光岡英稔 BUGAKU講座|10回目

昨日も行ってきましたBUGAKUの講座。気づけば最近このブログの半分くらいは光岡先生の講座関係な気がしています。私は何屋で、なんのためにこのブログを書いているのでしょうか。お気を確かに。

今に始まったことではないですね笑

やっぱり演奏会自体は減ってる傾向にあって、ブログに書くお知らせが減ってきているということもあります。

かといってなんにもないかといえばそんなこともないので、もうちょいまめにお知らせブログもかかねばならんなあと思っているところであります。

とりあえず今できるお知らせは、Salicus Kammerchorの演奏動画が公開されましたよーということ

詳細→https://is.gd/wh41Eq

と、Salicus Kammerchorの演奏会情報チェックしてねーということ

https://www.salicuskammerchor.com/concert

です。

演奏動画無料なのでぜひ多くの方に聴いていただきたいです。1時間ほどの動画です。


BUGAKU講座|1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
BUGAKU講座|2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
BUGAKU講座|3回目 https://is.gd/Gm9C17
韓氏意拳講座|1回目 https://is.gd/D3RjiJ
BUGAKU講座|4回目 https://is.gd/37Oxg1
BUGAKU講座|5回目 https://ux.nu/AmsQM
韓氏意拳講座|2回目https://is.gd/G7l53a
BUGAKU講座|7回目 https://is.gd/xiBfFB
韓氏意拳講座|3回目 https://is.gd/rDRgMX
韓氏意拳講座|4回目 https://is.gd/8BX3eO
BUGAKU講座|8回目 https://is.gd/tbIYiI
韓氏意拳講座|5回目 https://is.gd/YmZ2Yc
BUGAKU講座|9回目https://is.gd/BnOQit
韓氏意拳講座|6回目https://is.gd/dlMQTX


もうBUGAKU10回目なんですね。3年前の11月に初参加だったようなので、それを思うとまだ10回目というべきかもしれません。

今回も私が経験したことをレポートしていきたいと思います。このレポートは①自分の経験したことの定着のため、②こういうことに興味を持ってくれる人が増えたらいいなあ、③こういうことを踏まえて演奏活動、指導をしてますよという宣伝のためにやっています。


武学の基礎の基礎

今回は基礎のコースから3コマ続けて受講できました。講座は武学の基礎の基礎についてのお話から。基礎の基礎と言っても、一生かけてもこれを本当に修めるということができるのか疑問、という内容です。果てしない。

それは「身体観の層位」で、私達が身体と思っているのは、身体のほんの一部に過ぎない、身体の層位の深いところにアクセスしていくことで、身体が本領を発揮する、というようなことです。

身体観の層位については以前のレポートでも書いてますので、ここでは5つの層位を羅列するだけにとどめておきます。

①思惟的身体

②物理的身体

③感覚体

④客体

⑤気之体

この5つの層位の違いを経験するために、さまざまな試し稽古を行います。

物理的に条件を同じにした上で、何をどうすると、何が起こるのか。

物理的な思考に慣れている人にとっては魔法にしか見えません。

しかしテクノロジーを知らない人にとってテクノロジーが魔法にしか見えないように、物理的思考に慣れている人にとって魔法にしか見えないことにも、物理とは違う「理」があり、それを経験した者にとっては当たり前のこととなります。

その理を経験して、稽古すれば、一見魔法にしか見えないことも実践できるようになります。

左右の気の違いだけでも、最初は驚いたし、にわかには信じられなかったです。しかし自分の身体に起こっていることなので、受け入れざるを得ません。これはもうやってみた人にしかわからない。

今回は武術として求められる身体観と、一定のルールに基づいた中で行われる競技の中では役に立つ考え方と、そういったことにも踏み込みつつ稽古していきました。

現代人はまず身体を概念化してしまっているので、左右の定位不定位が崩れ、両弱化している。だから両方を均等に筋トレしようという発想になる。両弱化した者同士では、筋トレしたほうが勝つし、その競技の中で必要な一方向の動き、のようなものに対しては筋肉を鍛えることで強くなる。

ただそれを知っていないと、ルール無用の世界においては通用しない。全く予測不可能な360°の力に対して対処できるか、舞楽で扱う強さというのはそういうこと。

またオリンピックで話題になった空手の型についても言及がありました。

個人的な思いをここに書くとあまりにもな文章になってしまったのでやめておきます笑

見栄えを良くするためには無駄な動きを加えなければならない。競技としては動きが見えなきゃだめだけど、そもそも武術としては見えちゃだめ。競技としてダメな型の方が本来の型の意味としては効果がある。

というような話でした。これは個人的なアレではなく講座の中でのお話です。

あーオブラートに包むの大変だなあああああ笑

しかしまあ音楽に置き換えますと、抽象的な意味における大きな「音楽」というのはルール無用変幻自在の本当に自由なものだと思いますが、それを人間というフィルターに通したあとのいわゆる我々の目に見え、耳が聞く「音楽」の中にはある程度のルールがありますよね。

ある民族とか、文化とか、ジャンルとか、コミュニティとか、あるいは個人の単位でも、これが良くてこれはダメっていう人間の美に対する価値観のフィルターがある。

その価値観ってやつも流動的なもので、例えば私オペラ歌手の恒常的ビブラートに対するアレルギーがあったんですけど、インド音楽を学んで、ガマックという装飾を教わったあとでそれを聴くと、ああ上手なガマックだなあって聞けるようになったんですよね笑

そんなもんだとは思うのですが、わたくし思うに、そのルールのもとで音楽をやっていたとしても、例えばバッハのカンタータをやります、というのは少なくともバッハの書いた楽譜というルールに従わなければならないわけですが、そのルールの中でしか通用しない身体観で闘うのと、ルール無用の音楽を前提とした身体観で闘うのは全く別のことだと思うのです。

バッハという個人のフィルターを通して私達の前に現れた「音楽」を見る、というより、バッハが観ていた抽象的な意味における大きな「音楽」をバッハを通して観る、というのが私の音楽観なんですよねえ。

作曲家、演奏家は音楽を濾して見える形にするフィルターなんだと思います。

脱線しましたが、そういうことも踏まえつつ私は武学をやってるのだなあと今思いました。


型・式・礼法の理解

型の意味というのは、その体系や流派に必要な身体性の獲得、相撲の塵手水の礼は肚や腰を作って筋肉によらずとも安定した身体性を身につける。

これは自然法則の発見で、こうやってこうすると、こうなる、というのを経験から抽出したものなのだそうです。

これちょっと私達からするとなかなか想像できないようなことなんですけど、光岡先生はそれもやっていて、そうしてできたのが立ちしゃがみの型なんですよね。

これはバージョンアップが続いていて、今回習ったものは前回までに習ったものとまた変わっていました。

新しい型を習うのってワクワクします。新たな身体性を獲得するということは、新たな自分を知るということですよね。今までの自分とは違う自分になる。たーのしい。

今回はこの新しい立ちしゃがみの型と、塵手水の礼を客体でやって、それぞれの効果を比べるということもやりました。

客体で型をやるのは過去にもやったのですが、その時はなかなかうまくいかなかったんです。がしかし今回はうまくいきました。

試し稽古のお相手がガチ中のガチの某Yさんだったので余計嬉しかったです。

また今回は木刀を使った型も教わって、これも朝のルーティンに加えました。家のものを壊さないように気をつけながら続けたいと思います笑

あと今回衝撃的だったのは、光岡先生のカリスティック(2本の棒、ほんとにわりとただの棒)を使ったデモンストレーションで、なんていうんでしょう蜘蛛のように地を這いながらビュンビュンカリスティックを振っていくのがマジで見えなくて、戦慄しました。

帰りに参加者の某空手の先生ともお話させていただいたのですが、あれと渡り合うためにはどうすればいいのか、それが今後の大きな課題になりそうです。

いや、いいものを見ました。

今回も文字ばっかりの記事になってしまいましたが、読んでくださった皆様誠にありがとうございます。

感想や訂正などありましたら、コメントいただけると嬉しいです。

レクチャーコンサート「ザムエル・シャイト『カンツィオネス・サクレ Cantiones sacrae』をめぐって

先月今月と収録の仕事が重なりまして、カペラの聖母ミサは今月23日のベルギーでの音楽祭で流されます。

また国立音楽大学の教材の録音というのもあって、これもなかなか公開されないのがもったいないほどの出来になりました。

そしてもう一つがシャイトのレクチャーコンサートです。

これは去年の2月にやる予定だったもので、本番直前に、コロナ感染拡大によって延期になりました。

1年半後に、配信という形ではありますが実現できて、ほっとしております。

オルガニストの米沢陽子さんにお声がけいただいたのが2017年の夏で、翌2018年の3月に、日本オルガン研究会の例会でレクチャーコンサートをさせていただきました。

今回の企画は同じ研究の中間発表で、最終発表は来年2月に企画されています。

そこでもSalicus Kammerchorとして演奏させていただく予定です。


今回の企画ではシャイトの作品を12曲、そしてドレスラーの曲も1曲演奏しました。

これだけシャイトの作品を、しかも二重合唱のものばっかり演奏するという機会もこれまでなかったので、なかなか歌いごたえがありました。

いつもサリクスは各時代の作品を少しずつ演奏するというプログラムを組んでいるので、こうして一人の作曲家に集中して取り組むという機会はとても貴重です。

ドイツ三大S(シュッツ、シャイン、シャイト)の中でも声楽曲としては最も演奏機会の少ないのがシャイトだと思いますが、なかなかどうして超個性的な力作ばかりでした。

この3人、ほぼ同じ時代、同じ地域で活動していて、お互いに影響を与え合っていたに違いないのですが、これだけ3人とも際立った特徴を示しているのは本当に奇跡的なことだと思います。

全然似てないです。3人とも。際立ってる。

サリクスでは今年からシュッツをメインプログラムとして取り上げていますが、この三大Sの個性を比較するような演奏会もいずれやってみたいと思います。


今回レクチャーコンサートということで、私たちの演奏だけではなく、米沢さんと、共同研究者である大角欣矢先生のレクチャー動画も同時にアップされています。

演奏とともに、是非ご覧いただければと思います。

◇第1部(レクチャー)

ザムエル・シャイト『カンツィオネス・サクレ Cantiones sacrae』をめぐって(講演:米沢陽子)
https://youtu.be/6Sa10REtMto

ガルス・ドレスラーとザムエル・シャイトの《神よ、私を裁き Richte mich, Gott》について(講演:大角欣矢)
https://youtu.be/skbhlgBKfY8

◇第2部(演奏の部) 
演奏:サリクス・カンマーコア
https://youtu.be/SJLcDQ1Trgw


今年はありがたいことにSalicus Kammerchorに演奏機会を沢山いただいております。

今日それらの情報をサリクスのHPにまとめましたので、チェックしていただければと思います。

選曲とメンバー集めと日程調整に奔走する日々ですが、与えられたチャンスを活かしてまたレベルアップしていきたいと思っておりますのでどうぞ応援よろしくお願いいたします。

https://www.salicuskammerchor.com/concert

光岡英稔 韓氏意拳講座|6回目

先週土曜日、久しぶりに韓氏意拳の講座に行ってきました。私去年会員になってたんですが、全然都合つかなくて、会員用の講座を受けられたのは今回が初めてでした。

午前が非会員でも参加できる初級講座、午後が会員向けの初級講座でした。

今回も自分のメモのため、またこういう世界があるよっていう紹介のため、レポートを書いていこうと思います。

あの、ほんと私が参加してるくらいなので、ハードルはかなり低いですよ。どなたでも参加できます。

ここでしか学べない、ほんとうに大切なことを学べるので、よかったら一緒に受講しませんか。


以前のレポートはこちら↓

BUGAKU1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
BUGAKU2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
BUGAKU3回目 https://is.gd/Gm9C17
韓氏意拳講座1回目 https://is.gd/D3RjiJ
BUGAKU4回目 https://is.gd/37Oxg1
BUGAKU5回目 https://ux.nu/AmsQM
韓氏意拳講座2回目https://is.gd/G7l53a
光岡英稔 BUGAKU講座|7回目 https://is.gd/xiBfFB
光岡英稔 韓氏意拳講座|3回目 https://is.gd/rDRgMX
光岡英稔 韓氏意拳講座|4回目 https://is.gd/8BX3eO
光岡英稔 BUGAKU講座|8回目 https://is.gd/tbIYiI
光岡英稔 韓氏意拳講座|5回目 https://is.gd/YmZ2Yc
光岡英稔 BUGAKU講座|9回目https://is.gd/BnOQit


韓氏意拳という体系

午前の講座はいつものように、中国文化圏でどのようにして韓氏意拳が生まれ、これがどんなバックボーンを持っているのかについての講義から始まりました。

そしてこの天才が作った体系を私たち普通の人が受容するためには何が必要なのか。

まずは根本のコンセプトに対する理解、そしてこれを生んだ人々の身体観へのアプローチ。

ある思想を理解するためには、理解する側の変容が必要であると古東哲明先生が言っていますが、それを身体ごとやるという感じです。これを作った人の身体観へのシンパシーなしにこの体系を身に着けることはできません。

また中国文化圏における身体観を問う前に、人間、人類、ヒトとしての身体観を問うことも必要になります。

それもまた中国文化の考え方を引用しながら、人間が四足歩行から二足歩行へと推移していった過程でどのような変化があったかをみていきます。

そこで実際四足歩行の身体観とはなんぞやということを実際四つ足で歩いてみることによって経験していくのですが、この稽古は物凄く効果があるんですけど場所を選びますよねえ。

普段からやりたいとは思うのですが、家の中は狭いし外でやると通報されそうだし、どうしたもんかと思っております。

四足歩行には交差歩行、同側歩行、前後歩行とあるのですが、この順番に安定性が減って動力が増します。

つまり交差歩行は安定しているけど動力は小さく、前後歩行は不安定だけれど動力が大きい。

やってみて感じたのは、前後歩行(カエルとかウサギのような感じ)だと、1歩で止まるのが凄く難しい。1歩進むと2歩3歩勝手に進んじゃう。1歩で止まるのはなかなか努力がいりました。

印象的だったのは同側歩行にバリエーションが多いということ。受講者の同側歩行を見ていると、歩行形態は同じなのに、歩幅とか、前後どちらの足が先に浮くか、どちらの足が先に着くかなど、見た目に違いがはっきり出ていてとても面白かったです。それぞれが持っている集注観が違うからかと思いましたが、加速しようとしているか、減速しようとしているかによっても変わるそうです。

あと今回もあえて間違ってみるという稽古をやったのですが、これがもう笑っちゃいました。

老子の教えで「万物は陰を負いて陽を抱き 冲気を持って和を為す」というのがありまして、その通りに四つ足で歩いた時と、その教えに背いて陰を抱いて陽を負いた時の違いをみるのですが、もう老子先生ごめんなさい二度と教えには背きませんって感じでした。手も足も出ないとはこのことですな。


「二足で立つ・歩く」とは

午後のクラスの前に、みんなでお弁当をご一緒したのですが、そこでの雑談も楽しかったなあ。基本私が光岡先生を質問攻めにしてたんですが笑。

光岡先生のハワイ時代のエピソードはもう漫画みたいで面白いです。あんまりここに書いていいような内容ではなかったような気がするので、気になる方は個別にお問い合わせください笑

午後は韓氏意拳の前身(?)となった心意拳、形意拳について。

心と意の違いとは。

私の印象では、なんとなく「意」の方がとらえどころがあるというか、具体性を帯びている感じがして、「心」のほうは、もう茫漠としてわからんなあという感じがしてました。心ってなんなんでしょうね。

意拳は意味が分かるけど、心拳だとちょっと私にとってはよくわからない。と思って検索したら心拳というのもあるんですね。失礼しました。。。

形意拳の名前となっている「形」はまさにかたち、構造のことを指します。こちらはもうこの上なく明確ですね。

ただ、どういう形が自然で、どういう形が不自然なのか、を問う時に、それが中国武術の中での自然なのか、アジアや、アフリカ、ヨーロッパだとどうなのか、人間、人類としてどうなのか。

というところで、また人類としての自然な「立つ形」についての稽古に入りました。

膝で足先が隠れるまで腰を落として、その時の脛の角度と同じ角度になるまで上半身を前傾していくというのがその形で、これは以前にもやったことがあったし、出来てると思っていたのですが、どうやら上半身の角度が甘かったらしく、また上半身の角度をつけようとすると腰の位置が下がりすぎてしまうということになっていました。

それをこう光岡先生がこっちこっちって手で矯正してくださるのですが、センセーアタシの腰はそっちには曲がりません!!って感じで超きつかったです。

安定した形というのは必ずしも楽ではない。少なくとも我々にとっては。

稽古を積んでいくとこの形が楽になっていくのだろうと、これは正座の稽古でも同じですね。

我々にとっては「苦」だけれど、100年さかのぼればこの形は「楽」であったのだと、電車の座席に正座で座っていたおばあちゃんが教えてくれます。

武術の場合、安定して立つということは前提にはなりますが実際には動けなければなりません。(けど立ててもいないのに動けるわけなんかないとも言えると思います)

四つ足の歩行形態の時にも確認しましたが、運動性は安定性と反比例します。動こうとすると不安定を作らなければならない。安定した立ち方ができても、動いたときに不安定になってしまうなら武術としてはマズい。動けるけど安定しているという矛盾をいかにクリアするか。

ということで二つの方法を学びました。安定した形のまま、站椿の結束式の時のように傾斜をつける。そうすると安定した形のまま勝手に身体が前に進みます。

もう一つは一瞬不安定を作ってすぐ安定に戻るというやり方。これはかなり難しかったです。

安定した形を作るときは、上記の老子の教えの通り、陽の面を観るのですが、動き出そうとするその瞬間に、ほんの一瞬陰の面を観る。その不安定を利用して動き出し、瞬時にまた陽の面に戻る。

相当観法の稽古を積まないとこのスピードではできません。

私の場合ですが、陰の面から陽の面に戻るのが遅くてうまくいきませんでした。

ここまでで午後の講座が終わりました。

午前中から午後にかけて四つ足から二足に進化して、立って数歩歩く、ということを学びました。

これらは韓氏意拳の体系そのものではないですが、そこに足を踏み入れるための基本、二足歩行の人間として根底にあるものです。

そこに中国文化圏の考え方でアプローチしていくというのが、光岡先生の韓氏意拳初級講座なのだと思います。

午前午後を費やして、ついにこの日は挙式(站椿の最初)も前擺(形体訓練の最初)もやりませんでした。

けど足腰ボロボロになりました。笑

立って歩いただけですよ!立って歩くだけでこんなことになりますかね!

いやほんと。早く立って歩けるようになりたい。

かといって四つ足で歩けるわけでもないから赤ん坊以下だな笑

月曜から5日連続カペラの稽古なんですが、普通は座って歌うんですが、例の立ち方の稽古をしつつ歌っています。おかげさまでなぜか筋肉痛はなく、足がボロボロのままです笑

立つこともできないのに歌なんか歌えるわけがないだろうが。という感じですが、精進します。。

カペラは今ベルギーの音楽祭に出品する演奏動画(録画は来週)を製作するためにリハやってます。一般公開はされるのだろうか、、よくわかりません笑

あと再来週はSalicus Kammerchorでも演奏動画を撮ります。こちらは立教大学の米沢陽子さんの研究発表のための動画で、こちらはいずれ大学のHPで公開されるはずです。

こういう状況で、お客さんを入れてのコンサートよりこうした録画の機会が増えてきましたね。

まだまだ全然慣れないですが、ひとつひとつ乗り越えていきたいです。

「引きこもるんだよ、身体に、足の輪郭に、やることは山のようにある!(外的要素に)反応している暇はない!」

GBB21|今、日本のHuman Beatboxがアツい

いやあここ最近興奮することが多いですよねえ?ねえ?

一昨日は藤井聡太の順位戦第3回戦、完勝でしたね。

そしてRISINでの朝倉兄弟の試合は両方とも見たことないくらい衝撃的でした。

で昨日ですよ。22時からGBB(Grand Beatbox Battle)21のタッグ部門とクルー部門の予選(wildcard)通過者の発表がありましたね。

いやー興奮した。

クルー部門には日本からSARUKANI、4thGas、New Schooler、今宵はBeatboxの4チームがエントリーしていました。

予選通過は1組のみ。

私の推しはSARUKANI(GBB19で世界4位となったso-so率いる4人組、KAJI、Kohey、Rusyという若いメンバー)と4thGas(アジアチャンプのRofuの2人、今年のソロwildcardで6位通過のShowgo、タッグとソロで2部門日本チャンプになったTatsuakiの4人)なのですが、4thGasはもうあまりにも未来のパフォーマンスをやっていて、今回のwildcard通る気さらさらねえだろっていうネタでした。対してSARUKANIはゴリゴリに受かりに来てた。もうゴリッゴリ。これでもかという詰め込み方で、完璧だったと思います。

日本以外の対抗馬としてはフランスのOhlalaとかEnd of the Gameでした。

9位から発表があって、Top3にNew Schooler、EOG、SARUKANIが残った時点で、SARUKANIこれやったなと思いました。順位は思った通りでSARUKANIが1位、予選を突破しました。

審査員全員一致の1位だったそうです。タッグ部門がかなり票が割れていたので、SARUKANIの圧勝はかなり衝撃的だったと思います。

どうもパフォーマンスが総合的に判断されてるのではないかと思いました。演奏そのものに加え、録音状態、ミキシング、動画編集などどれをとってもSARUKANIは群を抜いていたと思います。


続いて発表されたタッグの通過者、なんとSARUKANIから2組通りました。

SO-SOとKAJIのWildcard Guysが4位でKoheyとRusyのHUSKEYが1位!

もう昨日の発表は完全にSARUKANIの独壇場でしたね。

Rofuも既にGBB21出場を決めているので(延期になったGBB20からのスライド)日本からはなんと3組もタッグ部門にでます。

すごないすか。11組中3組日本から出場するんですよ。

ちなみに余談ですが、Wildcard3位に入ったおにーちゃんは日本大好きなドイツのタッグチームで、大好きなしょごたんの動画をリアクションしまくってます。そしてなんと日本公式チャンネルまで持ってます(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=V9c0gFVZwug

とてもうれしい気分になるので是非見てね↑


昨日の発表はタッグとクルーの2部門の予選だったわけですが、GBBにはこのほかに、ソロ、ソロループステーション、タッグループステーションの部門があります。

そしてこの全ての部門に日本人が出ます。

ソロはShow-go、kohey、ソロループはso-so、タッグループはso-soとrusyのsorryです。

いやSARUKANIすごないすか。

5部門で6組出場?数あってる?

これとんでもないですよ。え、まてよ。so-so個人で見ても4部門出場?!

前例あるんかな。私ビートボックス新参ファンなので知らなんけど、これとんでもないことだと思いますよ。

クリエイティヴィティがとんでもない。このクウォリティのものをこれだけの編成でこの期間内に生み出すのはもうちょっと想像を超えてる。ほんとに人間なんかな。

GBB21の本番はこの秋だそうです。

まずは無事に開催されますように。いやほんとに楽しみだ。


いやー古楽の専門家がビートボックスの話しても全然だれも反応してくれないのがさみしいんですけど、誰に言ってもわかってもらえないからブログに書きました(笑)

明日はヴォーカルアンサンブル カペラのムジカーザ公演、金曜はカテドラル公演です。

彼らに負けないようなアツい演奏をしよ。

https://www.concertsquare.jp/blog/2021/202105173.html

http://www.cappellajp.com/concert/index.html#cappella05

光岡英稔 BUGAKU講座|9回目

昨日、久しぶりに光岡先生の講座に行ってまいりました。前回が2月だったので4ヶ月ぶり。なかなか仕事で休日が空かないので、今回平日夜にグループレッスンを開講してくださってとても助かりました。

それでもキャンセル待ちだったので、講座の人気ぶりが窺えます。

雑談的な内容も含めて今回も大変刺激的でした。

書ける範囲でレポートしていきたいと思います。

いつものように、このレポートは全く私櫻井元希の主観によるものであり、同じ講座に参加されている方でも、へえ、そう感じる人もいるのか、というような内容のものです。

もし少しでも興味が湧くようであれば、講座に申し込んでみてください。

少なくとも今よりちっとは楽になりますよ。

韓氏意拳講座情報 http://hsyqjapan.dreamblog.jp/

BUGAKU講座情報 http://bugakutokyo.blogspot.com/2018/01/blog-post_22.html


以前のレポートはこちら↓

BUGAKU1回目 https://wp.me/p7Ktcz-cpK
BUGAKU2回目 https://wp.me/p7Ktcz-dGh
BUGAKU3回目 https://is.gd/Gm9C17
韓氏意拳講座1回目 https://is.gd/D3RjiJ
BUGAKU4回目 https://is.gd/37Oxg1
BUGAKU5回目 https://ux.nu/AmsQM
韓氏意拳講座2回目https://is.gd/G7l53a
光岡英稔 BUGAKU講座|7回目 https://is.gd/xiBfFB
光岡英稔 韓氏意拳講座|3回目 https://is.gd/rDRgMX
光岡英稔 韓氏意拳講座|4回目 https://is.gd/8BX3eO
光岡英稔 BUGAKU講座|8回目 https://is.gd/tbIYiI
光岡英稔 韓氏意拳講座|5回目 https://is.gd/YmZ2Yc


講座が始まる前に、受講生同士で話しているときに「Eテレ見ました」とか「You Tube見ました」とかおっしゃっていただいてとても嬉しかったのですが、徳久さんがコエダイの練習会の動画をアップしてて↓

https://youtu.be/5YQTu1j2I1s

この動画の中で、「合ってる」と思ってる音程から上がったり下がったりするということをやったのですが、これをご覧になった方から「なぜあえてずらすんですか?」というようなことを質問いただきました。

自分の音を出しながら聴くのって実は相当難しくて、絶対に合ってる自信があっても録音聴いたらめちゃくちゃってことがよくあります。なので鬼のように絶対にブレないキーボードの音に合わせて、唸りを聞きながらあえて音をずらしたり合わせたりすることで、「合ってる」という状態と、「合ってない」という状態を知る、ということをやるんです。

というようなことをお話したら、内田さんが「武術の稽古でもやりますよね、あえて間違う、間違うということを知る」とおっしゃいました。

で、それを聞いてか聞かずか、講座の中でまさにこれをやったんです。

「観て」やったときの所作と、「意識して」やったときの所作の違い。

「観る」と「感覚する」と「意識する」をことわけるのってすごく難しくて、習い始めてからずっと大きな課題としてあったのですが、これまで「意識」をしないようにしないようにという稽古ばかりしてきて、これらを切り替えるような稽古はしてこなかったんです。

なので、むしろ「観てる」状態から「意識する」状態に入るのが難しくて、「意識する」ってなんだっけ?とか思いました笑。ただこれも層を分けて、「観る」から「感覚する」を経由するようにすると「意識する」に入れて、とてもわかり易かったです。


というのが雑談からの流れでの気づきだったのですが、講座はまず「苦と快」というテーマから始まりました。

以前も、苦は自然か、快は自然か、というようなテーマがあって、ぼんやり頭の中には残っていたのですが、少し理解が深まったように思います。

本能的には、苦は悪とされ避けられる、快は良しとされ求められる、という傾向にあるが、一方で快ばかり求めていると怠けてしまう、苦を経なければ向上はない、というような、苦を求め、快を避ける考え方もある。

詰め込み教育かゆとり教育か、みたいなもんで、両方失敗してんじゃん?と。

というところで新たな視点、その「苦・快」は自然と生じたものなのかどうか。

「不自然な苦、人為的な苦」

「不自然な快、人為的な快」

これは環境操作、またその操作された環境に適応するための身体操作から生まれたもの。自然界にはない「快・苦」がある。

例えば正座でなぜ苦が生じるのか。じっとしてるだけなのに。殴られて痛いならわかる、殴って痛いならわかる、なぜ座っているだけで足が痛くなったりするのか。これは自然の苦なのか。

電車の座席に正座で座っていた昔のおばあちゃん。呉服屋の番台で一日中正座で帳簿をつけていたおかみさん。彼らは苦行をしていたのか。

彼らにとってはそれが「快」であった。それが私たちにとって「苦」であるのはなぜか。

古来からの武術にアクセスしようとする時、少なくとも正座が「快」である身体観にシンパシーを持てるかどうかというのは大きな分岐になりそうだ。

結局の所「快と苦」は同時に存在し、移ろうものである、快がなければ苦はなく、苦がなければ快はない。

そう、クヴァンツさんも言ってますね。

「決して切断されない快楽は、われわれの感受性を弱め衰弱させ、快楽をついには快楽でなくさせる。」

というところで正座、合掌での観法に入りました。

あらかじめたてた問いに対して身体に答えを聞く、という感じの流れで、この日の観法も一味違うものになりました。

私も毎日正座、合掌で観法はやってるのですが、やはりもっとじっくり時間をかけてやらなきゃだめだなと思いました。

正座も最初の頃は座った途端に「苦」がやってきてたのですが、1年位やってると、むしろ座った瞬間は気持ちいい感じで、ずっとそうしていたいと思うほどです。が実際は5分もやってると足が痺れ始めて「苦」が生じてきます。

このときもそんな感じで5分くらいで痺れ始めたのですが、不思議なことに観法が深くなっていくとその痺れが完全に消えました。

その後どれくらい経ったかわかりませんがまた「苦」が生じ始め、しかしそれはいつものような痺れではなく、熱くてジンジンした感じ?いつもはむしろ足が冷たくなっていく感じで痺れてくるのですが、ちょっとこれまでにない体感でした。

それでまあある程度の苦は生じるものの、耐えられないほどではなく、傍らに置いておける程度のものでした。

後でうかがったのですが、観法をどこから始めるか、どう進めるかは、決めているときもあれば決めてないときもあり、決めていても始めてみたらそうならないということもあるそうです。この日も最初左肘から入ったのはその時級にそうなったそうで、かなり即興的要素が強いようです。


その後この観法を使った稽古に入るのですが、最初にかなり深く観法をやっておくと、その後の稽古で身体を観るスピードと深さが全然違います。普段の自分ならあと5秒必要だな、とか思いながらやってました。

これ以降の内容はまだオープンにはなっていないようなのですが、間合いについて教わりました。間合いは距離とは違う、距離は同じでも間合いは違うという現象を体験しました。

左右観の違いみたいなことはずっとテーマになってるように思いますが、それがより複雑化して、発展していってるような印象を受けました。

今後も追っていきたいです。


あとは完全に蛇足ですが、着替えてるときに、あ、この人ヒモトレしてるんだな、とか、あれ、これマンサンダルじゃない?とかそういうものが普通になっているこの界隈素敵やなと思いました。

私も今マンサンダル注文中なので楽しみです。

ヒモトレについて https://www.kablabo.com/2016/06/post-236.html

マンサンダルについて https://www.mansandals.net/concept/