をご堪能ください。

https://www.facebook.com/events/1482411928891613


Salicus Kammerchorカンタータ公演vol.2

こちらも第2弾の企画で、カンタータを4曲とモテットを1曲やります。

全てツィンクとサクバット入りの豪華編成です!

モテット風冒頭合唱を金管と一緒にぬるぬる歌うサリクスをお楽しみに!

11/25ルーテル公演
11/29豊洲公演

演奏会詳細はこちら↓ https://salicuskammerchor.com/concert

Ensemble Scandicusコンサート|天衣無縫

いよいよEnsemble Scandicusのコンサートが来週に迫ってまいりました。

この企画は普段グレゴリオ聖歌とルネサンス・ポリフォニーしか歌ってない4人組が、歌曲歌っちゃおうという企画です。

サティ、髙田三郎、シューマンと歌って最後にデュファイとオケゲムとビュノワを歌います。

一応声楽科は出ているものの普段普通のクラシックほとんど歌わないメンバーが、今の自分たちだからこそ歌える歌を歌います。

私なんかもう最近はもうなんの遠慮もなくアンチクラシックを謳っておりますし、ピアノ伴奏でソロの歌を歌うなんて事自体多分学部卒業して以来初めてです。

もうクラシックという文化に辟易してしまいまして、シューマンとか実はかなりシンパシーあるのですが、これまで歌ってきませんでした。

この企画は祐天寺から研一郎と電車で移動してる時に思いついたのですが、彼のピアノだったら出来るなって思ったんです。

というのも彼の弾くピアノはピアノにしてピアノに非ず。

ピアニストには決して出せない音を出します。

もうなんの音かわかんない。

なんでピアニストには出来ないかというと、ピアニストってピアノが好きなんですよね。だからピアノの音しかしない。

私もクラシックが嫌いなので、思想が近いんですよね。

そんなわけで演奏会タイトルを「天衣無縫」としました。

ある価値観の枠の中で、そこからはみ出ないように作られたなにかではないものが出てくるといいなと思っております。

歌詞は辛そうなのに歌は偉そうだったり、悲しいはずなのに威圧的だったり、絶叫してるのにノイズがひとつも入ってないとか、そういうの、変じゃないですか?

お昼の部はほぼ完売ですが、夜の部はまだ大丈夫です。

なんか歌曲っていまいちピンとこない。という方にオススメです。

https://tiget.net/events/193887

光岡英稔 BUGAKU講座|24-25回目

先月はほんといろんなことがありまして、BUGAKUの講座に参加できませんでした。

やっぱり2か月空くとちょっと体調に影響します笑

今月は2コマ、剣術とハワイアン八卦掌に参加できました。

シラットと韓氏意拳の方にしばらく行けてないのが気がかりなのですが、金曜日は予定入りやすいんですよねえ。。

今回も私が理解している範囲で書きまとめていきたいと思います。


これまでのレポート
1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
3回目 https://is.gd/Gm9C17
4回目 https://is.gd/37Oxg1
5回目 https://ux.nu/AmsQM
7回目 https://is.gd/xiBfFB
8回目 https://is.gd/tbIYiI
9回目https://is.gd/BnOQit
10回目https://is.gd/RczZH5
11回目https://is.gd/ayTQMA
12回目https://is.gd/zHtNYL
13-14回目https://is.gd/YXuCSM
15-17回目https://bit.ly/3PEGYgt
18-19回目https://bit.ly/3NRSUKy
20-23回目https://bit.ly/3p63TWg


剣術

これを書くにあたって質問しようと思っていたことを質問し忘れてしまいました笑

また曖昧な記述が多くなることをお許しください。

この日は観法から。別のタイミングで光岡先生が「基本にして奥義」ということを仰っていたのですが、観法ってまさにそうだよなあと思ったのは私の見解です。

導観法もいろんなやり方があって、その日のテーマに沿った観方を教わるのですが、これなかなか一人稽古でできないんですよね。「身体を観る」というただそれだけのことなのですが、場の力なのか、光岡先生に導かれると、一人稽古の時では行けない深ーい世界に入っていけます。

陳腐な言い方ですが、身体の解像度が全然違います。眼鏡かけてる時とかけてない時くらい違います。


この日は板書的なことはほとんどなく、ひたすら動く稽古でした。これもなかなか不思議で、ひとまず頭で理解してからやりましょうか、という時と、まあとにかく身体を動かそうぜっていう時と、あるんですよね。これも私の勝手な理解ですが、両方の要素が必要なんだろうなと思います。

わからないことをやろうとしても難しいし、ともかく身体を動かしてわかることもある。


後で気づいたのですが、この日は刀を振るという動きが全くありませんでした。

思い起こせば前回もそうだったような。。。。

剣術の講座としては多分普通の事ではないですよね笑

今回教わったのは「ある構えから別の構えに丁寧に移る」という文字にしたら、マジでそんだけのことですか・・・!っていう内容なんですけど、それはそれはディティールが凄い。

物理的な形のディティールと、観法のディティールとこれ両方丁寧にひとつひとつ行っていくのはなかなか至難の業です。

刀身と自分の身を揃えるというのが剣術の観法の基本なのですが、これだけとってもまあそんなぱっぱっぱっとはいきません。時間がかかります。焦れてここが雑になると稽古が形骸化します。

加えて、私が中学時代に剣道として習っていた剣術は「一刀流」がベース、光岡先生の剣術は「新陰流」がベース(不正確でしたらご指摘ください)ということらしく、複雑さが段違いです。

中学レベルの剣道で私が習ったのは中段の構えだけで、一応上段と下段、八双とかこういうのあるよ、というのは知識としては教わりましたが、実戦で使うことはありませんでした。

中段の構えは、左足が常に後ろで刀を正中で構える。これ1個だけ。

だからそもそも構えから構えへ移るということ自体がなかったわけです。

それに対してこの日光岡剣術で習ったのはセイガン、ジョカクセイ、左右の上段の四つ(構えの名前についてはいろいろあるそうです)で、それぞれ右足前の時と左足前の時があるので×2で8種類。

歩を進めつつ(とはいってもこの日はたったの一歩)8つの構えを丁寧に移っていく。

それぞれの構えの際に刀身と身を揃え、揃ったら移行し、次の構えでまた揃え、一歩進んで8回構えるだけで結構ヘトヘトです。

形自体、あと動くときに踵から動くのかつま先から動くかなど、物理の段取り自体も実に精妙でディティールが超厳しい。しかしそれに全て理由がある。

やっぱり広めようとすると単純な方がいいに決まってるけど、人間も自然もそんな単純にはできてないんですよね。

そんなことを感じた回でした。

ちょうど、頭のいい人は難しいことを易しく伝えられるみたいなテンプレートをまた言ってた人がボコボコにされてまいたが、そういう言い訳ほんとに見苦しいですよね。

頭が良かろうが悪かろうがカオスはカオスなのよ。


ハワイアン八卦掌

この頃顕著だなあと思うのは、グループプライベートクラスの各クラスのメンバーの違いです。

多分今回の剣術と八卦掌でかぶってたのは私だけじゃないかな・・・?

光岡先生も2-3個に絞った方がいいと仰るのですが、私の場合仕事の都合で出れないことも多いので、とにかく出れる時に出るというスタンスなのです。

私は比較哲学や比較音楽学が好きで、光岡先生がやってることも私の目には「比較武学」に見えてるので、そういうところも合ってるのかなあと思います。

なので私はしばらくこのスタンスで続けようと思ってます。

八卦掌はこの日も観法から入ったのですが、この日の観法は一段と凄かった。

あまりに芸術すぎて集注できないくらい感動してました笑

私がこんなこと言うのもなんですが、コンサート行くより稽古に来た方がいいですよ。その方が芸術に出会えます。


八卦掌では「際と端から中心を知る」ということを教わっていて、最初はちんぷんかんぷんだったのですが、何回か通ってるうちに、少しずつわかってきました。

「物理としての中心」も、「観念としての中心」も、私にとってはかなりわかりにくいなあと思っていたのですが、「経験としての中心」というワードが今回出てきまして、あーそれならわかるかも、と思いました。

多分普通に生きてると、観念としての中心と、経験としての中心の何が違うのかわからないかもしれません。この区別は結構難しいと思いますが、「中心」という経験が私の身体にあるなあ、と、私は思いました。

稽古としてはこの日はopen palmとclose palmの形で外力をかけてもらうということをやりました。後足に外力を受けられると形を保てるのですが、他のところで受けてしまうとそこに力みが出ます。

そのまた違った形の稽古として、肘を水平に出して、両手で押してもらうという稽古も教わったのですが、これがまた非常ーーによくできた稽古で笑、もうこれどう考えても受け止められんだろっていう形してるんですよね。

やっぱりまだ頭で「どうやったらこれを受け止められる形にできるだろうか」とか考えちゃうんですけど、全然そんなのは屁のツッパリにもならんのですね。ただ後ろ足で受けるってそれだけのことだという発想の転換というかもう発想ですらないと思うんですけど、ともかくそのくらいのエウレカがないと絶対無理笑。

それで思ったのは、これってうまくいっても別に楽ではないんです。足にはくる。普通。足が足らければ足がきつい。

脱線しますがこれってボイトレにも同じことが言えて、楽だから正解というわけではないんですよね。

きっついしめっちゃ声枯れるっていう場合でも、それはそこが足らないだけってことかもしれない。

ただ八卦掌の稽古では肩じゃなくて足にきてればオッケーなんですけど、歌の場合そんなにはっきりわかんないんですよね。

だからこのきつさが正解なのかどうか判断が難しい。

特に最近はリスクを避けすぎてるというか、きついのも汚いのも危険なのもやりたくないってそりゃあわかるけど、そうしないと身につかないものってあるよなあと。


この日、終わった後ネパール料理屋で夕飯をご一緒したのですが、この時光岡先生が、

「思ったことそのまま直接言ってくる人は信頼できる」

的なことを仰ってまして、私目から鱗が落ちました。

完全に自分の発想の外でした。

私言いたいことが言えないのが自分にとって一番ストレスだという自覚があるのですが、振り返ってみると誰にも言いたいことなんか言ってないですね笑。

私が言いたいことを言ってしまうと社会生活を営めないので。

しかしまあそれって誰も信頼してないってことなのかもしれない。その上私に言いたいことを言ってくる人もいないので、誰からも信頼されてないということなんだなあと。

何かあったら黙って去るのが常だもんなあ。

どうしようかなあ。困ったなあ。

まあゆっくり考えようと思います。


9月は来週からコンサートが毎週あります。

まずこちら。

私emulsionとしては最後の舞台です。

合同ステージではソロもやります。

https://tiget.net/events/170962


つぎはこちら。しかしこちらはもう完売してしまっております。。。

一応キャンセル待ちは受け付けております。

http://www.ne.jp/asahi/vocal.ensemble/alamirejp/concert.html


そしてこちら。

https://www.facebook.com/events/598619378487030

おばさんの企画に乗せてもらいます。

私はレクイエムを歌います。Gradualeまでですが。

emulsion concert “Sångröst”|終演

去る8月1日、エマルシオンのコンサートが終演いたしました。

ご来場くださいました皆様、誠にありがとうございました。

もう遠い昔のようです。いろいろありすぎて。いろいろについてはまた機会を改めて書こうと思います。

emulsionは今回スウェーデンの男声合唱曲と、スウェーデンのバーバーショップカルテット、RingmastersとLemon squeezyのレパートリーからの選曲でした。

コンサートに向けてのリハーサルは7月前半までにほぼ終えていて、あとは本番直前のリハ1回を残すのみという状態で7月末のカペラのコンサートを迎えました。

カペラ(8人)にはエマルシオンメンバー6人中5人がオンステしていたのですが、なんと当日柳嶋さんが発熱ということで降板となり、カペラは残された7人のメンバーで演奏しました。

それはそれで(主にトミーが)大変だったのですが、なお心配だったのはemulsion、こちらは6人で、ほぼひとり1パートなのでこれはかなり厳しい。

しかもその時点で抗原検査では陰性で、コロナかどうかも分からない状況、ひょっとしたら出られるかも、という状態で翌朝の最終リハへ。

カペラ金曜夜公演の翌朝emulsionのリハだったんですよね。それだけでも十分にグロッキーだったのですが、果たして5人で柳嶋さんのパートをカバーして演奏が可能なのかどうか、特に後半のバーバーショップステージは、6人でふたつのカルテットをつくり、トミー(テナー)と柳嶋さんがすべてのカルテットを掛け持ちしているというすぎょい状況で、要するにあとの4人でバーバーショップレパートリー全部、柳嶋さんのパート(しかもよりによってバリトンという一番ムズイパート)をカバーするということを試しました。

実際陽性確認されたのがこの翌日だったかな。そこから本格的に練習し始めました。

1人あたり2-3曲のバーバーショップのバリトンパートを初見から2日で舞台に乗せるという無茶をまあよくやりましたよね本当に。

ところでこの衣装すごいでしょ。ブルードレスでオーダーしました。

グループでオーダーして衣装を揃えるというのは初めてのことでした。


というわけでもうそれはそれは無茶をしてなんとか本番を成立させ、翌朝なんとemulsionのリハーサルがあるという笑

なんという鬼畜なスケジュールなのでしょうか。

こちらは来月のAcappelaboのコンサートのためのリハでした。

詳細・チケットお申込みはこちらから↓

https://tiget.net/events/170962

ところで私、こちらのアカペラボのコンサートを最後に、emulsionを卒業することになりました。

これまで応援どうもありがとうございました。

emulsionとして最後のステージとなるこちらのコンサート、是非お越しください。

そしてこれからもemulsionの応援どうぞよろしくお願いいたします。